8話 共同生活
「ショーゴさん、貴方の使用する部屋へ案内させて頂きます」
一仕事が終わり、ソファに座っていた彰吾へ思い出したようにミーシャは告げる。
「自分の部屋ですか?」
「はい、社員には1人個室が与えられます。ショーゴさんはオートマタであり入眠の必要性は有りませんが、1人になれる場所は必要かと。社長には許可を頂いている為、遠慮せず使用して下さい」
「なにから何までありがとうございます」
階段を上がり2階のフロアへと案内される。縦になった廊下の左右に扉が連なっている。案内される部屋は突きあたりから2番目の部屋だ。
奥の部屋に近づくにつれて、油とカビが混ざったような異臭と消毒液のようなアルコールをセンサーがキャッチした。
「奥の部屋から変な臭いがしませんか?」
「えぇ、奥の部屋は――」
「たくっ! 部屋の掃除ぐらいはしときな!!」
奥の部屋について尋ねようとした所、ミーシャの言葉と同時に白衣に身を包んだ老齢の女性が扉を開けて出てきた。女性は吐き捨てるように言葉をぶつけると、異臭が漏れる部屋の扉を力強く閉めた。
老齢の女性は、色素が落ちて白くなった髪を一つに纏めて、金ぶちのフレームの眼鏡を着用している。
片手には医療品が詰まっていそうな黒い手提げカバンを持っていた。
老齢の女性に気付いたミーシャが声を掛けた。
「ヘレンさんお疲れ様です。エリナさんの容体はどうでしょうか?」
「ん? ミーシャか。目元の疲れが抜けてないね。無理はしちゃいけないよ……っと、そっちのデカブツが噂のオートマタかい?」
ヘレンと呼ばれた女性はミーシャへ声を掛けると、すぐに血相を変えて頬へ両手を当てる。
そして親指で優しく目元の触診を始めた。されるがままなミーシャは驚く様子を見せずいつもの事のように微動だにしていない。
触診が終わると眼鏡の縁を掛け直して、彰吾の身体の方をマジマジと見やる。
「縫合したのはアンタだね? 機械の腕にしちゃ上等だよ。創面も傷ついちゃいないし傷も膿んでない。再縫合しといたから、明日にもなれば元気に動き回るさ」
ヘレンは白衣のポケットに忍ばせていた酒瓶を取り出すと、キャップを外して大胆に口元へ運ぶ。
風変わりな様子に彰吾は尋ねた。
「あなたが先生ですか?」
「なんだい? この見てくれで分からないのかい?」
ヘレンは自慢げに白衣の姿を見せびらかす様、両手を広げる仕草を見せる。
常駐している腕の良いドクターが彼女の事なのだろう。見た感じでは酒好きな印象が強いが、社長が推薦している腕は確実なのだろう。
「先生なんて歯痒い呼び方は止してくれ。それよりエリナに伝えときな。部屋の掃除を一つも出来ん女は嫁の貰い手が無くなるってね」
歩きながら酒瓶を傾けて階段を下りていく。
彰吾はヘレンの豪快過ぎる性格にポカンと呆気にとられる。
「あの方はドクター・ヘレン・ウィンスローさんです。御年70になりますが内科外科の知識が豊富です。特に手術に関しては熟練しており、難しい手術でも冷静に対応されます。この周辺の主治医はヘレンさんが担っています」
「凄い人、なんですね」
「父の古い恩人だそうです。変わっていますが素晴らしい人ですよ」
彰吾は率直な感想しか言葉が出てこなかったが、ミーシャのフォローする言葉にはヘレンへの親しみを感じ取れた。
嵐のように過ぎ去っていったヘレンだが、彰吾からはミーシャとは家族のような特別の関係のように見える。
「ミーシャさん! 何故コイツを部屋に案内してるのですか!?」
呼ばれた声に彰吾とミーシャはお互いに振り返る。
そこにはマーカスが彰吾へと睨みを効かせて立っていた。待合室での姿とは違い、Tシャツにズボンといったラフな格好だ。それでも腰のホルスターには銃が収められている。
ミーシャは小首を傾げて何を言うかと言う風に言葉を返す。
