天王星より、恐怖にさようなら
山に沿ってなだらかに続く町の上、たくさんの花が咲き溢れる原っぱに建つ一軒の家。
主に木材で作られたどこにでもあるありふれた家。
その傍らに一本の木が生えていて、そこにぶら下がるブランコで風が遊んでいる。
「僕の家だ」
記憶はなくとも騎士にはハッキリと分かった。
締め付けるような最大の圧迫感を胸に感じる。
そのあまりの痛みに胸を押さえる騎士。
一方で、隣に立つアレッタはにわかに恐怖に襲われていた。
ただ立ち尽くし、目を見開いて浅く呼吸を繰り返している。
「二人ともどうしたの?」
メルが心配して声をかけてみるも、二人共に返事はない。
二人の心が閉ざされていくのを星たちは感じた。
「これまずいんじゃない」
「マルス、そう言うならなんとかしてよ!ウラノスちゃんこのまま、はいおしまい、なんてやだよ!」
「そうね。それなら君、騎士に宿りなさい」
「え?」
「名案じゃ。内から正気に戻してやれ」
ネプチューンの説明を聞いて、なるほど、と納得したウラノスはさっそく騎士の体へ飛び込んだ。
すると、気が狂いそうなほどの苦痛がウラノスにまで及んでしまった。
「きつ……いけど!てめー正気に戻れ―!ばかやろー!」
「ウラノス……!?」
ウラノスの声は確かに騎士に届いた。
めいいっぱい叫んで、正気に戻そうと頑張る。
「こんなことで負けていいのかー!ラスボスに勝つんでしょう!だったら負けんなよー!」
「そうだ。まだ闘いは終わっちゃいない」
騎士の意識が急速によみがえる。
しかし、瞬きの後に見た世界は恐ろしいものだった。
「みんな……?」
仲間たちが地面から伸びる影に次々と捕らわれている。
「騎士様、お願いはやく逃げて!」
「ユピテル!」
ユピテルも影に飲まれてしまった。
残されたのは立ち尽くすばかりのアレッタただひとり。
しかし、その目にまだ意識はない。
「どうしたの!なんで動かないの!」
「足が……動かない」
「アレッタ逃げてー!あーもう!逃げてよー!」
アレッタには届かなかった。
立ち尽くしたまま、影にすっかり飲まれてしまった。
そして、抵抗する夕陽を引きずり落として夜が世界を支配すると同時に、その影は夜の闇に消えた。
「みんな……やだよ……」
ウラノスは泣き出した。
騎士もあっという間の惨事に開いた口が塞がらない。
そこへ、さらなる恐怖が降臨する。
「にゃー!ドラゴンが降ってきたよ!」
騎士の体はその恐怖に立ちすくむ。
全身が情けないほど震えて止まらない。
気付けば武器も盾も手放していた。
星のない夜に燐と浮かぶ巨大な刺々しい輪郭。
口は大きく、翼は広く、尾は太い。
爪や牙は獲物を切り裂くためか、鋭く、緩やかに湾曲している。
また、眼がなぜかない。
「てめー!へたれこら!いい加減にしろよ!無駄死にはごめんだぞ!」
ウラノスが滅茶苦茶に乱暴に怒鳴る。
騎士の体がピクリと反応した。
「ウラノス様は無駄死にするためにここにいるんじゃねえ!勝つためにここにいる!ずっとてめーを助けてやろうと待ってたのによ、なんだこの様は!」
「ごめん……」
「この身が消えてなくなるまで力を貸す!だから勇気を取り戻せ!」
騎士は震えながらもなんとか武器と盾を拾った。
その二つはそれぞれ、冷気を帯びた剣と電気を帯びた剣に変わった。
途端に安心感が芽生えて全身の震えが止まった。
「ウラノスは勇気があるね」
「勇気なら誰にだってあんよ。あとは気合いの問題だ」
「気合いか……よし!」
勇み立つ騎士の姿を見て、ドラゴンが不気味に笑った気がした。
「やろーなめやがって」
「ウラノス、君なんか性格が変わったね」
「二面性てやつよ。ウラノス様のチャームポイントだ」
「頼もしいよ」
「ばーか、お互い様だよ」
恐怖との闘いがはじまる。
「いくぞ!」
騎士は左手の剣で電気を放つ。
ドラゴンはそれを尾で防ぎ、反撃に炎を吐き出した。
騎士はそれを右手の剣で冷気を放ち相殺する。
「接近戦だ!」
ウラノスの叫びに応えて騎士は走り出した。
