第7章:修道女 — 教師 — 一人の女性
フェイト
ゆっくりと目を開けた。
今日は、僕の五歳の誕生日だった。
おじいちゃんによれば、お祝いの日らしい。でも不思議なことに、僕にとってはそうじゃなかった。楽しさも、特別な喜びも、何も感じなかった。
当時、僕は誕生日を祝う習慣がなかった。だからこの日も、ただの普通の日だった。
僕はベッドから起き上がり、大きく背伸びをした。
それを見ると、いつもおじいちゃんは大笑いする。
おじいちゃん曰く、僕の伸び方は猫みたいらしい。
でも残念ながら、僕は猫が何なのか知らなかった。
それでも、おじいちゃんが笑うなら、それでよかった。
僕は窓の方へ歩いていき、机の上によじ登った。木の雨戸を押し開け、顔を上げる。すると、青い空が視界いっぱいに広がった。
輝くような青空だった。
そして何より――あの巨大な空飛ぶ要塞は、もうそこにはなかった。
二年前、春の訪れとともに、ピィと彼女のおじいさんは旅を続けるために去っていった。
あの頃、僕がたくさん泣いていた日々を、今でも覚えている。
初めての友達が、突然いなくなってしまったからだ。
それでも、春は僕の一番好きな季節の一つだった。
理由は簡単だ。庭にはたくさんの虫が出てくるからだ。
つまり――探検ごっこができる。
少し前、僕は初めて一冊の本を最後まで読み終えることができた。
それはおじいちゃんがたくさん手伝ってくれたおかげだった。
僕はベッドサイドのテーブルからその本を取った。
分厚い革表紙の本で、タイトルが刻まれている。
『獣類年代記 第二巻』
この本の作者が誰なのか、僕はいまだに知らない。
それでも、僕はこの本を一日中読んでしまうのだった。
僕はドアノブをつかんで引いた。
おじいちゃんも、お母さんも、まだ寝ているはずだ。
僕はたいてい一番早く起きる。
なぜなら朝は露が降りていて、虫たちが外に出てくるからだ。
僕はリビングへ走り、ブーツを履いた。入口で靴についた土を軽く叩いて落とし、そのまま外へ出る。
まず感じたのは、空気に残る湿気だった。
僕は去年の春におじいちゃんが植えたレモンの木へ向かい、その枝を観察した。
そこには、記録上イロニカと呼ばれる虫が、何万匹も集まっていた。
折りたたまれたトゲの襟のような器官が特徴の虫だ。
それは、コキデという黒い斑点を持つ虫に襲われたときの防御に使われる。
コキデは、この小さな命に満ちた生き物を食べるのが大好きなのだ。
僕はノートを取り出し、彼らの行動を記録した。
彼らは集団で、レモンの葉のようなものを運んでいた。
つまり植物を食べている――草食だ。
僕は立ち上がり、家の窓越しに、おじいちゃんが起きたのを確認した。
僕はすでに、彼の行動をたくさん記録している。
おじいちゃんのルーティン
ルーティン1:毎朝、キッチンへ行って水を一杯飲む。
ルーティン2:リビングで背伸びをする。
ルーティン3:お母さんを起こしに行く。
これらは全部、窓から観察してノートに書き留めていた。
しかし今日は違った。
おじいちゃんは、お母さんを起こしに行く前に立ち止まった。
それから向きを変えて、キッチンへ戻った。
僕はその部屋の窓へ行き、ジャンプして窓枠をつかんだ。
よじ登ろうとしたけれど、力が足りなくて目の高さくらいまでしか届かない。
そのまま十秒ほど見ていたが、腕が限界を迎えた。
「何してるんだろう?」
僕の尻尾は左右に揺れていた。
何をしているのか知りたくて、わくわくしていた。
リビングの窓の横、湖のそばに、家にもたれかかった石がある。
そこからなら中を見られるのを知っていた。
僕は迷わずそこへ走った。
