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東の魔女と赤毛の子

作者: 森野 乃子

題材にTwitterの「魔女集会で会いましょう」タグをお借りしました。

文字数オーバーでこちらに設定できなかったため、ここに記載します。

「お願いだから連れて行ってよ、魔女さん」


 私は今、とんでもなく汚いずぶ濡れの子供に捕まっている。

 その日は六百六十六回目の記念すべき魔女集会(サバト)が行われる日だった。

 だから私は数ヶ月前からマントの内布を染めあげて、大小様々な発光する宝石や真珠を縫い付け、グラデーションがかった綺麗な夜空のマントを作った。

 マントだけではない。ドレスだって黒のレースを使ったハイネックのマーメードドレスも自分で作ったし、ヒールだって既製品ではなく某ブランドのように靴底が真っ赤なオリジナルだ。

 黒色の長い髪も椿油でケアして、メイクもあのマントとドレスに似合うものを研究した。

 とにかく、ここ最近ほとんど会っていなかった他の魔女たちに会えるこの日を、私は楽しみにしていたのだ。それにこの日は私にとって特別な日だった。

 そして想像通り、その日の魔女集会は非常に楽しかった。久しぶりに会う魔女たちは口々に私の装いを褒めてくれた。感嘆のため息を漏らしながら、次はお前に作って貰おうかねぇなんて言ってくれて、お酒を飲んだこともあり上機嫌で帰路についたのだ。

 それなのに——


「ねー、魔女さん聞いてる? 連れて行ってってば。こんなところに置いて行かれたら、寒さか獣に噛じられて死んでしまうでしょ」

「そんなところに置いて行ったアンタの親を恨みなさいな。(わたくし)は何もしていないわ」


 そう、この足元にすがりつく小汚いガキ。

 赤毛に若草色の目をしたガキが、私が丁寧に作り上げた夜空のマントを汚している。

 ずぶ濡れで泉の側に座っていたところに通りがかってしまい、私に気づいたガキが飛びついてきたのだ。何故こんな明け方に寒中水泳なんぞしているのかと思ったが、この汚さから見るに捨て子だろう。

 モジャモジャ伸び放題の髪の毛には毛玉が出来ており、脂やら泥で汚れて異臭を放っている。着ているものなんかボロ布と言っても過言ではない程に擦り切れており、もはや奴隷の方がマシな服を来ているだろうと思われた。

 シャツの襟ぐりやズボンの裾から見える体は骨と皮ばかりで、必死に隠してはいるが栄養不足からくる震えが止まらないようだ。

 もちろん、今が真冬であるというのも関係していると思うが。


「むしろ、お気に入りのマントを汚されてイライラしているのだけど。お前、魔女が幼子の肉を食べると知っていて? 特にお前のような女の子は肉が柔らかいから人気があるのよ?」

「そんなのどんな田舎の子だって知っているよ」

「知っていて私に話しかけるなんて、お前の親はどういう教育をしたのかしらね。お前の村では魔女狩りをやっていないのかしら。魔女が怖い存在だと聞かなかった?」

「あ〜、わかった。そんなこと言って、子供を育てる自信がないんだ。子供を育てたことがないんでしょう? 独り身っぽいもん」


 よし、わかった。決めた。


「——お前が“YES”以外の言葉を言わない使い魔になるというのなら、私の家に置いてやるわ」


 お前を気の済むまで苦しめてやる。



 + + + + +



「痛い! 痛いよ魔女さん……!」


 子供は我儘だった。

 何かにつけて文句を言い、悪気なく私を貶す。

 家の前まで連れて行った時など「凄い、これが魔法? ボロ小屋に見えるや。確かにこれなら人間は誰も住んでいないと思うね」などと言ったほどだ。

 あまりにも腹が立ったので、今は水責めにしているところである。


「お黙り。お前が家の中を歩けるのは、このクソ汚い汚れを全部落としてからよ」

「だからってこんな擦ることある? 肌が傷つくでしょ」

「男の傷は勲章だろうに。次に鴉の行水で水浸しのまま上がってきてみなさい。鍋で煮て食うわよ。返事は?」

「……わかったよ、魔女さん」


 そう、大誤算だった。

 なんとこのガキ、女の子ではなく男の子だったのだ。

 連れてきた子供に使い魔の契約の魔法をかける際、名前がないということで慣れ親しんだ絵本から“スイミー”と名付けた。ちょっと皮肉がききぎたかとも思ったが、この世界の人はスイミーの絵本なんぞ読んだことはないだろう。それに最後は良いエンディングだし。

 そして契約が終わった後は風呂だと言って風呂場に連れていき、衣服を全て引剥してから初めて気づいた。

 だから手の届かない背中をきれいに洗った後、私は子供の体を洗う手を止める。


「ほら、見ていてあげるから、あとは自分で体を洗うのよ」

「全部洗ってくれないの?」

「何でもかんでもやってもらえると思わないこと」

「意地悪だなあ。それに見ていてくれるんじゃなくて、見張ってるんでしょ? 僕が鴉の行水をしないかどうか」

「わかっているじゃないの。返事は?」

「……わかったよ、魔女さん」


 スイミーは私がしたようにネットで泡を立てて汚れを落としていく。

 小さな手で体を擦り、茶色い泡が流れていくのを興味深く見つめている。さっさと洗え、そのままでは風邪を引くだろうがと思って眺めていると、スイミーは案の定小さくクシャミをした。

