第4話 弊社、コンプライアンスを重視
翌日。
庭の惨状は、昨夜の宴がどれほど激しいものだったかを物語っていた。
空になった一升瓶の山。破壊された偵察機の残骸。そして、二日酔いで道端に転がる妖怪たち。
だが、俺の頭痛の原因はアルコールではない。
目の前に整列した、迷彩服の集団だ。
「──陸上自衛隊、第三師団所属。一等陸佐の御子柴です」
白髪交じりの指揮官が、緊張で顔を引きつらせながら敬礼した。
彼の背後には、重武装した隊員たちと装甲車がズラリと並んでいる。
政府はついに、百鬼夜行との「正式な共闘」を決断したらしい。宇宙帝国軍の侵略が本格化する前に、戦力として妖怪を利用する腹積もりだろう。
「単刀直入に申し上げます、安倍殿。政府は貴殿の戦力を高く評価しています。我々と正式な共同戦線を──」
「断ります」
「……は?」
御子柴は耳を疑ったように固まった。
「こ、断る、とは……? これは国家防衛の要請ですよ?」
「だって、軍隊なんて規律の塊でしょ。毎朝6時起床とか無理ですし……」
「なっ……!?」
御子柴の後ろにいた若手隊員が、信じられないものを見る目で声を上げた。
「ふ、ふざけるな! こっちは命がけで国を守ってるんだぞ!」
「あァ? 誰に向かって口きいてんだ、人間風情が」
ドスの利いた声と共に、庭の木陰から赤鬼が現れた。
昨日の酒がまだ残っているのか、その目は血走り、全身から殺気が溢れ出ている。
その瞬間。
ザッ、と一糸乱れぬ動きで、隊員たちが銃口を向けた。
「やめろ、撃つな! まだ攻撃命令は出ていない!」
御子柴が叫ぶが、空気は張り詰め、今にも暴発しそうだ。
あー、もう。これじゃあ安眠どころの話ではない。
俺は深くため息をつき、ボソリと言った。
「……減給」
その一言は、赤鬼の足をピタリと止めた。
「……え? 大将、今なんと?」
「社内規定違反だ。ペナルティとして、一週間の禁酒処分とする」
「な、なんでェェェェッ!?」
赤鬼が絶望の叫びを上げた。
昨日の宴の味を知ってしまった彼らにとって、禁酒は何よりの拷問らしい。
「いいか、弊社はコンプライアンスを重視する。パワハラ、モラハラ、暴力行為は禁止だ。たとえ相手が弊社の人間じゃなくてもな」
俺が睨むと、赤鬼はシュンとして縮こまった。
さっきまでの威勢はどこへやら、借りてきた猫ならぬ、叱られた大型犬のようだ。
「えっ、言うこと聞くの……?」
遠巻きに見ていた自衛隊員たちが、呆然とした顔でそんな声を漏らしている。
凶悪な怪物が、ジャージ姿の男の一喝で大人しくなったのだ。彼らの困惑も無理はない。
とりあえず、現場の空気は収まったか。
そう安堵した矢先だ。
「──ふふ。相変わらず、部下にはお優しいことですわね」
艶やかな声が響いた。
母屋の暗がりから、一人の女性が音もなく歩み出てくる。
太陽の光を浴びて煌めく金色の髪は、高く結い上げられたポニーテール。そこから覗く二つの獣耳が、ぴくりと小さく揺れる。そして、その背からは、まるで炎のように鮮やかな九つの尾が優雅に揺らめいていた。
絶世の美女。
見る者をひれ伏させる、女王の如き圧倒的な妖艶さと威圧感。
「お久しぶりです、我が君」
彼女は俺の前に進み出ると、優雅に膝を折り、艶然と微笑んだ。
その背後で、九本の黄金の尾がゆらりと揺らめく。
九尾の狐。
かつて傾国の美女として国を滅ぼしたとされる、大妖怪筆頭格。
「タマモ……」
「はい。貴方様にお会いできる日を、指折り数えて待っておりましたわ」
タマモは感極まったように、うっとりと俺を見つめる。
……いや、待て。
そんな数百年ぶりの再会みたいな空気を出しているが、お前、テレビで俺の住所をバラした罰で「一日謹慎(押し入れ行き)」になっていただけだからな?
