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世界で唯一の者に

タイトルは007の『ユアアイズオンリー』を参考に

全然パロディになってないって?ああ!

 今日は何事もなく終わる退屈な一日になりそうだ。ジョンはロッキングチェアに座って拳銃の点検をしながら、ため息をついた。船に乗って旅をしていると陸とは違って煩わしい一切から解放されてせいせいするというメリットがあるが、海賊に襲われでもしない限り暇で仕方ないというデメリットがある。


「オリヴィア! ちょっと来てくれ!」


 ジョンは声を張り上げて唯一の同乗者である少女の名前を呼んだ。しかし、足音も聞こえなければ返事も返ってこない。おかしいなと思った彼は、今いる部屋を出て普段オリヴィアが過ごす部屋に足を踏み入れる。


「うーん……この場合どうしたらいいかな……」


 薄い褐色の肌の少女が、机に広げたトランプを前に唸っている。肌に合わせるように髪の毛の色は赤茶色で、肩までの長さだ。それを頭の頭頂部で一つにまとめている。年齢は十代の半ば程度で、船内というプライベートな場所だからなかなかだらしない恰好をしている。殆ど肌着だけだ。ある意味では扇情的ではあるが、自分より十以上も年下相手に目を奪われるような趣味を、ジョンは持ち合わせていない。


「おいオリヴィア、俺の言葉が聞こえなかったのか? 全く、せめて返事くらいはしてくれよ」


「だってどうせ、ワインを取ってくれ、とか、晩飯はまだか、とかでしょ? わたし、今忙しいんだよね」


「カードの位置を動かすことにか?」


「そうそう。ソリティアって知ってる?」


「ソリティア? 一人で遊ぶんなら本でも読め。トランプなんかやってもいいことはないぞ」


「うっさいなあ。パパでもないのに子供扱いしないでよ」


 ジョンの言葉にプクーっと頬を膨らませて、オリヴィアは抗議する。それに生返事して、ジョンは彼女の隣に座った。机の上に置いてあるチラシを手に取り、その内容を軽く眺める。


「これは?」


「わたしたちの向かってる港で、大きなポーカーの大会があるんだって。ほら、お金はいるでしょ?」


「勘弁してくれよ。お前をそんな子に育てた覚えはないぜ」


「わたしも、ジョンに育てられた覚えはないけど。そこに書いてある賞金の額を見てよ」


 そもそもソリティアはポーカーの練習にはならないだろうなどと下らないことを思いながらチラシに目を向ける。オリヴィアの言う通り、チラシにはポーカーの大会について記載されていて、優勝した際の賞金についても書かれている。その賞金額を目に焼き付けてから、ジョンはそれをひらひらと振った。


「俺の全財産と同じだ」


「この船の値段ってこと?」


 オリヴィアの言葉に返事をせず、ジョンは立ち上がるとチラシをくしゃりと丸めた。


「あ! 何すんのさ!」


「俺はお前に賭け事をさせるためにこの船に乗せているわけじゃない。いいかこの箱入り娘、一つ聞け」


 ジョンの行動に立ち上がったオリヴィアの肩に手を置き、ジョンはオリヴィアの顔を正面から見据える。ジョンの眼に真剣な色が宿っているのを見て、オリヴィアは少したじろいだ。


「ガキが金のことを考える必要はない。とにかくお前は、勉強するか俺にワインを運んでいればいいんだ」


「もう勉強なんてうんざり。ジョンが何をやってお金を稼いでるか知らないけど、わたしだって同じようにやれるよ」


「金なんてちょっと頑張ればその辺りから湧いてくるもんだ。それともなんだ、俺がお前に金の面で不自由にさせたか?」


 ちょっとトランプをいじっているだけかと思えば、どうにも少し深刻な事態になりつつあるようだ。自分の子供を持ったことがないジョンには分からないが、子供とはこうも向こう見ずなものなのだろうか、とジョンは内心でため息をつく。


