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通学路で

 目を覚ました時、机の上の壁掛け時計は6時半を指していた。まさか午後ではないから、午前6時半である。


 光希みつきはまだ眠気でぼんやりとする頭をもたげながら、階下で待つ朝食を迎えに行った。


「あ、兄さん。おはよう」


 居間には既に、中3になった妹のるいがいた。母親の手伝いをしているらしい。小学校の時の家庭科で彼がつくったドラゴンのエプロンを身につけている。それを見る度恥ずかしくてたまらなくなるから、いい加減捨ててほしいと何度か言っているものの、泪は捨てようとしなかった。

 母は台所で火を扱っていた。


(ということは父さんはまだ寝てるのか)


「おはよう、泪。今日も早いな」

「いつものことだよ」


 彼女は愛想笑いを浮かべて、台所へと引っ込んだ。泪はいつもこうして家事を手伝い、あるいは一人で切り盛りしている。朝遅くて夜までかかる仕事をしている父と、ずぼらな兄は、朝完全に戦力外なのだった。


「(今日はトーストと目玉焼きか。塩コショウを呼べ)いただきます」

「はい。あ、兄さんこれ」


 と言って泪が醤油(昆布だし)を渡した。


「いや、どうせなら塩コショウくれよ」


 と言いつつも目玉焼きにたっぷりとかける。あまりこだわりはないのだ。

 光希の向かいに泪が腰を下ろす。ブラックエンシェントドラゴン(小5当時の光希が命名)がプリントされたエプロンは脱いでいた。


「兄さん、今日一緒に学校行かない?」

「今日? 別にいいけど……急にどうしたんだよ」

「最近通学路に不審者が出るらしくてさ、何かあってからじゃ遅いかなって」

「へえ~、世も末だな」


 ちょうどテレビでは、東京で起こった殺人事件についての報道がなされていた。最近バラエティに引っ張りだこの美人アナウンサーがしかつめらしい顔をして原稿を読み上げている。えーニュースです、東京都池袋で60代男性が血を流して倒れているのが発見されました、男性は救急搬送されましたが、搬送先で死亡が確認されました云々。


 北東北で暮らしている彼にとって、東京で起こることはすべて、どこかよそよそしい色合いを帯びていた。池袋や渋谷や秋葉原など、どれも聞いたことはあるけど足を踏み入れたことのない異界であり、そしてそこで起こる出来事は、たとえテロだろうと内戦だろうと自分には一生関係の無いことなのだろうという気がした。


「物騒な世の中だな」


 独り言のようにつぶやいて、カフェオレを飲む。




 食器を片付けて部屋に戻り、学校へ行くための身支度を整える。

 高校に入って2か月経つが、いまだにネクタイを結ぶのには慣れない。父が起きていれば見てもらうのだが、今のように寝ている場合は鏡を見てなんとか形にするしかない。




 今日も全く上手くいかないので、鏡のある洗面所へ降りた。

 ドアを開けると、ちょうど泪が、常日頃「これがなければ私は小林少年のいない少年探偵団と同じ」と豪語している長髪をくしけずっているところだった。


「あ、兄さん。どうしたの?」

「ん? ああ……ネクタイがうまく結べなくてさ。鏡見ながらやろうかなって」


 一瞬。

 ほんの一瞬だったが、泪の黒い髪に宇宙を見たような気がした。それは光の加減のせいだろうが、彼は錯視のすばらしさを知った。


 泪は苦笑しながら、


「だからいつも言ってるじゃない、部屋に姿見置いたらって」

「四六時中自分の顔が見えるってどんな拷問だよ」

「燃えよドラゴンじゃないんだから」


 泪がわきに寄ったので、彼は小豆色のタイを持って鏡に立った。鏡にいた美少女が覇気のない男の顔にスイッチした。


(なんだこのドルイド教の呪術で使われる人形みたいな顔した奴……俺か)


 ネットで調べた通りに巻いてみるが、なぜかちっともうまくいかない。将来スーツ着る仕事はやめておこう、と光希は思った。


「兄さん、できないの?」


 横合いから、泪がいたずらっぽい目で覗いてきた。


「俺ができないんじゃなくて、ネクタイが言うことを聞かないんだよ」

「なにそれ。ちょっと貸してよ」

「いいけど……できんの?」

「最近人のを結べるようになったんだ」


 言われるがままに泪に渡すと、彼女は慣れた手つきで彼の首周りをいじり、瞬く間にプレーンノットをつくりあげてしまった。


「すげえ、年収1500万の敏腕営業マンっぽい」

「兄さんは営業向いてないよ」

「お前、いつの間にこんな技術身につけてたんだよ」

「内緒」

「ふーん(彼氏か)」


 泪はすでに身支度を終えていて、真っ黒いセーラー服を身にまとっていた。彼女の場合、セーラー服を着ているというよりも、もはや身体の一部になっていると思えるくらい様になっている。ひいき目なしに光希はそう思っている。