 私は無理やり湯を浴びせて浴槽へと放り込み、百を数えるまで出てくるなと命令して台所へと移動した。


「えーと……確か薬草はこのあたりに……」


 風邪でも引かれたら面倒だ。

 スープと薬湯、それからあの骨と皮の具合を見るに胃が食べ物を受け付けないだろうから、私が風邪を引いた時に母が作ってくれた卵粥でも作っておけば大丈夫だろう。


「わあ、良い匂い」


 風呂から上がってきたスイミーは、案の定髪の毛から水を滴らせたまま突っ立っている。


「スイミー、お前、髪の毛の拭き方を知らないの?」

「魔女さん、何も教えてくれなかったじゃん」

「アンタくらい大きいのなら、普通は髪の毛の拭き方くらい知っているものよ」

「魔法でパッと乾かしてよ。魔女さんは魔女でしょう?」

「魔法に頼りすぎては魔法が使えなくなった時に辛い思いをするのよ。使わなくても良い時には自力で頑張りなさい。返事は?」

「わかったよぉ……魔女さん」


 面倒くさそうにしながらも、スイミーはガシガシと力強く髪の毛を拭く。やればできるじゃないかとしばらく見ていたが、大丈夫そうなので再びお粥を作るのに専念した。


「魔女さん、僕、お肉いっぱい食べたい」

「そんなに痩せこけているのにいきなり肉なんか食べたら吐くわよ」

「大丈夫だってば」

「ササミの欠片を少し入れてあげるから、肉の塊は我慢しなさい」

「ケチだなあ」

「ご飯なしでもいいのよ」


 やっと黙ったスイミーを目の端で睨みつけながら、甘くした薬湯を押し付けてソファーに座って飲むように促す。


「薬湯かあ……」

「さっきから文句ばかりね。嫌なら家を出てもいいのだけど」


 そう言えばハッとした様子で慌てながら、一気に薬湯を飲み始めた。

 しかしそれが甘いことに気づくと、目を輝かせながらチビチビと飲みだす。現金なものだ。


「…………」


 子供は嫌いだ。

 うるさいし、ワガママだし、自分のペースが崩されるから。


「まったく……なんでこんなことに……」


 ボコボコと煮えるお粥を見つめながら、私はゆっくり溶き卵と味噌ペーストを流し込む。

 しばらく卵が固まっていく様子を眺めながら、私は後方が嫌に静かなことに気がついた。

 イタズラでもしているのではないだろうなと思って振り向けば、予想に反して子供は大人しくしている。というか、ソファの上で丸くなって寝ていた。


「食べる前に寝るだなんて……それにまだ髪の毛が濡れているじゃないの」


 この家に入った時こそ、スイミーは子供らしく壁一面に取り付けられた棚にある薬品や感想植物の瓶詰め、ホルマリンに付けた獣の体の一部などを興味深げに眺めていた。

 家の中にあるものを触れば剥製にすると言っても、知らない大人である私が遠慮なく服を脱がせても、スイミーは全く動じなかった。

 ずっとニコニコしていて感情が動かない——否、恐らくは感情を隠すことを覚えたのだろうと想像がつく。


「……全く面倒な子供だこと」


 指を鳴らして髪の毛を乾かし、再び指を鳴らしてスイミーを吊り上げると、そのままベッドまで運んで押し込んだ。

 これで私の今日のベッドはソファの上かと思ったものの、何故子供に場所を譲らねばならないのだと一緒に寝ることにした。

 試しに横に潜り込んでみれば、子供の手足は恐ろしく冷たい。

 本当に風呂で温まってきたのか怪しく思いながら、自分の体温をうつすように足を絡める。


「さっむ……」


 しかしあまりの冷たさにすぐ耐えられなくなり、私は魔法で毛布の温度を上げてからベッドを出たのだった。



 + + + + +



「ねぇ、魔女さんのお名前教えてよ」


 ここに来た翌日、目を覚まして朝ごはんを済ませた子供が無邪気な顔で笑いかける。


「魔女はそう簡単に自分の名を名乗らないの。常識よ」

「ええ〜、知りたいなあ」


 子供の拗ねたような声を無視して、私は薬草の本をめくった。

 新しい薬の実験をするのに必要な素材を調べているのだ。

 マンドラゴラは見つけたし、冬虫夏草もこの間拾った。あとは月華草という月夜に咲く花だけなのだけど、それがなかなか見つからない。

 確かにこの時期の満月の夜に、水の湧く泉の中に生えると聞いていたのだけど、それが全く見つからないのだ。ガセ情報だったのだろうかと頭を悩ませていると、スイミーが一緒に本を覗き込んで首を傾げる。


「このお花、探しているの? 僕、見たことあるよ」

「……どこで?」


 自分が頼られているのだと感じたのだろう。

 にやーと笑みを浮かべると、スイミーは得意げな表情でテーブルに寄りかかって顎を上げた。


「魔女さんと出会った泉の底で。お母さんが僕を投げ込んだ時に見たよ」


 しかしその得意げに言った一言はあまりにもな内容で、思わず言葉をつまらせてしまう。


「……そう。なら今夜にでも行ってみようかしら。丁度満月だから」

「僕も連れて行ってよ」

「獣に襲われても助けてやらないわよ」


 ここは、異世界だ。

 私が住んでいた日本とは違う。

 だから、子供を生きたまま捨てたりする親が多い。それにはもう慣れたはずだったのに、私はスイミーが笑顔で言うものだから胸がざわつくのだった。



 + + + + +



「スイミー、お前一体何歳なの?」


 スイミーを拾ってから一年が経ち、まだ一年かと思っていたのにスイミーは随分と背が伸びていた。

 拾った時には十四歳くらいだったと思っていたけど、今ではもう十七歳くらいに見える。さすが海外の——いや、アジア人以外の人種は成長が早い。


「僕が知るわけないでしょう」


 呆れたように言うスイミーを半目で見つめながら、見た目の補正を考慮してもざっくり十五歳くらいかとあたりをつけた。


「魔女さん、僕もう全部の家事ができるようになったんだけど」

「そうね。おかげで私は研究に没頭できるわ」

「商人とのやり取りだって問題なくできる」

「ええ、私が外に出なくてもよくなったわ」

「もう、魔女さんのことも守れるよ」


 何が言いたいのか分からないやり取りだったが、その一言だけは肯定できない。

 僅かに眉を寄せながら、私は本から顔を上げてスイミーを見た。

 相変わらずスイミーはニコニコ笑っている。


「スイミー。可愛い坊や。私より弱いのに何を言っているのだか」

「もう坊やじゃないよ、魔女さん。僕は魔女さんを守る力があるんだってば」

「ふうん」

「信じてない?」

「まだ早いと思うわ」

「そんなことないと思うけど」


 井の中の蛙大海を知らず。

 私はそれを思い知らせるために、机の引き出しにしまっておいた封筒を取り出した。


「……魔女さん、それ何?」


 スイミーの問には答えず、チラリとスイミーを見ながら指を鳴らして署名を刻む。

 それを掌の上で燃やせば、蛍光黄緑色の光の粉となって煙突から外へと飛び出していった。


「魔女集会の招待状よ」


 それは年に数回行われる魔女とその使い魔だけが行くことのできる集会。


「私を守ってくれるのでしょう? 小さな騎士さま(スイミー)