「ねえジョン、山賊からわたしを助けてくれたのには感謝してるけど、そもそもわたしは子供じゃないの。年齢だってもう十五歳だよ」


「十五はまだガキだ。金持ちの家を見ろ。学校とやらに通って勉強と遊ぶこと以外に何もしちゃいないぞ」


「ジョンって金持ちなの? 違うでしょ? この前だって、酒の量を減らすかってぼやいてたじゃない」


「聞いてたのか」


 参ったな、と肩を竦めてジョンは壁にもたれ掛かる。癖のある金髪をガシガシと掻いて、ジョンは大げさにため息をついた。


「だが今のお前に金を稼がせようとしてみろ。略奪団や詐欺師に好きにされて殺されるぞ」


 お前の住んでいた村がされたようにな、とジョンは心の中で呟く。


「そんなの、やってみなきゃわからないじゃん」


「俺にはわかるさ。さあ、明日には港につくんだ、早く寝ろ」


「ジョンは?」


「俺は天候が荒れないか見ておく。今日は夜から荒れそうな空をしてるからな」


「わたしには寝ろって言うのに、自分は寝ないで甲板に立ってるわけ?」


「座るさ。ほら、暗くなる前にな」


 ムッとした表情のオリヴィアを無理やりハンモックに叩き込み、トランプと灯りをつける器具を全て奪い取ると、ジョンは部屋を出て行く。暗くなっても手で探って行ける範囲にトイレはあるし、飲料水も備えてある。問題はないだろう。

 取ってきたものを自室の鍵付きの収納に入れて、ジョンは甲板に出た。もう陽が落ちるまでは一時間もない。ジョンは小さくため息をつくと、くしゃくしゃになったチラシを海へ投げ捨てた。


「あーあ、捨てちゃった」


 夕食にしようと持ってきていた干し肉を取り出した時、そんなことを言いながらオリヴィアが顔を出した。その手にジョンと同じく干し肉を持っている。


「勘弁してくれオリヴィア。そんな歳になっても寝かしつけてやらなきゃいけないのか?」


「わたし、まだ夜ご飯も食べてないんだよ。別にいいでしょ?」


「食べ終わったら……」


「ハンモックに戻れ、でしょ? はいはーい、わかりました!」


「全く……」


 オリヴィアに言われるまま船端を背もたれに座り込んだジョンは、干し肉だけの質素な食事を見て、次にオリヴィアの方を一瞥した。


「ん? どうしたの?」


「どうしたはこっちの言葉さ。どうして俺に寄り掛かって楽してるんだ」


「え? 駄目?」


「おいおい、俺はお前のあに……いや、別にいいか」


「ほんと?」


「船乗りに二言はないからな」


「やったっ」


 上機嫌に鼻歌を歌いながら身を預けてくるオリヴィアにジョンは苦笑して、そっと頭を撫でてやる。くすぐったそうにしながら破顔するオリヴィアを見て、ジョンはまるで犬みたいだなと思った。


「ねえジョン。なんでわたしに勉強させようとするの?」


「なんでって、そりゃあ必要だからさ。いつかお前が、どこかに住み始めるまでに、村の外での常識を身に付けなきゃな」


「いつか、どこかで、ね……。ねえジョン、あのさ……」


「どうした? オリヴィア」


「ジョンにとって……ううん、なんでもない」


 一つ質問しようとして、結局オリヴィアには質問できなかった。

 『ジョンにとってわたしは必要ないの?』と。

 ジョンは彼女に、村の外での常識とやらを教えようとする。いつか彼女が船を離れてどこかに住むときに必要だからだ、と言って。

 その時のことを考えるとオリヴィアの胸は苦しくなる。いつかジョンと離れなければいけないと、他ならぬジョンが言う。もしそんな時が来れば、それはオリヴィアにとって二度目となる『大切な人との別れ』だ。

 でも、もしジョンの船から離れる必要もなく一緒に旅をしていられるなら。一緒にご飯を食べて、航海の手伝いをして、夜はお酒を持っていったり、飲めるようになれば飲んでみたり。

 そしていつか船を降りて、どこかで一緒に農園でもやる時が来るかもしれない……。

 そう考えると、オリヴィアの心は暖かくなる。

 この暖かさは何だろう。この湧きあがる感情を何と呼ぶのだろうか。今は世話をされて、何も手伝うことは出来ないけれど、いつか自分がジョンに何か大切な手伝いをすることが出来れば、それはとても嬉しいと彼女は思う。