俺の呆れ顔など意に介さず、タマモは立ち上がると、そっと俺の手を取った。
「謹慎処分、謹んでお受けいたしました。……反省しておりますわ、たっぷりと」
上目遣いのその瞳は、全く反省していない色を宿していた。
彼女はクルリと振り返り、自衛隊員たちを見下ろした瞬間──その表情を一変させた。
「……で? 何をしているのかしら、この人たちは」
冷酷。
絶対零度の視線。
先ほどまでの艶やかな美女は消え失せ、そこにはすべてを見下す暴君が立っていた。
「我が君の御前ですよ。武器を持ったまま立つなんて、無礼な」
タマモが軽く袖を振るうと、ズンッ! という重低音と共に、濃密な殺気が隊員たちを襲った。
「う、ぐ……ッ!」
隊員たちは呻き声を上げ、膝を折りそうになるのを必死で堪える。
さすがは軍人である。大妖怪筆頭の殺気を目前に逃げ出さないだけ称賛に値するが、これ以上は彼らの精神が持たないだろう。
「あ、あの……タマモさん? 彼らは一応、協定を結びに来たお客様で……」
俺が恐る恐る声をかけると、タマモは瞬時にデレデレの笑顔に戻って振り返った。
まるでスイッチを切り替えたような早業だ。
殺気が霧散し、隊員たちがぜぇ、はぁ、と一斉に息を吹き返す。
「まあ! 我が君がそう仰るなら、私はそれに従うだけ。……ですが」
彼女は俺の腕にしなだれかかり、自身の豊満な胸を押し付けながら、耳元で囁く。
「君主たる貴方様が、このような雑務に関わるのはよろしくありませんわ。貴方様の手は、ハンコを押すために存在する尊いもの」
「えっ」
「面倒な交渉事、人員配置、スケジュール管理、そして外部との折衝……すべて、このタマモにお任せくださいませ」
「……え、全部やってくれんの?」
「当然ですわ。私の望みは、貴方様が玉座にお掛けになるお姿を見ることだけ。雑事はすべて、私が引き受けましょう」
あなたが神か。いや、妖怪か。
俺が求めていたのは、この「丸投げできる右腕」だ。
「つきましては」
タマモは扇子をパチンと開き、艶然と微笑んで宣言した。
「本日より、私がこの組織の“人事部長”兼“社長秘書”を務めさせていただきます」
***
そこからのタマモの手腕は、見事としか言いようがなかった。
妖怪たちへの徹底したコンプラ指導だ。
彼女は傲慢な態度で彼らを支配しつつも、アメとムチを巧みに使い分けた。
「人間を襲ってはいけない」というルールを、「人間を守ってやれるのは強者であるお前たちだけだ」というプライドのくすぐり方に変換し、彼らの自尊心を満たしたのだ。
その結果──。
「おい人間! そこは危ないから下がってろ! 俺様が守ってやる!」
「いつも助かるよ、赤鬼さん」
「フン、礼には及ばん! ……あと、これ食うか。休憩だろ」
赤鬼が不器用に差し出したのは、お菓子と、熱いお茶だ。
隊員たちが笑顔でそれを受け取る。
その微笑ましい光景を眺めていると、ふと、彼らの背後に建てられた手製の休憩小屋が目に入った。
柱に立てかけられた一枚のベニヤ板には、いかにも不器用な、だが丁寧な墨文字が踊っている。
『どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます』
俺は苦笑した。
妖怪たちは元々、人間と仲良くしたかったのかもしれない。
だが、人間から恐れられ、石を投げられ、仕方なく距離をとって生きてきた。
タマモの「業務命令」は、彼らにとって人間と関わるための、ちょうどいい口実になったわけだ。
現場では、不器用な妖怪と真面目な自衛隊員という奇妙な友情が芽生え始めていた。
俺は縁側で、タマモが淹れてくれた極上のお茶を啜る。
「いかがですか、我が君」
「最高だ。お前、有能すぎるな」
「お褒めに預かり光栄ですわ。ふふ、もっと私を頼ってくださっていいのですよ?」
コンプライアンスの遵守。
人事部長タマモの就任により、弊社はホワイト企業どころか、俺にとっての天国へと変貌を遂げつつあった。