 今まで何度乞われても一度たりとてスイミーを連れて行ったことのない場所。

 そこに、スイミーを連れて行くことにした。

 その日私は、少年が初めて本物の笑顔を浮かべるのを見た。



 + + + + +



「首を切られし者の名を」


 集合場所はヘドロ沼の巨大な木の下。

 底まで行くと、おどろおどろしい声が森に響く。

 魔女の集会へ参加するには合言葉が必須だ。

 今年の合言葉は確か——


「焼けた靴を履いたエミリ」

「ようこそ。東の森からやってきた小さき魔女と、その使い魔よ」


 私が誰だか知っているのに、一々合言葉などいるのだろうか。

 ()()()()()を出すのは魔女にとって重要らしい。

 小さくため息を付きながら木のうろめがけて歩いて行く。そしてそのまま吸い込まれるようにして、私は木の中へと入っていった。

 しかし後ろから付いてくるはずのスイミーが来ない。

 一体どうしたのかと顔だけ出してみれば、うろのところで困ったように笑っている。

 せっかく特製のタキシードを着せて髪も整えてやったのに、その情けない表情で台無しだ。


「どうしたの、スイミー」

「これ、僕も入れるの?」

「さっき招待されたでしょう?」


 こういうところが人間臭いのだ。

 私も始めてきた時には随分と驚いたが。


「ほら」


 手を差し出せば嬉しそうに笑う。


「手をつないでくれるの? 嬉しいよ、魔女さん」


 まさかこれが目的だったのではないだろうなと思いながらも、私はスイミーの大きな手を引いて再び木の中へと戻った。


「へぇ、凄い」


 木を通り抜けた後も、スイミーは手を離さない。

 離せとばかりに何度か強く振ったが、ガッチリ握られて潰されそうになったので諦めた。


「魔女さん、いつもこんな楽しげなところに来ていたんだね。今まで誘ってくれなかっただなんて酷いなあ」

「アンタがここに来たら秒で死ぬわよ。それでもいいのなら連れてきたけど」

「僕に死んでほしくなかったんだ」

「……いいえ、勘違いよ」


 クスクス笑うスイミーを睨みつけ、私は今回の主催者を探した。

 室内なのに天上には星空が広がり、時折流れ星が流れていく。

 フクロウが飛び交い、コウモリが舞い、あちらこちらで魔法を使った痕跡が飛び散る。壊れたパイプオルガンの音楽に合わせ、使い魔たちが自由に踊る。

 テーブルの上には見たこともない料理が並び、丸焼きや()()()()の食材は時折ピクリと痙攣する。

 私が初めてここに来たのは、師匠の魔女につれてきてもらったのが最初だ。前を見ずに歩くスイミーは、その時の私の反応と全く同じだった。


「スイミー、前を見て歩くのよ」

「魔女さんが手を引いてくれているから大丈夫」

「……あなた、女に手を引かれて歩くだなんて紳士の風上にも置けなくてよ」


 そう言えばスイミーは肩をすくめ、困ったように笑いながら私を見つめた。


「僕は紳士じゃなくて使い魔でしょ」


 使い魔、ね。

 その言葉は今日が終わっても続くだろうか。


「……ねぇ、本気でやるの?」


 井の中の蛙には痛い目を見てもらうつもりだった。

 しかし、実際に連れてきてみれば、流石に意地悪すぎたかなと思い尻込みをしているところだ。

 だって私は、使い魔がここで何をしているのか全く教えていない。

 すれ違う知り合いの魔女たちに挨拶をしながらも、その心はここにあらずといった感じだ。


「もちろん。だってそれが条件で魔女さんをエスコートできる権利を——」

「おや? そこにいる可愛いお嬢さんは、もしかして私の東の魔女さんかな?」


 振り向けば絶世の美女が立っていた。


「ごきげんよう、西の魔女さん。名前を呼ばずにいてくれてありがとう」

「そもそも魔女は名前を呼び合わないだろうに」

「あなたは私の名前を知っているし、いつも呼ぶから」

「でも今日は呼ばれたくないのだろう?」


 美しい微笑みを浮かべて現れたのは、今回の主催者であり私の親友である魔女だ。

 女性なのにそこらの男よりも男らしく、魔女たちなら誰でも彼女の視界に入りたいと願っている。

 それが特別私と仲良くしてくれているのだから、人生何があるかわからないものだ。

 それにしても相変わらずグラマラスな体型である。薄桃色の巻き髪に、濃い紫のローブ。とんがり帽子には大輪の薔薇がいくつも縫い付けられている。


「今回も素敵な装いね。赤も似合っていたけど、紫も似合うわ」

「あなたも素敵だよ、東の魔女さん。もしかしてそれは蜘蛛の糸なのかな?」

「ええ、この間作った薬品に漬けたら、思いのほか強度が上がったの。それで生地を作って染めてみたのだけど」

「光のあたり具合によって色が変わるのだね。本当に素敵だ」


 それで、と西の魔女が笑みを濃くする。


「東の魔女さんがいつも連れている使い魔がいない理由を教えて頂けるのだろう? メキメキの森では東の魔女さんの使い魔がとても可愛い使い魔に変わったという噂でもちきりだが」