それを見て、ドラゴンはあっという間に高く飛翔する。
「てめー!ズルいぞこらー!」
「なに、やれるだけやってやるさ」
ドラゴンの炎を身を転がして回避、電気を放つ。
ところが、ひらりと簡単にかわされた。
「やっぱだめじゃん」
「まだ手はあるよ」
騎士は冷気の剣を高くかざす。
そして、冷気を広範囲に渡って解き放った。
「炎が来るぞー!」
それを押し返すほど冷気を濃くしていく。
すると、少しずつドラゴンの体が氷に覆われてゆく。
翼が凍てつき飛行が困難となった敵は、飛行を諦めてズシンと着陸した。
「こっからは正々堂々勝負しようじゃないの」
ウラノスが挑発すると、ドラゴンは尾を地面に叩きつけた。
それが返事か威嚇かは分からないが、敵は口を開いて走り出した。
「せえあ!」
ドラゴンの爪と電気の剣が衝突する。
騎士は片膝をついてグッとこらえた。
麻痺したのか力が弱い、電気は効いている。
連続して冷気の剣で体を斬ってやる。
敵は喉を鳴らしてその口から炎が漏れた。
炎によってぼんやりと照らされた体には凍傷ができていた。
「また炎だ!」
騎士は冷気の剣を構えた。
が、予想を裏切って突然にドラゴンの首が伸びた。
鋭い牙が冷気の剣を持つ騎士の腕に食らいつく。
「ぐあっ!しまった!」
さらに、反対の腕も捕まれてしまった。
ドラゴンは騎士を力のままに引きちぎろうとする。
体からミシミシと嫌な音が鳴る。
「ヤバい!なんとか逃げろ!」
「があっ……!」
耐えきれず武器を落とした。
電気の剣が地面へと突き刺った。
それを騎士は見逃さなかった。
「待て待て、何をする気だ」
「こうするんだよ!」
騎士は足で電気の剣の柄を踏んで激しく放電した。
もちろん、自身も感電することになる。
「にゃにゃにゃあああああ!!」
可哀想にウラノスを巻き添えにしてしまったが、何とかピンチは脱した。
敵は頭を振って後退った。
「よし……!」
「よしじゃねー!にゃあー痛いよー!」
「お互い様だよ」
「ふざけんなー!」
「その怒り、あいつにぶつけないかい」
「こうなったら八つ当たりの倍返しだ!!」
騎士が先にでる。
敵はまだ痺れるらしく動きが鈍い。
振り払われる尾を跳びかわして、冷気で凍らせてやった。
着地後、流れるように叩き斬って粉々にする。
「まだだ!」
頭上から落雷の如く剣を振るい敵の右腕を断ち切った。
同時に発生した肉を焼くほどの感電に、敵はおもむろに地に伏せた。
そこでトドメの追い討ちをかけようとしたところ、ドラゴンは騎士をくわえて高く高く飛翔した。
一瞬で遥か上空へ運ばれた騎士は、そのまま空中へ投げ出された。
「ヤバいヤバい!このまま落ちたら死ぬぞ!」
「一か八か試してみる!」
騎士は刹那に氷の足場を形成してその上を滑ってみせた。
立て続けに放たれる敵の炎を避けながら滑空、両手に持つ武器を一つにした。
「いくよウラノス!」
騎士は急斜面の滑降に続けて勢いを増して高く滑り上がり、最後に跳躍する。
颯爽とドラゴンの翼を一枚、電気の刃で切り落としたら、そのまま体をひるがえして急降下。
「えいにゃあ!!」
冷気の刃を敵の体へ深く突き立てた。
間もなく氷の結晶が満開。
それは、直接流し込まれた迸る高圧電流によって脆く散った。
「勝てた……勝てたぞ!」
騎士が勝利の雄叫びをあげる。
「恐怖なんて呆気ないものだよ」
ウラノスは吐き捨てるように言って、無邪気な性格に戻った。
スタリオンとなったウラノスに騎士は疑問を投げ掛ける。
「本当に呆気ないかな」
「ん?なんで?」
「みんなが戻らない」
恐怖は何度でもよみがえる。
騎士はそれを体の芯まで心得ていた。
「にゃ!?」
と、ウラノスの姿が前触れなく消えた。
「この感覚は……」
死だ。
「!」
騎士を突然に発作が襲う。
さらにケイレンを起こして過呼吸に落ちいった。
転げ回って苦しむ騎士をおぼろ気な人影が見下ろす。
そいつには見覚えがあった。
アレッタと出会う前に闘った歪な人間もどき。
影は一体。
姿は一変して騎士と同じになった。