第4章: 芽生える情熱。
火がぱちぱちと音を立てていた。アンリは顎に手を当て、彼らの数の多さに明らかに驚いていた。しかしそれ以上に、彼の疑念はすべて確信へと変わっていた。
彼もまた〈大戦〉の間に何が起きたのかを知っていた。彼もまた、均衡を崩した異変の数々を覚えていたのだ。
「なるほど……だからクリークと共に、あなたがこの大戦の終結を支えた柱の一人だったわけですね」
「……」
「それでも、我らの女王は異常存在を殺そうとしている。しかし……あなた方はそれほど多くはないのでしょう?」
「いいえ。我々は少数派にすぎません」
彼の言うとおりだった。
この世界に存在するアノマリーの数など、全人口と比べれば片手で数えられるほどしかいなかった。
外では風が強まり、窓枠を激しく叩いた。私は外へと視線を向けた。フェイトは、今も一人で家にいる。
「戻らなければ。フェイトが家で一人なんだ」
「そのほうがいい」
私は立ち上がり、アンリの横を通った。彼の肩に手を置き、付け加える。
「艦長には気をつけろ。君が思っている以上に、彼女は多くを知っている」
「……どういうことだ?」
答えずに手を挙げ、そのまま外へ出た。
私は吹雪の真っただ中にいた。上着は激しく翻り、帽子が目を守ってくれている。アンリの屋敷を離れると、かつての兵士たちの亡骸が、雪に覆われながら地面に横たわっていた。
(どうして……どうして彼女は刺青の女のことを知っていた……)
クリークがジョルドラ王国へ来る少し前、私は彼女から一通の手紙を受け取っていた。その中には、フェイトの母親についての記述があった。
そして彼女は、その「刺青」に触れていた。しかし私の記憶では、あの子の母に体の刻印などなかったはずだ。それでも、一度確認する必要はある。最後の手段として、役に立つかもしれない。
村では、風が雪を激流のように巻き上げ、二メートル先すら見えなかった。私は彷徨う魂のように、幽霊村と化した通りを歩いた。
村を抜けると、平原の農夫の畑に出た。顔を上げ――人生で二度目となる――この地方で五十年に一度しか起こらない、稀な現象を目にした。
「……もう、人生の半分は生きたというわけか」
帽子に手を添え、そう呟く。
激しくぶつかり合う白い雲の中、その嵐の中心で、黒い影が動いていた。私は走って針葉樹の群れの下へ身を寄せ、風を避けながらその影を見つめた。
それは――要塞の形をしていた。
「くそ……なんて狂った風だ!」
突風が木々をしならせ、私は嵐の目へと引き込まれていった。
そして突然、嵐は沈黙した。
静寂が、唐突に訪れた。
私は今、雲でできた闘技場のような空間に立っていた。夢の中の出来事のようにも思えたが……意識ははっきりしていた。
目の前には、宙に浮かぶ巨大な岩。その上に、移動する要塞がそびえ立っていた。
クリークが、かつて話してくれたことがある。私がまだ学院で学んでいた頃、この世界には侵入不可能な場所が存在すると。
そこは、選ばれし魂のみが足を踏み入れることを許される領域。
私はただ圧倒されているだけではなかった。魅了されていた。
なぜなら――その要塞には〈憤怒の魔導師〉が住んでいるからだ。
私は彼に会ったことはない。しかしクリークの語るところによれば、彼は桁外れの力を持つ男だった。
*
**
巨大な建造物の内部。
金属の王座に、一人の男が座していた。逞しい体躯は分厚い銀の鎧に覆われている。広間の闇がその視線を隠していたが、金髪と、髭のない顔立ちははっきりと見て取れた。
その前に、眼鏡をかけ、髪を編んだ細身の男が駆け寄り、彼の足元に跪いた。
「閣下……一人の男が、サイクロンの目へと入りました……」
「……ふむ。分かっている。感じていたからな」
彼はそう言いながら、右手の窓のほうへ顔を向けた。
「ご存じなのですか!?」と少年が尋ねた。
「……いや」
一瞬の沈黙のあと、彼は小さく声を漏らした。
「おお……!」
彼は広間の奥へと向き直った。そこには六人が、まっすぐ立っていた。
獅子を思わせる鎧をまとった騎士。その隣には、腰元から翼が生えた女性――ヴァルキュリア。