「……相変わらず魔女の噂は早いのね」

「みんな退屈しているのさ」


 先程まで田舎から出てきた子供のようだったけど、はたしてスイミーはきちんと挨拶ができるだろうか……


「初めまして、麗しいマドモアゼル」


 驚くほど洗練された動きでさり気なく西の魔女の手を取りキスをする。


「おや、残念ながらマダムだよ。可愛い使い魔くん」


 満更でもない西の魔女を見ながら、私は目を白黒させていた。

 このガキにこんな芸当ができるだなんて思ってもみなかったのだ。


「驚いた。スイミー、あなた普段もそうしたらどう?」


 自分の名を名乗らなかったことも正解である。名乗れば支配され、私から所有権がうつってしまう。はたしてそれを知っていてやったのかどうかは謎だが。


「東の魔女さん、素敵な使い魔じゃないか。初参加だろう? あなたの時とは大違いだね」

「……私の使い魔をお褒め頂きありがとう」


 少し腑に落ちない物を感じながら、私は肩をすくめてみせた。


「怒らないで、可愛い子。それじゃあ、そろそろ……今日は楽しんで」

「ええ、今更だけどご招待ありがとう。私はこのまま四階に行くわ」

「おや四階へ? 珍しい。いつもは二階じゃないか」

「この子が私を守ると言うから、実力を見ようと思って。それが終わったらすぐ帰るわ」


 私がそう言えば、西の魔女は困ったように笑った。


「まあ、そうなるだろうね。ところで、十三階へはまだ行けない?」

「……あそこは嫌いよ」

「ああ、そんな顔しないで。ごめんね」


 また後で、と私の肩を叩きながら、西の魔女は他の魔女のところへ歩いていった。


「……魔女さん」

「なあに」

「十三階には何があるの?」

「…………」


 正直に言うにははばかられる。

 私は大きくため息を付いて、四階に行くための魔法陣へと乗り込んだ。


「未成年の子供は入れない場所よ」

「ふーん?」


 あまり解っていないような表情を見ながら魔法陣に魔力を流せば、あっという間に周囲の景色が変わっていく。

 そして辿り着いた先の四階は、早くも熱気に包まれていた。


「魔女さん、ここって……」

「闘技場よ。貴方の実力を見せて頂くわ。ここで一度でも勝つことができれば、貴方に私の騎士の称号をあげる」


 少し意地悪をしている自覚はある。

 西の魔女は“そうなるだろう”と言った。それは西の魔女から見ても、今のスイミーでは一勝すら難しいレベルだと言うことだ。

 そしてその予感は現実のものとなるのだった。



 + + + + +



「だから言ったのよ。まだ早いって」


 血に塗れ、包帯だらけのスイミーを魔法で宙に吊り上げながら森の中を歩く。

 試合は初戦が始まって五分と経たずに終了した。

 スイミーはピクリとも動かない。意識がないわけではなく、酷く落ち込んでいるのだ。


「……魔女さんは……魔女さんたちは僕が弱いってわかっていたわけだ」

「……人間相手なら勝てるのかもしれないけど、魔女の戦いの殆どは人間が相手じゃないもの」

「僕には魔女の知り合いが一人もいないから知らなかったよ。魔女さんは沢山の知り合いがいるようで良かったね」

「!」


 意図的に誰にも会わせないようにしていたつもりはない。

 ただ、意識の底で誰にも会わなければいいのにとは思っていたようだ。

 スイミーの恨めしげな一言でその事実に気づき、背筋が寒くなる。

 一体、私は何を思ってそうしていたのだろう。


「何も出来ないんだ、僕は。僕には魔女さんしかいないのにね」

「スイミ—……」

「恥をかかせてごめんなさい」


 小さく呟いたその言葉を最後に、その日スイミーは二度と口を開かなかった。



 + + + + +



「おかしいわね」


 あの魔女集会の時に、何人かの友人がお茶会に誘うと言ってくれた。

 その手紙が来るはずなのだが、何度ポストを見ても手紙は来ない。手紙を配達するフクロウは気まぐれだけど、どんなに遅くても三日以内には届けてくれるのだ。

 魔女集会から一ヶ月以上経った今、そろそろその手紙が届いても良いはずなのだけど、一向にその気配がない。

 久しぶりに会う魔女たちだったのに、スイミーを連れて早く帰ったのであまり話せなかった。自分のせいではあるけども、他の魔女の誘いを楽しみにしているからこそ待ち遠しくて仕方がない。

 何かあったのだろうか。


「どうしたの、魔女さん」

「ああ、スイミー。手紙を持ったフクロウが来なかった?」

「フクロウ? さあ」

「そうよね、見ていないわよね」

「どうして? 何か重要な依頼でも?」


 スイミーは洗濯物を干しながら、チラリと私の方を見た。


「いいえ、仕事じゃないの。友人からお茶会のお誘いが来るはずなのだけど……」

「忘れちゃったんじゃないの?」


 そんなことがあるだろうか。


「……ティム」


 風のように早く走る使い魔を出す。

 クルクルと回って現れた小鳥は、パッと羽を広げながら私の肩にとまった。


「南南東の魔女と、西南の魔女、それから北北東の魔女と北の魔女の様子を見てきて。直近でお茶会に誘ってくれそうなのはそこだから」

「待って!」


 ちょっと驚く声量でスイミーが叫ぶ。

 びっくりしてそちらを見れば、今にも血を吐きそうな顔をしたスイミーが項垂れて大きなため息をついた。


「……ごめんなさい、魔女さん……」


 そう言うと、ポケットの中からいくつもの封筒を取り出す。


「……これは?」

「…………」


 差し出された手紙はどれも仲の良い魔女たちからのものだ。

 日付はどれも数週間前。


「どういうこと?」


 スイミーは何も答えない。

 ただうつむいたまま、息を殺している。立ったまま死んだのかと思うほど顔は青白い。


「……僕だけの魔女さんがいいんだ」


 やっと絞り出した声は、とても小さく震えていた。

 よく聞かなくてもスイミーが思い詰めていることがわかる声。でも、黒く淀んだ私の心は生気を失ったようにヒビ割れていく。

 裏切られたような気がした。


「随分と生意気な使い魔だこと」


 冷たい声にスイミーが息を呑む。


「お前なんかいらないわ」


 指の一振りで、私はスイミーを森から追い出した。



 + + + + +



「おや。死体かと思ったら」


 仰向けになっているスイミーの視界に入ってきたのは、一度だけ会った西の魔女だった。


「……どうも、マダム」

「こんなところでどうしたんだい? 東の魔女さんは?」

「捨てられました」


 そう言えば、西の魔女は僅かに目を見開く。


「とても大事にしていたように見えたけど」

「……そんなことはなかったんです。彼女には沢山の知り合いがいて、僕はその中の一人だから。僕があの人を望むなんてあってはいけないんだ」

「でも心を許しているのは君だけだと思うよ」


 西の魔女が楽しそうに言うそれを、スイミーは全く信用できなかった。


「彼女は誰とでも仲良くなれる。だから心を許している人が多いと錯覚するのだろうね」

「……どういう意味ですか」

「友人は多くても、親友は少ない。それに、親友よりももっと心を許しているのは、恐らく君だけだよ。使い魔くん」


 西の魔女がゆっくりと口角を上げる。


「だって彼女、君には憎まれ口を叩くだろう?」

「!」


 あれは通常運転ではないのか。

 そう思いながら目を見開いていれば、西の魔女は秘密をばらしてやったとばかりに小さく笑う。


「あの子は私にも色々言うけどね、それでも君ほどハッキリと憎まれ口を叩かれたことなどないのだよ」


 だから早く帰って仲直りしろと西の魔女が言えば、スイミーは顔を曇らせた。


「もう、いらないと……」

「売り言葉に買い言葉だよ。本当にいらなかったら契約を解除するから。まだ集中すれば彼女の気配がわかるだろう?」

「でも……」

「——好きなんだね、彼女が」


 そう言われてスイミーの顔が赤くなる。

 目を見開き、今知ったとばかりに言葉をつまらせた。


「まあ、要は君がどうしたいかだよ。使い魔くん」

「……マダム、使い魔に選択権などあるのでしょうか」

「何を言っているんだい。君みたいな反抗しかしない使い魔が」


 おかしそうに笑う西の魔女を見て、スイミーは目を見開いた。


「おや、自覚がなかったのかな? いいかい、使い魔くん。本当の使い魔っていうのは言葉を話さないものだよ。君は憎まれ口も叩くし、東の魔女さんをからかったりもするのだろう?」


