第2話 弊社、完全成果主義を採用する
翌朝。
目覚めは最悪だった。
小鳥のさえずりで優雅に起床……とはいかず、鼓膜を振動させる爆音で叩き起こされたからだ。
俺は枕元にあったスマホを手に取った。
昨日、勢いで池に投げ捨てたはずなのだが、『大将のものでは?』と河童が親切に拾ってくれたのだ。防水だったおかげで、普通に使えてしまった。
まだ眠い目をこすりながらそのスマホを開くと、ネットニュースの見出しが踊り狂っていた。
《救世主現る! 謎の陰陽師が地球を救う?》
《妖怪軍団を統べる『安倍零祇』氏とは何者か》
《日本政府、安倍氏との接触を試みると声明》
原因は明白だ。
昨日、妖怪たちが日本各地に散って銀河帝国の先遣隊を全て退けた直後。
決死の覚悟で突撃取材をしたニュースキャスターに対し、あの九尾の狐──タマモが、カメラに向かって満面の笑みで答えてしまったのだ。
『我々の主人は、安倍零祇様ですわ』
『あの方は最強にして至高、この世の全てを統べるお方』
『え? 住所? ああ、N県M市F村の──』
個人情報が、全国ネットの生放送で垂れ流されていた。
あいつ、後で教育的指導が必要だ。絶対に。
そして現在。
俺の家の上空と周囲には、バリバリというヘリのプロペラ音と、ハウリングするほどの拡声器のノイズが響き渡っている。
『──安倍零祇様! 聞こえていますか! こちらは内閣官房、国家安全保障局です!』
『日本国政府は、貴方様との対話を求めています! どうか、どうかお姿を!』
俺は煎餅布団を頭から被り、ダンゴムシのように丸まった。
うるさい。
昨日の今日で、よくもまあここまで迅速に動けるものだ。元弊社の上層部に見習わせたいくらいのフットワークの軽さである。フッ軽政府め。
だが、俺は布団から出る気はない。
断固としてない。
なぜなら今日は、記念すべき「退職初日」だからだ。
退職届は昨日のうちにコンビニから郵送した。今の俺は晴れて無職だ。
無職とは仕事がないということだ。
つまり、働かなくていいということだ。
「誰がなんと言おうと、俺は絶対に働かない」
俺は布団の中で、誰にともなく宣言した。
外で国が呼んでいようが、世界が救世主を求めていようが知ったことか。
俺のスケジュールは「二度寝」と「惰眠」で埋まっているのだ。
俺はスマホの電源を切り、枕の下に押し込むと、頭まで布団を被って外界との遮断を試みた。
「主よ、お目覚めですかな」
障子がスパン! と勢いよく開け放たれた。
朝日で逆光になったシルエットは、巨大な翼を持つ大天狗だ。彼は今日も元気いっぱいに、軍人のような直立不動で立っていた。
「……閉めろ。眩しい」
「ハッ! 失礼いたしました!」
大天狗は音速で障子を閉め、部屋は再び薄暗闇に戻る。
やれやれ、と二度寝を決め込もうとした俺に、彼は恐縮しながらも告げた。
「外に群がる羽虫どもですが、いかがいたしましょう。昨日の仰せ通り"滅ぼし"ますか?」
「やめろ。絶対にやめろ」
俺は布団の中から即答した。
名前のバレてる状態で政府関係者を皆殺しにしたら、それこそ俺の平穏な隠居ライフは終了だ。国際指名手配犯になって逃亡生活なんてまっぴらごめんだ。
「殺すな。無視だ。俺は寝ている」
「御意。では、敷地内への侵入のみ阻止し、門前で待機させましょう」
大天狗の気配が消える。
ようやく静かになった……と思ったのも束の間。
「ところで主よ。皆が庭で待っております」
「……は?」
大天狗が、ニコニコと言った。
「"定例会議"の時間です」
***
嫌々ながら着替えて縁側に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。
庭を埋め尽くす、百鬼夜行の面々。
気のせいだろうか、昨日よりも数が増えている気がするが。
酒呑童子、かまいたち、女郎蜘蛛……。彼らは俺が姿を見せると、ザッ! と音を立てて整列し、一斉に平伏した。
「おはようございます! 総長!」
体育会系の部活か。
「総長って呼ぶな。族じゃないんだから」
「えー、ではこれより、第一回戦略会議を始めます!」
進行役を買って出たのは、やはり大天狗だった。彼はどこから調達したのか、キャスター付きのホワイトボード(恐らく近所の公民館から強奪したものだ。「第3会議室」というテプラが貼ってある)を立てかけ、指示棒を握りしめている。
「議題は"残存する宇宙害虫の駆除"について! 現在、敵の母艦は墜としましたが、脱出したポッドが山中に多数潜伏しております! また、奴らは威力偵察隊。今後は本体が出てくる可能性もあります!」
バシッ!
