音楽祭と由紀と
総合評価20000ptサンクスです!
由紀の様子がおかしい。
久々に音楽室に行ったあの日。俺が入った時に見せた、僅かな動揺。
そして、その後すぐに帰ろうとした事。
ピアノを弾こうとしなかった由紀に、俺は上手く弾けてないのか?と聞いた。だが、由紀はそれにもちゃんと答えようとはせず、そそくさと帰って行ってしまった。
少しの淡い期待と共に、由紀の家に向かった俺は、やはり、その期待は打ち砕かれてしまった。
咲に由紀は帰ったか聞いたが、まだ帰っていないと言う。
そして、こういう日はだいたいピアノを弾きに行っているとも言った。
ただ、一度も帰らず、何も言わずに向かってしまうのはほんの希だそうだ。
それからしばらくは咲達の面倒を見て、晩飯も作ってやったのだが、結局、由紀は帰って来なかった。
ピアノを貸しているご近所の人に由紀はいるか確認は取ったため、いる事は分かっている。
道中、雨がポツポツと降り、次第に激しくなっていったが、由紀はどうしたのか。
ご近所さんによると由紀が来た時はずぶ濡れだったと言う。折り畳み傘さえ持っていなかったのだ。
由紀の事だから、無駄な事にお金はかけたくないと思っているのだろう。その証拠に、由紀は傘を一本しか持っていないと咲は言う。
咲達を置いて帰るのは少し憚れたが、いかんせん寮にも門限と言うものがあるので、仕方がなかった。
そして翌日から由紀は学校を休んでいた。
何があったのかは分からない。前日の雨で風邪をひいたのか、それとも他に理由があるのか。
だからその日、俺はまた由紀の家に向かった。が、またもや由紀はいなかった。というより朝からピアノの練習のため、家にはいないと咲は言った。また、由紀からこんな言伝をもらったそうだ。
もう家には来なくても大丈夫だと、そう俺に伝えて欲しいと。
由紀はちゃんと帰っているらしいし、咲も大丈夫だと言った。
来るな、と言われたら、もう行く意味もない。むしろ、行く事で弥生家に迷惑になってしまったらいけない。
そう思い、俺はその日からはもう、由紀の家には行かなかった。
〜〜〜〜〜〜〜
迎えた音楽祭当日。
学校は大きなホールを取り、そこで音楽祭は朝八時から夕方五時まで行われるという。
客席は、カイが雑誌で宣伝した効果もあり、満席だった。ライブ会場のような感覚で、団扇なんてものを持ち込んでいる人もいる。
また、生徒側と観客側との席は分かれており、接触する心配はないらしい。
これ、家族も見れるように配慮されているのだろうか……。
そう心配にはなってしまうが、何せ広い。
ちゃんと入れるようにはなっているのかもしれない。
そして二階には音楽業界のお偉方の姿も見受けられる。
中々ガチだな……。
目当てはきっと由紀だろう。
そしてそんな由紀はと言うと、未だに顔を見せていなかった。
まだ開演には三十分はあるが、彼女は一発目だ。準備もあるはずだが……。
すると、急いで由紀がホールの中に姿を現した。
こちらを一瞥してから、すぐに舞台裏に消えてしまう。
俺も由紀の後を追って舞台裏に向かった。
〜〜〜〜〜〜〜
私は息も切れ切れに、ホールに到着した。
ギリギリまで練習していたため、少し予定よりも時間が遅れてしまった。
結局、私は曲を完成させられなかった。
原因はやはり、右手。
思うように動かせず、指がもつれてしまう。
中に入る時、チラリと律の姿が見えたが、気にせず舞台裏に向かう。
衣装は学校側が用意してくれたものを着て、乱れた髪も整える。
と、控えのドアがコンコンッとノックされた。
誰だろう?と思い、ドアを開けてーーーバタンと閉めた。
「おい。なんで閉めた」
外から聞こえて来たのは紛れもなく律の声だ。
「……ごめんなさい。つい、反射で」
「俺はいつから反射的に拒絶されるような奴になったんだ?」
もう一度そ〜っとドアを開く。
ドアの前にいたのはボサボサの頭に黒縁眼鏡。やはり律だった。
「……どうしたの?かなり早く来たようだけど?」
「どうしたの?はこっちのセリフだ。顔色、悪いぞ」
「……取り敢えず、入って」
そう言って中に通す。
適当な所に座ってもらい、私も向き合って座る。
「で、指の調子はどうなんだ?」
律がそう聞いてくる。
調子も何も、そんなもの最悪だ。
「……大丈夫よ。弾けないわけじゃないから」
「……やっぱり。上手く弾けてないんだな」
「そんな事ない。……私は大丈夫」
大丈夫、大丈夫。
私が今までに何度もかけてきた暗示。
そう言うと、何だか本当に大丈夫だと思えるから。
なのに……何で?今日はずっと不安が消えない。
すがってしまいたい。
でもそんな事したくない。
私は、自分でなんとかできる。
そうじゃない。今までだってそうやって一人で……!!
