第6話 弊社、採用凍結する
目が覚めると、体が鉛のように重かった。
二日酔いではない。もっと根源的な、生命のエネルギーをごっそりと吸い取られているような感覚だ。
例えるなら、バックグラウンドで重いアプリを百個ほど起動したままのスマホ──。
バッテリー残量は、起床直後にして既にレッドゾーン。
「……なんだ、これは」
重い瞼をこじ開け、俺は這うようにして縁側へと出た。
そして、言葉を失う。
「「「おはようございます! 社長!!」」」
「今日もいい天気ですね、社長!」
「お茶をお持ちしましょうか、社長!」
……なんということでしょう。
かつては、選ばれし百体の「大妖怪幹部」たちが優雅にたむろしていた、癒やしの空間が。
今は、有象無象たちで埋め尽くされた、地獄の芋洗い状態へと劇的な変貌を遂げているではありませんか。
傘お化けが宙を舞い、提灯小僧が走り回り、一つ目小僧が見つめる先で、あかなめが縁側を熱心に舐め回す。
いわゆる「小物妖怪」たちが、足の踏み場もないほどにひしめき合っているのだ。
その数、ざっと一千は下らない。
「……増えてる、よな?」
俺が呆然としていると、庭の喧騒をすり抜けて、一人の老人が飄々と現れた。
禿げ上がった後頭部が異様に長く、上等な着物を着流した好々爺。
手には湯呑みを持っている。
ぬらりひょん。
「妖怪の総大将」とも呼ばれる、捉えどころのない大妖怪だ。
「フォッフォッフォ。いかがですかな、主よ。賑やかになって良きことですのう」
彼は勝手に俺の茶卓に座り、ズズズと茶を啜った。
まるで最初からそこにいたかのような自然さ。これは彼の能力である『認識阻害』の一端らしいが、今は感心している場合ではない。
「ぬらりひょん……これはどういうことだ」
「いやはや。これからの大戦に備え、わしが日本全国を行脚して回りましてな。各地の祠や古井戸に封じられていた若いのを、片っ端から叩き起こしてきたのですわ」
その時、タマモが血相を変えて飛んできた。
「我が君! お顔色が優れないようです! 霊力が……圧倒的に足りてません!」
「……霊力?」
「はい。陰陽術における使役とは、すなわち労働契約。契約を結んだ時点で、我が君の霊力が対価《給料》として、自動引き落としで支払われるシステムなのです!」
俺はぬらりひょんを睨みつけた。
「おい。俺はこいつらを雇った覚えはないぞ」
「ほっほ。そういえば貴方様に"認識阻害"をかけたら無意識にハンコを押されておりましたな」
「詐欺だろッ!!」
俺は膝から崩れ落ちそうになった。
「"社員"は多いほうがよかろうと思いまして。いわば、大規模な"中途採用"ですな」
「ふざけんな! すぐに採用凍結だ!」
俺の身体が重い原因がわかった。一千体の自動引き落とし。破産確定だ。
「しかし、なぜ俺のような凡人が、今まで百体もの大妖怪を使役できていたんだ?」
俺の疑問に、タマモが意外そうな顔をした。
「ご存じありませんでしたか? 我が君は、あの陰陽師の名門・安倍家の直系。その霊力は、先祖代々受け継がれてきた"莫大な遺産"そのものです」
「遺産?」
「ええ。安倍家の始祖たるお方は、封印した妖怪や土地のエネルギーを千年にわたって精製・蓄積し、子孫のために残しました。いわゆる"内部留保"ですね」
タマモによると、安倍家の地下には、千年間複利運用され続けてきた膨大な霊力発生装置、土御門システムなるものが眠っているらしい。
俺はその『口座』の唯一の受取人であり、そこから湧き出る『利子』だけで、大妖怪百体を養えていたというわけだ。
「つまり俺は、働かなくても遊んで暮らせる"超・資産家"だったってことか……」
「左様でございます。規格外の霊力を得ているのです」
なんてことだ。
俺は「無職」などではなく「配当貴族」だったのだ。
だが、タマモは扇子をピシャリと閉じて、冷や汗を流す俺に告げた。
「ですが、今回の無計画な大量採用で、その"利子"の範囲を超えてしまいました。現在は、我が君の"元本"。つまり、魂を取り崩して支払っている状態です」
「それって……」
「はい。このままでは資産が枯渇し、我が君は霊的破産、つまりショック死してしまいます」
「ただちに解雇だ!」
俺は断固として告げた。
先祖が残してくれた大事な遺産を、こんな雑魚妖怪どもの人件費で食いつぶされてたまるか。
「ええ? せっかく集めたのに……彼らも行く宛がないと可哀想でしょうに」
ぬらりひょんは「困りましたのう」と他人事のように呟く。
この老人、中間管理職として一番厄介なタイプだ。「よかれと思って」現場を混乱させ、責任は取らない古株役員そのものである。
タマモが凄まじい殺気を飛ばすが、ぬらりひょんは「フォッフォッフォ」と柳に風で受け流す。
こいつに怒っても無駄だ。今の俺には、怒るためのカロリーさえ惜しい。
「どうすればいい? このままじゃ干からびて死ぬ」
「足りないのであれば、外部から譲り受けてはいかがでしょうか?」
「外部?」
