謎の美少女
上納先生が衣装を持って急いで帰ってきた。
が、何かがおかしい。上納先生が持っているのはやけにヒラヒラしている。
「はぁ、はぁ……晒、すまん」
「何がですか?」
「……その、学校側が用意した衣装は、男子生徒用と女子生徒用、どちらもちゃんとあったんだが……」
「それで?持ってきてくださったんですよね?」
怪しい。上納先生の一つ一つの挙動が怪しすぎる。
視線が泳いでいる。
まさか……。
「……衣装を貸す予定なのが、弥生だけで、男子生徒用を持って来なかったらしく……」
「らしく??」
分かっている。
何を言いたいのは分かっているが、相手から言ってもらわなければ気が済まない。
意外とイライラしているようだ。
「女子生徒用しか……ありませんでした……」
そう言って上納先生は黒のヒラヒラを差し出してきた。
この学校はポンコツだなっ!!!
予備が女子用だけってなんだよ!持ってくる手間を省きたかったのか?
俺はそのヒラヒラを掴み取り、広げてみる。
「…………」
「あぁー……」
それは由紀もそう言ってしまう程の、足の所が腿にかけて大胆に開いたドレスだった。
「晒のサイズに合うのがそれしかなかった……です」
いつの間にか先生の方も敬語になっている。
申し訳ないとは思ってくれているらしい。
そして俺は……
「……律?顔怖いけど……?」
山姥が憑依したように表情が崩れていた。
こめかみがピクピクするのが分かる。
「……俺で…も…女装なんて、した事ないのに……なんで、こんな時に……」
「り、律?どうしたの?何ブツブツ言ってるの?怖いわよ……?」
由紀が心配そうに覗き込んでくる。
あぁ……最悪だ……。でもそうなったもんは仕方がない。
「……いいですよ、もう。分かりましたよ。突然言い出したのは俺ですし。だから、部屋用意してくれますか?ちゃんとメイク一式も揃えてくださいね?」
「お、おう!任せとけ!」
そう言って上納先生は胸をドンッと叩く。
なんとも安心できない宣言だこと。
それから数分して、部屋に通された。
上納先生曰く一番いい場所、つまり一番奥の部屋にしてくれたらしい。一応、俺に対しての配慮だろう。
「はぁ……」
気が進まない。進まないが、やるしかない。
上納先生には、この部屋にはたとえ由紀でも誰も入れないように頼んである。
俺は衣装に袖を通す。
「うわぁ〜……」
うわぁ〜としか言いようがない。
こんなの俺に似合うわけない……。
取り敢えず、メイクをしなければ始まらない。
四津さらりだとは分からないように……!なるべくナチュラルに!!
「晒ー!もう後十分だ!急げーー!」
ドアの向こうから上納先生の声が聞こえる。
「……もう行きますよ」
「そうか。なら早く出てこい」
「……すみません。心の準備が……」
「は、や、く!!!」
「……はい」
観念してドアを開け、顔だけ出す。
「ほぉっ……!?い、いいんじゃないか……?」
「お世辞、ありがとうございます」
「いや、マジで」
お世辞でもそう言ってもらわなければもう俺の心は保たない。
「ところで先生」
「な、なんだ?」
「できればウィッグみたいなのが欲しいんですが……流石にないですよね…….」
「あぁ、演劇用のがあった気がするぞ?」
「いらないものはあるんですね?」
「いや、ミュージカルをする奴らがいるからだよ……取り敢えず、取ってくる」
なんでウィッグはあって男子用の衣装がない……。
はぁ……と大きな溜息を吐く。
憂鬱だ。とてつもなく。
直ぐに上納先生が帰ってきた。手にはやけにキラキラしたものを持って。
「これでいいか?」
「……何故、ブロンド?」
先生はきんきらのウィッグ、ブロンド髪のウィッグを持ってきた。
まさか、また先生は変なものを選んだのか……。
「赤毛とブロンドならどっちが良かった?」
「ブロンドで」