岩に登って中を見る。
おじいちゃんはキッチンで料理をしていた。
一時間か二時間ほど、僕はそれを眺めていた。
ただ料理を作っているだけだった。
しばらくして、おじいちゃんはお母さんの部屋へ向かった。
出てきたとき、お母さんに食事を持っていき、それからまた料理に戻った。
お母さんはそれを眺めていた。
おじいちゃんがこんなに料理をするのは珍しい。
嫌いなわけではないけれど、料理の腕はあまり良くないからだ。
それでも、今日は嬉しそうだった。
そのときだった。
おじいちゃんはキッチンの窓の外を見て、動きをゆっくりにした。
そして完全に手を止めた。
僕は背後の滝の音のせいで、何も聞こえなかった。
やがて、おじいちゃんは玄関へ向かった。
そしてドアを開けた。
そこには一人の女性が立っていた。
彼女は全身黒い服を着ていた。
灰色がかった髪、そして少し疲れたような深い赤の瞳。
口元から耳まで、鎖のような飾りが伸びている。
手には銅のスーツケースを持っていた。
その瞬間、僕は思った。
「きれいだ」
そして次に思った。
「すごい……なんて綺麗な人なんだ」
まさに美の化身だった。
お母さんほどではないけれど、まったく引けを取らない。
僕は観察を続けた。
すると彼女は家に入り、もう一人の女性を連れていた。
その人は小柄だったけれど、僕よりは大きい。
背中には巨大なリュックを背負っていた。
大きすぎて、玄関を通ることすらできないほどだった。
彼女は壊さないように、それを外に置いた。
僕はすぐに岩から飛び降り、玄関へ走った。
家の中から声が聞こえる。
「彼はどこですか?」
「部屋にいますよ。今日は誕生日ですから、ゆっくり寝かせてあげています。」
誰のことを話しているのか、僕には分からなかった。
僕はリュックへ近づき、それを開いた。
その中を見た瞬間、僕の目は輝いた。
僕の本と同じ本が、何十冊も入っていたのだ。
虫について書かれた、美しい本ばかりだった。
僕はそれを取り出して調べた。
そして自分の本を開き、書かれている情報と見比べ始めた。
――しかし僕は、その後ろで聞こえた言葉に気づかなかった。
「……部屋にいない?」
「じゃあ外にいるはずだ……見かけませんでしたか?」
「いいえ。」
一方の僕は、本に書かれている内容と何一つ一致しないことが理解できなかった。
少なくとも、この種族は本には記載されていなかった。記憶を辿っても、以前読んだ巻にも載っていなかったはずだ。
そのとき、不意に女性の声が僕を呼び止めた。
「その古い本には載っていないわよ。その種は、私たちがヌの森で発見したものだから。」
僕は顔を上げた。
玄関の敷居に立ち、僕を見下ろしているのは、あの修道女だった。
「えっ!?どうしてそれが分かるんですか!?」
「その本の著者が――私だからよ。」
彼女が階段を降りてきて、僕の前で片膝をついた瞬間、僕は目を大きく見開いた。
「はじめまして、親愛なるファテリス。
私はルシア・クリーク教授。
ようやく再会できた今日から、私はあなたの先生……それから……」
「それから?」と僕は繰り返した。
彼女は微笑んだ。
どんな種類の笑顔かは分からなかったけれど、僕にはとても嬉しそうに見えた。
「あなたの妻よ。」
その背後で、お母さんが目を細めた。
そしておじいちゃんと、修道女と一緒に来た女性が、声をそろえて言った。
「ロリコン。」
それを聞いたルシアは舌打ちをした。
そしてスカートの下に手を入れると、金属製の武器を素早く取り出し、おじいちゃんと女性に向けて構えた。
僕は小さく飛び上がった。
「もう何千回も言ったでしょう!?
