第5話 弊社、飲み会強制を許さず
人事部長兼秘書となった九尾の狐の手腕は、まさに神懸かり的だった。
彼女の働きにより、我が家──もとい、弊社の運営は、驚くほどスムーズに軌道に乗りつつあった。
庭を見れば、平和そのものだ。
河童の子供達が、駐屯中の自衛隊員から差し入れのキュウリを貰ってキャッキャと喜び、化け狸たちは戦車に葉っぱを乗せてドロンと術をかけ、岩や植え込みに化けさせている。
実に微笑ましい、異文化交流の光景だ。
そんな平和な午後のひととき。
俺は縁側で、究極の堕落を貪っていた。
「はい、あーん♡」
「……ん」
タマモの柔らかい太ももを膝枕にし、彼女が丁寧に皮を剥いた巨峰を口に運んでもらう。
口いっぱいに甘い果汁が広がる。
至福だ。
これだ。これこそが、俺が追い求めていた理想の隠居ライフだ。働いたら負けだ。
誰が何と言おうと、この生き方が正しい。
だが、神は──あるいは宇宙は、俺の安息を許さないらしい。
──ブゥン。
不躾な電子音が、その静寂を唐突に引き裂いた。
庭の中空、何もない空間が歪み、ノイズ混じりの巨大なホログラム映像が投影される。
映し出されたのは、銀色のボディスーツに身を包んだ、いかにも知能が高そうな異星人だった。
『……地球の指揮官、アベ・レイジだな。私は銀河帝国第七艦隊第一先遣隊、隊長のザルクだ』
宇宙人からのビデオ通話だ。
俺が起き上がろうとすると、タマモが扇子で制し、冷ややかな視線を映像に向けた。
「あら、無粋なこと。社長がお寛ぎのところを……随分と野暮な殿方ね」
『フン、未開の原住民が。……レイジよ、単刀直入に言おう。我々の軍門に降れ』
ザルクと名乗った宇宙人は、傲岸不遜に告げた。
『貴様のその「妖怪」を操る能力、私は高く評価している。どうだ、帝国軍の幹部として我々に加わらないか? 地球の管理権の半分をくれてやってもいい』
いわゆる、ヘッドハンティングである。
俺はタマモの膝の上で、欠伸を噛み殺しながら答えた。
「興味ないな。俺は今の生活に満足してる」
『ほう? だが、我々の話を聞けば考えも変わるだろう』
脅し……か。無駄なことだ。
たとえ人類全てを人質に取ったところで、俺には効かない。何しろ俺は、昨日まで本気で世界を滅ぼそうとしていた男だぞ。
今は「人類が滅んだら、美味しい食べ物や娯楽までなくなってしまう」という事実に気づいてやめたけれど、それだけの理由だ。正義感など欠片もない。
どんな話を聞かされても考えが変わるわけがない。
だが、ザルクはニヤリと笑い、空中にグラフや福利厚生データを次々とポップアップさせた。
『我が軍は完全効率主義だ。皇帝陛下は、無駄を何よりも嫌う。……ゆえに、我々は地球のような、非効率な「精神論」や「付き合い」など一切行わない』
彼は最も重要な文言を強調表示した。
『我が軍の福利厚生は銀河一である。完全週休二日制、定時上がりは絶対遵守。有給消化率は100%』
「なん……だと?」
俺の目の色が変わった。
タマモの膝からガバっと上半身を起こす。
『そして──割り当てられたタスクさえ消化すれば、それ以降は個人の裁量に委ねられる』
「……じ、自由に……寝ていいと?」
ザルクは悪魔の如く囁いた。
『無論だ。副業するもよし、ゲームに興じるもよし。無駄な会議、無駄な朝礼、無駄な付き合い残業……それらは全て、陛下が嫌うものとして排除されている』
ゴクリ、と俺は生唾を飲み込んだ。
それは、かつての俺が喉から手が出るほど欲していた、幻の条件。
『さらに、ボーナスは年三回支給。部下の管理は高性能AIが行うため、中間管理職特有のストレスや責任問題もゼロだ』
「……詳しく聞かせてもらおうか」
俺は思わず身を乗り出した。地球の半分を貰ってるのに、責任問題ゼロだと?
