Day 365 救い
「この世界に来て今日でとうとう1年か……」
スタディルの自室でそう呟く。
この事は明日からいつ魔王が出現してもおかしくないことを意味している。
この日までにできる事は全てした。レベルも92まで上がり、装備もAランク相当の物が揃っている。
「問題はどんな形で魔王が現れるか分からないってことか」
一応文献を読み漁ったり、遺跡を再調査したりしてみたが魔王について詳しく知る事はできなかった。ただ魔王が出現すると魔物が活発化することと22体の眷族がいることは分かった。これだけでも大きな収穫だ。
「なんにしても生き残ってみせるさ。 直人さんとの約束は守りたいし……」
精一杯生きろ。そして本当に信じられる人と結ばれて幸せになれ。 それが俺の伯父、影野直人が遺した遺言だ。
俺の伯父に引き取られるまでの境遇、伯父の境遇、どっちも酷いものだった。それに直人さんには多大な恩がある。だからこそこの遺言は果たしたい。俺に出来る最後の手向けでもあるから。
「さて、できる限り薬を調合しておくか」
沈みそうになった気持ちを切り替え薬の調合をしようと思った時ドアがノックされた。
時間はもう夕方で、雨も降っていて気温も低い。誰だと疑問に思いつつ扉を開けるとそこには神田の姿が。
連れがいないことに疑問を感じつつとりあえず中に入れる。【便利魔法】の《アンブレラ》を使ったのか濡れてはいないが体が冷えているからだ。
「どうしたんだ神田? 明日からに備えて薬を補充しに来たのか?」
ココアを渡しながらそう尋ねたが、神田は首を横に振り、沈黙を保つ。
そのまま時間だけが過ぎ気まずくなってきた頃何かを決意したように神田が口を開いた。
「影野くん、明日から何時魔王が出てきても不思議じゃないよね」
「ああ、あの光球の話が本当だとしたらそうだな」
「魔王を倒すまでこんなにゆっくりと落ち着いて話せるのは今日が最後だと思う。 だから言いに来たの。 影野くん私は「それ以上は待ってくれ!!」――っ!?」
思わず話の途中に割り込む。だけどそれ以上を言わせてはいけない。
「それ以上は駄目なんだよ。 俺は女性を信じられない。 いや、これだと語弊があるな。 俺は恋愛対象としての女性を信じることができない」
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「それ以上は駄目なんだよ。 俺は女性を信じられない。 いや、これだと語弊があるな。 俺は恋愛対象としての女性を信じることができない」
そう言って影野くんは語りだす。私がまだ知らなかった影野くんの心の中の闇、傷を。
「俺の血液型はAB、母はA型……父はOだ」
「っ!!? それって……」
その言葉に思わず絶句する。A型とO型の間に産まれる子供はAかO型で、AB型の子供は産まれないはず。つまり影野くんは……
「俺は父親とは血がつながっていない。 母親が強姦されたのか不倫したのかは真実を知る前に両親が亡くなったから知らないが、他の男との間でできた存在だ。 養子や連れ子っていう可能性はないぞ。 そこはしっかり調べたからな。 伯父はその事実を知っていたみたいだけど、何も言わず血縁関係が存在しない俺の面倒を見てくれた。
それは俺がある意味伯父と同じ――裏切りの被害者だったせいかもしれないけれど、その事は本当にありがたかったよ。 実の両親は世間体を気にして離婚をしなかったくせに俺を虐待したからな。
ああ、裏切りの被害者っていうのは俺の伯父は婚約者に手ひどい裏切りを受けたんだよ。 だから真実を知った時伯父には本当に感謝した。 俺は裏切りの被害者であると同時に裏切った証でもあるからな」
そう言って影野くんは自嘲する。
そういえばゴブリンに女の子が犯されている時すごく怒っていた。それに厭らしい眼で盗賊が私を見てきた時、影野くんが纏っていた空気が変わっていた気がする。
もしかしたら自分は強姦されたせいで産まれたのかもしれない。その思いがそういう反応として出ていたのかな。
「母親に伯父の婚約者。 俺の人生の一部と伯父の幸せは2人の裏切りによって壊された。 その事実を知ったせいで信じられないんだよ!!
……友人関係ならまだ少しは信じることができるし、お前と佐藤のおかげで人間不信も改善もしたよ。 けど恋愛対象になったら駄目なんだよ。 碌に愛情を受けずにここまで育った!! 下手にそんなのを向けられて裏切られたら俺はっ…耐えられないんだよ………」
普段の冷静な姿は見られずそう喚き散らす影野くん。
父親と伯父。影野くんにとって身近な2人が恋人や奥さんに裏切られている。怖がるのも仕方ない。
けど彼の心を癒せるのは、十分に愛情を注げるのは影野くんが信じられない恋愛対象の女性だけ。 佐藤くんも言っていたように影野くんは愛情に飢えている。 そんな影野くんに愛情を向けた人が裏切ったら反動が大きい分彼の心は壊れてしまう。 ……絶対に裏切らない愛情を与えてくれる女性、それが彼には必要なんだと思う。なら私は……
「私は……私は裏切らないよ! ずっと側にいるから!! 影野くんとずっと一緒にいるから!!」
「っ!? …………俺は地球に還らないぞ。 一緒にいるってことの意味を理解しているのか!? 覚悟も無しにそんな事を言うな!!!」
私の言葉に影野くんは一瞬動揺したけどすぐに怒鳴り返してくる。けど、それは虚勢にしか見えなかった。必死に自分を守ろうとしているだけにしか。
それはなんて悲しい事なんだろう。気がついた時には私は耐え切れず影野くんの頭を抱きしめていた。
「……此処に来る前にいっぱい考えたよ。 そして決めたの、私もこの世界に残るって。家族に2度と会えなくなってでも影野くんと一緒にいるって決めたの…… 今はまだ信じなくてもいいよ。 ただずっと側にいる。 あなたが信じて受け入れてくれるまで。 そしてあなたが信じた後ゆっくり、少しずつでも、私が癒すから……」
その状態のまま宥めるよう、諭すように影野くんに告げる。ずっと側にいると。
「俺…俺は…………信じてもいいのかな……救われても………いいのかな……?」
その言葉はとてもか細くて……けど、私の耳にはしっかりと聞こえて……
答えを言う代わりに抱きしめる力を強め、ゆっくりと頭を撫でる。
「大丈夫……大丈夫だから………」
「うっ…うわぁ……ああぁ………」
堪え切れなくなったかのように影野くんは嗚咽を漏らし始めた。そういえば影野くんが泣く所は初めて見るかもしれない。
「あ…ああぁぁ………うわあぁぁぁ!!」
そして段々と、今まで溜め込んでいたものをすべて吐き出すかのように激しくなる。今の影野くんの姿はまるで母親に縋り付く幼子の様で……
それがとても切なく、愛しく思える。
(ああ、この選択肢を選んだのは間違いじゃ無かった。 私は影野くんとずっと一緒にいよう。 そして影野くんと……)
私は影野くんが泣き止むまで優しく頭を撫で続けた。影野くんが受ける事が無かった愛情を少しでも多く感じるように……




