追憶
今は亡き影野の伯父、影野直人の視点です。
時系列的には飛ばされる2年前になります。
「ただいま」
「おかえりなさい、直人さん。 すぐに夕飯の準備しますね」
そう言って下拵えが済んでいる料理を次々と仕上げる悠人。仕事で疲れている身としては本当にありがたい。
両親を事故で亡くした悠人を引き取ってから早6年。当時8歳だった悠人も今では中学3年となり、帰りが遅い私のために夕飯を作って待ってくれている。
婚約者に裏切られ、人間不信に陥っていた私が裏切りの象徴と言える彼と暮らしている事を考えると時々可笑しく感じてしまうが……
彼の瞳には私に近しいものを感じる。他人を信じ切ることができない暗い翳がある。
今では少しましになったようだが去年の一時期は本当に酷かった。ふと、当時の事を思い出す。
きっかけは私が家に帰り着くなり悠人が聞いてきたことだ。
「……直人さん、父の血液型は………」
そう尋ねてきた悠人の顔は暗く、酷いものだった。
そんな悠人に真実を教えるべきか迷った。しかし私は嘘をつく事が出来なかった。
「……君の考えている通りであっていると思うよ」
「そう、ですか…… つまり直人さんと俺は………」
私の答えを聞いた悠人は思い違いであって欲しかった事実を理解し、絶望していた。本来なら彼を慰める言葉を発するべきだったろう。しかし私にはかける言葉が見当たらなかった。
僅かな静寂の後、悠人は頭を振り、
「……夕飯の準備はできています。 今日はもう寝るので洗い物は流しに置いてください。 では……」
とだけ言い残して自室に去っていった。その後、彼の部屋から時折叫び声が聞こえてきたが、結局私は彼に何も言ってやる事が出来なかった。
その日以来悠人の人間不信は深まり、荒れた時期が続いた。その一方で私に対しては余計に気を遣うようになった。
悠人は聡い子だ。あの事実を知ったせいで私への申し訳なさと受けた恩に対する感謝がごちゃまぜになり余所余所しさを感じる程気遣ってきた。
私には荒れた彼を救ってやる事が出来なかった。彼を救ったのは中3になってから同じクラスになった佐藤浩一君だった。
救ったと言っても完全に傷が癒えたわけではなく、せいぜい荒れる前と同じぐらいにまで戻した程度だ。それでも本来私がすべき事をしてくれた佐藤君には深く感謝している。
私が悠人を救ってやれなかったのは人間不信なせいでコミュニケーション能力に難があったことが原因だった。悠人は同じ人間不信気味でも、ビジネスライクな接し方で上手く他者と関わっているというのに……
ただ彼より酷い人間不信だからこそ分かる事もある。悠人はまだ引き返せる、その傷を癒す事が出来ると。
そのためには心を許せる存在が必要だ。現時点だと佐藤君が候補か。二言目には馬鹿と悠人に言われているが、そこには気安さがある。今現在最も親しい間柄だろう。
しかし彼の傷の大元は愛情を受けずに育った事だろう。私が人間不信のせいで引き取った後も碌に愛情を受けなかったことも原因の一端にもなっているのが歯がゆい。
だからこそ真に悠人を癒し、救えるのは彼を真摯に愛し、裏切らず、心の闇を受け止めてくれる女性だろう。そんな子が悠人の前に現れてくれる事を願う。
「――さん、直人さん。 夕飯の準備ができましたよ」
悠人の呼び声を聞いて回想を中断する。目の前には美味しそうな料理が並んでいた。いつものことながら上手いものだ。
出された料理を食べながら思う事がある。それは自分の体の事だ。
最近体の調子が悪い。今度の休みに病院に検査をしに行くつもりだ。重い病気に罹っていない事を祈る。
もし私が亡くなる様な事になったら悠人はどうなるのだろうか?
私には彼の存在が一種の救いになっている。色々と世話を焼いてくれる悠人の存在はありがたい。
だからこそ、せめて彼が救われるまで見届けたい。悠人の傷が完全に癒える事があるのなら私もまた救われた気持ちになるから……