「ショーゴさんが今後使用する部屋へ案内しています」
「なっ!? オートマタなら寝る必要無いですよね? おい、なんで断らねぇんだよ! テメェなんて外で充分だろ!」
「いえ、流石に外だと盗難の可能性が……」
ミーシャさん、否定する箇所が違うと思います。
騒がしくし過ぎたのか、奥の部屋から勢い良く扉が開かれた。
「うるっさいっ!! 寝られないのよ! 吠えるなら山に行っ――って。なんでアンタがここに居るのよ!?」
「誰が吠えてるって!!」
「あ゛? アンタでしょうが!!」
収集がつかなくなる。両方のスピーカーから大声での言い合いが高まる。
彰吾はつい頭を押さえてしまった。
二人の言い合いがピークに達しようとした時、ミーシャは無機質な表情のまま2人の間へ割って入った。
「お静かにお願いします。ショーゴさんへ部屋を案内していた所です」
「ちょっとミーシャ! どういう事よ!?」
エリナはミーシャの前に出てきて言葉を荒げる。
しかしミーシャは淡々と事務的に言葉を続けるだけでエリナの言葉には涼しそうに聞き流していた。
「契約した通りです」
「私は認めないわよ!」
「そんな些細な事よりもエリナさん」
「些細な事って――」
「貴女に貸し出していたコーカス5.56ミリアサルトライフルはどうされましたか? 未返却との連絡が来ています」
「そ、それは……」
銃の話をされると思っていなかったのか、エリナは急に言葉が詰まる。
アサルトライフルの事を聞いて彰吾は首を傾げる。
たしか最初に出会った時はハンドガンを持っていたが、アサルトライフルという銃は持っていなかった筈だ。バギーに乗って帰還した時もそれらしき銃を持ち出していない。
それに拾った銃は確かアサルトカービンと呼んでいた。最初会った時にマーカスが「いつも借りた武器を失くして」と言っていたが、それは本当の事だったのか?
「もしや、また紛失した、とでも?」
「ひぃ。し、仕方なかったのよ! あ、アイツがライフルを破壊したんだから!」
「え、俺!?」
急に責任転嫁をしてきた為、彰吾は驚いた声を上げた。
しかしエリナの「なんか言ったら分かるわよね?」と無言の圧が来る為、彰吾は言葉を詰まらせる事しか出来なかった。そんな彰吾よりも早くにミーシャは言葉を続けた。
「いえ、アサルトライフルはショーゴさんと出会う前に破棄された事を記録されています。代わりに回収されたアサルトカービンを渡して下さい。不本意ですがそちらを渡して向こうへ謝罪に行きます。不本意ですが」
「え、でもアレが無いと次の依頼が」
「よく聞こえませんでした。もう一度おっしゃってください」
テコでも動かないミーシャにエリナは観念したのか、部屋からアサルトカービンを手にして戻ってきた。そしてアサルトカービンをミーシャへ手渡すと、ミーシャは慣れた手つきで動作を確認する。
動作に問題が無いと判断すると小脇へ抱えた。
事務の仕事を専務としているが、エリナと同じく射撃の訓練を行っているのだろうか。
「確かに。それと部屋から異臭の苦情が出ています。定期的な掃除をお願いします。それでは失礼しました」
ミーシャはエリナの部屋の扉を閉めた。
まだ何か言いたげなエリナの様子だったが、強制的に切り上げたらしい。
振り返ったミーシャはマーカスと視線を合わせるとニッコリと笑みを浮かべた。
「部屋割りに関して何か?」
穏やかな声質であるが、どこか威圧感が有るように彰吾にも聞こえた。
「いえ、滅相もございません」
「自分も素晴らしい部屋を与えて頂き感謝しています」
姿勢を正して直立したマーカスは覇気のある言葉で返す。
それに釣られて彰吾も丁寧な言葉で返してしまった。
二人の様子に満足したのか、エリナは笑みを浮かべる。
「そうですか。社員同士の良好な関係を築く為にも最善の努力を尽くして頂けるよう、今後もよろしくお願いします」