「それよりもうそろそろ時間だけど、兄さんはもう準備終わったの?」

「マジで? やべっ」


 光希はドタドタと階段をのぼっていった。




 昨日まで降っていた雨は上がり、空はからっと晴れあがっていた。道端に散在する水たまりの上を、ランドセルと黄色い帽子をかぶった小学生が跳び越えていく。


「学校はどう? 兄さん」

「順調だよ」

「友達はできたの?」

「まあ、ぼちぼち、な」

「ふーん。誰?」

「は? なんで名前教えなきゃなんねえんだよ」

「いいじゃん、お母さんに言うよ」

「(……まあ、ここだけの話だし、盛っていいか)水無月って人だよ」

「水無月? 水無月ってあの水無月美亜さん?」


 狭い住宅街を抜け、国道沿いの歩道へと出る。車通りは少なく、車道にできた大きな水たまりが日の光を照り返して、鏡のようになっていた。彼はそれを見てウユニ塩湖を連想した。しかしそれよりもきれいだと思った。テレビでしか見たことないウユニ塩湖だが、大空を映す鏡としてはむしろこの水たまりの方が適任ではないかとさえ思った。

 彼は車道側を歩いた。時折猛スピードの車が跳ねる泥水が、妹にかからないようにするためだった。


「知ってるのか」

「そりゃあここらの有名人だもん、美亜さんって」

「(名前呼び……)そんな有名なのか」

「うん。私も連絡先交換したもん」

「(連絡先80パーセントオフセールかよ)どこで知り合ったんだよ」

「なんか部活で来てて、それで仲良くなった」


 信号を待っていると、集団登校中の小学生たちと行き当たった。黄色い帽子がひまわりの群生のように揺れている。その前を引率のボランティアのおばちゃんが歩いていて、ニコニコとこちらへ挨拶をする。


「こんにちは泪ちゃん。今日はお兄さんと一緒なの?」

「こんにちはおばさん。兄の散歩してるんです」

「犬か俺は」


 間もなく信号が青になって、小学生たちは彼らと垂直な線を描いて歩いて行った。途中転んで泣き出す生徒がいたが、上級生らしき女の子が助け起こして、励ましの声をかけていた。

 いいな、と彼は思った。


「まあ、美亜さんなら兄さんとも友達になれそうだね。あの人すごく話しやすいし」

「まあな……つうかやっぱり水無月さんって顔広いんだな」

「新町中3の間でも知らない人がいないと言われるほどの知名度だからね」

「地元民に愛され続けるカレー屋かよ」

「なになに、あたしの話してるの?」


 と、ふいに彼の肩にポンと手が置かれた。

 見慣れた金髪が視界に入った。


「やっほー、コーキくん」

「あ、ッス……」


 水無月みなづき美亜みあは、今日も手入れの行き届いた長い金髪を垂らして、人懐っこい笑みを浮かべていた。


 さっきの小学生の帽子がひまわりだとすれば、こっちはマリーゴールドだ、と彼は思った。彼女の笑顔は、まさに聖母の黄金の花(マリーゴールド)だった。


 水無月は光希を見てから、彼の隣に並んでいる泪を見て、驚いたように目を見張った。


「あれ、泪ちゃん?」

「お久しぶりです、美亜さん」

「久しぶり~! 何か月ぶりだっけ? てか、え? え? 二人ってもしかしてそういう――」

「いや、あの、兄妹っス……」

「だよね~。なんか顔とか似てるし」


 似てると言われて光希はまんざらでもなかったが、泪はどのように思ったのだろう。怖くて隣を見れなかった。


 美亜は猫のような笑みを浮かべて、


「で? で? さっきあたしの話してたよね? なんの話?」

「いや、その」

「兄さんに友達がいるか聞いたら、『水無月さんが友達だ』って返してきたんです」

「え、マジ?」

「あ、はい(おまっ、言うんじゃねえよ)」


 抗議の意を込めた目で見ると、泪は涼しい顔でそっぽを向いた。


「あははっ! あたしら昨日の今日初めて喋ったばっかなのに、友達ってウケるんですけど!」

「あ、うん(いっそ殺せ)」

「でもまあ、友達か……」


 水無月はかみしめるようにうなずくと、


「うん、友達友達。じゃあ友達同士、ライン交換しよう!」

「あ、はい」


 光希はポケットから、AmazonとDMMからしかメールが来ないスマートフォンを取り出した。


 数秒後、彼の友達の数が三人から四人に増えた。


「コーキくん友達4人しかいないの?」

「あ、うん(少数精鋭って呼んでたもれ)」

「じゃああと一人でバスケできるね!」

「あ、うん(個人的にはフットサルに肩入れしたい)」


 光希は『新しい友達』の欄の、『MIA』というアカウントを食い入るように見つめた。アイコンには、先日出くわしたチャラ系グループのメンバーと楽しそうにピースサインをする彼女がいた。

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