「ジョン……わたしね……ずっとこの船に……」


「オリヴィア? ……寝たか」


 こてり、とジョンの肩に首を預けて、オリヴィアは小さく寝息をかき始める。起こさないようにそっと彼女を抱き上げて、ジョンは彼女の部屋のへと足を運ぶ。静かに揺れるハンモックに彼女の身体を預けて、足音を立てないようにそっと甲板に戻った。


「ずっとこの船に……か」


 オリヴィアの寝る間際の言葉を思い出しながら、ジョンは上空に広がる星々を眺める。雲一つない空だ。どうやら、今夜は長くなりそうだった。






 港へ着いた後、ジョンはオリヴィアへ小遣いとして少々の金をやって自分は宿を取りに出た。それから彼はこの港町に住む知り合いの元を訪ねた。彼がこの港に訪れたのは旧知の友人から貸していた金を返してもらうためで、更に仕事を請け負うためでもあった。


「久しぶりだなエックス。お前にしては珍しく磯臭いな。山に帰ったらどうだ?」


「お前の方こそ芯まで染みついた鉄の匂いがプンプンしているぞ。……さて、お前からの手紙は受け取っている」


「そうか。なら俺の言いたいことは分かるな?」


 男、エックスはジョンの言葉を受けて無言で小さな麻袋を突き出した。中身を確認すると、中には金貨がぎっしりと詰まっていた。とはいえ、小さい袋なので量としてはそこまで多くはない。そもそもジョンには、他人にそんな多くの金を貸せるほど金銭的に余裕があるわけではなかったのだ。


「ついでに何か、運んでほしいものはあるかな。船の大きさから言って、あまり大きいものは無理だが」


「ああ。スパイスなんかどうだ?」


 エックスの口角が軽く釣り上がる。軽く、そして金になりやすいスパイスは稼ぐにはもってこいだ。同じように口角を釣り上げて、ジョンは大きく頷いた。


「いいね」


「詳細は宿にまで届けさせる。気をつけろよ。その……スパイスには危険が多いからな」


「ああ、もちろんだ。誰にも見せないさ」


 受け取った麻袋を肩にかけて、ジョンは大欠伸した。何しろジョンはまだ一睡もしていない。陽が沈む前から睡眠を取ったオリヴィアと違って彼は睡眠不足だった。


「お前の住むところには、相変わらずイカサマ師や詐欺師が集合するみたいだな」


 ジョンの知るエックスという男はあくどいヤツだった。開催するポーカーの大会には手勢のイカサマ師を数名参加させ、必ず勝てるようにしていた。そして、隙の多いヤツを見つけるとだまくらかして奴隷か何かとして売りさばく。参加料を高額に設定して、更に賞金の方もうんと高く設定しておけば、火に虫が誘われるように人がやってくるって寸法だ。


「チラシを見たのか? 最近じゃ、俺たちの開催するポーカーの大会には人が寄り付かなくなっちまった。そろそろ次の街へ移ろうかな」


「それがいいだろう。この港町の悪名はもはや全世界に広がりつつあるぞ。あそこでポーカーをやるのは、剥き出しの金を素手で持って歩くのと同じだってな」


「だが、俺たちも捨てたもんじゃないぜ。今日は何人かカモが入ったんだ。しかも、そのうち一人は若い女だ」


「カモ? お前達の馬鹿みたいに高い参加料を払ったヤツがいるだって? どうせいつもみたいにイカサマ師が集まっているだけだろう」


「それはないさ。カード繰りにも苦労してたからな」


 若い女、そしてカードの扱いにも苦労している。そう聞いた時、ジョンの脳裏に嫌な予感が走った。


「詳しく話せ」


「はあ? 一体どうしたってんだ?」


「若い女か。どんなヤツだ?」


 突然表情を険しくするジョンに怪訝な表情になるエックスだったが、その後に入る莫大な利益に思いを馳せたのかすぐ破顔する。指を三本立ててエックスは得意げになった。


「質の良さそうな布を身体に巻いた、変な格好をした女さ。まだ十代の半ばに見えたな。参加料、懐に持つ金、そして売りさばいた時の金……。褐色の女は高く売れるぜ。何せ珍しいからな」