 そんなのはただの“大親友”だよ。

 そう言いながら西の魔女はにやりと笑う。


「ついでにもう一つ教えてあげる」


 西の魔女は優しい笑顔を浮かべながらスイミーの頭をなでた。



 + + + + +



「これも魔女さんに」


 仲直りの印にと花を摘みながら、スイミーは家に向かってただひたすら走る。

 西の魔女は東の魔女の家の方向だけ教えるとパッと消えた。

 送ってくれないのかと思って一瞬呆けたが、西の魔女なりの“懲らしめ”なのだろうと理解して苦笑する。もしかしたら喧嘩の理由もわかっているのかもしれない。


「もうすぐ家が——」


 その時だった。

 焦げた臭いと辺りに充満する煙。


「……何の臭いだ」


 そう言いながらも、嫌な予感がしていた。


「急がないと」


 ようやく見慣れた道が見え始め、スイミーはさらにスピードをあげた。

 走って走って、足がもつれながらも止めることなく走り、ようやくたどり着いた東の魔女の家は、到底バケツの水じゃあ消えない勢いで燃え上がっていた。


「嘘だろ……なんで?」


 持っていた花を全て取り落とし、フラフラと家へ近寄る。


「魔女さん……? 魔女さん!!」


 まだ中にいるのだろうかと血の気が引く。

 しかし走って家に近寄ったその瞬間、家は大きな音を立てて崩れていった。


「魔女さん!! そんな……」


 少しでも様子がわかるところがないだろうかと裏手に回った時、スイミーは今度こそ自分の心臓が止まったのではないかと思った。


「魔女さん……!!」


 崩れ、燃え盛る瓦礫の下。

 見慣れた衣装が見える。

 転びかけながら近寄ろうとすれば、ぐったりしていたのが嘘のように東の魔女は顔を跳ねあげた。


「あら、駄目よスイミー。あっちへお行き。ここは危ないわ。返事は?」

「嫌だ!」


 間髪入れずに叫ばれたそれに、東の魔女は驚いたように目を見開いた。


「私との契約を忘れたの? 答えはいつも“YES”よ」

「嫌だ!!」


 再びそう叫び、スイミーは裏庭にある水道の蛇口を思いっきりひねった。

 ホースで魔女の周囲を濡らす。しかし燃え盛る炎は少しもおさまることはない。


「なあに? いつもは素直なのに変な子。もしかして反抗期なのかしら」

「魔女さん、お願いだから——」


 死なないで。

 そう言いかけた言葉を飲み込めば、東の魔女は困ったように笑って指を鳴らした。


「やめてくれ、魔女さん!!」


 そう叫んだのは、鬱蒼と生い茂る森の中だった。



 + + + + +



「…………」


 再び走って走って東の魔女の家に着いたのは、火事から二日後のことだった。

 一体どれだけ遠くに飛ばしたんだと、苛立ち紛れに燃えカスを蹴っ飛ばす。

 燃やすものを失った炎は消え、焦げた臭いがまだ残っている。

 そうして残骸を蹴っ飛ばしながら、スイミーはあることに気づいた。


「……これは」


 複数の足跡だ。大人の、それも恐らく男の。


「強盗ではなくてよ」


 慣れ親しんだ声。

 一瞬理解できず遅れて振り向けば、煤だらけの魔女がローブの煤を叩いているところだった。


「……魔女さん?」

「なあに、そんな顔して。危ないから離れておけと言ったのに、あなたときたらまるで聞かないんだもの。あなたが焼け死ぬかと思ったわ」

「焼け死ぬのはどう考えても魔女さんの方だっただろ!! それなのにっ……なんで……」


 かすれて震える声でそう言えば、魔女さんはきょとんとした顔でこう言った。


「……もしかしてあなた、魔女は火で焼かれても死なないと知らないの?」


 森に静寂が訪れる。

 知らないに決まってる。そう言いたいのに、スイミーの口からはまるで言葉が出てこなかった。



 + + + + +



「あとは串刺しや水責めでも死なないわね。八年前に私の師匠が体中に管を刺されて全身の血抜きをされたけど、その時だってわざと痙攣して泣き叫びながら観客を楽しませていたわよ」