大天狗が指示棒でホワイトボードに貼られた地図を叩く。
「我々の最優先事項は、主の安全を守ること! そこで、各隊のシフト表と配置案を作成しました!」
大天狗がテキパキと指示を飛ばす。
「A班は北の沢へ、B班は南の林道へ。C班は結界維持に努め、D班は炊き出しを──」
その光景を見た瞬間。
俺の脳裏に、忌まわしい記憶がフラッシュバックした。
『おい安倍。朝礼だぞ』
『今日の進捗はどうなってる? 1時間おきに報告しろ』
『会議のための資料を作る会議をするぞ』
無駄。
圧倒的な無駄。
いちいち細かい指示を出さなければ動けない組織。手段が目的化した会議。承認印をもらうためだけのスタンプラリー。
それらが、俺の精神を蝕んでいた元凶だった。
俺は世界を滅ぼそうとしたのだ。
それなのに、なんでまた「組織運営」なんてしなきゃならないんだ。
俺は管理職になりたいわけじゃない。
「……主よ? いかがなさいました? この配置でよろしいでしょうか?」
大天狗が不安げに尋ねてくる。
俺は深くため息をつき、縁側に座り込んだまま手を振った。
「却下だ」
「なっ!? 不備がございましたか!?」
「そうじゃない」
配置とか、作戦とかを決めたらいちいち俺に確認を取ることになるだろう。
「いいか、よく聞け」
俺は百匹の妖怪たちを見渡して、ダルそうに告げた。
「俺はいちいち指示を出さない。お前たちがどこで何を狩ろうが、どう暴れようが自由だ。俺の許可なんて取るな。事後報告もいらない。業務日報も提出しなくていい」
いわゆる、丸投げである。
もっともらしい言葉にするなら『裁量労働制』あるいは『完全成果主義』。
要するに「勝手にやってくれ」ということだ。
俺の言葉に、庭が静まり返った。
まずい、冷たすぎただろうか。
ブラック企業の社長よろしく「自主性を重んじる(放置)」と言い放ったことに、彼らが反発するかと身構えたが──。
「……なんと」
震える声で呟いたのは、前列にいた鬼人族の男だった。
見ると、その目には大粒の涙が浮かんでいる。
「『全て任せる』……と仰るのか。我らのような、千年封じられていた罪人を、そこまで信用してくださるのか……!」
え?
「通常、陰陽師というものは、式神も妖怪も道具として扱い、細かい命令で縛り付けるもの。それが、まさか……『自由に行動せよ』とは!」
大天狗もまた、感動に打ち震えていた。
「これは、我らの"個"としての実力、そして"知性"を全面的に信頼しているという証! "お前たちなら、余計な指図がなくとも最善の結果を出せるはずだ"という、主からの至高の期待ッ!!」
え、違うよ。
ただ面倒なだけ。
しかし、俺が訂正するよりも早く、妖怪たちのボルテージは最高潮に達してしまった。
「うおおおおッ! 聞いたか野郎共!」
酒呑童子の感激した声が響く。
「俺たちは信頼されている! 細かい指示など不要、主の手足としてではなく、共に歩む眷属として認められたんだ!」
「この御恩に報いねば、妖怪の名折れぞ!」
「狩りだ! 一匹残らず狩り尽くして、総長の期待に応えるぞォォォッ!」
『オオオオオオオオッ!!』
地響きのような咆哮と共に、妖怪たちが弾丸のように飛び出していく。
先ほどの大天狗の緻密なA班・B班の配置案など、もはや関係ない。
全員がフリーダムに、しかし殺意高めに、四方八方へと散らばっていった。
数秒後。
遠くの山々から、ドカァン! ズガァン! と爆発音が響き、宇宙人たちの断末魔が聞こえ始める。
どうやら彼らは、命令されるよりも遥かに高いモチベーションで、残党狩りを開始したようだ。
「……まあ、うちが静かになるならいいか」
俺は空になった庭を見て、茶を啜った。
結果オーライだ。
これで俺は、今日一日布団の中で過ごせる。
だが、俺はまだ知らなかった。
この「丸投げ(放任主義)」こそが、最強最悪の組織"百鬼夜行"の結束を強固にし、銀河帝国軍の諜報機関を「高度に統率された独立武装集団」として震え上がらせることになる未来を。
外では、遠巻きに家を囲んでいた自衛隊員たちが、無線に向かって絶叫していた。
『ほ、報告! 妖怪たちが雄叫びを上げながら全方位へ散開! 猛烈な勢いでエイリアンを殲滅しています!』
俺は何もしていない。何もする気はない。
ただ、二度寝に入っただけである。