本日はお疲れ様でした、と彰吾へ一言を添えると、ミーシャは階段を降りていく。
彰吾はその様子をマーカスと共に見つめ、見えなくなると互いに顔を見合わせる。
「チッ、まだ認めた訳じゃねぇぞ」
「これから認められるよう努力するさ」
「フン、精々足掻いてみせろ。ミーシャさんを落胆させたら俺がスクラップにしてやる」
彰吾へ睨みながら指を突き付けると、マーカスは自室へと戻って行った。
悪い人では無い……ようだ? 社長とミーシャさんの事は信頼しているようだし、陰で悪だくみをしてくる性格には見えない。
廊下に1人となった彰吾は与えられた自室の扉を開ける。
部屋の広さは8畳ほどのワンルームであり、中々快適な広さを保っている。
パイプ製のベッドと金属製のテーブルしか無い事がより広さを強調している。オートマタの体重でも床が抜けるような事も無ければ、隣の音が聞こえるほど壁が薄いと言う事もない。
ベッドの耐荷重は大丈夫なのか、と恐る恐るベッドの端に座ってみたが、ミシミシと音が鳴りとてもじゃないが横になるのは難しそうだ。
「でも、何もないよな」
息抜きや考えの整理を、と思ったが何もない。
娯楽として本や電子書籍があればまた違っただろうが、調べ物が出来そうなタブレットはミーシャさんに返却している。
エリナの容態でも尋ねようか腰を上げたが、今は不機嫌な彼女に会うと思うと、また床に腰を落ち着かせてしまう。
――気が向いたら寄り添ってやってくれ。
社長の言葉を思い出す。
「気が向いたら、か」
最後の一仕事。と重い腰を上げて自室を出る。
彰吾はその言葉を頼りに、エリナの部屋の前に来た。廊下には彰吾1人しか居ない。生活音や娯楽用の音楽が多少なり聞こえるが、廊下は人の気が無い様に静かに冷たく感じていた。
意を決して扉をノックする。
「エリナ、へレン先生に診て貰って体調はどうだ?」
返事が無い。もう休まれたのだろうか。
しばらく立っていたが、二度ノックをするのはお節介か、とエリナの部屋から離れようとした時に、扉越しにエリナの声が聞こえた。
「次ノックしたら壊すわよ」
「そうか、気を付けるよ。具合は悪くないか?」
「なんとも無いわよ。それで、何の用?」
そのまま扉越しに会話を続ける。
体調を尋ねようとしただけ。と言えば激昂しような様子が想像出来る為、慌てて他の言葉を探す。
「えっと、改めてお礼を伝えようと思って」
「アンタお礼言うの好きね? 何も考えてないバカなの?」
「バカって……人に感謝を伝えるのは悪い事じゃないだろ?」
頭が回ると言われた相手にバカと言われるのも傷つく。
「はぁ~。ほんっと何も考えてないみたいね。過度な感謝は逆に警戒するのよ。相手に何かを求めていたり、本心を隠しているって普通は思うわ」
「そういう物なのか?」
「平和ボケした世界のアンタの記憶ね」
確かに日本人は助け合いの精神が価値観として強いだろう。
それでも自分は困っている時は助けて、感謝の言葉を返すのは当たり前だと思っている。
この世界ではそれが正しくないとしても、自分が日本人の心を持つ限りはこの考えを尊重していきたいと思う。
「話が終わったならさっさと帰って。隣で騒いだらブチ抜くから」
それは壁の事を言っているのか、オートマタの事を言っているのか。
「気を付けるよ。今日は疲れただろう? おやすみエリナ」
エリナからの返事はもう無かった。
彰吾はエリナ部屋の前から離れて自室に戻る。
寝る必要が無いとは言ったが、設定に何か項目は無いか探ってみた。
するとスリープモードが設定出来る事に気付き、センサーは残したまま入眠のような状態に出来るらしい。
今日は怒涛の1日だった。肉体的疲労が無くても精神的疲労は蓄積している。
彰吾は床に毛布を敷いて包まりながらスリープモードへ設定する。