俺は即答した。
まだ先生の感性が死んでしてしまった訳ではなかったらしい。
俺はそのウィッグを着けると、部屋から出た。
舞台の袖まで行くと、既に由紀は腕を組んで待っていた。
俺は由紀の元へ近づいていく。
「遅かったわ…ね……?」
何故か由紀の語尾が上がった。
そんなに変なのかな……。
「え……律よね?」
「そうですけど。……何か文句でも?」
「い、いえ……うん。すごく綺麗……」
「そりゃどうも……」
またはぁ〜と大きな溜息が出てしまった。
これでもう永遠に女装などしない事を願う。
あっ、これがフラグってやつなのか……。
なんて事を思っていると、由紀が話掛けてきた。
「これが最初で最後の打ち合わせよ」
「あぁ」
「貴方がプリモ、私がセコンドで、曲は……そうね。くるみ割り人形……とかどうかしら?」
「え?別に構わないけど……弾けるか?」
「出来るわよ。あれは指が慣れちゃってるもの」
おう…中々カッコいい事言ってくれる……。
流石由紀だ。
指が慣れてる……か。俺も一回は言ってみたいな。
「それと一つ、お願いがあるの」
「なんだ?」
「私に、ソロの時間を頂戴」
思いもよらない申し出に、俺は眼を見張る。
「……いいんだな?」
「ええ。もちろん。主役は私なのよ?」
「……そうか。そうだよな……」
忘れてはいけない、大前提。
主役は、由紀なのだ。
「なら、始めは由紀のソロにしよう。後じゃ負担のかかり具合が違うからな。くるみ割り人形は、その後だ。でも、長くは弾かせない。無理のない程度に、だ」
「分かってるわよ。律母さん」
「おい」
「ふふっ」
無駄口を叩ける分には大丈夫だろう。
そして、遂に開幕のブザーが鳴る。
『ブーーーーーーーー』
『これより、来栖高校音楽祭を、開演します』
司会者が話し出す。
『まずは、弥生由紀さんによるピアノ演奏です。どうぞ、お楽しみください』
会場が暗転し、舞台にスポットライトが当てられた。
「行ってきます」
由紀が言う。
「行ってらっしゃい」
俺はそう言って、由紀の背中をそっと押した。
由紀はステージ中央に向かっていく。
そこにあるのはもちろんピアノ。
そのままピアノの前に立つと、彼女は手を腹の前にそっと置き、お辞儀をした。椅子に座ると、由紀の肩が少し上下する。
そして、演奏が始まった―――。
♪〜〜
会場には由紀の奏でる音だけが響く。
ここからは由紀の顔が見えない。彼女は今、どんな顔をして弾いているのだろう。
すると、由紀の音が少し乱れ出した。僅かな差だが、分かるぐらいの乱れ。
やはり、右手が響くか……。
由紀の音は未だ乱れたまま。右手が難所にさしかかろうとしている。ここを終えれば、第一楽章は終わり、由紀のソロもそこで終えさせるつもりだ。
だが、これは……。
いや、また由紀の音が持ち直した。難所だけは、越えてやろうという思いがひしひしと伝わってくる。
これがピアニストの、意地……なのかな……。
由紀の演奏も終盤。
そして、由紀は遂にそこを止まらずに完奏させてみせた。
由紀は一旦演奏を止める。
来い、という事だろう。
だが、そんな事情を知らない観客席はざわめき出す。
持ち時間はまだ余っているのに止まったので当たり前だ。
どうしたのか、と心配する声も聞こえる。
さぁ、早く俺も行かなければ。
頑張れよ!律!!
そうして俺は、始めの一歩を踏み出した。
そのまま由紀の元へ向かう。
……肩を少し引いて、モデルウォークで男感を薄めながら。
会場のざわめき加減が一層大きくなり出す。
「誰だあれ…?」
「すごくきれー……」
「身長高いよな?モデルか何かかな……?」
観客席の方からヒソヒソとそんな声上がる。
中にはほぅ……と感嘆の声を漏らす者もいる。
因みに客席からの声は全く聞こえない。
というかもう何も考えていない。
考えない!
