『銀貨一枚で捨てられた令嬢ですが、私を拾ってくれた公爵家と国一番の大商会を築きます』
〜第一話 銀貨一枚の価値〜
「ロザリー。お前には今日限りでこの家を出ていってもらう」
伯爵家の応接室。
父であるアシュフォード伯爵の口から告げられた言葉に、私は静かに目を伏せた。
目の前のテーブルには、銀貨が一枚置かれている。
「……理由をお聞きしても?」
「アンジェが正式にこの家の娘として認められることになった。お前の居場所はもうない」
アンジェ。
父が後妻を迎えた際に連れてきた義妹だ。
母が亡くなってからというもの、父はアンジェを溺愛するようになった。
最初は小さなことだった。
私の誕生日に用意されていた贈り物がアンジェに渡され、母の形見のドレスもアンジェが欲しがったという理由で取り上げられた。
やがて父は私に伯爵家の仕事を押しつけるようになった。
商会との取引、領地の収支管理、税の徴収、使用人の給金の管理。
本来なら父や執事が行うべき仕事の大半を、私は十代の頃から担ってきた。
それでも、家族の役に立てるならと頑張ってきた。
けれど。
「お父様。私はこれまで伯爵家の経営を支えてきました。取引先との契約も、領地の収益改善も、私が担当していたはずですが」
「だから何だ?」
「私がいなくなれば、少なからず影響が出ると思いますが」
父は不快そうに眉をひそめた。
「自分の功績を誇るつもりか? お前の代わりなどいくらでもいる」
その言葉に、私は小さく息を吐いた。
どうやら父は本当に理解していないらしい。
私が築いてきたものが何なのかを。
「そうですか」
私はテーブルの銀貨を手に取った。
「では、ありがたく頂戴いたします」
「……何だと?」
「アンジェがそんなに大切なのでしょう? でしたら、私が持っていたものは全て差し上げます」
私は微笑んだ。
「ただし、私が公爵家や商会との取引を通じて築いてきた個人的なご縁まで、引き継げるとは思わないでくださいね」
「何を偉そうに!」
父の怒声が響いた。
その隣では、アンジェが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「お姉様、今までありがとうございました。これからは私が伯爵家を支えますわ」
「ええ。頑張ってくださいね、アンジェ」
私はそれ以上何も言わず、応接室を後にした。
振り返ることはなかった。
もう、この家に未練はなかった。
◇
〜第二話 私を迎えてくれた家族〜
伯爵家を出た私は、手元にあるわずかな荷物と銀貨一枚を頼りに街へ向かった。
幸い、私はこれまでの仕事である程度の人脈を築いていた。
その中でも、特に親しくしていた人物がいる。
それが、王国でも有数の権力と財力を持つヴァレンシュタイン公爵家だった。
公爵家とは、私が伯爵家の商談を担当していた頃から取引があった。
公爵夫人は私を気に入ってくださり、商談のたびにお茶に誘ってくれた。
私は迷った末、公爵家を訪ねることにした。
「ロザリー嬢? いったいどうしたのですか?」
出迎えてくれた公爵夫人は、私の荷物を見るなり驚いた。
私は事情を説明した。
伯爵家を追い出されたこと。
銀貨一枚しか渡されなかったこと。
そして、これまで担当していた取引からも手を引くことにしたこと。
話を聞き終えた公爵夫人は、静かに私の手を握った。
「そんな……あなたは、あれほど伯爵家のために尽くしていたのに」
「私の力が足りなかったのでしょう。仕方ありません」
「そんなことはありません!」
公爵夫人の声に、私は顔を上げた。
そこへ公爵もやってきた。
「ロザリー嬢。君は我が家にとって大切な取引相手であり、信頼できる友人だ。もし行く場所がないのなら、ここにいてくれないか?」
「ですが……」
「もちろん、ただの客人としてではない。私たちは君を家族として迎えたいと思っている」