 魔女は不死ではない。でも、限りなくそれに近いことはできる。

 そう使い魔に説明すれば、複雑そうな顔をしたまま喉の奥からぐうと音を出していた。

 そう言えば私も初めて目の前で師匠が死んだ時に取り乱したっけ、と思い出しながら、自分がいかに説明不足であったかを痛感する。

 そのせいで余計な心配をかけてしま——いや、待て。

 そもそも私たちは喧嘩別れをしなかっただろうか。


「……こんな時に言うのもどうかと思うのだけど、私、あなたのことをいらないと言わなかったかしら?」

「十年前」


 緊張したような面持ちで、スイミーが口を開く。

 何を言いたいのかはわからなかったけど、あまりにも真剣なので聞くことにした。


「小さな女の子がこの土地に“落ちて”きた」

「!」

「わんわん泣く女の子を魔女が見つけ、魔女はその女の子を自分の後継者として育てることにした。女の子はやがて魔女を慕うようになり——」

「待って、いいわ。知ってる。慕いすぎて口調を真似している女の子が私よ」


 一体誰がこの話をしたのだと思った次の瞬間にはその答えが出ており、私は痛む頭を抱えて大きなため息をついた。


「西の魔女から聞いたのね」

「死にかけの魔女の手を握ったの? だから魔女に?」

「お世話になった人の死に際に“手を握って欲しい”って頼まれたら……そうするでしょう、普通……しなかったら人でなしじゃん……」


 そう、あの魔女(師匠)は最後の最後で私を騙したのだ。

 一年前、前代の東の魔女は死んだ。恐らくは寿命だろう。死期を悟った魔女は枕元に私を呼び、こう言った。


 — 私の可愛い娘、最後に手を握ってくれない? —


 縁起でもないと言いながらも手を握れば、この上なく幸せな顔をして逝った。

 あの愛する第二の母を失った日から、私はほとんど外にも出ず家で泣き、西の魔女を初めとした大勢の魔女に慰められても全く心に響かなかった。

 自分が魔女になっていると気づいたのは、自害しようとした私の血から使い魔が産まれた時だった。

 そんなある日、久しぶりに出た魔女集会の帰り道、師匠である魔女と同じ赤毛の少年を見つけたのだ。

 ——そう、丁度師匠が亡くなったのと同じ日に。


「僕を拾ったのは、魔女さんの師匠と僕が同じ色の毛をしていたから?」


 恐らく、きっかけはそうだったのだろう。

 がっかりしただろうか。自分を望まれて拾われたのではないと知って。


「もし()()そう思っているのなら、僕は魔女さんのところにいることを諦めるよ」

「え……?」

「でもそうじゃないのなら……魔女さん、僕、強くなることにする」

「は?」


 よほど変な顔をしていたのだろう。

 素の魔女さんも好きだよと笑いながら、スイミーはほとんど泣きながら私を抱きしめてくれた。



 + + + + +



「それでヒビキは拗ねてるわけだ」


 西の魔女が意地悪を言う。

 あの盛大な喧嘩が終わって数週間経った頃、西の魔女が久しぶりにお茶会に招待してくれたと思ったらこれだ。


「拗ねているわけではなくてよ。ただ……こう、なんというか……」

「私の可愛いヒビキ。自分の使い魔が自分ではなく私を頼ったのが悔しいんだね」


 そう、あの日からスイミーは毎日西の魔女のところで武者修行をしている。私に頼っても意味がないのだそうだ。意味がわからないが。

 朝早くから夜遅くまでしているため、家にいる時間はあまりない。それでも目が覚めれば新しく建てた家は綺麗になっているし、洗濯物はたたまれて棚の中。朝食から昼食、夜食まで全てテーブルの上に並べてある。

 過労死するのではないかと思って休めと直接言いたかったが、本人と話す時間はほとんどないのでテーブルの上にメモ紙を置くくらいしかできない。

 それも“大丈夫だから心配しないで欲しい”という返事しかこないが。


「……今日のあなたは意地悪だわ」


 今度こそ拗ねた。もういい。


「ごめんね、ヒビキ。許しておくれ」


 困ったように笑う西の魔女から視線をそらし、私は大きくため息をつく。


「そんなに拗ねないで。私の名前を教えてあげるから」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「クレアだよ。私としたことが親友に名前を伝えるのが遅れてしまったね」


