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終活相談所 所長 有馬幸子

作者: 佐伯 波琉
掲載日:2026/06/25

終活相談所 所長 有馬幸子

「……ふぅ、やれやれ」

幸子は手元の水晶玉をそっと覗くき目の前の依頼者を見直した。

「生年月日は、と。お名前の画数は、と……。星の巡りはどうかしら? タロットは? そうね……。まず、お家の方角は……。うーん」

そこまで頭の中でさっきの鑑定を反芻し、小さく息を吐き出す。

「お孫さんはまもなくいい人ができそうです、ご安心を。……ってね」

「幸子ちゃんありがとうね ひ孫ができたら楽しみだわー」

幸子「…………」

「はいこれね」と鑑定料を払うとそそくさ帰っていく。

幸子は商店街の一角で、終活相談所を開くかたわら高齢化する商店街を見守っているほぼボランティアだ

幸子の両親は、事故亡くなっていた両親の残した遺産で生活をしている。

所長とは名ばかりで所長兼、事務員兼、雑用かかり、むしろ本業より、最近は占いの方が人気で口コミで、遠くからやってくる。

大体は、結婚 恋愛、家族の悩みが多いが時としてちょっと人には言えない相談も・・

幸子には不思議力があり、土地や、モノにとりついた霊、怨霊、邪気などを祓うこともできる。ただしこの能力は絶対口外しない。

さーて、今日はここまで。幸子は机の上をさっと片付けると、楽しみに取っておいた包みに手を伸ばした。

さーて、今日の駅弁は「ひっぱりだこ飯」。ネーミングになんだか少しテンションが上がる。

タコ、穴子、椎茸に筍……味がしっかり染みたご飯を口に運びながら、誰もいない部屋で少し愚痴がこぼれた。

「しかし、なかなか占いは儲からないわねぇ……」

取り分や経費を引けば、手元に残るのなんてほんの少し。お気に入りの駅弁を食べるのが、今の幸子にとって精一杯の贅沢だ。もぐもぐと噛み締めながら、ふと思う。

最近、なぜか占いの依頼が多いな。

なんだろう?

世の中が不安に満ちているからか、それとも単にそういうバイオリズムの時期なのか。

少し、考えた。

「はーい、ごちそうさまでした」

空になった蛸壺の容器をきれいに拭き、ゴミ箱へ収めたところで、机の上のスマホがぶるりと震えた。画面を見ると、メッセージアプリの通知。

『幸子! お店にきて』

送り主はコノハ。

きらびやかなジュエリーショップを営む、私の数少ない友人であり、ビジネスパートナー(?)でもある。

「お店にきて、ってねぇ……」

私は小さく苦笑しながら、

「私はしがない占い師。宝石を買う余裕なんてないわよ」親指で素早く返信を打ち込む。

すると、すぐに既読がついて画面が躍った。

『あはっ! 大丈夫よ、お得意様が占って欲しいそうよ』

なるほど、お呼び出しは客引きの件だったわけね。

最近なぜか占いが増えている謎の、これが一つの答えかしら。私は少し意地悪く、だけど本音を込めて次のメッセージを送る。

「報酬はがっちり貰ってね」

『あさってこれる?』

コノハは私の現実的な要求をさらりと流し、具体的なスケジュールを求めてきた。手帳を開き予約を確認。

今はスマホでスケジュール管理を行う時代、でも幸子はスケジュール帳で管理している。


「午後ならいいよ!」

『ありがとう! 3時すぎにきて』

「了解」

スタンプを一つ送り、スマホの画面を伏せる。

あさっての午後3時、コノハの店。

この時はまだ、ただのちょっとした臨時収入になる仕事だとしか思っていなかった。

しかし、この後に待ち受ける運命の悪戯を、この時の私はまだ知らない。

この何気ない占いの依頼こそが、私の日常を激変させる、巨大な台風の目となることを――


女将 若村京子との出会い

午後3時。幸子は予定通り、コノハの実家が営む老舗の宝石店の前にいた。

さすがコノハ、いつ来てもセンスがいい店構えだ。彼女の実家は江戸時代の小間物問屋から続く由緒正しい店で、何より「信用第一」を貫いてこの業界では一目置かれている。

とにかく接客が素晴らしいのだ。決してお客を値踏みせず、誰に対しても丁寧に接する。それは、この宝石店に代々伝わる「粋」な計らい、そして誇りでもあった。

店に入ると、コノハがホッとしたような笑顔で駆け寄ってきた。

「幸子、ありがとう! よろしくね。私は向こうで仕事してるから、時間は気にしないでやってね」

そう言い残して持ち場に戻るコノハを見送りながら、私は小さく息を吐く。

わざわざVIP用の奥の客間に通されるなんて、なんだか訳ありの雰囲気しかしない。

少し緊張しながら、私は奥の重厚な扉を開けた。

「はじめまして。有馬幸子ありまさちこといいます」

そこに座っていた気品ある女性は、穏やかに微笑みながら頭を下げた。

「こちらこそ、若村京子わかむらきょうこといいます」

――若村、京子?

その名前を耳にした瞬間、私の脳内の引き出しがパチリと音を立てて開いた。聞き覚えがある。

「失礼ですが……京都の呉服屋の女将さん、ですね?」

彼女は一瞬ハッとしたように目を見張り、少し身を乗り出した。

「あら……私を知っていらっしゃるの?」

「いえ、以前何かの雑誌で、伝統美についてのインタビュー記事を拝読したのを偶然思い出したんです。私、普段はそんなに記憶力がいい方ではないのですが、なぜかとても印象深く覚えていまして」

「まー、ありがとうございます」

京子さんはふわりと表情を和らげた。これで少し、彼女との距離が縮まった気がする。

「さて、はじめましょうか」

私はいつものように道具を整え、穏やかに問いかけた。

「まずは、生年月日とお名前を。それから……ご主人の生年月日と、お子様はいらっしゃいますか?」

「ええと……」

京子が一瞬、言葉を詰まらせた。その張り詰めた空気に、私は直感する。

(何か、事情があるな)

若村京子さんは、小さく息を吸って静かに語り始めた。

「私、後妻なんですの。息子は主人の前妻の子供で……離婚した前の奥様のお子さんです。私には子はおりませんの」

「なるほど……」

手元で彼女たちの星の巡りを弾き出し、カードを展開していく。

プロとしてのポーカーフェイスを維持しながらも、私の目元はわずかに引き攣りそうになっていた。

(相性、最悪じゃない……!)