「はい。妖怪は本来、人の畏怖や信仰心を糧として生きています。他人から"祈りの力"を譲ってもらえれば、それを霊力《賃金》に変換できます」
なるほど。
自己資本が尽きそうなら、広く一般から出資を募ればいいわけだ。新規公開株式《IPO》だな。
「……いっさ」
「は?」
「すぐに御子柴一佐を呼んでくれ」
***
数分後。
モニター越しに、メガネのおじさんが緊張した面持ちで映し出された。内閣総理大臣である。
御子柴に要件を伝えた瞬間、彼は「私の権限じゃ無理です!」と悲鳴を上げ、即座に官邸ホットラインを回したのだ。
結果、あれよあれよと言う間に国のトップが出てくる事態となった。
『あ、安倍殿。このような形で直接お話しできるとは……。して、本日のご用件は?』
俺は、今にも崩れ落ちそうな体をソファに深く預け、精一杯の虚勢を張って告げた。
「総理、緊急案件です。……対宇宙人防衛のため必要に駆られて妖怪戦力を大幅に増強しました」
『ぞ、増強……ですか?』
「ええ。ですが、維持コストが莫大です。そこで、日本政府にエネルギー供給の面で協力を仰ぎたい」
俺はカメラを真っ直ぐに見据えた。
「今すぐ、全国の神社仏閣、教会、あらゆる宗教施設に通達を出していただきたい。妖怪たちへ感謝の"祈祷"を行うように、と」
『き、祈祷!? 武器や支援物資ではなく、お祈りですか!?』
「そうです。総理、かつての『元寇』の際、国を挙げての異国調伏の祈祷が、神風を呼んだ事例はご存じですね?」
鎌倉時代、蒙古襲来の際、朝廷や幕府は寺社に大規模な加持祈祷を行わせた。
結果、博多湾に暴風雨──いわゆる「神風」が吹き、敵艦隊は壊滅した。
あれも実は国家規模の戦略術式である。
「状況は同じです。相手が『異国』から『異星』に変わっただけ」
俺は画面越しに、国のトップを見据えた。
「祈り、あるいは畏怖……それら国民の感情すべてが、妖怪たちの燃料になります。現代に再び"神風"を吹かせるのです。……三時間以内に開始していただけますか?」
『さ、三時間!?』
「それ以上は持ちません。エネルギー切れで迎撃部隊が消滅すれば、この国に明日はありません。……ご英断を」
『わ、わかりました! 直ちに手配します!!』
総理は顔面蒼白で通信を切った。
***
それからの日本政府の動きは、神速だった。
さすがは災害大国・日本。鍛え上げられた緊急連絡網が、この非常事態に唸りを上げる。
テレビ、ラジオ、スマホのエリアメール、果ては防災無線まで。
ありとあらゆるメディアが、Jアラートの音色と共に、なりふり構わず国民へこう報じ始めた。
「──祈ってください」と。
『国民の皆様にお願い申し上げます。現在、上空で防衛任務にあたっている妖怪たちのエネルギー源は、人間の"心の力"であることが判明しました』
『彼らを支えるため、皆様の想いを届けてください! 最寄りの神社、寺院、教会、あるいはテレビの前でもかまいません。彼らに声援を送ってください!』
アナウンサーの絶叫が続く。
『ほんのちょっとずつだけで構いません! 彼らに元気を分けてください!!』
オカルト極まりない要請だ。
だが、実際に空には敵の母艦が浮かび、妖怪がそれを迎撃したという現実がある。人々は藁にもすがる思いで手を合わせた。
──その結果は、即座に現れた。
一時間後。
俺の身体から鉛のような重だるさが消え、指先まで力が漲ってくる。
いや、満ちすぎて溢れるほどだ。
「おお……! 体が、軽い!」
「す、すごいです社長! 俺たちなんか体がピカピカ光ってますよ!」
庭の小物妖怪たちも歓声を上げる。
彼らにもエネルギーが行き渡り、傘お化けは高速回転し、一つ目小僧の眼力は増し、あかなめは所構わず猛烈な勢いで舐め回している。
まさしく「全軍、士気旺盛状態」といった状態だ。
「フォッフォッフォ。これならあと一万体は雇えますな」
ぬらりひょんが憎らしいことを言うが、とりあえず"霊的破産《ショック死》"の危機は脱した。
大地よ、海よ、そして生きている全てのみんな……ありがとう。
俺はほっと息をつき、リビングのテレビをつけた。
ニュース番組が、この一連の騒動を速報で伝えている。
画面には、胡散臭い識者と称する陰陽師が、俺のことを話していた。
『彼は、単に戦うだけでなく、国民の"不安"というネガティブな感情を、"祈り"というアクションに昇華させ、エネルギーに変えたのでしょう』
『まさに現代式の新しい陰陽術を構築したと言えましょう。使役妖怪拡大に伴う霊力不足を、クラウドファンディングならぬ"集団祈祷"で解決するとは』
……。
俺はリモコンを握りしめたまま、画面を凝視した。
なぜか「国民を巻き込む天才的な陰陽師」として、評価がうなぎ登りになっている。
「……もう、嫌だ」
俺はソファに沈み込んだ。
俺は……静かに休みたいだけなのに……。
外からは、充填完了して元気になりすぎた妖怪たちの雄叫びが聞こえてくる。
どうやら、俺の平穏な隠居生活は、ますます遠ざかっているようだった。




