6話
次の日の昼。
頼んでいた運送屋がやってきた。
衣服、布団、冷蔵庫、洗濯機など生活必需品を持って来てくれたのだ。
昨日は布団がなかったので、床で丸まって寝たのだった。
3月の……初めて東京に来たときが嘘のように夜は冷え込んだ。
寝ては寒くて起きるという繰り返しで、昨日はほとんど寝れてない。
本当は昨日に持って来て欲しかったが、無料だと考えると贅沢は言えない。
無料。素敵な響きだ。
今日こそ、家が運送屋をやっていて良かったと思った日はない。
冷蔵庫と洗濯機は母さんが大学祝いとして買ってくれたのだった。
「これ、どこに置きます?」
2人がかりで冷蔵庫を持った状態で、運送屋の兄ちゃんが聞いてくる。
……しまった。全然考えてなかった。
大体、沙霧は冷蔵庫持ってるのか?
リビングには見当たらないから、持っているんだとしたら自分の部屋にあるのか。
けど、持ってないなら、どうせなら一緒に使った方が効率的だ。
うーん。どうしようかな。
「あー、えっと、玄関のところに置いておいてください。洗濯機も」
「え? いいんですか?」
「あとで、自分でいい感じに配置するんで」
「……そうですか」
運送屋の兄ちゃんはお互い顔を見合わせて、大丈夫か?という顔をする。
だが、本人がそういうならと、玄関のところに置く。
結局、冷蔵庫と洗濯機以外は小物ばかりなので、全て玄関先に置いてもらうことにした。
運送屋の兄ちゃんが帰った後、一旦、冷蔵庫をリビングの方へと移動させることにする。
「よいしょっと!」
冷蔵庫を持ち上げた、まさにその瞬間だった。
「何をやっているの?」
いつの間にかリビングに沙霧がいた。
「……お前はおはようくらい言えないのか?」
「今は昼よ」
「いや、そういうことを言ってるんじゃ……ああ、もういい」
一度、冷蔵庫を床に置く。
「そうだ。ちょうど良かった。沙霧は冷蔵庫、持ってるのか?」
「持っているけど、それがなに?」
「いや、持ってないなら、この冷蔵庫、リビングに置こうかと思ったんだ」
「ふーん。なるほど。私と一緒に使うことで、間違いを装って関節キッスするつもりね」
「物凄い妄想癖だな……」
とにかく、沙霧が持っているというならわざわざリビングに置く必要はない。
俺の部屋の中に置くとしよう。あまり物がないので、ちょうどいいかもしれない。
「よっと」
再び、冷蔵庫を持ち上げる。
「……重くないの?」
そんな沙霧の声が聞こえた。
「まあ、重いっちゃ重いさ。けど、慣れてるからな」
実家は運送屋をやっているせいで、小さい頃からよく手伝わされていた。
そのせいか、荷物運びが得意と言うか苦にならない。
落さないように慎重に運ぶ。
そして、部屋のドアの前で止まる。
「なあ、沙霧。ドア、開けてくれ」
「なぜ?」
「俺、今、手が塞がってるんだ」
「見ればわかるわ」
「……なら、ドアを開けてくれよ」
「私が言いたいのは、どうしてあなたの為に、私が労働をしないといけないのかってことよ」
「労働? ドアを開けるのがか?」
「自分のこと以外で動くのは労働だわ」
「何となく説得力があるが、考え方としては最低だな」
「ということで、私にドアを開けて欲しいなら1000円寄越しなさい」
「お前はどこの貴族様なんだ」
ドアを開けるだけで1000円って。
世の中の労働を舐めてるな。
俺は一旦、冷蔵庫を床に置き、ドアを開ける。
そして、また冷蔵庫を持ち上げた。
「冷蔵庫を楽々持ち上げるなんて、凄いわね」
いつもの沙霧の声質と違う。
純粋に驚いたような感じだった。
「価値として年収にプラスしてもいいと思うわ」
「どのくらいプラスになるんだ?」
俺は部屋の端に冷蔵庫を置き、沙霧の方へ振り返る。
「1000円くらいかしら」
「……いやいやいや」
お前がドアを開けるのと同じ価値かよ。
自分には甘いくせに、他人には厳しい奴だな。
「ねえ、私の部屋に動かしたい家具があるの。やってくれない?」
「いくらくれるんだ?」
これは沙霧が言ったことだ。
自分のこと以外で動くのは労働だと。
「何を言っているのかしら? 私の部屋に入れるのよ? 逆にお金を貰いたいくらいだわ」
「……ホント、お前、どこの貴族様だよ」
なぜ、部屋に入るだけで金を出さないとならないんだ。
……まあ、ちょっと、女の子の部屋っていうのは興味があるが。
「動かしたい理由はなんだ? 切迫した問題があるなら、やってやるぞ」
「ただ、部屋を模様替えしたいだけよ」
「じゃあ、却下だな」
俺は沙霧の横を抜けて、部屋を出る。
「本当に使えないカスね。マイナス1万円よ!」
沙霧が自分の部屋に入り、勢いよくドアを閉め、ガチャリと鍵をかける。
あいつはもう少し金の価値を考え直した方がいいと思うぞ。
さてと、次は洗濯機だな。
幸い、共有スペースには洗濯機の設置場所は7つある。
洗濯機の前に立つ。
持ち上げる為に屈む。
チラリと沙霧の部屋のドアを見る。
あいつの部屋か。
ちょっと見てみたかった気もするな。
そんなことを考えながら、俺は洗濯機を持ち上げたのだった。