第3話 弊社、福利厚生を充実させる
目を覚ました時、俺の祖母の家は要塞と化していた。
いや、物理的に壁ができたわけではない。
縁側から外を見ると、空気が揺らいでいる。半透明の幾何学模様が、ドーム状に屋敷全体を覆っていたのだ。
「……なんだこれ」
「おお、お目覚めですかい、大将」
ドームの向こうから、豪快な声が響いた。
現れたのは、身の丈二メートルはあろうかという巨漢だ。
乱れた赤髪に、額から突き出た二本の角。背負っているのは巨大な鉄の瓢箪。
酒呑童子。
鬼の中の鬼。百鬼夜行における特攻隊長といったところか。
彼は半透明の壁を、誇らしげに親指で叩いて見せた。
「こいつは『四方封陣・改』。物理攻撃なら、ほぼ完封できやすぜ」
さらっとすごいことを言う。そんな軍事用シェルターみたいなものを、俺が寝ている間に勝手に展開したのか。
「昨日の『自由行動』、最高でしたぜ。おかげでこの辺りの鉄屑どもは粗方片付いた」
酒呑童子はニカっと笑い、ドサリと足元に何かを転がした。
宇宙人の着ていたパワードスーツの残骸だ。スクラップ回収業者も真っ青の解体ぶりである。
「で、だ。大将」
彼は大きな手のひらを俺の前に突き出した。
「仕事はした。成果も出した。となれば、次は『報酬』ってのが筋ってもんだろ?」
周囲にいた他の妖怪たち──カマイタチや野槌たちも、期待に満ちた目で俺を見ている。
なるほど。
労働の対価を求めているわけか。至極真っ当な主張だ。
ブラック企業に毒されていた俺だが、経営者(仮)になってしまった以上、彼らにタダ働きを強要するつもりはない。
だが、あいにく現金の持ち合わせは少ないし、そもそも妖怪に日本円が通用するとは思えない。
「……何が望みだ」
「酒だ」
酒呑童子は即答した。
「極上の酒と、美味い肴。それさえありゃあ、俺たちは文句言わねぇ」
安上がりな連中だ。
いや、彼らにとっては金銭よりも、現世の娯楽こそが貴重なのかもしれない。
俺は少し考え、顎で母屋の裏手にある蔵をしゃくった。
「蔵の中に、婆ちゃんが漬けてた梅酒や、お歳暮やらお中元でもらった贈答用の日本酒が山ほど眠ってるはずだ。好きにしろ」
「い、いいのか!?」
「ああ。どうせ俺は飲まないしな」
俺は軽く手を振って付け加えた。
「福利厚生の一環だ。パーッとやれ」
その言葉は、彼らにとって魔法の呪文だったらしい。
「ふ、福利厚生……!」
酒呑童子がわなわなと震えだした。
「聞いたかテメェら! 俺たちの英気を養うための宴を開いてくださるそうだ!」
「なんてホワイトな職場なんだ……!」
「一生ついていきます社長!」
『社長バンザイ! 社長バンザイ!』
またしても勝手に忠誠度が上がっていく。
総大将やら総長と呼ばれるよりは、社長の方がまだ社会的な響きがあってマシか。
まあいい。これで彼らが大人しくしてくれるなら安いものだ。
***
数時間後。
俺の家の庭は、巨大な宴会場と化していた。
どこから調達したのか、大鍋では猪肉が煮込まれ、蔵から運び出された一升瓶が次々と空けられていく。
妖怪たちが車座になって酒を酌み交わす光景は、まさに地獄絵図ならぬ百鬼夜行絵図。
「主も一杯いかがですかな」
すでに顔を赤くした大天狗が、一升瓶を抱えて絡んできた。
俺は縁側でそれを適当にかわしながら、お茶を啜る。
騒がしいが、不思議と悪い気分ではない。
誰にも急かされず、電話も鳴らず、ただ他人が楽しんでいるのを眺める時間。これこそが、俺が求めていた「平穏」かもしれない。
──ヒュンッ!
その平穏を切り裂くように、空から一条の光が走った。
「……あ?」
俺が顔を上げるより早く、庭の結界が赤く明滅する。
上空数百メートル。
光学迷彩を解いて姿を現したのは、小型の偵察機編隊だった。昨日の残党だろうか。
彼らは地上の宴会騒ぎを「隙だらけ」と判断したに違いない。
『生体反応多数確認。一網打尽ニ殲滅スル』
無機質なアナウンスと共に、偵察機からミサイルが放たれた。
標的は、泥酔して踊っている酒呑童子たちだ。
「おい、危ないぞ!」
俺は思わず叫んだ。
いくら強い妖怪でも、不意打ちで爆撃されればタダでは済まないはず──。
しかし。
「あァ……? なんだぁ、蝿か……」
酒呑童子は、座ったまま面倒くさそうに空を見上げた。
その手には、なみなみと酒が注がれた大盃。
「せっかくの美味い酒に、埃が入るだろうがァ!!」
ドォン!!
酒呑童子が口に含んだ酒を、空に向かって霧状に吹き付けた。
ただの酒飛沫ではない。
それは凄まじい妖力を帯びた「散弾」となり、音速を超えて空へ駆け上がった。
──ズガガガガガガッ!
着弾。
五機の偵察機が蜂の巣になって爆散した。
「へっ、景気のいい花火だぜ」
他の妖怪たちも、爆発を肴にさらに酒を煽っている。
宙を舞うカマイタチは、頬を朱に染め、千鳥足ならぬ「千鳥飛行」で残骸を追った。
「ヒック……! ほら、見てよぉ。UFOの、お刺身、いっちょあがりぃ~!」
落下してくる鉄の塊を、ろれつの回らない口調とは裏腹な神速の斬撃で千切りにする。
細切れになった残骸がキラキラと空に散ると、カマイタチは楽しそうに笑い転げた。
「…………」
俺は悟った。
こいつら、四六時中戦闘準備万端だ。
酔っ払っていようが寝ていようが、近づく敵は反射的に排除する仕様になっているらしい。
俺は静かにお茶を飲み干した。
セキュリティは万全。福利厚生も充実。
弊社の経営は、盤石になりつつあった。