彼がちゃんと成長するまでは、何も起こらないって!」
しかし、おじいちゃんと女性は笑い出した。
「見てよ。あまりにも絶望的だから、子どもにまで手を出すしかないんだってさ。」と女性。
「まあ、あれだけ長い独身生活じゃな……」
おじいちゃんは肩をすくめながら言った。
それを聞いたクリークは頭を下げた。
あまりの無礼さに体を震わせていたが、次の瞬間、真っ赤な顔で勢いよく顔を上げた。
「あなたたち……!」
一方の僕は、家の中の騒ぎにはまったく気を取られず、本に集中していた。
リュックの中にあった本の一冊を読んでいると、突然、何かが僕のコートの襟をつかんだ。
僕は驚いて顔を上げた。
目の前には巨大な生き物が立っていた。
猛禽類のような頭を持ち、四足歩行の体は大きく、体高は一メートル十センチほど。
全身がふさふさの毛で覆われていた。
僕は立ち上がり、そのくちばしを触ってみた。
するとその生き物はすぐに反応し、頭を僕にすり寄せてきた。
「やあ……君は何なんだい?」
「キオクタよ。あなたの亜種の一つ。」
僕は振り向いた。
修道女が再び玄関の枠にもたれて立っていた。
「僕の亜種?」
彼女は頷いた。
そしてポケットから手帳を取り出した。
その手帳には、しおりや紙片がたくさん挟まれており、何度も書き足されてきたことが一目で分かった。
「あなたと同じく、ドラゴンよ。
アノマリーにはとても従順だけど……人間は大嫌いなの。」
僕はキオクタの匂いを嗅いだ。
すると、どこか懐かしい匂いがした。
「本当だ……見たことないのに、知ってる気がする。」
「同じ種族なんだから、感じ取れるのは当然よ。」
それは確かにそうだった。
ピィとリチャードさん以外、僕は自分以外の存在をほとんど知らなかった。
でも、外の世界には、他にもたくさんの生き物がいる。
「いいな……」
「どうして?」
「ピィも……あなたも。
この広い世界を旅できるんでしょ。
でも僕は、この聖域から出られない。」
「つまり、外に出たことがないの?」
「んー?うん。ないよ。
僕が知ってるのは、この庭だけ。」
クリークは理解したように目を細めた。
そして、おじいちゃんの方を見た。彼は旅人たちの荷物を書斎に運んでいた。
そのとき、彼女が小さく呟くのが聞こえた。
「……まだそんなにトラウマを抱えてるのね。」
「何か言ったか?」
「ううん、なんでもないわ。」
そう言うと彼女は家の中に入っていった。
僕は本をしまい、後を追った。
少しして、おじいちゃんも戻ってきた。
彼はクリークの肩に手を置いて言った。
「俺は料理を続ける。
その間に、外の世界で何が起きてるのか教えてくれ。」
「え?ああ、いいわよ。でもその前に――忘れてたことがある。」
彼女はお母さんの方を向いた。
片膝をつき、彼女の残された唯一の手をそっと取る。
そして、その繊細な手の甲に口づけた。
「またお会いできて光栄です、奥様。」
「じゃあ、そこから始めるとするか。」
おじいちゃんが言った。
一時間後。
ワインの瓶が一本空いたころ、おじいちゃんは再び料理を始めた。
まな板の上で野菜を切りながら、彼は質問した。
「女性に聞くには失礼かもしれんが……
二人とも、いくつなんだ?」
彼は包丁を止め、クリークの方をちらりと見た。
彼女はワインを一口飲んだところだった。
「というのも、俺の記憶じゃ……アカデミーは神々の時代に作られたはずだ。」
「はぁぁ……その話はやめて。
あの時代は最悪よ。みんな殴り合いばかり。
しかもミュライは、私たちが失敗するのを今か今かと待ってる。」
「つまり……少なくとも四百歳はあるってわけか。」
彼の助手であるミミは、口に含んでいたワインを吹き出した。
「四百年!?」
僕は母さんの方を向いて尋ねた。
「四百年って、古いの?」
母は微笑み、僕の頭に手を置いた。一方クリークは、僕たちを観察しながら目を細めた。
「それは寿命によるわ。誰もが同じ時間の線を生きているわけじゃないの。例えばミミを例に取れば、彼女にとって四百年は永遠みたいなもの。でも私にとっては、ただ時間の中で引き延ばされた年月に過ぎないのよ」
と、その修道女は説明した。
「じゃあ僕は? 僕はいつ死ぬの?」
彼女の目にわずかな歪んだ笑みがよぎったが、表情は変わらなかった。
「ねえ、フェイト……あなたは死ぬのが怖くないの?」
祖父はぴたりと動きを止めてクリークの方を向いた。しかし彼が何か言う前に、僕が口を挟んだ。
「ううん。黒い影さんが言ってた。怖がるものじゃないって。本の結末みたいなものだって」
「本が終わるのは怖くないの?」
「ううん。いい物語には、必ず終わりがあるから」
僕の答えに、祖父も母も目を見開いた。