よくもまあ、この家族は一緒に住んでいられるものだ。逆にどうやって出会ったのか不思議なレベルである。絶対に交わるはずのない星、交わるはずのない運命。

……いや、待てよ。

これほど不自然に噛み合わないパズルが成立しているということは、誰かが意図的に「操作」しない限り、あり得ない。

操作? 偽装?(何やら、キナ臭い匂いがしてきたぞ……)

不穏な気配を察知した私は、冷静を装いながらも、内心では不謹慎なワクワク感を抑えきれずにいた。

(あぁ、これだからこの仕事はやめられないのよ……いかんいかん、不謹慎だわ)

ゴホンと小さく咳払いをし、私は優しい占い師の顔に戻る。

「ええと、若村さんは、今日はどのようなことを占いますか?」

「はい。実は最近、主人とギクシャクしていて、何か隠し事でもあるのか気になってしまいまして……」

(そりゃあ、この最悪な相性だもの。ギクシャクもするわよね)

心の中で毒づきながら、彼女の言葉を待つ。

「私、主人とはお見合いで結婚したのですけれど……実は、主人はずうっと、昔から思っている人がいるみたいなんです。なのに、前の奥様と離婚された際、なぜその方と結婚しなかったのかしらって。聞けば、息子さんが大反対をされたそうなのです。だったら、無理に結婚なんてせず独身でいればよかったのに、なぜ私と結婚したのか……。私、自分がいったい何の為に結婚したのか分からなくなりまして……」

京子さんの瞳に、うっすらと涙が浮かんだ。

伝統ある呉服屋の女将として気丈に振る舞ってはいるものの、その胸中は限界だったのだろう。

私はそっとハンカチを差し出しながら、核心に触れる質問を投げかけた。

しかし幸子は涙よりなぜか白いハンカチの方が気になった。

「結婚された時、その女性の方のことはご存知だったのですか?」

「いつも遠い目をしていましたのでなにかあるのかとは思いましたが・・詳しくは詮索はしませんでした。」

「なるほど……」

絡み合った糸を解き明かすには、その「もう一人の女性」の存在が不可欠だ。

「さすがに……そのお相手の方の生年月日や、お名前なんて、分かりませんよね?」

私の問いかけに、京子さんはただ力なく首を振るだけだった。

じっと手元の盤面とタロットカードを見つめる。不自然なほど歪んだ星の配置。これはもう、オブラートに包んで慰めていいレベルの案件じゃない。

覚悟を決めて、私はまっすぐに彼女の目を見た。

「京子さん。ここはプロとして、はっきり申し上げますね」

「……はい」

「はっきり申し上げますと、あなたとご主人は、本来なら絶対に出会うはずのない、めぐり合う運命ではないお二人です」

「え……」

「それなのにこうして結ばれているのは、意図的に、運命に逆らって引き合わされているから。……おそらく、誰かが裏で意図的に仕組みでもしなければ、こんなことはあり得ません」

その瞬間、京子さんの顔色が一変した。

血の気が引いたような、あるいは張り詰めた糸が切れたような、そんな劇的な変化だった。

「めぐり合わない……運命ですか?」

「はい。はっきり申し上げて、占いの結果にはそう出ています」

私が断言すると、彼女は視線を落とし、机の一点をじっと見つめた。部屋の空気が凍りついたように静まり返る。

張り詰めた沈黙。怒り出すか、あるいは泣き崩れるか――そう身構えた私の予測は、次の瞬間、あっけなく裏切られた。

「……ふふっ、くすくす……」

京子さんは急に、くすっと笑ったのだ。

「さすが、ですわ」

顔を上げた彼女の瞳からは、先ほどまでのうっすらとした涙も、弱々しい女将の影も消え失せていた。まるで人が変わったような、冷徹で、どこか凄みのある笑みを浮かべている。

「色々な占い師の方に相談しましたけれど……初めてですわ、そこまで見抜かれたのは」

(ギョッ……!)

私は内心で思い切り飛び上がった。

やっぱり! 一筋縄ではいかない、とんでもない訳ありの食わせ物だったわけね、この人。

あのコノハのやつ……なんて客を引っ張ってきてくれたのよ、と心の中で盛大に苦笑する。

だけど、不思議と嫌な気分ではなかった。むしろ、私の占い師としての本能がゾクゾクと奮い立つのを感じる。

「……まー、久しぶりに本気でかかるとするか」

私は心の中でそう呟くと、不敵な笑みを隠すように、タロットカードをもう一度深くシャッフルし始めた。

「……ん?」

タロットカードをシャッフルする私の指先が、ピタリと止まった。

目の前に展開されたカードと星の巡り。そのあまりにも奇妙な歪みを凝視する。

(京子さん……お姉さんか、妹さんっています?)

頭の中で急速にパズルが組み上がっていく。ご主人の「思い人」とされる女性。その人とご主人の愛の強さ。そして、本来なら出会うはずのなかった京子さんとご主人の婚姻。

――ご主人の思い人って、もう一人の「京子」さん?

いや、そんなはずは。だけど、この盤面に出ているのは……。

(ん? もしかして、双子……?)

二つの違う運命が、不自然に混ざり合っている。これは本来、双子にしか現れない最大の特徴だ。それなのに、今の彼女の盤面では、二つの運命が強引に一つに統合されている。

ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。

まさか……心の中で、もう一つの運命を「消した」……?

まさかね。いくらなんでも、そんな……。でも、この星の配置はどう見ても――。

「有馬、幸子さん……でしたわね」

私の思考を遮るように、京子さんが低く、鈴の鳴るような声で名前を呼んだ。

「コノハさんのお友達とおっしゃるから、ちょっとお試しに占ってもらおうかと思ったのですけれど……舐めてかかってしまいましたわ。並のプロの占い師よりも、ずっと感性が鋭いのね。私、丸裸にされてしまいそうだわ」

京子さんはそれ以上語らせないように、ふっと艶やかな笑みを浮かべた。

「今日は、ここまでにいたしますわ」

彼女は席を立つ素振りを見せながらも、まっすぐに私を見つめてくる。その目には、明確な執着と興味が宿っていた。

「でも、これから色々とご相談に乗っていただきたいわ。連絡先、教えていただけるかしら?」

「ええ、いいですよ」

私はポーカーフェイスを崩さないよう努めながら、バッグから名刺を一枚取り出して手渡した。

名刺に落とされた文字を見て、京子さんが楽しそうに眉を上げる。

「……終活相談所?」

「はい。本業は『あの世に行く準備』をお手伝いしていますから!」

私が少しおどけて言うと、京子さんは声を立てて笑った。

「面白い方。ますます好きになってしまいましたわ。また来月、東京に来たときにお会いしたいわねぇ。……コノハさん!」

「はーい!」

呼ばれて、奥の仕事場からコノハが素早く応接室へと入ってきた。

「来月も、このお部屋をお借りできるかしら?」

「はい! もちろんです、いつでもどうぞ!」

コノハが満面の笑みで答える。

「あっ、それからコノハさん。先ほど拝見したあの帯留め、いただいていくわ。カードでよろしくて?」

「ありがとうございます! 大丈夫ですよ」

コノハはすかさず「ただいま準備いたします!」と、外にいるお店の従業員へテキパキと指示を出し始めた。

そのやり取りの間、京子さんはバッグからスマホを取り出すと、短いメッセージを送るかのように画面をタップした。

「終わりました」

ただ一言、そう呟く。

すると、すべての手続きがちょうど終わったタイミングを見計らったかのように、お店の前に一台の高級な黒塗りの車が滑り込んできた。

「奥様、いつもありがとうございます。お車までお持ちいたしますね」

コノハが恭しく品物の箱を抱え、京子の後について外へ出ていく。車のドアが開くまでのわずかな間、二人は何やら親しげに、だけどどこか密やかに話を交わしていた。

やがて京子が車の後部座席に乗り込み、静かに車が発車する。

コノハは、その黒い車が角を曲がって見えなくなるまで、深く、深く頭を下げ続けていた。

その様子を、私は店のガラス越しにじっと見つめていた。

(コノハのやつ、やっぱり凄いなぁ……。あのプライドの高そうな女将にあそこまで信頼されてるんだもん)

老舗の看板を背負う友人のプロフェッショナルな仕事ぶりに、一人で感心していた――その時である。

(……あ。)

大事なことに気づき、私の思考が完全にフリーズした。

しまっ……た……!