息を殺すようにピアノまで向かった。
由紀は椅子を少しずれて、奥の方に座り直す。
俺はその横に腰を下ろした。
視線を交わし、呼吸を合わせる。
まずは一音。
♪〜〜
「私これ知ってる……」
と、観客の声。
「♪〜…」
無意識に口ずさむ声。
静かな会場に生まれる、僅かな声……。
演奏は後半。激しい動きへと変わる。
会場からは一切の声が消える。
そしてそのまま終盤へ突入し……。
ジャーーーっ!!
俺達は演奏を終えた。
会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こる。
その後、由紀は司会者の元へマイクを貰いに行った。
マイクを手に帰ってきた由紀は舞台の中央に立ち、ポツポツと語り始める。
『……私は今、十分に右手を使えません』
観客は何を言う事もなく、由紀の言葉を静かに聞いている。
『そうなってしまったのは、自分の不注意と……ある者の故意のせいでもあります』
今まで自分の責任しか考えていなかった由紀が、ここで初めて、全てを全て、背負う事をやめていた。
『ですので、この様な形で、演奏させていただく事になりました。いつ、元通りに弾けるようになるのかは、分かりません。ですが、私は努力します。またいつか、右手が治ったら、私の演奏を聴きに来てください。
後悔は、させません』
由紀は最後にそう、締めくくり、俺達はお辞儀をして、舞台を後にした。
また拍手が鳴り止まない中、場違いにも、俺に対して「お名前はーーっ!?」と聞いてくる者がいた。
が、もちろん聞こえていないのでスルーしてしまった。
「死ぬかと……思った……」
俺は舞台裏に戻ると膝から崩れ落ちた。
「緊張で?」
「恥ずかしさで」
由紀の問いかけに即答する。
そしてもう一つ、俺は由紀に確認しておきたい事がある。
「由紀さんや、後悔はありますかね?」
「……いいえ。今日はお母さん達も観に来てるし、今のを聞いて、私の嘘はバレたでしょうけど」
由紀はそう言ったが、その表情は何かが吹っ切れたようだった。
「……これで、学校にも責任は行っちゃうかも。理事長さんには、ちょっと悪い事をしたかしら?」
そう言って少し笑った由紀は、俺には小悪魔のように見えた。
演目は順調に進んで行き、俺達Ⅳ組の舞台も、無事に終わった。
俺達のクラスはよく頑張ったと思う。
……これで軍曹も消えてくれたら尚のこと良いんだが……。
中には先生も言っていたミュージカルをしている組もあった。
主人公の少女役がごつい体つきの男子生徒だったのは想定外だったが……。
お昼時間。俺はトイレから出て少し歩くと、通路で喋っている上納先生と、もう一人年配の先生と出くわした。
「―――それは困りましたね」
年配の先生が言った。
何が困ったのだろう。またいらぬ事に首を突っ込みそうだが…気になってしまった。だから俺は、直接先生達に聞いてみる事にした。
「あの、どうなさったんですか?」
「ん?あぁ、晒か」
そう答えたのは上納先生だ。
先生はちらりともう一人の先生に目配せをし、相手から了承を得たようだ。
「それが……午後の有志発表に出る予定だった奴が急遽、体調不良で帰ってしまって、空きができてしまったんだが……」
「それがどうしたんですか?」
「そいつがよりにもよってトリでな。予定より大幅に早く終わってしまうんだよ」
ほぉ。それは困った事だが、俺には関係のない話だ。
一応、先生にお礼をして、その場を立ち去ろうとしたのだが、その時ある事が思いついてしまった。
「……あの、その時間、俺にくれませんか?」
上納先生にだけ聞こえるようにそう言う。
後ろの年配先生は頭にはてなマークを浮かべてしまっているので、適当に話しておく。
「いや、実は俺に当てがありまして……」
今度は後ろの年配先生にも聞こえるようにそう言った。
上納先生は、何を言いたいのか察したようで、その時間は俺にくれる事になった。
さて、俺が一体何をやるのか。
それは―――。
色々ポンコツだーっ!ボタンは下のお星様になりますすすす。
いや〜……終わりませんでしたね!!((