「……由紀?」
頰からつーっと流れ落ちるものがある。
「えっ……?」
無意識の内に涙が頬を流れ落ちた。
拭っても拭ってもとめどなく流れ落ちてくるそれは、心を支えていたものまで綺麗に流してしまった。
「…………なんで……?なんでこんなに、上手くいかないの……?」
心にぽっかり空いた穴から、何もかも全てが流れ出していく。
「おねぇちゃんって何?姉って何なの…?私は、私は……!!一体何……?」
「…姉なんて、ただ早く産まれただけだろ」
「え……」
律が私の頰を両手で包み込み、ぐいっと顔を持ち上げる。
その手は暖かくて…でも指先は、少し、冷たかった。
「お前は姉ってだけで全てを背負い込みすぎてんだよ」
「でも、でも……!私がしっかりしなきゃ……」
「お前の時間はいつから止まってる?咲はもう十分しっかりしてるだろ。花も大きくなった」
「……私は、おねぇちゃんなの。だから……」
だから、私が、しっかり……。
あれ……私、咲達の事、ちゃんと見てたのかな?
結局、私は二人のおねぇちゃんなんかじゃ……。
「由紀」
律が真っ直ぐに私を見る。
「どうして人を頼ろうとしない?」
「だって……そんなの、その人に迷惑をかけてしまうじゃない……。そんな事するくらいなら、私だけで十分……」
「そんな訳ないだろ。もっと周りをよく見ろ」
周り?周りって……誰の事……。
「俺に言う事はないか?」
「え?」
「ほら、言ってみろよ」
だから何を……。
「“助けて”って」
……どうしてそんな簡単な事を言えなかったんだろう。
今まで、こんな事、もしかしたら言ったことないかもしれない。
いや、本当はあるんだろうな。
小さい頃、お母さんとかに。
だけどあの時から、私の中の時間は……。
「っ……たすけて……!誰でもいいの!!もう、助けてよぉっ……」
子供の頃に戻ったように、ただ泣きじゃくる。
両目からはおびただしい量の涙が流れ落ちていく。
でも、私はタガが外れたように、思いは溢れていってしまう。
「上手く弾けない……こんなの私じゃない……!!」
「そんな事ないだろ。ピアノが弾けなくなったら由紀じゃないなんてことは、ない」
そう言って彼は私を抱きしめる。
暖かく、包み込むように。
「右手が言う事を聞かない……!どうすればいいのかも分かんない!!どれだけ練習しても無駄だったのっ……」
「その努力を続けたら、また弾けるようになるよ。だけど今は無理をしたらダメだ」
「……お母さんに、迷惑をかけたっ……」
「いつ、お母さんは迷惑だって言っていた?」
「言わないだけ……。お母さんは、私に向かって、言う事はないだけ……」
「本当か?今までお前はお母さんの何を見てきた?」
そうよ。自分で一番分かってる。
いつだって私が努力して、無理をして、我慢をしようとしてきたらお母さんは悲しそうな顔をした。
だけど、私は見て見ぬふりをして、ただ、誰にも頼らず、頑張ってきた。
そうじゃないと、いけないと思った。
お母さんは、迷惑だなんてこれっぽっちも思わない。
言わないのでもない。
それが、お母さん……。
「うっ……ごめんなさいっ……!ごめんなさいっ……」
「大丈夫。大丈夫だから。な?」
「ごめんな、さいっ……うぅっ……うぁあああああああっ!!」
「ちょっ、どうした!?」
ドアが開き、外から上納先生が顔を出す。
大声をだして泣く私を見てギョッとすると、律の事をキッと睨む。
「さ〜ら〜し〜〜っっ!!!何、弥生の事泣かせてんだっ!!!」
「えぇ〜〜……?何でそうなる……」
「ぐすっ……なんかごめん……」
私のせいで破茶滅茶になってしまった。
だけど、私の心はすっとしている。
が、もう一つ。私にとって大事な事。
「……律。私の事、助けてくれるんでしょう?何もないとか言わせないから」
「お、おう。それは……分かってる。けど、まぁ、うん。元気になったなら、良かった。うん」
「晒……お前の事は見損なったぞ……」
「だから何で……」
律はがっくりと肩を落としてしまった。
それを見て、私はクスッとしてしまう。
何なんだろう。この人は。
不思議だなぁ……。
「で、律はどうするつもりなの?」
私はそう律に聞く。
きっと何か考えはあるんだろうが……まさか俺が代わりに出るなんて言わないだろうな。
「あぁ、お前の代わりになってやる」
「はぁ?」
なんだ。結局私の事など全然分かってないではないか。私は私が出なければ納得しない。
「あ、いや違うぞ?」
「え?」
「お前自身の代わりじゃなくて、お前の右手の代わり」
「……えぇ??……腕取り替えるの?」
「そんなサイコな事出来るか!!」
怒鳴られてしまった。
流石に私だってそんな事は出来ないんだけど……。
「で?つまりどう言う事?」
「俺とお前で、連弾すりゃいいだろ?曲は変わっちゃうけど、即興でなんとかしよう」
「はぁ。でも私は右手が……」
「弾ける指だけで弾けばいい。あとは俺がなんとかカバーする。主旋律は俺がやるし、そっちの道を生きてる人以外は案外ちゃんと聴き分けできやしないだろ。あと事情もちゃんと話す事!」
なんと強引な案だろうか。
律って達観してるように見えて案外子供な所もあるんだな……。
「……由紀って、お母さんに愛されてるよな」
「え?」
上納先生に頼み、律の分の衣装を待っている間、突然そんな事を言い出した。
一体いきなりどうしたんだ。この人は。
「正直、ちょっと羨ましい」
「……」
そう言った律の横顔は、少し寂しそうに見えた。
次!気になる!!次!!ボタンは下のお星様になります〜
次か、プロローグがあれば次の次ぐらいで第一章終幕です!
次は……ようやく律が舞台に上がる!!