鑑定料、もらい損ねた……!!!

あんな不気味な謎を残されたまま、一円も受け取っていないことに、私はその時ようやく気がついたのだった。

「ちょっとコノハ! 戻ってくるなり何だけど、私、大変なことに気づいちゃった!」

ガラス越しのお辞儀を終えて店内に戻ってきたコノハに向かって、私は悲痛な声をあげた。

「鑑定料、頂くのすっかり忘れたわ! あーあ、私はこうしていつまでも貧乏から抜け出せないのよ……」

ガックリと両肩を落とし、自分のマヌケさにため息をつく。せっかく「がっちり貰ってね」なんて息巻いていたのに、あの若村京子という女性の放つただならぬ気配と、双子の運命の謎に気を取られすぎて、一番大事な現実を忘れてしまうなんて。

そんな私を見て、コノハはクスッと悪戯っぽく笑うと、バッグから何かを取り出した。

「はい! これ」

目の前に、すっと差し出されたのは、白く美しい和紙の封筒だった。ずっしりとした、心地よい厚みがある。

「……えっ?」

目を丸くする私に、コノハは楽しそうにウインクしてみせた。

「京子さん、車に乗る前に私にこれを託していかれたのよ。『さすがコノハさんのお友達。お金をその場で剥き出しで払わせない気配り、素晴らしいわ。幸子さんって、本当はどこか良家のお嬢様だったりして?』って笑っていらしたわ。それで、これはほんの気持ちだからって」

「ええっ……!」

お金を忘れた私の大チョンボが、まさかの「良家のお嬢様らしい、あえてお金を請求しない粋な気配り」に大化けしていたなんて。

「良かったぁ〜〜!!」

胸を撫で下ろし、受け取った和紙の封筒をそっと抱きしめる。心の中で、京子さんの評価が『恐ろしい食わせ物』から『ものすごく話のわかる太っ腹な神様』へと一瞬で跳ね上がった。

それを見たコノハが、お腹を抱えて笑い出す。

「あははっ! 幸子、そんなに安心しちゃって。これじゃあ、本当はただ忘れただけだったなんて、口が裂けても京子さんには言えないわね!」

「言えるわけないじゃない。来月からは、最初からこういう計算だったって顔をして澄ましているわよ」

私たちは顔を見合わせて笑った。

懐に飛び込んできた予想以上の報酬にホッとしながらも、私の頭の片隅には、先ほど見た不気味なタロットの配置が、おりのように冷たく残り続けていた。

二つの運命を一つに消した、あの若村京子という女。

私は、とんでもない台風の目に足を踏み入れてしまったのかもしれない――手の中の和紙の温もりを感じながら、私はそんな予感に身震いしていた。


有馬幸子 重要参考人になる


「おばちゃんは、今年は運気がいまいちね。健康には十分に気をつけるんだよ」

私はいつもの調子で、目の前の馴染みの客にアドバイスを送っていた。

「はいはい、わかったよ」

おばちゃんは苦笑いしながらも、私の言葉を素直に受け止めてくれる。こういう何気ないやり取りが、占い師としての私の日常だ。

「さーて、次はたっちゃんの番ね」

そう言って私がタロットカードを念入りに切っている、まさにその時だった。

カチャリ、と事務所のドアが開く。

入ってきたのは、明らかにただならぬ雰囲気を纏った怪しい男が2名。部屋の空気が一瞬で張り詰める。

「失礼します」

先頭の男が、懐から警察手帳と名刺を取り出し、こちらに差し出した。

「京都府警のものです。私、清水しみずといいます」

(えっ、京都府警……!?)

わざわざ京都から、何のご用かしら。驚きに目を見張る私の視線は、清水という刑事の後ろに控えている、もう一人の男へと向けられた。

その顔を見て、私は思わず声をあげそうになる。どうも見慣れた、よく知っている顔だった。

「あら、鷺坂さぎさかさん! どうしたの?」

私が親しげに声をかけると、案内してきた清水刑事がぎょっとしたように目を丸くした。

まさか聞き込み先の、東京のしがない占い師の事務所で、身内であるはずの刑事――しかもあの鷺坂が、一般の市民とこれほど親しく親密そうに話しているとは思わなかったのだろう。清水刑事は呆然とした顔で、私と鷺坂さんの顔を何度も見比べていた。

偶然の再会に驚く私の脳裏に、数日前の京都の呉服屋の女将、若村京子さんの歪んだ星の巡りが、急激に蘇ってきた――。

「これは、有馬幸子さん、あなたの名刺で間違いありませんか?」

清水刑事が差し出してきたのは、一枚の透明な袋だった。その中に入っている名刺はしわくちゃに丸められ、端のほうには薄暗い血痕のような跡が微かに付着している。

(……! 明らかに、何か事件に巻き込まれたんだわ)

私は一瞬で事態の異常さを悟った。

「鷺坂さん、これは確かに私の名刺ですけど……一体どこでこれを見つけたの?」

私の問いかけに、じっと黙っていた馴染みの刑事、鷺坂さんが硬い表情のまま口を開いた。

「やはり、少し詳しくお話をお聞きしたいことがございます。署までご同行願えますか」

「えっ? いきなり署まで!?」

私は思わず声を荒らげた。

「なぜですか? 何のためですか? きちんと説明してください! おかしいじゃないですか、突然そんなこと言われても」

私の詰め寄る剣幕に、鷺坂さんは「ほら、言わんこっちゃないでしょ」という顔で、隣の清水刑事をちらりと見た。

私たちの張り詰めたやり取りに、事務所に残っていた商店街の高齢者団体客がどよめいた。だが、さすがは生粋の江戸っ子たちだ。『火事と喧嘩は江戸の華』とはよく言ったもので、恐怖よりも野次馬根性が完全に勝っている。

「おいおい幸子ちゃん、一体何をやらかしちまったんだい?」

たっちゃんが首を突っ込んできた。

「なあ刑事さんよ、幸子ちゃんは確かに貧乏だけどよ、人のモノを盗むなんてケチな真似はしねえよ! やるなら銀行強盗くらいデカいことしなきゃ、この子のツケは帳消しにならねえんだからな!」