「大会の進行状況は?」


「お前が来る直前に確認しに行ったが、二回戦目が開始するところだったな。その布を巻いたヤツはラッキーだったのか勝ち残っていたが、それ以外は全員イカサマの餌食さ」


「それで、負けたヤツを舌で言いくるめて、上手くいけば奴隷として売りさばく、か。ゲスの極みだな」


「そんなに褒められると困るぜ」


 ジョンは盛大に舌打ちした。間違いなくオリヴィアだ。布を身体に巻くという衣服は、彼女の村の伝統衣装と全く同じ。そして、褐色の女という言葉。エックスの肩に手を置いて、ジョンは優しく語りかけた。


「なあエックス。大会の場所はどこだ?」


「三軒先にある酒場だ。悪いが、もう参加はできないぜ」


「いや、その哀れな犠牲者のツラを拝みにいくだけだ。それじゃ、俺はもう行くぜ」


 そう言うや否やジョンは足早にその建物を後にする。腰だめの拳銃を意識しながら、ジョンは目的の建物へ向かって行った。






 オリヴィアがジョンの船に同乗するようになってから二年ほど経つ。十三歳だった彼女は船の上で二回の誕生日を迎え、その度に次の街で大きなケーキを買ってもらったことを、彼女はよく覚えている。

 ジョンがオリヴィアの出会いは、とてもじゃないが普通とはいえないものだった。何せオリヴィアの村は山賊に襲われて、既に彼女を残して殆どが殺されてしまっていたのだから。

 父と母は出会いがしらに切り殺され、逃がしてくれた兄も、直接目で確認したわけではないが生きてはいないだろう。そして山賊に追われた彼女は山へ続く道から走って逃げていたのだが、足を挫いてこけてしまい、絶体絶命の状況に追い込まれたのだ。

 後ろから銃で撃とうとしなかった理由をオリヴィアは知っていた。山賊などの野蛮な集団では、女はとても重要な役割を持つ。だからこそ彼女は必死に逃げていた。

 動けなくなったオリヴィアに山賊の男がゆっくりと近付く。その薄汚い手がオリヴィアの身体に向かって伸ばされた時、それは悪魔の手のように彼女には思えた。

 そして、その男の首筋を銃弾が貫いたのだ。弾丸を放った救いの主こそ、ジョンだった。彼はオリヴィアを抱え上げると脱兎のごとく駆けだした。腕には自信があるようで、実際のところ、ジョンが荒事で負けたところをオリヴィアは見たことがないが、それでも流石に山賊の群れを相手にするのは不可能なのだろう。

 なぜジョンがオリヴィアを助けたのかは、彼女には分からない。偶然通りかかったのだろうだろうが、普通なら隠れてやり過ごすだろうに。

 ともかくジョンはオリヴィアにとって命の恩人だ。その恩人は、オリヴィアに態度として見せることはなかったが、金銭面でかなり困っていた。

 助けたい。共に過ごすうちに、次第にその気持ちは大きくなっていった。かつては十三歳だったオリヴィアだが、ジョンの船で過ごすうちに十五歳になり、身長も大分大きくなった。まだジョンの肩までもないが、これからも伸び続けると信じている。そうなれば、ジョンの相棒として船を動かせる日もいつか来るはずだ。いつか来るかもしれない別れの時まで。そして、その時が来なかった場合は、死が二人を分かつまで。


「ポーカーの大会への受付を」


 オリヴィアは参加費用である金貨二十枚を握りしめてそう言った。


「はい、参加は受け付けております」


 賭け事のイメージに反して柔らかい態度をした男がオリヴィアの対応にあたる。だが案外そんなものかもしれない。強面の男を置いたところで客は怖がって逃げていくだけだ。

 ポーカーの役は覚えた。ジョンが見ていないところで、どういう風にプレイすればいいのか本は読みこんだし、参加費用として用意したお金も、いつか役に立てればと思って溜め込んできた虎の子の貯金だ。勝てば大金が転がり込むし、負けてもジョンに迷惑をかけることにはならない。


「ほら、参加費用の金貨二十枚」


「金貨二十枚……確かに確認しました。では、あちらの椅子にお座りになってください。すぐに始まりますよ」


 受付の男に促されるまま、オリヴィアはクッションの効いてふかふかとしたソファに腰をかける。海の上で過ごす日々ではとてもじゃないが使えないような椅子だ。


「やあ、君もポーカー大会に?」


 係りの男から渡された飲み物に口をつけていると、横合いから参加者と思われる男が声をかけてきた。若い男だ。賭け事の持つイメージとは違って中肉中背の、荒事慣れしてなさそうな普通の男のように見える。


