9話 2度目の目覚め
オートマタの身体となり、2度目の目覚めを迎えた。
やはり夢という事もなく、起き上がった身体は機械特有の軋みを鳴らす。
もし、これで夢だったら昨日までの出来事が現実的すぎて混乱した事だろう。
「時間は……まだ朝早い感じか」
部屋の窓から外へ顔を向けると、遠くに淡い青紫色の夜空が残っていた。
日本の時期で考えれるとおそらく4時か5時頃だろう。システムに時間が把握出来る時計が搭載されていれば便利かもしれないが、探してみた所で見つからなかった。
治療の知識を探せば見つかるのに基本的な機能は搭載されていない。少し不便を感じる。
今日の予定を聞くのを忘れていたが、ミーシャさんに尋ねれば大丈夫だろうと思い、部屋を出る。
廊下には誰も居らず、他の人たちはまだ休まれているのかもしれない。
彼らの休息を邪魔しないよう、物音を立てずにゆっくりと歩き、階段を降りてミーシャさんを探しに行く。
ミーシャさんも休まれていたら自室に戻ろうと考えながら1階のフロアに降りる。
「よぉ、朝早いな」
「アゴスさん……でしたか? おはようございます」
掛けられた声の方へ振り向くと、カウンターの席にアゴスが座っていた。
挨拶のよう軽く手を挙げた様子に、彰吾は慌てて頭を下げる。
「昨日はよく働いたみたいだな、お疲れさん」
「いえ、この身体が有ってこその働きですので」
「オイオイ、そんなに堅苦しく言わなくてもいいんだ。フランクに行こうぜ?」
アゴスはオーバーなリアクションで悲しむような様子を見せる。
朝から元気な人だなと思いながら、彰吾はアゴスの要望通りに少し言葉を柔らかくする。
「わかったよ。アゴスさんは誰に対してもそんな感じですか?」
「まだ堅いがそれで良い。誰にでもという訳ではないが、俺は仕事の成果で相手を見るのさ。もっと会社の利益に貢献出来るよう期待してるぜ」
「ミーシャさんはまだ休まれていますか?」
「ミーシャは2時間前から働いてるぜ。待合室の2個右隣の部屋が事務室だ。ノックしてみろ」
2時間前だとすると外はまだ暗い筈だ。時間からすると3時ぐらいになるが。
いや、あの人なら深夜からでも働いていそうな気がする。仕事に追われている緊迫とした空気がヒシヒシと肌に感じる。
アゴスと別れて言われた扉をノックする。
「彰吾です。ミーシャさん、いらっしゃいますか?」
「ショーゴさんどうぞ」
扉越しに返事を聞きながら、彰吾は事務室の扉を開けて部屋に入る。
中に入ると、事務室とアゴスが言っていた通り、中央に配置されたデスクがあり、壁側に置かれた棚には書類が乱雑に挟まったファイルが重ねられている。見るからに監査前の事務所らしい雰囲気が漂っていた。
デスクの中央に座っているミーシャさんの姿が目に入った。
パソコンから目を離さず視線だけを動かして、流れるようにキーボードをたたいている音が室内に反響する。その左右のデスクには書類の山が彼女の両側に築かれている。
修羅場だ。
「マジか」
「おはようございますショーゴさん」
「あ、すみません。おはようございます、ミーシャさん。今日の仕事についてですが、手伝えることは有りますか?」
地獄のような光景に、彰吾は素の言葉が出てきてしまった。
気を取り直してミーシャさんの手助けになれないか尋ねる。
「でしたら、こちらの書類の計算に間違いが無いか確認して頂けますか?」
ミーシャは自らの左側に積まれている書類の山を抱えて、もう一つ隣のデスクへと移動された。
枚数にして100枚は優に超えそうな書類の束だ。朝からこの書類を見れば、大抵の社員はやる気がなくなってしまうだろう。
疲れ目の彼女の事を思い、彰吾は気持ちを奮い立たせる。
「分かりました。その間、ミーシャさんは休まれてどうですか?」
「いえ、私は」
「そちらのソファーで横になって下さい。わからないことが有れば尋ねますので」
「しかし……」
ミーシャは歯切れが悪いように言葉を詰まらせる。
やはり信用によるものなのだろうか。
ミーシャとて会社の管理を任されている者だ。