ーー私は言葉を失った。
家族。
その言葉を、私はどれほど長い間聞いていなかっただろう。
「私で……よろしいのでしょうか?」
「君だからこそ、だよ」
公爵夫人は私を抱きしめた。
その温もりに、堪えていた涙がこぼれ落ちた。
後日、正式な手続きを経て、私はヴァレンシュタイン公爵家の養女となった。
新しい家族は、私をロザリーという一人の人間として受け入れてくれた。
だからこそ、私は決めた。
この家族に、必ず恩返しをしよう。
私にできる全てを使って。
◇
〜第三話 眠っていた商才〜
公爵家に迎えられてから一か月。
私は公爵に一つの提案をした。
「公爵様。現在の商会の帳簿を拝見してもよろしいでしょうか?」
「構わないが、何か気になることでも?」
「少し、改善できる部分があるように思いまして」
私は帳簿を受け取ると、数日かけて徹底的に調べた。
すると、いくつもの問題が見つかった。
輸送費の無駄、仕入れ先の偏り、利益率の低い契約、さらには長年見直されていない商業ルート。
どれも小さな問題に見えるが、積み重なれば大きな損失になる。
「公爵様。こちらの契約を見直し、新しい交易路を開拓したいのです」
「具体的には?」
私は地図と資料を広げた。
「南方の港町と直接契約を結びます。現在は仲介商人を三社挟んでいますが、直接取引ができれば輸送費を大幅に削減できます。また、帰りの船に別の商品を積めば、空荷で戻る必要もありません」
公爵は資料をじっと見つめた。
「……面白い。だが、相手が簡単に応じるとは思えないな」
「大丈夫です。先方の商会長とは以前から面識があります」
私は微笑んだ。
「少々、お話ししてまいりますね」
ーー数日後。
南方の商会との契約は無事に成立した。
しかも、当初の予想を大きく上回る好条件で。
その後も私は次々と新しい取引をまとめていった。
私の強みは数字を読む力だけではない。
相手が何を求めているのかを理解し、相手にとっても利益のある提案をすること。
そして何より、人と人との信頼関係を築くことだった。
商談相手が怒っていれば、まずは話を聞く。
困っている相手には、可能な範囲で手を差し伸べる。
利益だけを追い求めず、長く付き合える関係を大切にする。
いつしか商人たちの間で、私の名前が知られるようになった。
「ロザリー様となら、安心して取引ができます」
「彼女の紹介なら間違いありません」
「一度お会いすると、また会いたくなる不思議な方ですな」
気づけば、私の周囲には多くの人が集まっていた。
そして一年後。
ヴァレンシュタイン公爵家の商会は、王国内でも指折りの規模へと成長していた。
◇
〜第四話 今さら戻ってきてほしい?〜
一方、その頃。
アシュフォード伯爵家は深刻な問題を抱えていた。
ロザリーがいなくなったことで、商会との契約が次々と打ち切られていたのだ。
今まで当たり前のように続いていた取引は、実はロザリー個人への信頼によって成立していたものだった。
父は慌てて新しい商人を探したが、誰も以前と同じ条件では契約してくれない。
領地の収益は減り、商会の資金繰りも悪化した。
「どういうことだ! なぜ誰も我が家と取引をしない!」
父の怒声が執務室に響く。
アンジェは不安そうに父を見つめていた。
「お父様……ロザリーお姉様に戻ってきてもらえばよろしいのでは?」
「そうだな……あいつなら何とかできるはずだ」
父はすぐさま私に手紙を送った。
内容は、伯爵家の危機を救うために戻ってきてほしいというものだった。
私はその手紙を読み、思わず笑ってしまった。
「まあ。今さら戻ってきてほしいだなんて」
公爵夫人が心配そうに尋ねる。
「ロザリー、どうするの?」
「もちろん、お断りいたします」
私は返事を書いた。
『お父様。
私を銀貨一枚で追い出したことを、もうお忘れになったのでしょうか?