「ちょっと、たっちゃん黙ってて!」

私は慌ててそれを遮った。冗談を言っている場合じゃない。

私は再び清水刑事に向き直り、毅然と言い放った。

「一般市民をむやみに署まで連行しようなんて、私に何か疑いがかかっているってことでしょ? やましいことは何もないわ」

すると、見かねた鷺坂刑事が一歩前に出て、宥めるように手を差し出した。

「幸子さん、落ち着いてください。違うんです。あなたを疑っているわけじゃなくて、ただ捜査に協力してほしいのです。……ここでは少し、野次馬が多すぎますから」

鷺坂さんの視線の先では、商店街のおじいちゃん、おばあちゃんたちが耳を皿のようにしてこちらを覗き込んでいる。

「……そうね。確かにその通りだわ」

私は渋々ながら納得した。

「わかりました。行きますよ。――たっちゃん、私が留守の間、余計なことペラペラ周りに話さないでよ!」

釘を刺したけれど、おそらく無駄だろう。明日には商店街中に尾ひれがついて広まっているに違いない。

「さーて、今日はもう店じまい!」

占いをあてにしていた老人たちが名残惜しそうに帰っていくのを見届けてから、二人の刑事とともに用意されたタクシーへと乗り込んだ。

行き先は、警視庁だが、署に到着し、重苦しい会議室の扉を開けられた瞬間、私は自分の目を疑った。

「コノハ……!?」

なんと、そこには一足先に連れてこられたらしいコノハが、パイプ椅子に腰掛けていたのだ。

コノハは私の姿を見るなり、弾かれたように立ち上がった。

「幸子!」

「なになに、どうしたの? 一体何があったのよ」

私が駆け寄ると、コノハが何かを話そうと口を開きかけたが、すかさず清水刑事がそれを手で制した。

「お二人とも、署までご足労いただきありがとうございます。……じつは昨日、京都の嵯峨野にある沼地で、ある女性の遺体が発見されました。身元はすぐに判明したのですが、事故か事件かがまだはっきりしておりません。そして――」

清水刑事は、押収品が並べられたテーブルを指差した。

「被害者の手には、先ほどお見せした有馬さんの名刺が握られていました。そして遺体のすぐそばには、老舗宝石店『万星堂』の買い物袋があり、その中にはこの帯留めが入っていたのです」

それを見た瞬間、私は思わず「あっ!」と悲鳴のような声をあげ、両手で口を覆った。

間違いを犯すはずがない。それは、あの『万星堂』の奥の客間で、彼女が買い求めたばかりの……。

私は震える目でコノハの顔を見た。

(まさか……そんなわけがない。だって、あさってに会ったばかりの……)

コノハは、青ざめた顔で小さく頷いた。

「……若村京子さんよ」

まさか、あの人が死体で見つかるなんて。

私は慌てて鷺坂さんの顔を見る。彼は痛ましそうな表情で、微かに頷いてみせた。

(どういうこと……? なにがあったの……?)

声にならない声が喉の奥でつかえ、胸が苦しく締め付けられる。あんなに傲然と、冷徹に笑ってみせた女性が、なぜそんな冷たい沼地で遺体となって見つからなければならないのか。

私はたまらずコノハの手を握りしめ、コノハもまた、恐怖を堪えるように私の手を強く握り返してきた。

清水刑事が手帳を開き、淡々と質問を始める。

「お二人とも、やはり被害者をご存知ですね。まずは木内コノハさんにお聞きしますが、一昨日、あなたのお店をこの女性が出たのは午後3時で間違いありませんね?」

「はい……間違いありません」とコノハが答える。

私も慌てて言葉を重ねた。

「そうです、私も一緒にいましたから間違いありません」

「では、その時に購入されたのが、この帯留めで間違いないですね?」

「はい……」

コノハは小さく息を吸い、説明を始めた。

「これは、人間国宝の小田金さんが亡くなる前に残された、最後の作品なんです。私の祖父がずっとお預かりしていたのですが、ご遺族の了解をいただいて、ようやく当店で飾らせていただいていたものでした。ただ、あまりに値段が値段ですから、そう簡単には買い手がつかないだろうと思っていました。ところが、若村京子様が京都からわざわざお見えになり、現物を見て『どうしても欲しいから、他の方には売らないでほしい』と……その一回目はそのままお帰りになったのです」

コノハは当時の様子を思い出すように、視線を落とした。

「その際、私が身につけていた携帯ストラップの勾玉を見て、京子様が『それ、翡翠? 本物かしら』とお尋ねになったんです。私は『もちろんです、宝石店の人間が偽物を持つわけにはいきませんから』とお答えしたら、京子様は『それもそうね』って笑っていらっしゃいました。でも、相当その理由が気になられたらしくて、なぜ身につけているのかとさらに聞かれたんです。ですから私は、『こうした商売をしておりますと、時々、因縁めいた石を扱うこともございます。その時、その不幸を自分の中に背負い込まないよう、この翡翠が守ってくれるのです。実は友人に占い師がおりまして、その知識と才能が素晴らしいので、アドバイスを受けているのです』というお話をさせていただきました。そうしたら、京子様が『ぜひその方を私に紹介してほしい』と熱望されまして……それで、幸子を店に呼んだのです」

コノハの話を、清水刑事が黙ってメモに取っている。

「で、当日ですが……幸子が奥の客間で京子様を占って、私は表のお店で仕事をしていました。占いが終わって、お帰りになるという時に、京子様が例の帯留めを正式に購入されて、そのままお持ち帰りになったのです。……ね?」

コノハがこちらに同意を求めるように視線を向けた。私はしっかりと頷き、引き継いだ。

「ええ、そうです。若村さんは私の占いにひどく興味を持たれたみたいで、『来月また東京に来るから、その時に色々と相談に乗ってほしい。連絡先を教えてほしい』とおっしゃったんです。だから、私は自分の名刺をお渡ししました。その後はコノハが言った通り、帯留めを購入されて、お店の前に迎えにきていた黒い車に乗って、そのままお帰りになりました」

「ねー」と、コノハと私は顔を見合わせた。

私たちの完璧に一致した証言を聞き、鷺坂刑事が清水刑事に目を向けた。

「……これで、被害者の足取りははっきりしましたね。やはり、一昨日の15時に東京の店舗を出たとなれば、そのまま新幹線で京都へ直行しない限り、あの夕方の時間に京都にいるのは物理的に不可能です。やはり、あちらの運転手が言っている証言は正しいということになりますね」

刑事たちの間で納得の空気が流れる。だが、私の胸のモヤモヤは全く晴れなかった。

腑に落ちない。腑に落ちないことが多すぎるのだ。

なぜ、あの若村京子は、死の間際に私の名刺を『握りしめて』いたのか。ただバッグに入っていたのならともかく、手の中にあったということは、明確な意図があったはずだ。

私は少し目を細め、目の前の二人の刑事を睨みつけた。

「ねえ、鷺坂さん。若村さんの手の中に私の名刺があったから、こちらの京都府警の清水刑事さんは『この占い師の女が、京都で若村さんと会っていたんじゃないか』って疑ったんでしょ? だからわざわざ東京まで来て、コノハと私を別々に呼んで、アリバイを確かめようとしたわけじゃない」

「それは……」清水刑事が一瞬、言葉を詰まらせる。

「発想が単純よ、刑事さん」

私はふん、と鼻で笑った。

「この事件、事故か事件か分からないって言ってるけど……たぶん、根が深いわよ」

その言葉に、鷺坂さんが敏感に反応した。

「なぜですか? 幸子さん、何か心当たりが?」

「……根拠はないわよ。ただの、占い師としての勘、予感よ」

私はあえて、あの日の占いの詳細については一切話さなかった。ただ「ご主人の浮気や、家族の人間関係について悩んでいるようだった」と、表面的な事実だけを伝えた。

あの不自然に歪んだ、絶対に交わるはずのない最悪の相性。

ご主人の思い人が、もう一人の「京子」であるという奇妙な一致。

そして、二つの運命が強引に一つに統合され、まるで『もう一つの運命が消された』かのような、双子の特徴を持つ星の巡り――。

そんなオカルトじみた運命論を警察に話したところで、鼻で笑われて信じてもらえないのがオチだ。それに何より、その「運命の歪み」こそが、今回の事件の核心であり、犯人へ繋がる最大の鍵だと私は確信していた。