新参者だけに重要なデータを確認させるのも忍びないのだろう。
信じてもらう、とは難しい事だが、無理をしてミーシャさんが身体を壊されたら目も当てられない。
「でしたら30分だけ横になって下さい。目を閉じる必要は無いですが、横になるだけでもリラックス出来ると思います」
「それでしたら」
休憩の誘惑に抗えないのか、ミーシャは自分に言い聞かせる様に呟く。
「どうしてもと言う時は受付のアゴスさんに頼むので安心してください」
「では、少しだけ横になります」
ミーシャは眼鏡を外して目頭をマッサージする様に揉む。
ふらふらと歩きながらソファーの近くへ向かい、倒れ込むように横になった。
そしてわずか数分で寝息を立て始めた。相当疲れていたようだ。
彰吾はそんな様子に苦笑して、イスの背もたれに掛かっているブランケットをミーシャに掛けた。
空いているデスクを借りて書類の山へと向き合う。
書類の山に埋もれながら必死に働いていた新人時代の頃を思い出す。
あの頃はがむしゃらにボールペンを動かしていた日々だった。
今だけ疲れ知らずの機械の身体の性能を存分に使わせてもらおう。
「よし、頑張るか!」
あれからミーシャさんは2時間ほど仮眠された。
急に慌てたように起き上がったのを見て驚いたが、書類の山を少し減らす事が出来た。
本当ならミーシャさんが寝ている間に全部といきたい所だったが、書類の重要性の判断が分からなかった為、アゴスさんに確認を取りながら等で時間が掛かってしまった。
寝過ぎた事にミーシャさんは何度も頭を下げていたが、徹夜の事務作業の気持ちは分かる為、気にしないで欲しいと伝える。
再びパソコンへ対面して仕事を再開したミーシャは、作業しながら彰吾へ謝罪の言葉を続ける。
「本日はショーゴさんへ会社の案内をと思ったのですが……」
「大丈夫ですよ。ミーシャさんの優先する仕事で構いませんので」
どうしたものかとミーシャは頭を悩ませていると、事務室の扉にノックする音が響いた。
どうぞ、と伝えると爽やかな笑顔でマーカスが入ってきた。
「ミーシャさん、おはようございます!!」
マーカスは元気の良い挨拶を済ませる。しかし、事務所にはミーシャだけだと思っていたのか、彰吾の姿を確認すると驚きの声を上げて頬を引き攣らせた。
「なんでテメェが此処にいるんだよ」
「ミーシャさんの仕事を手伝っていたんだ」
マーカスの不満の言葉に対して彰吾は気まずそうに愛想笑いを浮かべる。
装甲で覆われたフェイスで笑みが表現出来ているか分からないが。
「マーカスさん、おはようございます」
「おはようございます! 今日もいい天気ですね」
ミーシャの言葉にマーカスはガラリと機嫌を戻して笑みを浮かべる。
彰吾とミーシャの対応が180度変わっている。やはりオートマタの身体が原因なのだろうか?
「丁度良いですね。マーカスさんに頼みが有ります」
「頼みですか? えぇ。ミーシャさんの頼みなら任せて下さい!」
少し嫌な予感がする。
そんな彰吾の心情を理解する事も出来ず、ミーシャは言葉を続ける。
「頼もしいですね。それでは今から11時までにショーゴさんを会社の案内をして頂けませんか?」
「勿論、よろこん……でぇっ!?」
そうだろうな、と彰吾は一人納得する。
マーカスはまさか頼み事が、彰吾の会社案内とは思わず、嫌そうな言葉が出てきてしまった。
それを聞いたミーシャは申し訳なさそうに表情に影を落とす。
「駄目、でしょうか?」
「任せてください」
そんな様子に落胆させまいとマーカスは自信を持って応えた。
マーカスの了承を得たミーシャはタブレットを操作して業務内容へ追記する。
「それではお願いしますね」
ミーシャの純粋な笑みで事務室から追い出されて、男2人は沈黙のまま事務室の扉を見やる。
「行くぞ」
「よろしく頼みます」
「ミーシャさんからの頼みなら別だ。仕事として割り切っている」
先に進むマーカスの後を慌てて着いていく。
移動の道中も彰吾の方へ振り返る事もなく、淡々とした雰囲気で
「1階から案内するぞ。受付は分かるな?」
