5話
時間は戻り、矢住さんと出会ってから2週間後。
俺は今、リビングにポツンと1人佇んでいる。
結局、俺はあれから矢住さんの提案を受け入れた。
……というより、受け入れざるを得なかった。
一応、あれから不動産屋に電話をしてみた。
予約時間を大幅に過ぎていてキャンセルだと思い、次の客を入ってしまったと言われた。
飛行機の時間もあるし、違う不動産屋を探す時間ももちろん残ってない。
そして、俺は矢住さんが所有しているシェアハウスの管理人兼、住人になることにしたのだ。
まあ、住む場所とバイト先が同時に見つかったんだからメリット尽くしと考えよう。
矢住さんの娘さんとの結婚の話は何とか先延ばしし、今日へ至る。
シェアハウスの管理人か……。
俺なんかに務まるだろうか、と不安にもなる。
だが、何事もやってみないとわからないものだ。
シェアハウスの名前は『フェアリーテイル』。
部屋は7つあるが、今は、俺と錐巣 沙霧の2つ分しか埋まっていない。
最初は一つ屋根の下に男女が一緒なんてまずいんじゃないかと思った。
だが、部屋と脱衣所には鍵が完備されているのと、自制心があれば大丈夫と説得された。
確かに、俺が変な気さえ起こさなければいいだけだ。
それに今では、シェアハウスに男女一緒というのは普通らしい。
なんだかんだ言って、既に午後の8時を回っている。
今日は早めに寝て、明日、早く起きることにしよう。
明日は重要な用事があるしな。
次の日、朝5時。
俺は朝から家を出た。
4月にもなると5時でも十分温かいが、まだまだ寒いと言えば寒い。
さすがに息が白くなるほどではないが、実家で使っていたコートを持ってきたのは正解だ。
取りあえずは散歩と、この辺の地理把握、そして本来の目的を兼ねて歩き始めたのだった。
「……あなた、何をやっているの?」
夕方の4時。
ビニール袋と大きなものを抱えて帰る。
そんな俺を見て、開口一番、沙霧が言ったのはそんな言葉だった。
「お帰り、ぐらい言えないのか? お前は」
「その言葉は、同じ家に住む者同士がいうものよ」
「なら、尚更言えよ」
「嫌よ。私はまだ、あなたがここに住むことを了承してないわ」
「……昨日、言っただろ。俺はここの管理人として住むことになったんだよ」
「それはあなたの言い分でしょ? 私は認めてないわ」
「その決定権は、お前じゃなくて、ここの持ち主の矢住さんが持ってるだろ」
「まあ、どうでもいいわ。それより、質問に答えてくれないかしら?」
沙霧は俺が抱えている物の方を見ている。
……いや、どうでもよくないだろ。
だが、話は平行線をたどりそうだったので、ここは譲歩することにした。
「見た通り、本棚を運んでるんだ」
「それはわかるわ。どうして、『壊れかけた』ものを運んでいるの?」
そう。
俺が運んでいるのは沙霧の言う通り、ところどころ割れた木の本棚だ。
割れていると言ってもヒビ程度で、傾いたりするほど壊れていない。
というより、造りがしっかりしている分、安物よりも安定感があるくらいだ。
「まあ、元々は廃品のものだったからな」
「廃品?」
「ああ。廃品回収のおじさんから、譲ってもらったんだ。売り物にならないってさ」
「まあ、そうでしょうね。でも、そんなものをどうして持ち帰ったの?」
「もちろん、使う為だ」
「……使うの、それ?」
「売り物にはならなくても、使う分には支障はないからな。それにほら、これ」
一旦、本棚を床に置き、腕に通していたビニール袋の中身を見せる。
中にはペンキとハケ、軍手が入っている。
「これで色でも塗れば、見栄えだってよくなるだろ」
「それなら、最初から新しいのを買えばいいじゃない」
「それだと金がかかるだろ。節約できるところは節約する。それが俺のポリシーだ」
「なるほどね……」
沙霧はそう言って、ビニール袋をがさがさと漁り始める。
そして、レシートを手に取ってチラリと見た。
「合計で3500円。これなら、ネットで探せばいいのが買えるわね。しかも送料無料で」
「……はっ!?」
さらに沙霧はペンキの缶を取り出して、蓋を開ける。
「それにこのペンキ。金属を塗るやつよ」
「うわあーーーー!」
がくりと、その場にひれ伏す。
四つん這いになる俺を見下す沙霧。
その顔には薄い笑みが浮かんでいる。
「人の心が折れる瞬間は、いつ見てもいいものね」
沙霧はそう言い捨てて、部屋へと戻っていった。
静まり返るリビング。
そしてどこからか聞こえてくるカラスの鳴き声。
そんな中、四つん這い状態で取り残された俺は……。
蓋の空いたペンキの缶を見ながら、返品できないだろうかと真剣に考えていたのだった。