「うん。あなたもそうなんだ」


「なんといっても賞金が凄い。ここで勝てば、何年も食べていけるからね」


 生涯の殆どを村の中で過ごし、船に乗るようになってからもジョンの元で保護されてきたオリヴィアには金の価値などわからない。しかし、その男の言葉でようやく大きな金をかけたゲームに参加するのだという実感が湧いてきた。


「ああ、緊張してきた」


「御嬢さんは、ポーカーには慣れてるのかい?」


「そこそこね」


 そんな言葉は嘘だ。幼い頃、異国のカード遊びだと村で何回かやったことがあるのと、ジョンの本を何冊か読みこんだだけだ。しかしポーカーは駆け引きのゲーム。ここで馬鹿正直に、わたしは初心者ですなどと言うと情報の面でアドバンテージを譲ることになる。

 幼い脳で考えた、意味のないブラフの言葉だ。


「僕は普段仲間内で少しやるくらいでね。参加費もそれほど高くないし、息抜きにやってみようと思ったのさ」


 金貨二十枚の参加費をそれほど高くない、と言い切った男に、オリヴィアは度肝を抜かれた。金貨は、一枚だけで豪勢な晩餐を楽しめるほど価値が高い貨幣として流通している。オリヴィアにとって参加料は、村にいた時の貯金と合わせてギリギリで工面できたお金だった。


「おっと……始まるみたいだね」


 しばらく男と世間話をしていると、店員に達したのか時間になったのか、係員の男が開始の声をあげた。くじによって分けられ、オリヴィアは世間話を交わしたその男とは別のテーブルに配置された。

 オリヴィアは配られた賭け札を手の平でこねくり回しながら、周囲を見回した。参加者達の殆どは男で、老人から少年までいた。女もいたが、それはオリヴィアと違ってかなり年老いていた。

 トランプが配られる。配られた手札を見て、オリヴィアは内心で微笑んだ。最初の手札から、既にストレートが出来上がっている。しかも数字が大きく、同じストレート相手でも打ち勝てる手札だ。『ツいている』としか言いようがない。

 それからオリヴィアは快進撃を続けた。単純に手が良かったり、相手の手が悪かったり。この場で幸運の女神に愛されていたのは、間違いなくオリヴィアだった。ポーカーフェイスも小手先の技術も必要ないくらいに。

 だが幸運の女神の微笑みに嫉妬する者がいた。そして小休憩を挟んだ二回戦目に、その牙を剥き出しにして、オリヴィアに襲い掛かったのだ。






 ジョンが試合会場に着いた時、オリヴィアはまだポーカーをしている最中だった。ジョンは大きく息を吐いて、椅子に腰をかける世間知らずのじゃじゃ馬へと近寄る。

 賭け札は殆どなくなりかけて、彼女の顔は真っ青になっていた。ジョンがその場に現れたことにすら気付いていない様子で、トランプと賭け札の間に視線を走らせている。


「探したぞ、オリヴィア」


 すぐ横まで近づいたジョンが囁くように言う。しかしオリヴィアの耳には届いていないようで、その言葉に反応することはなかった。

 何回か肩を叩いて、ようやくオリヴィアの意識がカードから現実へと戻ってくる。


「あ、ジョン! えっと、これは……」


「怒らないから安心しろ。思っていたより怖かったか?」


「……うん」


 振り向いてジョンの姿を確認したオリヴィアはまず安堵の表情を浮かべ、次に気まずそうに目を逸らした。そんな彼女の様子に、ジョンは小さくため息をつく。オリヴィアへの呆れや不満のためについたのではないが、彼女を威圧するには十分だったのだろう。不安で満ちた顔を作ってオリヴィアはジョンの顔を見上げた。


「こいつは連れて帰らせてもらうぞ。賭け事をやるにはまだ幼すぎる」


 オリヴィアの手を引いて椅子から立たせながら、ジョンはそう言った。


「いえ、それはできません。参加した以上は、最後の賭け札を失うまでゲームをやっていただくと規約に定められています。どうしてもと仰るのでしたら、違約金を払っていただいて、という方法もありますが」


 そう言ってくることは、ジョンにはわかっていた。違約金の存在もジョンは知っている。素人がやってきた場合、イカサマ師を使って心を折るまでポーカーをやらせる。そして、その後甘言を弄して騙し奴隷として売るか、適当な規約をでっち上げて刑務所へ売り飛ばすかするのだ。