(……よし。こうなったら、しがない占い師の看板はひとまず横に置いておくわ)

私の胸の奥で、じわじわと探偵の心の炎が燃え上がるのを感じた。

私は隣でまだ震えているコノハの手をもう一度強く握り、静かに警察の会議室の天井を見上げた。


有馬幸子京都へ乗り込む


「わー、外国人ばっかり!」

新幹線を降り、京都駅のタクシー乗り場にたどり着いた瞬間、あまりの混雑振りに幸子たち4人は思わず声を揃えて驚いてしまった。右を見ても左を見ても、大きなスーツケースを引いた異国の観光客で溢れかえっている。

そう、幸子は大学時代かれの親友4人で「おばちゃん探偵団」を結成、あの怪事件の真相を突き止めるべく、はるばる京都にまで来てしまったのだ。

この俄作りの探偵団はT大学のいわゆる落ちこぼれだ。同級生は官僚、弁護士、医者と言わゆる高学歴を生かした人生を送っているが、この4人は大学時代から、これまで勉強に傾けたエネルギーをすべて遊びについやして、ギリギリ卒業した、伝説のブービーグループなのだ。

それぞれ社会にでたもののなぜか、うまく馴染めず、こんな感じで?で生きている。

それぞれのエピソードはまた別の機会に・・・

今回の京都行きはコノハが決めた。事件にしろ事故にしろ、大お得意様の若村屋さん弔問することと、事件現場にお花を手向けたいとのたっての願いだった。

「お腹すいたわー。まずは腹ごしらえよ」と咲代が叫ぶ

早川咲代、通称「姐さん」30年前、裏社会の餌食になっている子供たちを助け、一生懸命おひさまのしたで働けるよう奔走した。咲代にであって、人生を前向きにいきようとする子供たちが、咲代を慕って

姐さんと読んでいる。その子たちが今は裏表問わず、立派になりその界隈を仕切っているのだ。

「賛成。新幹線の中でおしゃべりに夢中だったから、すっかりエネルギー切れよね」と瑞穂

徳田瑞穂バツいち今は投資家の旦那と幸せに暮らしている。

旦那様もバツいちで一人娘がいる。これがおしゃれにまったく興味がなく、瑞穂が洋服をかったり、ネイルや、ヘアーサロンに誘ってもなかなかいかない。

熱海の別荘から、地方へ行き農業を手伝っている。夫婦は投資先をみつけ世界を回っているが、娘は日本のどこかで、農業と、半年くらい合わないときもあるようだ。

「何食べる?」と幸子が辺りを見回す。

「咲代、何が食べたい?」と瑞穂が聞く。

「幸子、おすすめはある?」と咲代が私に振ってくる。

「ええっと、京都駅の近くなら、やっぱりお出汁の効いたおうどんか、それとも湯葉料理かしら。あ、でも駅弁の美味しいものあるわよ!」

幸子が答えると、咲代がふっと「駅弁はないでしょ」実用的な笑みを浮かべた。

「やっぱり久しぶりの日本だから、和食がいいわ」と瑞穂

「じゃーなだ万ね」コノハがいった。

みんな

「賛成!」

早速コネクションをもつ瑞穂が電話をし、ランチの予約をとった。

私たちは早速、京都駅のロータリーからタクシーに乗り込んでお店へと向かった。

「さて、と……」

動き出したタクシーの車内で、早速私たちは声を潜めて作戦会議を始めた。

遺体発見現場である嵯峨野の沼地へ行く前に、まずは若村京子さんの実家というか、嫁ぎ先である老舗呉服屋『若村屋』の周辺を探るべきか、それとも――。

私たちがそんな深刻な顔で話し合っていると、バックミラー越しに、白髪交じりの運転手さんが気さくに話しかけてきた。

「……お姉さんたち、もしかして『若村屋』の奥さんの知り合いかい?」

「えっ!?」

あまりにもタイムリーな言葉に、私たち4人は思わず顔を見合わせた。車内の空気が一瞬で緊張に包まれる。

コノハが機転を利かせて、落ち着いた声で返事をした。

「ええ、まあ……ちょっとお仕事でお世話になりまして。ご不幸があったと伺ったので、ご供養にお花とお線香でも、と思いまして。若村屋さんの場所って、ここから近いのですか?」

すると、運転手さんは「あぁ、やっぱりか」と小さく首を振った。

「いや、ここからやと完全に逆方向ですわ」

「逆方向、ですか……」

「そう。もし良かったらね、私の名刺を渡しますわ。後でそこへ行くっていうなら、用事が済んだ頃にまた迎えにきて、若村屋さんまでご案内できますよってに」

「本当ですか? 助かります!」

思わぬところで京都の足が確保でき、私たちは運転手さんから名刺を有難く受け取った。京都のタクシー運転手さんの情報網と親切さは侮れない。

そうこうしているうちに、車は目的地である「なだ万」の前に到着した。

お肉を食べてエネルギーをチャージした後は、この親切な運転手さんの車で『若村屋』へ向かうことになる。偶然の出会いに導かれるように、私たちは事件の核心へと一歩ずつ近づいていくのを感じていた。

「うーん、最高……!」

運ばれてきた料理を一口食べた瞬間、私の口からは至福のため息が漏れていた。

「お出汁も最高ね。お肉の口当たりもすごくいいわ」

「本当。お野菜も無駄な味付けが一切なくて、素材そのものを大切にしているのがよく分かるわねー」

瑞穂とコノハも熱心に箸を動かしながら、一品一品をじっくりと味わっている。

私たち「おばちゃん」たちの肥えた舌を満足させるには、生半可な料理では通用しない。相当のレベルでないと納得して貰えないのだが、目の前の御膳はそんな私たちの期待を軽々と超えてみせた。

「さすが、なだ万ね」

私の言葉に、食通の咲代も含めた4人で深く深く頷き合う。

美味しい食事は、張り詰めていた私たちの心をじんわりと解きほぐしてくれた。

お腹も気持ちもすっかり満足したところで、私たちは温かいお茶をすすりながら、これからの行動について頭を突き合わせた。

「さて、と……。エネルギーは満タンになったけど、これからどうしよう?」

私が問いかけると、コノハがバッグのポケットから、さっきタクシーの中で受け取った一枚の紙片を取り出した。

「これがあるわよ」

コノハの指先に握られていたのは、あの気さくなタクシーの運転手さんの名刺だった。

「おっちゃんに、頼む?」

私の提案に、咲代も瑞穂も、そしてコノハも、力強くしっかりと頷いた。見知らぬ土地での聞き込みや移動には、地元の事情に精通したベテラン運転手さんの存在ほど心強いものはない。