 西の魔女——いや、クレアの目に私の間抜けな顔がうつっている。


「な、な……」

「私だけ名前を知っているなんて、親友とは言えないからね」

「だ、だって、魔女は名前を簡単に教えると支配されるからって……」

「ああ〜、初対面の自己紹介で名前を名乗られるとは思わなかったよ」

「人間からしたら普通なの!!」

「あっはっは!」


 クレアは腹を抱えておかしそうに笑う。


「いや、でも、まあ……」


 未だに笑いがおさまらないらしいクレアは、滲む涙を拭いながら咳払いをした。


「あの使い魔を甘やかすのはおよし。主のために強くなりたいと言うのなら、それを応援するのが使う側のマナーだよ」

「でもあの子は小さいし、人間だから特別な力なんてないじゃん……」


 私が普段の口調で話しているのに気づいたのだろう。

 僅かに口角を上げたクレアは、少しだけ首を傾げて目を細めた。


「なんだかとんでもない思い違いをしているような気がするな」

「思い違い……?」

「あの子は強いよ」

「強い? どこが? あ、男女的な差で?」

「いや、まあそれもそうだけど……」


 物分りの悪い子供に言うように、言葉を選びながらクレアが口を開く。


「まあ、とにかくあの子の思いを尊重しておやり」

「…………」


 納得はできない。でも、理解はできる。

 ただそれでも、私の元から離れていってしまったようで寂しいのだ。


「……大丈夫、あの子はヒビキを置いて行ったりしないよ」

「でも、人間は弱くて、私よりも先に死ぬ。元人間だった私が言うんだから間違いないし、それはクレアも知ってるでしょ」


 何かを言おうとしてやめたクレアは、中途半端に伸ばした手を止め、しかしそのまま私を抱き込んで頬をすり寄せた。



 + + + + +



「——ああ、また来たのね」


 どれくらいスイミーと会わない生活が続いただろうか。

 木苺でも摘みに行こうと森を歩いていると、手に手に武器を持った村人たちと出会った。


「この魔女め……死んだはずだと思ったら……何度目だ!!」

「同じセリフを返すわ」


 もう何度目かなんて覚えていない。

 何もしていなくても魔女は狙われる。

 私は他の魔女のように抵抗しないから、捕まらないために人とは会わないようにしていたのに。

 きっと考え事をしているうちに人に見られてしまう場所まで来てしまったのだろう。


「何度殺しても無駄よ。私は死なないもの」

「今度こそ殺してやる……!!」


 なぜ魔女はここまで憎まれるのだろうか。

 殺し合いを初めた時点でお互い様だ。でもきっとどちらが先など些細なことで、憎しみを抱き続けることをしたいのだろうと思う。

 誰かを責め続けていなければ、自分という存在を維持できないのだろう。

 だからきっとこの人たちは、私が元人間だと言っても信じないのだ。

 永遠に。



 + + + + +



「……?」


 意識が覚醒する。意識が覚醒して初めて、自分の意識がなくなっていたのだと気づいた。

 私はベッドに寝かせられており、そのすぐ横には人を殺しそうな目をしたスイミーと、悲しそうな顔のクレアがいた。


「……私、死んだ?」


 問えば、その表情が答えを返す。


「……自殺願望が?」

「あるわけないでしょ……」

「ならどうして反撃するなり逃げるなりしなかったんだよ……!!」

「木苺がほしかったの」

「そんなの言ってくれたら僕がいくらでも採りに行く!!」

「いなかったじゃん。ずっと」


 いなかった。ここ最近、ずっとだ。一度も会わなかった。話すこともできなかった。

 メモでの会話なんか会話じゃない。

 それがわかっているから、スイミーだって何も言わないのだろう。

 喉を鳴らして自分こそが辛いのだという顔をするけども、辛いのはスイミーだけではないはずだ。何故それがわからないのだろう。それともわかっているのだろうか。


「スイミー、使い魔の契約を破棄する」

「……は?」


 言ったことが理解できないらしい。


「あなたは自由よ、スイミー」

「待てよ、どういう——」

「早まっては駄目だよ、東の魔女さん」


 いや、実際少し前から考えてはいたのだ。

 私にはこの使い魔と一緒にいられないのではないかと。

 だってまず、死に際を見たくない。もう二度と、仲良くなった人が自分よりも先に死ぬのを見たくないのだ。


「私ね、もう人間と関わるのはうんざりなの。だから森の深層部に行こうかと思ってる」

「なら僕も連れて行ってよ。俺が魔女さんを守るって言ってるだろ……」

「私よりも弱いのに? 深層部には私が本気を出して戦わないと勝てない魔物ばかりいるのよ」


 そう、スイミーは弱い。

 魔女はその人が持つ能力を可視化して見ることができる。

 そして良い輝きを持ちながらも、スイミーより長年魔女をやっている私の方が遥かに優れていた。


「抵抗しないまま死ぬ魔女さんよりは強いと思うけど」

「人を怪我させず、殺さずに魔女を殺すことを諦めさせることができるの?」


 残酷なことを言っている自覚はある。

 でももう私は限界なのだ。正直に言えば、私が死ぬとか殺されるとかそういうのはどうでもいい。ただ、自分より弱いスイミーに被害が及ばないかが心配なのだ。

 もう親しい人が死ぬのを見送るのはごめんだから。

 だから、多少酷くても私は嘘をつく。

 色んなことから逃げている自覚はあった。


「自分が何度も死ぬところをあなたに見せたくないわ。今回も見たんでしょう? 子供の教育に悪いし、トラウマになるから」

「……本気?」

「うん」

「僕を捨てるの……? 本当に……?」

「……ごめんね」

「置いて行かないでよ魔女さん、ねえ……」


 私はこたえない。


「ねえ、魔女さん……お願い……」


 私は、それにこたえない。


「好きなんだ」


 絶対に。



 + + + + +



「シロマル」


 声をかければ、使い魔の黒猫が木を登っていった。

 上の方にある木の実を器用に落しながら、あちこちの枝へ飛び移る。


「ありがとう、もうそのくらいで大丈夫」


 ここは森の深層部。

 魔女すら訪れることがない、深い深い森の中。

 あれから何年が過ぎたのだろうか。誰にも会うこともなく、私は運悪く近寄ってしまった人を魔法で惑わして元の道に戻す作業をしながら、ここで悠々自適の生活を送っていた。

 寂しくないと言えば嘘になるが、西の魔女はたまに手紙をくれる。昨日も手紙が来たばかりだった。スイミーのことを一言も書いていないのは彼女の優しさだろう。


「さあ、家に帰ってパイを焼こう」


 私の使い魔は喋らない。

 それが普通だ。

 あの使い魔はうるさすぎたのだ。


「やあ、こんなところにいたのか」


 そんな言葉とともに乾いたような音。

 胸に走る痛み。

 溢れ出す血。


「……?」


 まるでなにもわからなくて、思考が停止して息をすることすらわからなくなって、それでもゆっくりと声の方を向いてみれば、数十名の人間たちと一人の見たこともない魔女がいた。

 男たちが持っているのは——


「銃?」

「あ、これ知ってるんだ。引きこもってるから知らないと思った」


 魔女はそう言って笑う。

 でも、銃なんてこの国にはなかったはずだ。


「不思議そうな顔してるけど、あんたが引きこもって何百年経ったと思ってるの?」


 何百……?

 そんなに経っていたのか。

 ということは……あの子は死んでしまったのだろうか。

 西の魔女はそんなこと一言もいっていなかったけど、でも、そうか——……もう、死んでしまったのだ。私が可哀想で、哀れで言わなかったのだろう。

 ならもうこの世に執着するものなどないじゃないか。


「今の時代ね、こうして魔女狩りを手伝えばお金をくれるのよ。東の魔女は何度殺しても起き上がるって噂でね。とても高いお金が支払われるの。でもあなたすっかり身を隠していなくなっちゃったんだもの」


