異食転生 最後まできっちりハーレムを
バリッ、ボリッ、と無骨な咀嚼音が、神殿に響く。
隅々まで磨き抜かれ静まりかえった神殿の中で、その男はいかにも場違いだった。
「あなたが……トドオカ様ですの?」
シスター・トドは引きつった表情で言う。
「あの……“酒池肉林”で知られる、グルメハンターの?」
「グルメハンターなんて名乗った覚えはありませんがね……。トドオカというのなら、私のことだと思いますよ」
男が口にしているのは、ワイバーンだった。ついさっきまで生きていたかのような、血の滴るワイバーンを片手で無造作につかみ、そのまま食いちぎっているのだ。
「もうっ、トドオカさん!」
たまりかねたように、トドオカの傍らにいた少女が言った。
「シスター・トドに失礼ですよ!」
「ん? ああ……そうだね。ありがとう、サルミアッキ」
トドオカはワイバーンの遺体を両手で掴み、力をいれた。ビチ……ビチッと音を立ててワイバーンの身体が軋み、血や体液が神殿の床を汚す。やがて、ワイバーンの亡骸は背中から二つに裂けた。
「私だけ食べているのは失礼でしたね。どうぞ、シスター・トド」
「いえ……」
シスター・トドは震える声で答えた。
「遠慮しておきますわ」
「残念ですね。では、食べ終えるまで、少し待っていてください。一度始めたことは、キッチリ最後までやり遂げる性質なものでして」
シスター・トドが眉をひそめるのにも一向に気にする様子を見せず、トドオカはその場でワイバーンを生のまま囓りとる。
「それにしてもっ」
ワイバーンを食べている間を繋ぐようにして、少女・サルミアッキは言った。
「このあたりにも、ワイバーンが出るなんて物騒ですね!」
「その話が今回の依頼とも繋がっているのですよ」
シスター・トドは頬に手を当ててため息をつく。
「ほう」
ワイバーンを腹の中に収めたトドオカが言った。その口元は、血と臓物にまみれている。
「伺いましょうか。食べ終わりましたので」
「実は……」
シスター・トドは眉をひそめたままだったが、それからもう一度ため息をつき、豊満な胸元に手を当てて切り出した。
「わたくしどもの信仰する神獣、バハムートドに異変がありまして。それがきっかけで魔物が増えているのです」
「バハムートド?」
サルミアッキが聞き返す。
「なんです? それ」
「古来より、この地で信仰している神獣であり、牛の何倍もある海馬です。北方の洞窟に住み着いています。本来ならば穏やかな獣なのですが、魔王の魔力にあてられて凶暴化してしまい……バハムートドの魔力のせいでさらにワイバーンのような魔物が発生して、わたくしたちは満足に外出すらできない有様です」
「なぜ、私に依頼を?」
トドオカは端的に質問した。
魔王の復活以来、魔力の影響から来るトラブルは多く耳にしている。神獣や星獣といえど例外ではなく、凶暴化して人が襲われるという話も出ている。そうした事例では、教会や国がしかるべき手続き、あるいは儀式を挟んで駆除する。今回のケースも、さほど珍しい話ではない。
トドオカが聞きたいのは、別のことだ。
「私よりももっと有名な騎士や勇者に依頼したらいいと思いますが、なぜ私に依頼するのです? リップサービスは結構ですので、実際的な話が聞きたいのです」
「お見通しなのですね」
シスター・トドは艶のある唇に、ようやく笑みを浮かべた。
「お察しの通り、今まで多くの依頼を行い……そして、みな、帰ってきませんでした。それほどに強い、バハムートドを討伐して頂きたい。そうお願いしているのです」
深々と頭を下げたシスター・トドにトドオカは、
「いいですよ」
とあっさりと答えた。
「よろしいのですか」
よほど意外な答えだったのか、シスター・トドは目を丸くした。
「その……できるだけ、報酬は弾みますので、どうかお願い致します」
「報酬はいりません。ただし、一つ条件があります」
「はい?」
どんな条件が突きつけられるのか、緊張に表情を硬くするシスター・トドにトドオカは、
「倒したモンスターは、私が骨まで食べ尽くします。何事、最後まできっちりやり尽くすタイプでしてね」
口元を血で濡らしたその男は、そう告げた。
「サルミアッキ」
バハムートドの住まう洞窟を慎重に進みながら、トドオカは言った。
洞窟は狭くはないがひどく湿気が高く、気を抜くと足を滑らせてしまいそうになる。
「なんか、嫌~な感じの洞窟ですね。なんです? トドオカさん」
「あの神殿、いやに美人が多くありませんでしたか?」
トドオカの言葉に、サルミアッキは思わず吹き出した。
シスター・トドから仕事を請け負ってから、神殿に住まう多くのシスターがバハムートド討伐に向かうハンターに対して激励や応援の言葉を述べに来た。中には少女のような年頃の娘もいて、黄色い歓声を飛ばしていさえいた。
きっと、神殿でストイックに神に仕える生活をしていると、トドオカがバハムートド討伐に向かう、それ自体が大きなエンターテインメントなのだろう。
年若い娘ならなおさらだ。
「美人が多いですって? トドオカさんも男ですね~。どこ見ているんですか? 確かに、豊満なカラダの美人さん揃いでしたけど。おバストが、こーんなに立派で。トドオカさん、そういう女性が好みなんです?」
「胸の話はしていませんよ、サルミアッキ」
「視線が言っていました~」
「胸はともかく……いや、まあ、いいか」
「どうしたんです?」
サルミアッキはトドオカの顔を見上げた。
「歯切れが悪いですね」
「こんな辺境の神殿に、あんなに美人がそろっているなんてな、と思いまして」
「神殿なんですから、いろんなところから人が集まっているものなんじゃないですか? 地方だから、ということはないと思いますが」
「それと、男性が一人もいない神殿でしたね」
「このあたりの土着宗教の事情はわかりませんが、修道院みたいな感じだと思いますよ」
物音に、二人ははっと顔を向けて、カンテラでその方向を照らした。
アゲハコウモリ!