「よし、決まりね!」

私はスマホを取り出し、名刺の番号へと指を走らせた。

「さーあ、おばちゃん探偵団、いよいよ本格的に出発よ!」

若村京子を巡る「消された運命」と、嵯峨野の沼地に秘められた冷たい真実。その謎の核心へと迫るため、私たちは再び京都の街へと力強く踏み出した。


有馬幸子 死者との交信

「ここですわー、無惨な姿で発見された場所は……」

到着したタクシーから降り立ち、私たちは周囲を見回した。

木々が鬱蒼と生い茂る、嵯峨野の沼地。昼間だというのにどこか薄暗く、ひんやりとした空気が肌を刺す。私たちが持参した花束とお線香をそっと手向けると、そこにはすでに多くのお花や飲み物が供えられていた。

コノハ、瑞穂、咲代の3人も、静かに手を合わせて目を閉じている。

だが、私だけは祈りを捧げながらも、この場所に渦巻く「声なき声」を聴くためにすべての神経を研ぎ澄ませていた。

(……この場所に残る波長は……「妬み」「脅し」、そして「秘密」)

ビリビリと伝わってくるどす黒い感情に、私はやはりあのタロットが告げた『二つの運命の統合』が、この事件に深く関係していると確信した。

私はバッグから数珠を取り出し、強く握り直した。

心を無にし、腹の底から静かに呪文を紡ぎ出す。

「おん・ま・だ・ら・そ・わ・か・ん……」

何度も、何度も繰り返す。そして精神が最高潮に達したその瞬間、私は目を見開き、沼地に向かって一喝した。

「――喝!!」

その響きと同時に、まるで見えない大きな獣が暴れたかのように、突風が巻き上がった。付近の草木がザザザッと激しく揺れ動く。

すると、揺れる草木の向こうの空間が、にわかに歪んだ。

現れたのは――若村京子さんだった。まさに、東京の店で私に微笑みかけていたあの時の姿のまま。

そして彼女のすぐ横には、京子さんの幼い頃と思える少女が、胸をかきむしるような苦しい表情で立っている。さらにその足元には、もう一人、京子と全く同じ顔をした少女が、全身を鮮血に染めて横たわっていた。

凄惨極まるその光景に、私はすべてを察した。

(……なるほど、これだったのね)

「わかりました。京子さん……苦しかったのね」

私は静かに、だけど力強く幽体たちに向かって語りかけた。

「後は私に任せてください。必ず、解決します。ただ、もう少しだけ時間をちょうだいね。……だから、今は安らかにお休みください」

私の言葉が届いたのか、京子さんと二人の少女の表情が、すっと穏やかなものに変わっていく。次の瞬間、まばゆいほどの純白の光が3人を優しく包み込み、そよ風に揺られながら天高くへと昇天していった。

残された3人の親友たちは、今の突風と幸子の一喝に驚きはしたものの、何も見えてはいない。それでも、幸子の静かな後ろ姿を見れば、今ここでどんな常人離れした出来事が起きていたのか、手に取るように想像がつくのだろう。

普通の人が見れば、幸子のこうした行動を「不気味だ」「怖い」と怯えるかもしれない。けれど、親友の3人はもう長年の付き合いで、私のこの『力』を深く理解し、受け入れてくれている。

瑞穂は海外出張が多い仕事柄、大怪我なく無事に帰国できるよう、毎回渡航先の方角や運勢を私に占わせてから旅立つのが日課だ。

コノハは、以前に巻き込まれたあの日光の殺人事件のように、仕事柄どうしても因縁めいた様々な石を扱う。だから、魔除けとしての翡翠の勾玉や、邪気に取り憑かれないようにと私が念を込めた麻布の手袋を、いつも大切に受け取って身につけている。

そして咲代は、こうした霊的な儀式の後、私が自分でも気づかないほど激しく体力を消耗し、家に閉じこもってしまう癖があることをよく知っている。だから定期的に連絡をくれ、必ず手料理を振る舞って私を外に連れ出し、気分転換をさせてくれるのだ。もちろん咲代自身も、裏の社会に飲み込まれそうになっている不登校の少年や少女たちを救うため、私の占いと直感の力を何度も頼りにしてくれている。

「ふぅ……」

儀式を終え、心地よい疲労感に包まれながら、みんなと一緒にもう一度タクシーに乗り込もうとした、その時だった。

キィ、と静かに一台の捜査車両が止まり、中から男たちが降りてきた。

その姿を見て、私は目を瞬かせた。

「……鷺坂刑事?」

そして、その後ろにいるのは。

「清水刑事……?」

私が「鷺坂さん」と声をかけると、鷺坂刑事はあからさまに驚くとともに、実にまずいものを見つけてしまったという風に、バツの悪い顔をした。しかし、すぐに観念したようにため息をつく。

「……えーと。皆さんお揃いで。今日はこんな嵯峨野の奥地に、一体何のご用で?」

白々しく問いかけてくる鷺坂刑事に、私はふっと笑った。

「相変わらずとんちかんな質問ね。私たちがここにいるとしたら、理由はひとつしかないじゃない」

「……ですね」

鷺坂刑事は呆れ顔で頭をかいた。

隣の清水刑事は、東京に引き続き、ここ京都の事件現場の最前線でも繰り広げられるこの二人の奇妙なやり取りに、またしても目を丸くしている。

「あの……この前も思ったのですが、お二人は一体どういうご関係で……?」

清水刑事の素朴な疑問に、私は悪戯っぽく笑って答えた。

「駅弁友達よ!」

「えっ? えきべん……?」

「そう。この刑事さん、デパートの全国駅弁フェアでよく会うのよ。だいたい最後の一個になったお気に入りの駅弁を取り合う仲なの。ねえ鷺坂さん、今回の事件の捜査も、その駅弁への執念くらい夢中になれば、たちまち解決するんじゃない?」

私の軽口に、清水刑事が思わず「ぷっ」と吹き出した。

「へーえ! いつもクールで怖い鷺坂先輩に、そんなお茶目なところがあったんですね」

クスクスと肩を揺らす後輩刑事に、鷺坂さんは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「お茶目……。後輩にそんなふうに言われると、自分が酷くアホに思えてくるが……まあ、そんなところだ」

鷺坂刑事は話を合わせながらも、この「しがない占い師のおばちゃん」が、これまでどれほど多くの難事件を解決に導き、警察に膨大な捜査情報をもたらしてくれたかについては、絶対に口を割らなかった。

理由は色々あるが、何よりも、彼女の超常的な情報網がどこから漏れて、一般市民である彼女の命が危険にさらされるか分からないからだ。恐ろしいほどの勘と行動力を持ってはいるが、幸子はあくまで普通の民間人なのだから。

それは私自身もよく分かっていた。私の『正体』は、決して公にバレてはいけないのだ。

鷺坂刑事はわざとぶっきらぼうな口調に切り替え、周囲を促した。

「……ご供養に来られたのですか? ここは観光地ではありませんよ。長居は無用です」

「あら、せっかくの美しい京都の観光地が、凄惨な事件で荒らされないようにとお祓いに来たのよ」

私も負けじとやり返す。

「まー、今、すべてが終わりましたので。後は刑事さんたちのお力で、早期解決をお願いしますね」

そう言ってすれ違いざま、私は鷺坂さんの耳元に届くくらいの声で、ふっと問いかけた。

「あ、そうだ。鷺坂さん。……若村京子さんには、ご兄弟か何かいらっしゃるのかしら?」

「えっ?」

鷺坂刑事が驚いて目を見張る。

私がすれ違いざまに「調べてみたら?」と小さく呟くと、鷺坂刑事はその場に凍りついたように立ち止まった。

彼が慌てて振り返った時には、私たちおばちゃん4人組は、さっさと手配していたタクシーに乗り込み、ドアを閉めて出発してしまった後だった。

遠ざかるタクシーを見送りながら、鷺坂刑事は私の残した言葉を頭の中で反芻していた。

(被害者の、兄弟……? 幸子さんからのあのメッセージ、どういう意味だ……?)