さらに奥には、柱のように静まり返り、影に溶け込むフード姿の男が立っていた。
黒い縞模様の入った髪を持つ少女が微動だにせず立ち、その後ろには、頭に沿うようにドレッドヘアを束ねた男。
そして最後に、一人の男が剣を身体の正面にまっすぐ立てて構えていた。燃える炭のような髪がわずかに揺れ、何より、その眼差しは生命力に満ちあふれていた。
全員が白い装束に身を包み、信じがたいほどに、彼らが同一の部隊であることを示していた。
「イェル部隊。二人を選び、あの男を連れて来い」
即座に二人が前へ出た。
燃えるような髪の男と、獅子の鎧をまとう騎士だ。
「閣下、我々に行かせてください! このミールが、必ず捕らえます」
「……よかろう」
ただ一つ、承認の仕草を見せただけだった。
次の瞬間、二人の男は雪原へと弾き飛ばされ、要塞はその場で静止した。
*
**
Fate
風が唸っていた。
私はとても怖くて、葉のように震えながら、母さんにしがみついていた。母さんは私を見て、微笑んだ。
そして手を上げ、そっと私の頭に置き、髪を撫でてくれた。次第に、震えは収まっていった。
私は拳をぎゅっと握りしめ、それからゆっくりと力を抜き、顔を上げて母さんを見た。目には涙がいっぱい溜まっていた。
「母さん……こわいよ」
母さんは口を開き、そして閉じた。ただ、あの安心させてくれる表情を浮かべるだけだった。
私は嵐が収まるのを待つことにし、母さんの毛布に包まれたまま、身を寄せた。
火は静かに燃え続け、少しずつ私の心を落ち着かせてくれた。
理由は分からないけれど、母さんの腕の中はとても心地よくて……まるで、ようやく安らぎを得たかのようだった。
こんな時間が、永遠に続けばいいのにと思った。
やがて、ゆっくりと時間が止まったように感じられ、私は眠りに身を委ねた。
母さんの腕の中で、私は眠りについた。
*
**
Laplace
地上では、頭上で構造物が静止するのを感じた。否応なく、こちらの存在を察知されたのだと理解した。
嵐が領域の膜を引き裂き、広大な世界の星空が空中に露わになる。
雪に覆われた平原へ視線を落とすと、二人の鎧姿の男が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。
天才でなくとも分かる――彼らは、私のために来たのだ。
私は彼らのほうへ歩み寄った。
対照はあまりにも鮮烈だった。
彼らは純白に身を包み、私は黒に覆われている。
「こんにちは!」
一人が手を上げて言った。
「……」
「ずいぶん無口なんですね。まあいいでしょう。どうせ、質問する役は僕じゃありませんから」
燃えるような髪の少年がそう言った、その瞬間。
獅子の鎧の男が、凄まじい速度で私に襲いかかってきた。背中の刃を掴む暇すらなく、彼は斧を出現させ、振り下ろしてきた。
「アノマリーか……」
私は驚きながら呟いた。
攻撃をかわすと、斧は全力で雪を叩きつけ、雪煙を巻き上げた。
私は後方へ跳び、刃を抜いた。
視界の端で、燃える髪の男が剣を振るおうとしているのが見えた。
「……お前たちは、何者だ?」
「おや、喋るんだな!」
彼はそう叫び、私の短剣に刃を挟まれたまま、攻撃を止めた。
その力はまさに怪物的で、私はほとんど反射的に片膝を地面についた。
だが、その首筋の横に、赤い刻印が見えた。
――すぐに分かった。
「……お前たちは上位精霊だな」
男は目を見開き、にやりと笑うと、強烈な一撃で私を二十メートル以上も吹き飛ばした。
「人間が精霊と人を見分けられるとは、珍しいな!」
「首の刻印が、お前を裏切っただけだ」
彼はそこに手をやり、豪快に笑った。
「はは……バレたか」
左側から、もう一人が再び襲いかかってきた。
私は後ろへ反り、縦に振り下ろされた武器をかわす。同時に、足の甲で一撃を叩き込み、斧を空中へ弾き飛ばした。
斧は何度も回転し、やがて地面へ深く突き刺さった。
その流れのまま、私はもう一人へ短剣を投げつけた。
しかし彼は剣の一振りで、それを叩き折った。
――残る短剣は一本。
構えを取り、私は言った。
「念のため言っておくが……俺はただの人間じゃない」
