第一章 ~ バカみたい ~ (1)
好きな空の色があった。
居心地のいい色が。
第一章
~ バカみたい ~
1
紙飛行機を折ったのは誰なのか。
疑問は一晩眠れば、どこかに消え去ってくれていた。きっと、それほどまでに気にかけていなかったのだろう。
だからこそ、昨日の出来事は誰にも言っていなかった。
翌日の午後、六限目の時間はHRとなり、一ヶ月後の修学旅行において一日設けられた自由行動において、どこの観光地を回るべきか、小分けされた班で決める時間とされていた。
普段の授業とは違い、圧迫感のある重苦しい空気はなかった。
誰もが机と黒板を睨み返したり、教師の声だけが響く、風船が張りつめた緊張感はなく、心が緩んでいた。
もちろん、静かではない。所々でふざけて大声を上げたり、手を叩いて騒いでいる男子生徒もいた。それを注意する教師の声も木霊している。
しかし、それも楽しかった。今、教室は太陽みたいに黄色やオレンジ色が広がっているみたいで、体が軽かった。
昨日の深く重い青く染まっていたのが嘘みたいに。
何より、気の許せる友人の村瀬浩介と同じ班となって、楽しかったのである。
「……ったく、面倒だよな。目的地なんて、その日に決めればいいじゃん」
ただ、後ろの席にいる浩介は愚痴をこぼし、頬杖を突きながら頭を掻いていた。
目尻が下がっていて、普段から眠そうなのだけど、今は特に酷かった。本当に眠そうである。
「何、言ってるんだよ。そんなこと言ってると、高橋に置いていかれるぞ」
体を反らして、釈然としない浩介に嫌味をぶつけた。
「じゃぁ、お前はどこか行きたいとことかあんのかよ?」
「ーーん? 僕? そうだな」
古都と呼ばれる県だけあって、寺院や昔ながらの町屋が有名であり、いくつかの寺の光景を頭に浮かべ、顎を擦った。
タコみたいに口を尖らせていると、
「ーー……寺かな、行くならやっぱ」
ふと黒板を眺めていると、チョークである寺の光景が描かれていく。
そこは天井に描かれた龍の絵が有名な寺であり、多少の興味があったのである。
「あぁ、あそこな。お前もやっぱあそこ? あそこならほかの班も多く行くんじゃないの」
「やっぱ、そうなの?」
「なぁ高橋、尊がさあーー」
すぐさま浩介は二人のそばに立ち、ほかの班の子と話していた高橋という女子生徒に声をかけた。
「やっぱ、石原くんもあそこ行きたい? だよね。あそこは絶対に外せないよね」
陽の光を浴び、少し茶色く光る髪をなびかせて振り向く高橋。目を大きく開いて輝かせて頷き、手にしていたノートに何かを書き込んでいた。
「でもさ、あそこって泊まるホテルから結構離れてるんだって。たまから、別の場所に回ってもいい? 大丈夫。私もあそこは絶対に行きたいからさ、無理にでも食い込ませるから」
「あ、だったら、オレも行きたいところあるんだけど」
「どこ? 無理じゃなかったら入れるよ」
「なんだよ、面倒って言いながら、あるんじゃんかよ」
さっきのふて腐れた態度はなんだったのか、急に顔を上げて首を伸ばす浩介に呆れてしまう。
「別に行きたいってわけじゃないさ」
あっけらかんと手を振り、浩介は高橋のそばで話をまとまている女子生徒の輪に体を向け、自分の希望を述べた。
言葉とは裏腹に乗り気でいる浩介に、笑いながら椅子に凭れ、ふと背筋を伸ばした。ついアクビを出してしまい、一瞬目蓋を閉じてしまう。
ざわめきが耳に触れていた。背筋を這うような気持ち悪さはなく、どこか心地よい色が見えてくるようになる。
色が膨らんでいく。淡い赤や、鮮やかな黄色が水面に滲んでいくように声が弾んでいた。
暖かい空気を吸い込んでいるなか、急激に喉の奥が氷を呑み込んだみたく、冷たくなる。
瞬きのほんの一瞬、暖かい色のなかに亀裂が走る。赤い布に白い筋で裂けていく。ナイフで布を切り裂くみたいに。
突如生まれた冷たさに目蓋を開く。垣間見た白い筋はなんなのか、と視線を動かす。
修学旅行について盛り上がっている生徒はみな、赤いオーラを帯びているなか、「ーーん?」と眉間にシワを寄せた。
ーー長澤?
ほんの一瞬であった。
窓際の席に座る一人の女子生徒。長澤芽衣が目に留まった。
教室のなかで、いくつかのグループに分かれて光を咲かせているなか、一人だけ距離を置いているみたいに見えた。
長い黒髪が耳に触れる横顔から表情は伺えない。それでも窓際の席から外を眺めていて、修学旅行に興味を抱いていないみたいに見えてしまった。
なんでだろう、と疑問が降り注いでいたとき、長澤芽衣はこちらに振り向いた。
吊り上がったアーモンドみたいな目尻が下がると、笑顔が弾けた。
こちらに笑いかけられたのかと、ドキッとすると、彼女に近寄る一人の女子生徒がいた。
小柄で淡く茶色に染まったショートボブの女子生徒。岡田美波。長澤芽衣とは仲がいいらしく、よく喋っているのを何度も見かけた。
どうやらさっきの笑顔は彼女に向けたものだったらしく、急に恥ずかしさに嘲笑われてしまう。自惚れにもほどがあり、恥ずかしさに頬が熱くなってしまう。
「ーーんで、昼飯はどうする? なぁ、尊」
顔を伏せていると、浩介の声を浴びた。
「やっぱり、あっちの名物とか食べたいよね」
「あっちだったら何…… 湯豆腐? でもあれは僕はあんまり好きじゃないからな……」
「じゃぁ、ほかには?」
「あ、そうだ。ラーメンは? 確か有名な店があっただろ」
有名な食べ物を浮かべていると、以前テレビで紹介されていたラーメン店が浮かび、右手の人差し指を突き立ててみた。
ラーメン? と不満げに口を尖らせる浩介。「文句あるか?」と顎をしゃくっていると、高橋が自分のスマホを操作した。
「じゃぁ、お前が何かいいの探せよ」
「なんでだよ。んなの面倒くさい」
すぐに顔を背ける浩介に呆れてしまう。いや、こいつはこういう奴だと理解していたけれど。
きっと当日になっても、こいつは「面倒だ」と言いそうだ、と嘆いてかぶりを振っていると、不意にまた長澤芽衣の姿が視界に入った。
さっき感じた冷たさはなんだったのか、今は同じグループであろう生徒の輪に入って笑みをこぼしていた。
なぜかそんな彼女をボウッと眺めてしまった。
予定を決めるのは、どうも苦手かもしれない。
やっぱり…… 面倒くさいなのか……。