食い気味だった。
「わ、我が君!? 何を仰いますか!?」
タマモが焦った声を上げるが、俺の耳には届かない。
冷静に考えてみろ。
今の「百鬼夜行の主」という立場も悪くはない。だが、いつ政府が手のひらを返すかわからないし、妖怪たちが暴走して不祥事を起こすリスクも常にある。不安定なベンチャー企業の社長のようなものだ。
それに比べて、帝国のシステム化され責任のない立場は魅力的だ。
そして何より──
(……やっぱり、完全に働かないのは、ちょっと心が痛いんだよな……)
染みついた社畜根性が、「適度な労働」を求めて疼いていたのだ。
ニート生活の罪悪感が、ホワイト企業への憧れを加速させる。
「職務経歴書はどこに送ればいい? PDFでいいかな?」
「我が君ンンンンッ!!」
ザルクは勝利を確信したように頷く。
『ははは、そんなものはいらん。まずは研修として、前線基地に来てもらう。場所は、この太陽系の第四惑星──火星だ』
──スッ。
俺の中で、熱狂が急速冷凍された。
「……火星?」
『そうだ。転送装置を使えば片道たった三時間……いや、住み込みの寮も完備して──』
「ふざけるな」
俺は吐き捨てるように言った。
「通勤に三時間? 人生の浪費にも程があるだろ」
『は? いや、だって他所の星を攻めるんだから宇宙中を飛び回ることに……』
「転勤も御免だ。俺はこの家から一歩も動きたくないんだよ。引っ越しの荷造りがどれだけ面倒だと思ってるんだ」
俺は再びタマモの膝に頭を乗せて、寝転がった。
「通勤時間は人生の墓場だ。テレワーク不可なら、この話はなかったことにしてくれ」
『き、貴様……! なんたる不適合者ッ!』
ザルクが激昂し、ホログラムが赤く明滅する。
『テレワークで銀河征服ができるわけなかろうがァッ!!』
「そこをどうにかするのが経営陣の仕事だろうが! 地球を舐めるなッ!」
『ええい、話の通じぬ愚か者め! 交渉決裂だ! 総員、攻撃開始ッ!』
映像が消えると同時に、裏手を流れる川の水面が大きく盛り上がった。
ザバザバと水飛沫を上げ、無数の水陸両用ドローンと機動兵器が上陸を開始する。どうやら近くの川底に潜伏していた部隊を一斉に差し向けてきたらしい。
庭にいた酒呑童子たちが色めき立ち、武器を構えようとする──が。
「お待ちなせぇ」
それを制して、進み出た者がいた。
「水辺の戦いなら、アッシらの独壇場でさァ」
ヌルリ、と池から現れたのは、緑色の肌をした小柄な妖怪。
皿を頭に乗せ、背中に甲羅を背負ったその姿。
河童だ。
そのリーダー格、河太郎が、水かきのある手を振ってみせた。
「敵さんは沢沿いに陣取ってるようで。最新鋭の機械だか何だか知りませんが、水没させちまえばただの鉄屑でしょう?」
「任せたぞ、河太郎」
「合点承知!」
河太郎が指笛を吹くと、敷地内の池や井戸、水路から無数の河童が飛び出した。
彼らは驚異的な跳躍力で山へと消えていく。
***
戦いは一方的だった。
ザルク率いる機動部隊は、沢沿いの拠点で迎撃態勢を整えていたが、足元から崩された。
「な、なんだ!? 機体が動かん!」
「水だ! 冷却水が逆流している!?」
河童たちの戦法は、陰湿かつ合理的だった。
彼らは水を自在に操る妖術で、最新鋭機体の吸気口や排熱ダクトに、高密度の泥水を強引にねじ込んでいく。
さらに、川底から伸びる無数のぬるぬるした手が、兵器の関節部を掴んで引きずり倒す。
「尻子玉ァ、よこせェ!」
河太郎が敵の旗艦──ザルクの乗る多脚戦車に飛び乗った。
その手には、妖力を帯びて青白く発光する、巨大な工具が握られている。
「左甚五郎直伝! 神速解体術を見せてやるぜ!」
河太郎がニヤリと笑う。
河童たちは、生まれついての「建築と解体のプロフェッショナル」だ。
複雑な木組みも電子回路も、彼らにかかれば等しく「バラすべき構造物」に過ぎない。
「ここの配線を切れば……ほいっとな」
バチバチッ!
ザルクの多脚戦車が盛大にショートし、爆発音と共に沈黙した。
『ば、馬鹿な……! 帝国の科学力が、こんな原始的な生物に……!』
川に沈みゆくコックピットの中で、ザルクの絶叫が響く。
「へっ、科学だか何だか知らねぇが、水の上じゃ負けねぇよ」
河太郎は勝利のVサインを掲げた。
──ドォォォン……。
遠くで最後の機体が爆発し、残響が消えていく。
俺が腕時計に目を落とすと、針は十七時ジャストを指していた。
あまりにも美しい、定時退社だ。
「お疲れ様でした、社長」
タマモがうっとりとした表情で、新しいお茶を差し出してくる。
「定時通りの業務終了。さすがは我が君、見事なタイムマネジメントですわ」
俺は何もやってないが、タマモの中では俺の手柄になるらしい。帰還した河太郎たちも、誇らしげに報告に上がってくる。
彼らの手には、戦利品なのか、大量の川魚とキュウリが握られていた。
「へへっ、大将! こいつで戦闘に参加した全員で打ち上げを決行しようと思いやす! 勝利の祝杯ってやつで!」
河太郎が鼻息荒く宣言する。
だが、俺は即座に手を挙げて制した。
「待て。その『全員強制参加』ってのは却下だ」
「えっ? で、でも結束を深めるために……」
「業務時間外の飲み会を強要するのは、立派なハラスメント行為、アルハラだ。飲みたい奴もいれば、家で寝たい奴もいる。部下のプライベートを縛るな」
俺の言葉に、河太郎がポカンとする。
目から鱗の概念らしい。
「参加・不参加は個人の自由にさせろ。……ただし」
俺は蔵の方を指さした。
「酒とツマミはすべて弊社が出す。福利厚生だ。好きな奴だけで集まって、好きなだけやれ」
「し、社長ぉぉぉ……ッ!!」
河太郎が感涙にむせび泣く。
俺は満足げに頷いた。
火星への転勤なんて、真っ平ごめんだ。
やはり、自宅こそが一番のホワイト職場である。
こうして、他社による引き抜き工作は、河童たちの活躍によって水に、いや川に流されたのだった。