群れをなして襲いかかってくるアゲハコウモリを見たトドオカはさっとサルミアッキを後ろにかばい、手を伸ばしてアゲハコウモリの何匹かを素手でつかみ取り、そのままバリボリと噛み砕いた。
「美味くはないですね」
「よくそんなの食べられますね……」
ぞっとする、とでも言いたげにサルミアッキは肩をすくめた。
「初めて食べる味です」
「そりゃそうでしょうよ。トドオカさんしか食べませんから、コウモリなんて」
トドオカの強さを見てとったのか、生き残ったアゲハコウモリはそのまま闇夜に姿を消す。
「こんなのだけなら話が楽なんですけどね」
洞窟に入って既に数時間が経ち、幾度も魔物の襲撃を受けているが、トドオカにとっては命を脅かされるほどの相手はいなかった。それに比べたら、洞窟そのもののほうがよほど危ない。
夜より深い闇は時間感覚を狂わせるし、帰り道を見失うリスクも高い。仮にバハムートドを討伐できても、生きて帰れなければ意味がない。傷を負って、より悪いコンディションで帰ることも想定しなければならない。
「そろそろバハムートドにお会いしたいんですけどね……」
トドオカが独り言つ横で、サルミアッキはカンテラを闇に突き出した。
「ひぃっ!?」
「どうしました、サルミアッキ」
「トドオカさん、あれ……」
「しゃれこうべですね。先にここに来ていた冒険者ですか」
つるりと丸い頭蓋骨が、無造作に転がっている。無意識にか、サルミアッキがトドオカの足にすがりつく。
こめかみのあたりに、槍ででも貫かれたような大きな傷跡が残っている。
「大型の肉食獣に食い殺された……ということでしょうか」
「私も人は食べたことがないなあ」
「何を言っているんですか、トドオカさん。それだけ危険な魔物がいるってことですよ!」
「別に構わないじゃないですか。だってそれは、バハムートドの居場所が近いということなんですから」
トドオカはサルミアッキを横抱きにして、洞窟の奥へと転がった。
一瞬遅れて、洞窟が大きく揺れる。
「トドオカさん!?」
「噂をすれば影ですね」
洞窟にあちこちにぶつけて軋む身体を叱咤して、トドオカは立ち上がる。
「バハムートドのおでましだ」
巨大な獣だった。
ぬるりと魚のように濡れた身体はてらてらとカンテラの光を反射している。身体が大きすぎて、カンテラの明かりだけではどこが頭でどこが尻尾なのかわからない。ぶうぶう、とうなるような息づかいだけが頭部の位置を教えてくれている。
シスターたちが神獣と崇めるのもよくわかる。
今の価値観でならともかく、古代の人にとってバハムートドの存在は神そのもののような脅威であり、畏敬の対象であったのだろう。
トドオカは腰に佩いていた刺身包丁に手をやりかけて、思い直した。
「サルミアッキ、下がっていてください。念のため、武器は用意しておいて」
「イエス。マスター」
トドオカは告げると、無造作にバハムートドに歩み寄った。
「さて、バハムートド、食事の時間だよ」
バハムートドは隙だらけの、爪も牙も持たない生き物が近づいていくるのを目の当たりにして一瞬怯んだような様子を見せた。
神獣バハムートドは図体だけのモンスターではない。高い判断力もまた、食物連鎖の頂点たる所以の一つ。
そして、バハムートドはその高い知性で、判断を下した。
すなわち、そのままトドオカを丸呑みにしようとした。
「どうしました?」
バハムートドの動きが止まる。これには、他ならぬバハムートド自身が混乱していた。どうして、このまま一飲みにしない?