「あ、あぁ。大丈夫……だと思う。アゴスさんが受付をしている場所と聞いたから」
「アイツからか?」
マーカスは彰吾へ振り返る。アイツとはエリナの事を指しているのだろう。
彰吾は肯定として頷く。それを確認するとマーカスは鼻を鳴らして前を向いた。
「聞いても大丈夫か?」
「何だ」
「なぜエリナを目の敵にしているんだ?」
「アイツは問題児なんだよ」
マーカスはその場に立ち止まる。
しばらく黙って考え込んだ後、重いため息をつきながら言葉を続けた。
「チームを無視して先行しやがるんだよ。アイツは自分の能力に絶対の自信を持っているから、他人がついていけないなんて考えねぇんだろ。だからアイツは一人の力だけでオートマタを狩ってるのさ」
「エリナがそんな事を……」
エリナの性格的に気難しそうな感じはしていた。
初めて会った時に同じ社員でチームを組んでいた様子もなく、戦闘は一人で行うものと思っていたが、普通に考えてみればそうだ。どこの国に単独任務を行う軍人があるのだろう。ゲームや映画の主人公のように銃弾が当たらない訳でも無い。常に死と隣り合わせの世界だ。
彰吾が考える間にもマーカスは足を進めていく。
「こっちは食堂だ。おい、早く着いてこい」
「す、すまん。食堂は時間が決まっているのか?」
マーカスが急かすように言われて、彰吾は思考を切り替える。
案内された食堂は長いテーブルが2つ合わさったこじんまりとした部屋だった。
大人が10人ほどが座れる広さであり、食堂と言うよりも小会議室と言った方が正しさを感じる雰囲気が漂っていた。
彰吾の質問にマーカスは応える。
「いや、基本的に飯は自前になっている。外へ食いに行く者が殆どだ。食堂よりも休憩室みたいな感じだな」
食堂の壁に掛かっている時計を見る。時刻は11時。
確かに時間的には昼前だが、食堂には誰一人として居ない。
食堂の奥側に扉が見えた彰吾はさらにマーカスへ尋ねた。
「あの奥は倉庫になっているのか?」
「奥にはキッチンが有る、と言っても軽設備だな。軽い物なら作れるが、オートマタのテメェに必要は無いだろ?」
「基本的に自給自足なんだな」
食事の事を言われて、そういえばこの身体を動かすエネルギーは何だろうかと彰吾は疑問に持つ。
昨日から何も食べていないが、そもそも口が存在しない。空腹も感じないが、機械である以上何かしら補給が必要な筈だ。
半永久的なエンジンが積んでいるならまだしも、知らなかったで餓死は困る。
「オートマタは電力を食うのか?」
「自分の身体の事も知らねぇのか? 本当にオートマタか?」
マーカスは訝しげに彰吾を睨む。
「訳アリなんだ。すまない。知っていたら教えて欲しい」
マーカスの視線に困惑しながらも、彰吾はマーカスへ謝罪する。
最初はエリナと同じように説明しようとしたが、混乱を招くような事を大勢に言いふらす物では無いだろう。
しばらく考えた後、マーカスは説明し始めた。
「オートマタは製造されたTYPEによって違いが有るのは聞いたことがある。俺もそこまでは詳しくないが、電気や太陽光で補給するらしい。あとは詳しい奴を見つけて聞け」
マーカスが素直に教えてくれた事に彰吾は驚く。
「あ、ありがとう。てっきり教えてくれないものだと思っていた……」
「それを相手に言ってどうするんだ」
「すまない」
「別に尋ねられた事は答えてきたつもりだ」
食堂の時間の事やキッチン等、尋ねた事には確かに答えてもらっている。
それでもオートマタである自分を嫌っているから、意地悪な態度で嘲笑すると思っていた。
「フン、テメェがエリナの飼犬だから気に入らねぇだけだ」
マーカスが言葉を吐き捨てる。そんな事だがマーカスなりの主張が有るのだろう。
エリナとマーカスはお互いに嫌っている様子だが、二人は似てる気がする。
本人達に言うと心底嫌そうな顔をして怒りそうだが、言い方を変えると同族嫌悪な感じだろうか。
「1階はあとミーティングルームが有る。そっちは周辺の地図や情報を纏めた物が置いてあるが、ミーシャさんだけがキーを保管している。下手な事を考えたら俺がぶっ壊すからな」