「ああ、俺が変わる。参加費の金貨二十枚も払おう」


 エックスから受け取った麻袋から金貨を取り出して、ジョンは運営の男へ渡す。いかにも騙しやすそうな少女を失うのは痛手だが、それでも二倍の参加料だけでも十分に儲けとなる。男はジョンから金貨を受け取り、参加を許可した。


「船に戻れ、オリヴィア。今日中にこの港を出るぞ」


「いいの? ここで仕事を請けるって……」


「仕事なんてどこにでもある。まっすぐ戻れよ。わかったな?」


「…………ごめん」


 酒場を飛び出て走り去っていくオリヴィアを確認してから、ジョンはオリヴィアの――つまり、これから自分の手札となるカードを確認する。3のワンペア。このイカサマ師達を相手にするには力不足だ。


「じゃ、カードを変えさせてもらおうかな」


 カードの交換を含むあらゆる雑事を済ませて手札を公開する段階に入った時、ジョンの口元には笑みが浮かんでいた。運営の男の言葉と共に手札を公開する。

 ジャックのフォーカード。この中では最強だ。

 ジョンの出した手を見て、ディーラーを含む殆ど全員がぎょっとした表情をした。ジャックのフォーカード。それは、今のジョンでは決して出しえない手札だったからだ。


「どうした? 豚が騎士に変身するのでも目撃したのかな?」


「……どうってことはない。続けよう」


 即座に平静を取り戻した一人の男が言う。ジョンがオリヴィアよりいくらか手ごわい相手であることは、この時点で全ての者が認識していた。


「スペードのフラッシュだ。ついているみたいだな」


 次の勝負でもジョンの勝ち。配られた時点ではただのブタだったが、次の瞬間にはその手札は変わっていた。まるで魔法でも使ったかのように。


「君、イカサマでもしてるんじゃないかね」


 二度目。二度目の敗北に、他の参加者はいらだっていた。何せディーラーはブタの手札を渡したはずなのだ。にも関わらず、次の瞬間には役が出来上がっている。イカサマとしか思ない。


「俺がイカサマ? どうやるんだ。リストバンドは着けてないぜ」


 懐から取り出した葉巻に火を付けながら、ジョンは男の言葉に対してうそぶく。逆に言いがかりをつけてきた男が着る服の袖に視線を向けた。


「イカサマしているのはお前じゃないのか? 袖に入れた切れ込みにカードを隠しているだろう」


「ふざけた口を聞くなよ若造。全く失礼な奴だ」


 ジョンの言葉に男は憤る。その怒りに任せて詰め寄って胸倉に掴みかかってくる男を、ジョンは手を捻ってテーブルに押さえつけた。

 暴れる男の腕をさらに強く捩じり上げて動きを止めさせたジョンは、目を付けていた場所からイカサマ用のトランプを引っ張り出す。キングのフォーカードがスリットの中から貌をのぞかせた。


「これはお守りか? 洒落ているな。ディーラー、イカサマをした時の違約金をこいつから貰え。金貨百枚だったかな」


「いえ……悪質でなければ厳重注意で済ます、という風に」


「こいつは無実の俺に対してイカサマのレッテルを貼り、更には自身がイカサマをやっていたんだぜ? どう考えても悪質だろう」


 ジョンに突っかかってきたこの男が、エックス達主催者側が雇ったイカサマ師であることはジョンには見抜けていた。凄腕のイカサマ師を常駐させて、賞金に釣られてやってきた一般人やイカサマ師を刈り取るのが、エックスの稼ぎ口の一つであることを知っているからだ。

 容赦をする必要などない。捻り上げた腕に更に力を加えて、へし折らんとばかりに負荷をかける。苦痛に耐えかねた男の口から唸り声が漏れ出した。

 仲間の危機に耐えかねたのか参加者の中の数人が拳銃を取り出すのを確認して、ジョンは肩を竦める。小さく息を吐きだして一気にへし折り、ジョンは席を立った。


「伸るか? それとも反るか。好きにしな」


「貴様、生きて出られると思うなよ! 娘の方も奴隷市場で売り払ってやる!」


「本性が出たか。あれはいい商売になるからな」


 オリヴィアは俺の娘ではないが、と内心で呟きながら、ジョンは周囲を見回す。拳銃を持って臨戦態勢となった数人の男達。そして、憲兵を呼ぶこともなく高みの見物を決め込むその他大勢。