その答えは、本能だった。バハムートドの野生の勘が、『この男は危険だ』と告げている。
「やっぱり神獣っていうのは凄いものですね」
トドオカは、独り言のように言った。
「私が毒物だと、気づくなんて」
この世界に転生して以来、トドオカは多くの食材を口にしてきた。毒物も例外ではない。多くの毒物を取り込んだトドオカの身体は、毒物の特製カクテルと化している。数十キロの毒の塊を飲み込めば、いかなバハムートドといえど命はない。
バハムートドは怯えたように後ずさりをして、洞窟の闇へ姿を消す。
「そこまでだ」
突然、冷や水を浴びせるような声がした。
「まさか、グルメハンターのトドオカが毒物人間だったなんてね」
シスター・トドがトドオカに向けてクロスボウを構えていた。
「……シスター・トド。最初から私が狙いですか」
「ここまでお疲れ様、トドオカ」
「やっぱり、強い男を探していたんですか?」
トドオカが出し抜けに言ったので、シスター・トドは困惑したような表情を浮かべた。
「どこで気づいた?」
「トドというのは、一頭の雄を頂点としたハーレムを作るものなんだそうですよ」
「……は?」
「あなたがたの神殿に男性が一人もいない。そうした信仰の形自体はよくありますが、下男の一人もいないでは不便なこともあるでしょう。とすると、あなたがたの神殿は『男性が一人もいない』のではなく、『女しかいない』という生物なのではないかと」
「……」
「つまり、シスター、あなたがたはサキュバスとよく似た生物なんだ。神殿はそのコミュニティ。神獣は撒き餌として機能し、神獣を退けられる強さを持った男性を収集・確保した上で、その男性から精を搾り取って繁殖する、という生態をしている、と考えています。男性の意思を無視するところを許容できればハーレムですね。さっきの頭蓋骨が、精を吸い取られたなれの果てか、あるいはその前に魔物に殺されたのかはわかりませんがね」
「いくら真相がわかったところで、もう手遅れだ。下半身さえ無事ならいい」
シスター・トドはクロスボウの引き金を引く。
それよりも、サルミアッキの吹き矢がシスター・トドを貫くほうが早かった。
吹き矢を受けたシスター・トドは洞窟の地面に倒れ込む。
「トドオカさんの言う通りでしたね。武器を構えていて良かったです」
サルミアッキはへへ、と笑みを浮かべた。
「まさか、あの神殿が罠とは思いませんでした。トドオカさん、鋭いですねえ」
トドオカは片手を伸ばしてサルミアッキの頭を撫でてやる。
「ま、待って……」
地面に倒れたシスター・トドはすがるような声を出した。
「謝る……なんでもするから、命だけは助けて……」
「嫌ですよ」
トドオカは腰の刺身包丁を抜いた。かつて、ヒドラと戦った後に尾から切り出した、この世に一本しかない愛用の品だ。
「最初に言ったじゃないですか。一度始めたことは最後まできっちりとやり遂げるとね。 バハムートドは闇に消えたが、あなたのことはきっちり頂いていきますよ」
ひ、ひ、とシスター・トドは声にならない声を漏らす。
その唇から何か言葉が出るより前に、トドオカは首を切り落とした。
「全ての命に感謝を込めて、頂きます」
洞窟の闇に、シスター・トドの髄液を吸い上げる音が響く。
「うへえ」
サルミアッキは露骨に顔をしかめた。
「よくさっきまで喋っていた相手食べられますね」
「調味料がもっと欲しいですね」
洞窟の中では火を使うわけにもいかないし、シスター・トドを担いで洞窟を出るのも手間がかかる。結局、この場で生で食べるしかない。
殺した以上きっちり最後まできっちり食べきらないと気持ちが落ち着かない。噛み砕いた背骨をごくりと飲み込んだ。
「……うん?」
脳裏に、ふと影が走る。
「どうかなさいましたか、トドオカさん」
「今、何か……」
この世界に転生する前の、ほのかな記憶。シスター・トドを食べていると、それがよぎったようだった。
トドオカには、転生前の記憶がない。
ただ、食事だけが転生前の記憶を呼び起こしてくれる。
失った記憶を求めて、食事を繰り返す。
転生して以来、それがトドオカのライフワークと化していた。
もしかしたら、転生前にも何か、似たものを食べたのかもしれない。
「ごちそうさま」
トドオカは手を合わせて言った。
「さ、行きますか。トドオカさん」
サルミアッキも立ち上がった。
「ええ、サルミアッキ。神殿に残る皆さんも最後まで平らげてあげないといけませんね。最後まで、きっちりとね」
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