9話
沙霧は色々な武器を持っていた。
スプレーのようなものを5本に、丸いものが連結したプラスチック素材のもの。
缶のようなものまである。
「あれ? 有名な家みたいなのはないのか?」
「ホイホイのことかしら? あれはダメよ」
「ダメ?」
「入ってても入ってなくても、精神に負荷がかかるわ。第一、捨てるときに持つのよ」
沙霧は自分の体を抱きしめるかのように腕を回し、ガタガタと震える。
「持ったときの、あの微妙な重さ……。中で動いたときの、あの振動……」
「もういい、沙霧。悪かった。辛いことを思い出させちまったな」
「平気よ。あいつを倒せるのなら、このくらいのこと……」
やつは依然、天井に張り付いたまま動いていない。
動かれても嫌だが、ジッとされているのもプレッシャーをかけられている感じがする。
「沙霧。お前の経験が全てだ。どうやって戦うのか、教えてくれ」
「そ、そんなこと言われても……」
「教えてくれれば、俺が殺る。お前は後方で指示してくれればいい」
「わかったわ。あなたがやってくれるなら、これを使うわよ」
そう言って、沙霧はスプレー缶を俺に向かって差し出してくる。
「ちょっと待ってくれ。今の言い方だと他にも方法があるんだよな?」
沙霧のことだから、俺がやるということで一番エグイ方法を選択した可能性は高い。
俺だって、本音はなるべく穏便な方法を取りたい。
「私1人、もしくはその場に女の子しかいない場合はこっちを使うわ」
沙霧はそういうと丸いプラスチック素材のものを取り出す。
「毒の餌よ。置いておけば、あいつが勝手に食べて自滅してくれるわ」
「なら、今回もそれを使おうぜ」
「これはあくまで予防道具よ。つまり発見する前段階にしか使えないわ」
「なんでだよ?」
「……あいつが、本当に食べるのをずっと見張るつもり?」
「あっ……」
「警戒心が強いのだから、まず私たちが見ている前では食べないわ」
「なるほどな」
「発見した後に使うときは、頭の中で『あいつは絶対に食べた』と思い込む必要があるのよ」
「……精神的にもキツイな、それ」
実際には食べていなくて、再び遭遇なんていう最悪の事態も起こり得る。
となれば、沙霧のいうように直接倒すしかない。
俺は沙霧からスプレー缶を受け取り、天井に向かって構える。
シャアハウスだけあって、普通の家よりも天井までの高さが大きい。
恐らくは3メートルはあるだろう。
手を伸ばしたところで、やつとの距離は1メートル程できてしまう。
やつはまだ動いていない。
天井に張り付いたまま、触覚だけをヌルヌルと動かしている。
グロイ。
見ているのも辛くなってくる。
だが、いくらなんでも目をつぶってスプレーを噴射するわけにもいかない。
「落下に注意するのよ」
沙霧に言われて、ハッとする。
そうだ。
確かにスプレーを噴射し、やつが墜ちた場合は俺の上に落下することも当然ある。
俺はいつでも避けられるように準備をしながら、スプレーのトリガーに指を当てた。
――が、そのとき。
飛んだ。
そう。
やつは飛べたのだ。
「うおっ!」
「きゃあああー!」
しかもやつは逃げたのではなかった。
なんと、こっちに向かってきたのだ。
「くそっ!」
スプレーをやつに向かって噴射する。
だが、やつは動きを止めなかった。
「当たれ! 当たれぇ!」
何度もやみくもにスプレーを撃つが、やつは空中にいるため弾が分散されてしまう。
やつはまるで「効かねえよ」と主張するかのように平然と飛んでいる。
しかし、逆にその行為が俺の闘志に火を付けた。
――ギリギリまで引き付けてから、ゼロ距離で撃ってやる。
俺はスプレーを構えたまま、やつが間合いに入るのを待つ。
――が。
直前でやつは軌道を変えた。
「ひっ!」
沙霧が身体を震わせて悲鳴を上げる。
狙いは沙霧かっ!
そう直観した後の俺の反応は、人間のそれを超えたものだった。
スプレー缶を投げ捨て、沙霧の方へ走る。
それは一瞬のはずなのに、まるでスローモーションの中にいるかのようだった。
「沙霧!」
やつが沙霧の顔に特攻をかける、まさに直前。
俺はなんとか沙霧を押し倒すことに成功する。
「きゃっ!」
「うおっ!」
俺と沙霧が倒れ込む。
そして沈黙。
リビングは静寂に包まれる。
俺は沙霧に覆いかぶさるような体勢になっている。
顔と顔が近く、見つめ合うような形だ。
近くで見る沙霧は、いつも以上に綺麗だった。
気のせいだろうか。
沙霧の頬は色っぽく、朱色に染まっている。
思わず、生唾を飲み込む。
だが、そんな俺たちの隙をやつは見逃さなかった。
カサカサカサ。
やつは追撃をするためか、今度は床を這って接近してくる。
「いやぁ!」
沙霧が半狂乱になり、ぶんぶんと手を振り回し始める。
「止めろ、沙霧、危な……ぶべっ!」
沙霧の拳が見事に俺の顔面にヒットし、俺はゴロゴロと床を転がる。
「来ないで! 来ないで!」
叫びながら威嚇するかのように手を振り回し、床を叩き始める。
それでもやつは進行を止めない。
「いや! いや! いやぁ!」
「逃げろ、沙霧!」
だがやつが目前まで迫り、沙霧の混乱は頂点に達した。
まともな判断ができなかったんだろう。
バン!
沙霧は威嚇のためか、床を叩いていた。
さらにやつは沙霧に接近していたのだ。
再び、リビングが静寂に包まれる。
そして――。
「ぴにぎゃああーーーー!」
沙霧は奇声のような叫び声をあげたあと、パタリと倒れて気絶してしまった。
無理もない。
沙霧は直接『手』でやつを叩き潰してしまったのだ。
こうして、事件は意外な形で終結を迎えた。
それから沙霧は二日間ほど放心した状態から戻らなかったのだった。