 そしてまだその場に残っていた、怯えて縮こまる数少ない一般人の姿がジョンの視界の隅に映った。

 随分と短気なことだが、既にジョンに危害を加える、最悪の場合は殺すという段階へシフトしたようだ。ジョンが知る限り、エックスはこれほど喧嘩っ早いやり方をしてはいなかった。ということは既にこの店は彼の手から離れ、ただ利益だけを受け取っている状態なのだろう。


「ジョンとか呼ばれていたな。お前の身体は魚の餌に再利用してやる」


「やめとけよ。魚が腹壊しちまう」


 ジョンの指がピク、と動く。男達が反応し、引き金を引こうとする。

 次の瞬間には、ジョンの右手に拳銃が握られていた。周囲の男達は、何が起きたかわからないという風に困惑する。しかし、ことは全て終わっていたのだ。

 胸に空いた銃創からゆっくりと血が出て衣服を染め、それと同時に男達は拳銃を地面に落とし倒れ伏す。


「……さて、もう帰っていいかな? オリヴィアが心配してる」


 男達を一瞬のうちに的にする早撃ちを披露したジョンは、銃口を上に向けて大あくびをしながらディーラーに問い掛ける。この数分の間に出た人的資源に対する被害に顔を青くした彼は、言葉も出ない様子で何度も頷いた。






 今日は一日中いい天気になりそうだ。甲板の上でパンをかじりながらジョンは欠伸をした。

 酒場を後にしたジョンはすぐに船を出し、他の港へ向けて船を走らせていた。エックスから請け負ったスパイスを運ぶ仕事は惜しかったが、背に腹は代えられない。

 あの店はエックスとの関係を弱めているようだったし、ほとぼりが冷めてから仕事を強請りに行こうか、などとジョンは考えながら座り込む。


「オリヴィア、ちょっと来てくれ!」


 甲板からでも届くように大きな声でジョンは呼ぶ。しかし、足音も聞こえなければ返事も返ってこない。おかしいなと思った彼は、今いる部屋を出て普段オリヴィアが過ごす部屋に足を踏み入れる。


「まだ寝てるのか? いい天気だから、甲板まで来いよ」


「……どこに座ったまま寝るヤツがいるのさ」


「これは失礼。てっきりお前がそうなのかと思ったよ」


 毛布にくるまって椅子に座るオリヴィアを見てジョンは僅かに眉を潜める。彼女からの言葉に生返事をしながら、ジョンは隣の椅子に腰をかけた。


「……何も言わないの?」


「いい天気だ、って言いに来ただろ?」


「そうじゃなくて、その……」


「気にするな。若いうちはみんなあんなもんさ」


「また子供扱い?」


「子供だからな」


 葉巻を取り出し火をつけて、ジョンはゆっくり煙を吐き出した。煙の匂いを口の中で転がし、肺に入れることなく空中へと吐き出す。

 それを見てオリヴィアは少し意外そうな表情をした。


「煙草、吸ってたんだ」


「ん? ああ、お前の前で吸うのは、これが初めてだったかな」


「たまに匂ってたよ」


「そうか」


 ジョンは煙草の類いの常習者であったが、オリヴィアを船に乗せるようになってからその消費量はめっきり減っていた。煙草の健康に対する有害性が叫ばれるようになり、健康への被害を危惧したからだ。

 自身の健康は、ジョンにとってはそれほど重要ではない。大切なのはオリヴィアの健康だ。その一点に尽きる。


「なんで昔は吸っていたの?」


「なんで? なんでだろうな……」


 ジョン自身にもわからなかった。酒。煙草。ギャンブル。人間に危害を加えうる、この世の全て。果たしてそれらに、リスクと天秤にかけてまでの価値があるのだろうか。


「怖かったからかもしれないな」


「怖い? 何が怖かったの?」


「自分が」


「自分が怖い? どういうこと?」


「さあて。それが分かれば苦労はしない」


「また煙に巻くようなことを言って……」


「大真面目さ。少なくとも、今はな」


「よくわかんない」


 オリヴィアの言葉に何も返さず、ジョンはゆっくりと立ち上がった。

 なぜこのような話をしたのか、ジョン本人にも明確に理由を説明することは難しい。だが、隠し事をしている人間が子供から保護者として認められることはそうそうないのではないか、と彼は思ったのだ。