「おおお……興味深い! アカデミーからこんなに離れた場所に、アノマリーがいるとはな。しかも……フクロウ族の悪魔とは」
魔力を温存するため、私は術を解いていた。
頭部は本来の姿――ワシミミズクの形へと戻っていた。
「……喋りすぎだ」
「ひぃぃ!」
彼は興奮したように声を上げた。
剣で貫こうと突進してくる。狙いは頭――避けるのは容易だった。
私は彼の刃に沿って短剣を滑らせ、胸元へ迫る。
だが、相棒が割り込んできた。
私は短剣の柄で軌道を変え、振り下ろされかけた斧を受け止める。
頭を割る寸前だった斧は、彼自身の身体に直撃し、三センチほどめり込んだ。
不自然な体勢のまま、三人とも動かなかった。
互いに睨み合っていた、その瞬間――
蒼い光が視界を貫いた。
反射的に目を閉じる。
身体が押し潰され、極小の空間へ吸い込まれるような、耐え難い感覚。
それが消えた瞬間、私は勢いよく目を開いた。
姿勢は変わっていない。
だが――そこは、もはや雪原ではなかった。
広大な王宮の間。
それでも、誰一人動かなかった。
二十秒近く沈黙が続いた後、広間の奥から、低く重い声が響いた。
「下賤な者よ……ここをどこだと思っている!!!」
その言葉と同時に、目に見えぬ質量が全身を打ち据えた。
千トンもの重みが背中に叩きつけられたかのようだった。
一瞬、意識が飛びかけたが、どうにか踏みとどまる。
ようやく状況を理解したころ、周囲の者たちは私から距離を取っていた。
私は前屈みになり、荒く息をしながら、わずかな空気を求めていた。
「……くそったれ」
そう呟き、玉座に座る男を見上げる。
その横から、女が一歩前へ出て、腕を振るいながら言い放った。
「身の程を知りなさい、野良犬!」
「……」
私は女を一切見ず、侮辱にも反応せず、男だけを見つめ続けた。
互いに、相手が何者か――分かりきっていたからだ。
「なぜ、俺をここへ連れてきた?」
「無礼者! よくも――」
女が激昂しかけた瞬間、玉座の男が手を上げ、制した。
「……こんな辺境の地で、魔導師に出会うとは思わなかった」
彼の部隊全員が、一斉にこちらを振り向いた。主の発言に不意を突かれ、同時に武器が抜かれる。
「――よい」
その一言で、彼らは即座に刃を収めた。
一方で、私は帽子の影からわずかに片目を覗かせる。外見は、再び人の姿へと戻っていた。
「……お前が〈憤怒〉だな」
私は静かにそう言った。
「ふむ……いかにも。では、お前は〈戦争〉だな。
アノマリーに紐づく加護を、まだ授けていなかった唯一の女神だ。
正直、〈精神〉の女神が、すでに誰かに祝福を与えているかどうかも定かではないが……」
私は胸に手を当て、節度ある礼をした。
「いかにも。
私は、戦と武の女王――女神ローレンスの祝福を受けし魔導師。
名を、ラプラスと申す」
燃えるような髪の男が顎に手を当て、少し考え込んだ後、声を上げた。
「――あっ! 大戦を終結させた男か!?」
「お前か!!! 知っているぞ! あのイカれた女と一緒にいたやつだな!」
玉座の男はそう叫び、間を置いて続けた。
「だが、まだ答えてもらっていない。
なぜ、こんな場所に住んでいる?」
私は視線を逸らした。
フェイトと共に暮らしているなど、言えるはずがない。
あの子を、こんな争いに巻き込みたくはなかった。
「……クリークの旧居で、一人で暮らしている」
「……ル=ウル。確認してこい」
私は目を細めた。
男は、その反応を見逃さなかった。
「何かを隠しているように見えるぞ、ラプラス」
「……」
三十分後、女が戻ってきた。
腕の中には、眠っているフェイト。
私は沈黙を貫いたまま、彼らが短く言葉を交わすのを見つめていた。
やがて女は、玉座の男へと子どもを差し出した。
「なんだこれは!!!
なぜ貴様が、ドラゴンと共に暮らしているのだ、下賤な者が!!!」
「閣下……母親の件ですが……」
女は男の耳元で何かを囁いた。
その瞬間、男の身体がこわばる。
立ち上がると同時に、彼の瞳は赤く染まり、頭頂部には二本の角が浮かび上がった。
「――ドラゴンか……」
私は心の中で呟いた。
「説明しろ、野良犬!
