第8話 弊社、顧客満足推進室を開設
平穏を一番乱すものは何か?
答えは決まっている。「外部からの干渉」だ。
ババババババ……!
早朝から、俺の安眠は爆音によって破られた。
家の前には、黒塗りの高級車が長蛇の列。
空には軍用ヘリまでが我が物顔で旋回している。
降りてきたのは、多国籍なスーツ集団だった。
「ミスター・アベ。我々は国連安全保障理事会、特別対策室の視察団だ」
先頭に立つ白人の男が、尊大な態度でIDカードを突きつけてきた。
背後には、SPとおぼしき屈強な男たち。
さらにその後ろでは、日本の官僚たちが顔を青くして縮こまっている。どうやら、彼らはあくまで「案内役」に過ぎないらしい。
「……何の用だ」
俺は欠伸を噛み殺しながら、縁側から声をかけた。
男は鼻で笑い、通訳を介さず流暢な日本語で告げた。
「単刀直入に言おう。貴君が保有する『妖怪戦力』は、一個人が独占するにはあまりに強大で、かつ不安定だ」
彼は懐から書類を取り出し、一方的に宣告した。
「よって、本日より貴君の組織を国際連合直轄の監視下に置くことを通告する」
出た。
綺麗な言葉でラッピングされているが、要するに『お前のモノは俺のモノ、俺のものは俺のもの』という、あの国民的なガキ大将理論だ。
アメリカ、中国、ロシア。
列強の思惑は透けて見える。彼らにとって、妖怪とは未知の「生物兵器」でしかないのだ。
「日本政府とは既に話がついている。あとは貴君のサインだけだ」
男が契約書を突きつける。
視線の端で、役人が泣きそうな顔でこちらを見ていた。
(す、すみません安倍さん! 断ったら経済制裁とかちらつかされて……)
そんな心の叫びが聞こえてきそうだ。
やれやれ。
俺は心底うんざりした。
こいつらの要求を飲めば、待っているのは国連管理下での「世界を守るヒーロー」という名の強制労働だ。
かといって拒否すれば、今度は国際問題に発展して、これまた面倒なことになる。
どちらに転んでも、俺の安眠は脅かされるわけだ。
「……はぁ」
「どうした? サインするペンがないのか?」
男が嘲るように笑う。
俺はその挑発を無視して、卓袱台に向き直った。
向かいには、好々爺──ぬらりひょんが座っている。
「おい、ぬらりひょん」
「なんですかな、主よ」
「茶だ。濃いめのやつを頼む」
「御意」
ぬらりひょんは優雅な手つきで急須を傾けた。
トクトク……という水音だけが、張り詰めた空気に響く。
「おい! 無視をするな!」
視察団の男が激昂し、土足で縁側に上がり込もうとした。
「貴様、我々を誰だと──」
その瞬間。
ぬらりひょんが、カタン、と湯呑みを置いた。
──フワッ。
空気が、ズレた。
そうとしか表現できない感覚だった。
世界のピントが少しだけぼやけ、認識のレイヤーが一枚、書き換えられたような空気。
男の足が止まる。
彼は怒りに燃えていた表情を、ふっと空白にした。
そして、長い会議を終えた後のサラリーマンのような顔で、大きく伸びをしたのだ。
「……ふゥ。これで、大筋はまとまったかな?」
男だけではない。
背後のSPたちも、車で待機していた他国の代表たちも、一様に充実した顔で頷き始めた。
「ああ、非常に建設的な議論だった」
「ウィン-ウィンの関係が築けたな。ミスター・アベはタフ・ネゴシエーターだったよ」
「とりあえず持ち帰って検討しよう。……よし、撤収だ!」
存在しない記憶が、彼らの脳内で捏造されていく。
ぬらりひょんの能力『認識阻害』。
それは単に姿を消すだけではない。「そこにいるのにいない」「来た目的を忘れる」「自分の都合のいいように解釈する」という、精神干渉の極致だ。
ぬらりひょんはお茶を飲んでいるだけ。
だが、視察団にとっては"三時間に及ぶ激論の末、なんとなくいい感じの合意形成が取れた気になって散会する瞬間"へと、現実がスキップされていた。
「では、ミスター・アベ。今後の活躍を期待しているよ」
男は満足げに俺と固い握手を交わした。
「ああ、気をつけて帰ってくれ」
俺が適当に手を振ると、彼らは「今日はいい仕事をした」という清々しい顔で車に乗り込んでいく。
エンジン音と共に、黒塗りの車列が去っていった。
まるで、狐につままれたように。
後に残されたのは、口をあんぐりと開けた日本の役人たちだけ。
「あ、あの……安倍さん? 彼らは……?」
「帰ったぞ。満足して」
「ええっ!? な、何も話し合ってないのに!?」
「以心伝心。日本の空気を読むという文化が伝わったんだな、これぞ侘び寂びだよ。知らんけど」
俺は熱い茶を啜った。
数時間後。
ニュースでは珍事として報じられていた。
帰国した各国の代表団が、飛行機の中で「あれ? 結局、議事録はどうなってるんだ?」と正気に戻り、しかし手元には白紙の契約書しかなく、大パニックになっていると。
「フォッフォッフォ。人間とは、実に見たいものしか見ない生き物ですのう」
ぬらりひょんが笑う。
俺は茶柱が立っているのを見つめながら、深く頷いた。
「ああ。おかげで助かったよ。……次からは玄関に"国連お断り"の札を貼っておくか」
最強のクレーマー対策。
それは「そもそもクレームを言いに来たことを忘れさせる」ことだった。
こうして、ぬらりひょんは弊社における「顧客満足推進室・室長」に就任した。
国際社会からの干渉という最大の懸念事項は、お茶を一杯飲んでいる間に霧散したのだった。