私は現在、ヴァレンシュタイン公爵家の人間です。
アシュフォード伯爵家とは何の関係もございません。
どうかアンジェ様と力を合わせて、これからの伯爵家を支えてくださいませ。
ご健闘をお祈りしております。
ロザリー』
手紙を読み終えた公爵は、苦笑した。
「なかなか手厳しいな」
「ふふっ。私はただ、父の望みを叶えて差し上げているだけです」
「望み?」
「私の代わりはいくらでもいるとおっしゃっていましたから」
公爵夫妻は顔を見合わせて笑った。
◇
〜第五話 第一王子からの求婚〜
それからさらに数年。
ヴァレンシュタイン公爵家の商会は、王国のみならず隣国にまで交易網を広げていた。
私は新しい事業を次々と立ち上げ、商会の利益だけでなく、雇用の創出や地方都市の発展にも力を入れていた。
利益を独占するのではなく、関わる人々全員が豊かになる仕組みを作る。
それが私の経営方針だった。
そして、ある日の王宮舞踏会。
私は第一王子であるエドワード殿下から声をかけられた。
「ロザリー嬢。少しお話ししてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます、殿下」
殿下は私の商才だけでなく、商人や職人、使用人たちにも分け隔てなく接する姿を評価してくださっていた。
「あなたは本当に不思議な方ですね」
「不思議、でございますか?」
「王国でも有数の財力を持ちながら、少しも偉ぶらない。むしろ、あなたは誰かの役に立つことを何より喜んでいるように見える」
「私を支えてくださる方々がいるからこそ、今の私があるのです」
殿下は微笑んだ。
「あなたと一緒に、この国をより豊かにしたい。そう思っています」
ーーそして数日後。
第一王子から正式な求婚が届いた。
公爵夫妻は大喜びだったが、私は少しだけ考え込んでしまった。
「公爵様、公爵夫人。私はもう十分に恩返しができたのでしょうか?」
公爵は笑った。
「ロザリー。君はもう十分すぎるほど我々に返してくれたよ」
公爵夫人も私の手を握った。
「これからは、あなた自身の幸せを考えていいのよ」
私は二人の顔を見つめ、微笑んだ。
そうか。
今度は自分の幸せを考えてもいいのか。
「では、殿下のお話をお受けしてみようと思います」
こうして私は、王国の経済を支える商人として、そして第一王子の婚約者として、新たな人生を歩み始めることになった。
◇
〜最終話 銀貨一枚から始まった奇跡〜
数年後。
私は王太子妃となり、王国の経済改革に携わっていた。
新しい商業法の制定、地方都市への投資、孤児や貧困層への雇用支援。
商会で培った経験を生かし、国全体が豊かになる仕組みを少しずつ整えていった。
国王陛下からも信頼され、商人たちからは「王国の守護女神」と呼ばれるようになった。
一方、アシュフォード伯爵家はというと。
取引先を失った影響は大きく、借金を重ねた結果、領地の一部を手放すことになった。
最終的には爵位も返上し、平民として暮らすことになったらしい。
ある日、王宮の庭園でその知らせを聞いた。
「ロザリー様、元ご実家の方々から面会の申し出が届いております」
侍女の報告に、私は紅茶を一口飲んだ。
「そう。お断りしておいてください」
「よろしいのですか?」
「ええ。もう私には関係のない方々ですから」
私は窓の外を眺めた。
銀貨一枚で追い出されたあの日。
あの時は、まさか自分がこんな未来を手に入れるとは思わなかった。
けれど、今ならはっきりと言える。
あの日、私は全てを失ったのではない。
自分を大切にしてくれない家族から解放され、本当に大切にしてくれる人々と出会えたのだ。
「ロザリー」
振り返ると、第一王子である夫が立っていた。
「また仕事かい?」
「ええ。でも、もうすぐ終わりますわ」
夫は笑いながら私の手を取った。
「たまには二人でゆっくり過ごそう」
「ふふっ。そうですね」
ーー私は微笑んだ。
銀貨一枚から始まった私の人生。
その価値を決めるのは、私を捨てた人たちではない。
私自身なのだから。
――完――