何かが彼の刑事としての勘に触れたのだろう。鷺坂刑事の目が急激に鋭さを増した。

「清水! 予定変更だ、一度署に戻って若村京子の戸籍関係を調べ直すぞ!」

「えっ? あ、はい!」

二人の刑事もまた、弾かれたように車へと飛び乗った。

京都の冷たい沼地を背景に、バラバラだった事件のピースが、幸子の一言によって急速に動き始めようとしていた

「鷺坂さん、わかりました! 若村京子は生け花の家元、藤浪ふじなみ家の養女でした」

京都府警の署に戻るなり、清水刑事が息を切らせて報告を上げてきた。有馬幸子が残した言葉を頼りに戸籍を徹底的に洗い直した結果、驚くべき過去が浮かび上がってきたのだ。

「やはりな……」

鷺坂刑事は深く頷いた。あのしがない占い師のおばちゃんが、何の脈絡もなく『兄弟を調べろ』などと言うはずがないのだ。

「しかも、岡山県の養護施設から引き取られています」

「養護施設か……」

「はい。3歳から9歳までその養護施設で育ち、9歳の時に華道家元藤浪家と養子縁組をしています。その後、32歳で老舗呉服屋『若村屋』の跡取り息子と結婚していますね。京子さん自身は初婚ですが、その跡取り息子の方は再婚です。前妻との間に一人息子がいます」

「そうか。色々と複雑な家庭環境のようだな……」

鷺坂刑事は渋い顔で腕を組んだ。

華やかな家元への養子縁組、そして年の離れた老舗の再婚相手。若村京子という女性の裏には、世間の目から隠された多くの歪みが存在している。

「まずは、その岡山県の養護施設からあたってみるか。……清水、そっちの捜査をお願いしてもいいか?」

「わかりました、すぐに上に掛け合って出張の許可をもらいます。鷺坂さんはどうされるんですか?」

「俺は、いったん東京に戻って本庁へ状況報告をする。やはり事件の可能性が極めて強いが、まだこれだけで他殺と断定するには証拠が弱いからな」

そう言うと、鷺坂刑事は少し沈黙した。

(管轄外なのは百も承知だが……)

脳裏をよぎるのは、あの不敵に笑う占い師、有馬幸子の顔だ。自分の手の届かないところで、あのおばちゃんたちがまた何か、決定的な証拠か真実を掴んでくるのではないか――。刑事としてのプライドとは別に、彼女たちの恐るべき勘に対する、かすかな期待が胸の中にあった。

「清水、宜しく頼むぞ!」

「はい! 鷺坂さんこそ大丈夫ですか? 本庁に報告と言っても、こちらは京都府警の管轄ですから、管轄外で首を突っ込みすぎだと睨まれませんか?」

心配そうに尋ねる清水に、鷺坂刑事はふっと不敵な笑みを浮かべた。

「元はと言えば、東京の被害者関係者の手から名刺が見つかった事件だ。本庁が動く大義名分なんぞ、いくらでも作ってみせるさ」

二人の刑事はそれぞれの思惑を胸に、若村京子という女の過去へ向かって、激しく動き出した。


有馬幸子 若村屋へ行く


「若村さん! 京子さんとは別居されていたというのは本当ですか!?」

「京子さんが行方知れずになっていた間も、ご自宅にいらっしゃらなかったというのはどういう事ですか!?」

あの親切な運転手さんのタクシーが、老舗呉服屋『若村屋』の前に滑り込んだ時、あたりは尋常ではない熱気に包まれていた。店の前には何台もの中継車が陣取り、詰めかけたマスコミや、いかにも胡散臭い週刊誌の記者たちが怒号のような声を張り上げて、店を囲んでいる。

タクシーから降り立った私たち4人は、その異様な光景に思わず足を止めた。

「凄いわね、この騒ぎ……これじゃあお店の中に入るどころか、近づくこともできないわよ」

コノハが顔をしかめて、人混みの向こうの若村屋を見つめる。

私は隣に立つ頼れる親友に視線を送った。

「咲代、ちょっと仕切ってくれない?」

「OK、任せて」

咲代は不敵に微笑むと、バッグからスマホを取り出してどこかへ電話をかけた。手短に二言三言、鋭い口調で指示を飛ばして通話を切る。

すると、それから数分もしないうちに、どこからともなくガタイのいい男たちが集まってきた。腕章を巻いた彼らは、瞬く間にマスコミの前に立ちはだかり、大声を張り上げた。

「そこ、危ないよ! ほら、隣の家の邪魔になります!」

「はいはい、そこ! 歩く人の邪魔だから、ほら、どく!」

テキパキとした実に見事な誘導だった。みるみるうちに、店の前を埋め尽くしていた人だかりが綺麗に散らばっていく。

「おい! どけよ!」

突然の排除に、何人かのカメラマンや記者から苛立った罵声が飛んだ。

しかし、男たちのリーダー格らしき人物が動じることなく、ドスの利いた声でピシャリと言い放つ。

「おいおい、兄さんたち。いい大人がみっともないよ。ほら、子供たちが見てるぜ?」

「え……?」

記者たちが毒気を抜かれたようにハッとして周囲を見回すと、いつの間にか、そこにはランドセルを背負った小学生たちが大勢集まり、物珍しそうに大人たちの醜態をじっと囲んで見つめていた。

「おい! 今日の現場の仕切りはどの局だ!?」

男がさらに声を張り上げてマスコミ勢を睨みつける。

記者たちは互いに顔を見合わせたが、誰も名乗り出ない。

「おいおい、今は仕切りもいないのかい。話にならないな」

何だか不思議な警備員たちのペースに完全に巻き込まれ、居心地が悪くなったマスコミたちは、一人、また一人と機材を片付け、諦めて引き揚げていった。あんなに騒がしかった若村屋の前が、嘘のように静まり返っていく。

そして、マスコミが去ったのを見届けると、その見事な警備員たちも、いつの間にか風のように姿を消していた。

「流石は咲代ね!」

あまりの手際の良さに私が感嘆の声をあげると、背後から一人の男が、帽子を深くかぶり直しながら近づいてきた。さっきの警備員たちのリーダーだ。

「姐さん、お久しぶりです!」

男が咲代に向かって深々と頭を下げる。

「カン?」

咲代が優しく、だけど周囲に聞こえないよう小さく名前を呼んだ。裏の社会で迷いそうになっていた少年少女を更生させてきた咲代にとって、彼はかつて救い出し、今では信頼できる立派な仲間の一人なのだ。

「カン、ありがとうね。助かったわ」

咲代の温かい言葉に、カンは嬉しそうに照れくさそうな笑みを浮かべ、再び雑踏の中へと消えていった。

「さて……障害は消えたわね」

咲代が若村屋の重厚な暖簾を見つめる。

マスコミが突きつけていた「別居」と「不在」という不穏な疑惑。それが一体何を意味するのか――。私たちは顔を見合わせ、事件のさらなる闇が待つ若村屋の門をくぐるべく、一歩を踏み出した。