 なるほど、仲間を売って生計を立てているわけだ。

 時代は変わったなと感嘆するも、すぐに昨日西の魔女から来た手紙に“仲間を売る魔女が現れるようになったから注意しろ”と書いてあったなと思い出す。

 これは、怒られるかもしれない。


「これは……銀の弾……?」

「そうよ」


 どうやら本気で殺すつもりらしい。


「おやすみ、東の魔女さん」


 痛みはわからない。

 それでも手が震え、寒さで体が動かない。魔法で抜き出そうとしても弾が抜けていかず、そればかりか力がどんどん吸い取られていく。

 そうか、銀の弾は本当に魔女を殺せるのかと思いながら、命が流れていくのを見つめていた。

 膝をつきぺたりと座り込みながら、ああいよいよ死ぬのだと細く息を吐く。

 でも、なぜか死ぬことに対して酷く安心していた。

 私を育ててくれた魔女に会えるだろうか——そう考えると、笑いすら出てくる。


「すぐ諦めるんだから」


 その時だった。

 低い声が聞こえ、私の後ろから黒い炎が伸びていく。それは男たちを火だるまにし、魔女を焼き、地面を焦がす。

 周囲からいくつもの断末魔が広がり、木々からは鳥が飛び去った。


「……スイミー?」


 赤毛に、若草色の瞳。


「ったく」


 その目は怒りに燃えており、しかしそれがなんの怒りなのかわからず、私は視線を彷徨わせて反射的に謝る準備をする。


「謝ったら殺す」


 たった今助けた命を殺すと言われ、半分開きかけた口は閉じた。


「あの、ど、ど、どう、どうして、ここに」

「黙って」


 とにかく顔が怖い。

 あまりの恐怖にどもりながらそう言えば、スイミーは私の横に座り込むと指を鳴らして、ジリジリと私の体内から銃弾を抜き出す。


「え、魔法!? な——痛っ……」

「黙ってって言ったでしょ。痛いのは我慢して」

「あ、はい……あの、本当にどうしてここに? 死んだんじゃないの? というか何故魔法?」

「どうして黙れないんだろうね」


 混乱しているし、聞きたいことがありすぎた。

 スイミーは私の質問にはこたえず、ジリジリと銃弾を引き出している。

 その手は震えていた。


「……スイミー」


 やがてその銃弾がポトリと地面に落ちて血が吹き出した瞬間、スイミーはピタリと私の胸に手をあてて深くため息をついた。

 傷が塞がっていく気味の悪い疼きが胸に走る。スイミーが手を離す頃には、すっかり傷がなくなっていた。


「ありがとう……」

「どうしたしまして」

「ねえ、本当にどうして魔法が使えるの? あなたスイミーなの?」

「魔法は西の魔女だよ」


 ザッと血の気が引く。


「彼女、亡くなったの?」

「私の小さな深層の魔女さん。昨日手紙を送っただろうに、ちっとも注意しなかったんだね」


 聞き慣れた声に振り向けば、以前と変わらぬ困った笑みを浮かべる西の魔女が立っていた。


「死にたかったのかい?」

「…………」


 その問いにはこたえられなかった。

 でも沈黙が肯定となり、スイミーが取り出した銀の銃弾を力いっぱい踏みつける。

 地面を見つめて黙っていれば、クレアが私の側にしゃがみこんだ。


「久しぶりだね、可愛い子」

「……ええ、本当に」

「久しぶりすぎて、私が彼に稽古をつけていたことも忘れた?」

「忘れてない、けど……でも——」

「それは覚えていたのに、警告したことは忘れたわけか」


 クレアが怖い。

 笑っているのに明確な怒りが伝わってくる。非常に器用で、そして怖い。


「魔女さん、お婆ちゃんになってボケたの?」


 スイミーの辛辣な言葉に、ぐうの音も出ない。


「…………」


 ノロノロと立ち上がり、改めてスイミーを見る。

 赤毛と若草色の瞳は変わらない。

 でも、背がだいぶ伸びていた。体もがっしりして男らしくなったし、面影はあるけどもすっかり“男の人”といった感じだ。

 なんだか、目を合わせられない。


「二人とも助けに来てくれてありがとう、本当に、色々びっくりしたけど。まだわからないことが沢山あって……混乱してる……」

「今度こそ、間に合って良かったよ」


 ——ああ、あれはしっかりトラウマになってしまっていたのかと気づく。


「スイミー……ごめんね……」


 立ち上がったスイミーは、今にも泣き出しそうな顔をしながら私の頬を手の甲で撫でた。


「スイミー、わかっているとは思うけど、私は死なないから……」

「銀の弾の効力がわからなかった?」

「私は——」

「ねえ、魔女さん」


 真剣な表情を浮かべるスイミーに言い訳を言おうとした口を閉じる。


「お願いだから、僕を捨てないでよ。せっかくこうして魔女さんを助けることができる力を得たんだから」


 何度も何度も私の頬を手の甲で撫でる。若草色の目は私からそらされることがない。


「…………」

「何を恐れているの?」


 それは、本当に聞かれたくなかった。


「あ!」


 私はその時、初めてクレアの間抜けな声を聞いた。

 あんなにしっかりとしている彼女が、信じられないくらい間抜けな声を出したのだ。

 僅かに驚きながらそちらを見れば、スイミーも同じくクレアを見つめていた。


「ああ、もう……なるほど、いや、でも……あ〜……いやいやそうか……」


 今にも舌打ちしそうな顔でクレアが大きなため息をつく。

 一体何が彼女の中で起こったのだろうと訝しみながら、私は小さく彼女の名を呼んだ。


「スイミー。恐らくヒビキは君を人間だと思っているようだよ」


 理解ができないと言うように眉間にシワを寄せながら首を傾げるスイミー。

 私も何度もまばたきをしながらスイミーとクレアを交互に見つめる。


「スイミーは……人間でしょう……? 何故か魔法を覚えているけど。誰か亡くなったの?」


 私がそう言った瞬間、勢い良く振り返ったスイミーの顔は過去最大に苦い顔をしていた。

 まさに苦虫をまとめて噛み潰したような顔だ。


「……正気?」


 正気を疑われるほどのことを言っただろうかと動揺する。


「異世界からの訪問者が、赤毛の意味を知らないのは当たり前だねぇ。産まれたばかりの悪魔が“魔女は滅多に死なない”と知らないように」

「……嘘でしょ」


 スイミーが呆然としたようにつぶやき、顔に両手をあてて天を仰ぐ。

 両手で塞いだ顔は見ることが出来ないが、きっと苦虫が追加されたような顔だろうことは予測がついた。


「赤毛って……何か意味があるの?」

「……ないよ。何もない」


 投げやりなスイミーのこたえに満足行かず、クレアの方を見る。

 クレアも馬鹿馬鹿しいといった表情でため息をついた。


「もう百年以上生きている時点で気づいてほしかったけどね……」

「いや、だから何が……」

「赤毛と緑の目は悪魔の印——この世界に生きる者であれば常識だよ、ヒビキ」


 — あの子はヒビキを置いて行ったりしないよ —


 途端に、以前のクレアの言葉が蘇る。


「そんなの……知らない……どうして、教えてくれなかったの……?」

「何か理由があってスイミーが黙っているんだと思ったんだよ」

「理由……」

「そう。だから私の小さな魔女さんが自分より早く死んでしまう使い魔に怯えているのを知っていても黙っていたんだ。だって物事にはタイミングってものがあるからね」


 でもその理由は特に無かったわけだ。

 スイミーは私が知っているものと思った。私はそんなことは知らなかった。

 この思い違いが……全ての原因。


「まさかここまでこじれるとは思わなかったな。あの時、言っておけばよかったね。ごめんね」

「いえ、これは……全くクレアは悪くないでしょう……」


 自分が傷つくことを恐れて逃げたせいだ。

 でも、それでも……こんなことってあるだろうか……この虚無感はどうすれば……


「魔女さん」


 スイミーの低い声が響く。


「つまり、魔女さんは僕が死ぬところを見たくなくて僕を捨てたってわけ?」


 スイミーがすがるように問う。


「ねぇ、魔女さん。こたえてよ」

「…………」


 何度も口を開こうとしてやめる。

 それでもスイミーは辛抱強く私の言葉を待っている。


「もう、置いていかれるのは嫌だったの……」


 そういった瞬間、私の目からぽたりと雫が溢れて落ちた。


「——置いていかないよ、僕の魔女さん。置いていくわけがない」


 きつく抱きしめるスイミーの腕は、お風呂に突っ込んだ時よりも遥かにたくましくなっている。


「お願いだから連れて行ってよ、魔女さん。あなたのいる場所に」


 いつの間にかクレアは消えていて、森には私のすすり泣きだけが響く。

 こうして、物語の結末は何ともあっけない幕引きを迎えたのだった。

 魔女は半永久的に生きる。

 そして悪魔も——……

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 13階に何があるのか。 西の魔女さん結婚してるんですか(T ^ T)
[良い点] 魔女さん、もっと素直になってればな・・とは思うが、今まで歩んできた諸々を考えると臆病になるのも仕方ないのかな~ 些細なすれ違いから別々の道を歩むことが多々あるけれど、一途なスイミーの思いが…
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