なぜ貴様の小屋に、ドラゴンがいる!!!」
私は肩をすくめる。
「ある日突然、俺の人生に入り込んできただけだ」
「なっ!? ふざけているのか!」
翼を持つ女が憤慨する。
緊張が一段階、跳ね上がった。
フェイトは、彼らの側にいる。
――慎重に立ち回らねばならない。柔軟に。
その時だった。
燃える髪の男が、突然笑い出した。
ル=ウルが、苛立った様子で彼を睨む。
「ミール!」
「悪いけどさ、この男が子どもを攫うとは思えない。
それに、君が言った女性の状態を聞く限り――
彼は、誰よりもちゃんと世話をしてきたはずだ」
――急所を突いた。
今度は、ル=ウルの誇りが試される番だった。
「……もうよい」
玉座の男は、フェイトを腕に抱きながら言った。
彼は目を細めた。
子どもの存在そのものが、彼を深く苛立たせているようだった。
「……違うか? フェイトの存在が、気に障っているな」
「ふむ……
私以外のドラゴンに会ったことがない。
それでいて、私は若輩者でもない。
この子の存在は、私が信じてきたすべてを揺るがす。
だが、何よりも――」
「――〈アラインメント〉が、始まっている」
私は顎に手を当てた。
私たちは、互いに答えを探していた。
だが、真の問題は同じだ――どうやって、それを得るか。
私はル=ウルへと向き直り、問いかけた。
「……母親を、どうした?」
「……それについてだが……」
*
**
私は目を細めた。すると〈憤怒〉が部隊のほうへと向き直った。
「……どういうことだ?」
「私が到着したとき、その子は彼女の上で眠っていました。
起こさずに引き離すことができなかったのです。
ですが、持ち上げた瞬間――
彼女から、あまりにも強烈な“危険”を感じました。
だから、反射的に自室へ運んでしまった……
愚かな判断だったかもしれません」
彼女が言い終えるや否や、空が唐突に暗転した。
不意を突かれ、私たちは一斉に息を呑む。
私は窓のほうへと振り返った。
そこには、赤黒い光が滲むように広がっていた。
一歩、また一歩と近づき、空を仰ぐ。
――太陽食だ。
だが、それは不吉なほどに紅く輝いていた。
次の瞬間、すべてが一気に動き出した。
天そのものが崩れ落ちてくるかのような、圧倒的な圧力が私たちを押し潰す。
*
サイクロンから二キロ離れた地点。
自陣に残っていた艦長は、かすれた声で呟いた。
「……どうして……
どうして、最初に連れ戻されたのが……あなたなの……」
*
ミライから二年の距離。
当時ジュロディにいたクリークも、黄昏の空に同じ太陽食を見ていた。
「……そうだ……
あの夜、赤ん坊を抱いていたのは……ユミルじゃなかった……
ミミ!」
「はい、マダム!!!」
「要塞と連絡を取るためのアーティファクトを渡して」
「すぐに!
ですが、何が起きているのですか、マダム!?」
「……ラプラスが、あの子に関して致命的な失敗をした」
*
こちらでは、誰もが息を奪われていた。
言葉を発することすら困難で、呼吸そのものが苦しい。
――それでも。
フェイトだけは、〈憤怒〉の腕の中で安らかに眠っていた。
放たれた術は、明確に“標的”を定めている。
「……この太陽食が、原因か……?」
そう呟き、立ち上がろうとしたとき。
〈憤怒〉の玉座のそばで、一つの木箱が震え始めた。
彼は重々しく振り返り、それを手に取ると、金属部分に耳を当てた。
そして私のほうを見て、近づくよう合図する。
私は足を引きずるように前へ出た。
差し出された金属の輪を耳に当てた瞬間――
すぐにクリークの声だと分かった。
「……リチャード……
あの子は、あなたのそばにいる?」
「……ああ」
長い息を吸う音が聞こえた。
声の震えを抑えようとしている――だが、抑えきれなかった。
「よく聞いて、ラプラス……
あなたが匿っているその女性……
身体に“刺青”はある?」
「はぁ!? なんだその質問は!?」
「いいから答えて!!!
刺青はあるの!?」
「……ない。
だが……今、思い出した。
背中に、巨大な傷がある。
――ドラゴンの形をした傷だ」
重い沈黙が落ちた。
そして、クリークの引きつった笑い声が、かすかに聞こえた。
「……その女性……
あの日、あなたが命を救った……
彼女は……彼女は……」
続きを口にしようとした、その時だった。
扉が、ゆっくりと開いた。
私たちは一斉に入口へと視線を向けた。
そして――言葉を失った。
要塞の使用人が、まるで重さなど存在しないかのように、
フェイトの母を抱え、広間へと運び入れてきたのだ。
だが、それ以上に。
私たちの前に立っていたのは――
怒りそのものを纏った、一人の女性だった。
「……その女性は……
アカデミーの統治者よ……」
クリークの声が、震えながら続いた。
凍りつくような沈黙が、広間を支配する。
「――皇帝」