「オリヴィア、この船での暮らしは楽しいか?」


「うん。最高だよ」


「そうか。俺もさ」


 ジョンは立ち上がって大きく伸びをした。甲板に行こうとオリヴィアに呼びかけて、二人で部屋を出る。


「ねえ、ジョンってわたしと会う前は何をやってたの?」


 舵を取って進路を定めなおすジョンに、オリヴィアは問い掛けた。彼女がジョンと出会ったのは二年ほど前。それより前、ジョンがどのような生活を送っていたかをオリヴィアはまだ知らない。

 一人で船を動かす能力。荒事に長け、どこからともなく生活費を工面してくる能力。何をすればそんな能力を身に付けられるというのか。小島にある辺鄙な村でひっそりと生きてきたオリヴィアには、まるで想像もつかなかった。

 ジョンはゆっくりとした動作で、大きく煙を吐き出した。


「それは……」


「それは?」


「…ま、そのうち話すさ」


 いつか話さなければならないだろう。単なる友人や恋人ならばその必要はないかもしれない。しかしジョンは彼女の保護者だ。父親であり、扶養者である。隠し事は出来ない。


「だから、それまで危ないことはするなよ」


「それからはいいの?」


「それからも駄目だ。そうだな……今度、仕事の手伝いでもしてもらおうかな」


「ほんと?」


「本当さ。お前を好きにさせておくと、何が起こるかわからないからな」


「う……ごめんなさい」


 小さく笑ってジョンはポケットから懐中時計を取り出した。そろそろ夕食の時間になる。ジョンは進路を固定して、貯蔵室へ向かった。


「ねえねえ、次はどこに向かうの?」


 親の後ろを歩く子アヒルのようにジョンの後ろに付いて歩きながら、オリヴィアが質問する。乾パンとワインを取り出しながら、ジョンは鼻歌交じりに答えた。


「観光地さ。少し休んで、海水浴でもしよう」


「観光地?」


「ああ。嫌か?」


「ううん。そういうところに行くの、初めてだから。お金は大丈夫なの?」


 オリヴィアの知る限り、彼女をポーカーの会場から逃がすために彼は金貨を二十枚も無駄に使ってしまっていたはずだ。金貨一枚で豪華な夕食を楽しめるほどの価値がある。それを二十枚も失って、それから観光地に行くだけの余裕があるのだろうか。



「幸い臨時の収入があってな。金貨にはある程度、余裕がある」


 ジョンの言葉を受けてオリヴィアは安堵の感情を明らかにする。金貨二十枚という多額な浪費に耐え、なおかつ観光地で羽休みできるほどの臨時収入があるならば、しばらくは大丈夫だろう。


「ねえ、どんなところに泊まるの?」


「そうだなあ……海辺の小奇麗なコテージでも借りるか。従業員に食事を運ばせて、俺達は一日中遊び回るってのはどうだ?」


「最高だね!」


 これからに期待を膨らませ満面の笑みを浮かべるオリヴィアを見て、ジョンも釣られて口角を上げた。彼女が嬉しいと彼も同じように嬉しくなるのは、これが父性というものだろうか。保護者としては未熟極まりないジョンにはよくわからないが、少なくとも悪い心の動きではないことは確かだろう。

 目的地までは船で数日程度かかる。それまで睡眠もそこそこに船を走らせ、波に気を使う必要があるのだが、そんなことはもはや彼にとって大した負担ではなかった。


「あ……ねえジョン。一つ、言いたいことあるんだ」


「言いたいこと? なんだ、言ってみろ」


「それはね……」


「それは? 全く、あんまりもったいぶるなよ」


「わたし、ジョンのことが大好きだよ」


「大好きだって? 俺もそうさ」


「…………そう? なら良かった」


 オリヴィアには分かっていた。彼女の言う『好き』と、ジョンの言う『好き』がまるで違う意味の言葉であることを。

 一人の男と一人の女を乗せて船は走る。その行き先は、彼ら二人しか知らないことだった。


個人的な萌えシチュエーションを文章にしただけ

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