コノハが先頭に立って『若村屋』の暖簾をくぐり、一歩お店の中に入ると、そこは外のマスコミの喧騒が嘘のような、異常な静けさに包まれていた。

事件が事件だけに、ひっそりとするのは仕方のないことだが、それにしても、老舗の呉服屋とは思えないほど活気が失われている。

「ごめん下さい」

コノハが凛とした声で呼びかけると、奥から従業員と思われる年配の女性が、おずおずと姿を現した。彼女はコノハたち4人の姿を見るなり、慌てて上がり間にひざまずき、深く頭を下げた。

すかさずコノハが、一歩前に出て頭を下げながら話し始める。

「お電話いたしました、万星堂まんせいどうの木内コノハと申します。奥様には平素より、ひとかたならぬご贔屓にしていただいておりました。この度は本当に、ご愁傷様でございます。突然のことで言葉もございません。ぶしつけながら、せめてご焼香だけでもさせていただければと思い、こうして訪問させていただきました」

従業員の女性が顔を上げる。コノハは落ち着いた、それでいて誠実さに満ちた口調でさらに言葉を重ねた。

「私たち、東京では奥様が上京された際、いつもお食事をご一緒したり、ちょっとした交流をさせていただいておりましたの」

上から下まで、まるで清らかな水が流れるように流暢にしゃべるコノハの気品と迫力に、女性は完全に圧倒された様子で、「少々お待ち下さい……」と、慌てて奥へと戻っていった。

すると、奥の間から低く慌てた声が漏れ聞こえてきた。

「なんやて! 万星堂のお嬢様が!? そりゃあ、はよう座敷にお通しせな!」

間もなくして、店のすべてを仕切っているであろう大番頭が、額の汗を拭いながら血相を変えて出てきた。

「万星堂のお嬢様、わざわざ遠方からありがとうございます……!」

コノハはすっと神妙な顔つきになり、大番頭の名を呼んだ。

「木村さん、この度は本当にご愁傷様でした。奥様には何かと温かく接していただいておりましたのに、こんなことになるなんて……。木村さんも、さぞお力を落とされていることでしょう」

「……お心遣いのこもったお言葉、痛み入ります」

大番頭の木村は、深く頭を下げて目頭を熱くした。

「さ、どうぞ、奥へお上がりください」

木村に促され、私たち4人は彼の後ろについて、重厚な廊下の奥にある奥座敷へと案内された。

通された座敷には、白木の葬祭壇がしつらえられていた。だが、まだ遺体が警察から戻っていないこともあってか、華道の家元である若村京子さんの祭壇にしては、あまりにも質素な供養花が数点飾られているだけだった。

「あの……ご主人は?」

コノハが尋ねると、木村はがっくりと肩を落として答えた。

「旦那はんは、警察の事情聴取でまだ戻ってこられないのです。跡取りの息子は、事務所のほうで親戚や取引先、ご贔屓様への対応やお詫びの連絡に追われておりまして……」

その様子を、私たちおばちゃん団が見逃すわけがなかった。長年の経験と持ち前のバイタリティが、一瞬で火を噴く。

「コノハ、私、何かお手伝いできることがあるかしら?」

瑞穂が素早く声をかける。

「お茶の準備とか、これから来られる方へのご接待が必要なんじゃない?」

咲代も周囲を見回す。

「諸々、人手が必要な状況よね、ここは」

私も腕をまくりそうになるのを堪えて頷いた。

コノハが木村に向き直る。

「木村さん、私たちに何かお手伝いをさせてください」

「め、滅相もありやしません! お悔やみに来ていただいたお客様にそんなことをさせたと知れたら、旦那はんに大怒られしてしまいますわ!」

木村は慌てて手を振って断ろうとした。

だが、おばちゃんたちの勢いは止まらない。

「木村さん。昔はね、近所や知り合いの家に不幸があったら、エプロンを持って真っ先に駆けつけろって言ったくらい、お互い様で助け合ってきたものよ」

「そうよ。私たちこう見えてもね、そこら辺の若いモノよりよっぽど役に立ちますわよ」

言うが早いか、4人はバッグからさっさと自前の前掛けを取り出し、テキパキと動き始めた。

ちょうどその時、噂を聞きつけたご贔屓筋などの弔問客が、ぽつりぽつりと店を訪れ始めた。静まり返っていた若村屋の玄関が、にわかに慌ただしくなっていく。

「瑞穂、行くわよ!」

「ええ!」

私と瑞穂は、手際よく長机を引っ張り出して玄関口に据え、受付のセッティングを始めた。瑞穂はバッグから芳名帳の代わりになるノートを取り出すと、尋ねてくる弔問客の名前や肩書きを手際よく、分かりやすくまとめ上げていく。さすがは数々の大きな催しを手掛けてきたイベント会社の社長、仕切り方が尋常ではない。

一方、私は祭壇の周りの雑然とした荷物を片付け、見栄えよく飾りを整えてから、中央に美しい焼香台を設置した。さすが老舗の呉服屋だけあって、引き出しを開けると上質な高いお線香が豊富に揃っている。私はそれらを厳かに用意した。

弔問客の控室となる広間では、コノハが全体の流れを完璧に仕切っていた。

炊事場では、咲代がまるでお袋の味を出す料亭の女将のように、手際よくお茶の準備を進めている。するとそこへ、さっき外のマスコミを追い払ってくれたあの警備員の『カン』が、裏口からそっと大きな包みを届けてくれた。咲代が開けてみると、中には呉服屋の格に相応しい、お茶請け用の高級な老舗の和菓子がぎっしりと詰まっていた。カンの心憎い手回しに、咲代は小さく微笑んだ。

木村と長男の息子は、相変わらず別室で大口の取引先の対応に追われ、頭を下げ続けている。

瑞穂は受付のペンを走らせながら、訪れる弔問客の顔ぶれや様子を鋭いプロの目でチェックしていた。事件のヒントになるような不審な人物が紛れ込んでいないか、見極めるためだ。

私は奥座敷で、次々と訪れる弔問客を焼香台へと案内していた。

「どうぞ、こちらへ……」

静かに頭を下げ、ふと、祭壇の片隅に目をやった、その時だった。

供養花の陰に、小さく折り畳まれた、白いウサギの刺繍のある古びたハンカチが、ぽつんと置かれているのが目に入った。

なぜかその布地だけが、妙に私の視線を惹きつけるこれってあの時の?一歩近づき、目を凝らしてよく見てみると、経年劣化で色褪せた刺繍のすぐ下に、手書きの薄い文字が見えた。

『わ……か……ば……?』

若葉。

(……おかしいわね。若村京子さんには、お子さんはいないはずなのに。それに、藤浪家の養女になる前の過去にも、そんな名前は……)

ざわざわとした胸騒ぎが、私の心を激しく揺さぶる。

私はそのハンカチの背後に渦巻く目に見えない「オーラ」を敏感に感じ取り、周囲の雑音をシャットアウトして、一気に精神を集中させた。

じわじわと伝わってくる、切ないほどに幼い痛みの記憶。

幸子の脳裏に、再びあの嵯峨野の沼地で見た、血にまみれたもう一人の少女の姿がオーバーラップしようとしていた。


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