「ふむ……なるほど。どうして彼が“あいつ”じゃなくて、お前を選んだのか分かる気がするな……」
「黒い影を知ってるの?」僕は尋ねた。
彼女は、まるで遠い昔を思い出すように、静かにくすくす笑った。
「少しどころじゃないわ。あなたに会えたのも彼のおかげよ。それにね……もし彼が望めば、家族を持つことだってできるかもしれない」
僕は、彼がいつもいる場所の方へ顔を向けた。するとやはり、いつもの通りだった。
部屋の隅、壁と暖炉の間で、白く静かな笑みがこちらを見つめ、僕たちの会話を聞いていた。
僕は微笑んでクリークに言った。
「もう一度会いたい?」
「うーん……どうかしら。私たちとはあまりにかけ離れた存在だし、とても忙しそうだもの。話しかけるだけでも、時間を奪ってしまう気がするわ」
僕は軽く笑った。
「そんなの嘘だよ……影さんは、自分が信じた人にしか見えないんだ」
クリークは眉をひそめた。
「どうしてそんなに確信できるの!?」
「だって、そうじゃなかったら、じいちゃんはもう家にいるって気づいてるはずだし。前に一緒に寝てたときだって、ピと一緒に」
クリークは、その存在を感じ取ったらしかった。彼女は急に立ち上がり、暖炉の近くにいる黒い影の方を振り向いた。
突然、床に涙が落ちた。
長い間信仰を捧げてきた存在を、ついに目の前にした修道女の涙だった。
黒い影は隠れていた場所から出てきて言った。
「見つかったか」
「主よ……ついにお姿を。どれほど再会を待ち望んでいたことか」
「まあ……願いは叶ったようだな」
「なぜ、これほど長い間、私の前に現れてくださらなかったのですか?」
「その必要がなかったからだ。時が巡り、再び道が交わっただけ。だが私は、そうした出来事を操れるわけではない。私はただ、自分の物語の線に従って生きている」
彼がこれほど慎重に話すのは珍しかった。
まるで自分ではない誰かを演じているようで、相手に合わせて振る舞っているかのようだった。
「なるほど……分かりました」
「すみません、奥様……でも、誰と話しているのですか?」とミミが尋ねた。
しかし修道女の代わりに祖父が答えた。
「黒い影だ」
ルシアは驚いて振り向いた。
「あなたも見えるの?」
「いや、全然だ。だが、お前を見ると視界がぼやけるのは分かる」
ミミは目を細めたが……何も見えなかった。
「では、もし私の前に現れたということは、理由があるのでしょう。私に何か頼み事ですか?」とクリークが言った。
「……」
彼は沈黙した。どうやらその質問は予想外だったらしい。
やがて彼は言った。
「一つ助言をやろう。二年後、お前は東へ向かう。そこでジジという名のサキュバスに出会う。その時、彼女を助手にしろ。そして、お前たちを助けてくれる者を助けに行け」
「その人の名前は?」とクリークが尋ねた。
「ジュル・ディル・ミロア」
クリークは少し黙り、それから聞いた。
「私はファテリスと一緒にいないのですか?」
「残れば……死ぬ。異なる色の瞳を持つ女によって」
僕はすぐにその会話に顔を向けた。母の膝から降りて、黒い影の方へ歩いていった。
「その、目の色が違う女の人って悪い人?」
するとクリークが答えた。
「あなたにとっては違うわ……でも私にとっては……」
彼女は言葉を最後まで言わず、握りしめた拳を見つめた。
「分かった」
そのとき、鍋が吹きこぼれた。
重い話に気を取られていた僕たちは、その音に全員驚いた。祖父が急いで火を消しに走る。
そして振り向いたときには――
影はもう消えていた。
*
**
祖父は、その影が僕に危害を加えたことがないのをよく知っていた。
それでもよくこう言っていた。
「本当に信じていいのか?」
「よく考えろ。細部まで大事なんだ」
祖父がいつから本当に僕を信じていたのかは分からない。
ただ一つ分かっているのは、その日から僕のノートの「性格」の欄に、こう書かれていたことだ。
【 不安 】
クリークとは正反対だった。
彼女は口を大きく開けて、黒い影に見とれていた。
そしてそれを、こう呼んでいた。
「全能の神」
僕は「神」というものが何なのか知らなかった。
でも、この木のテーブルを囲む人たちを見ていて、一つだけ分かったことがある。
黒い影について、誰も同じ気持ちを抱いてはいなかったのだ。
それから僕は母さんの方を向いた。もし誰かの気持ちが大事だとしたら、それはきっと母さんのものだと思ったからだ。
しかし、彼女の顔はほとんど病的なほど無表情だった。僕は次に祖父を見て、それからクリークを見て……ため息をついた。
僕にとっては、みんなの反応は大げさに思えた。
もし彼がまだ何もしていないのなら、なぜ警戒する必要があるのだろう?
それに、必要以上に重要視するのも意味がない。そんなことをすれば、逆に僕たちに危害を加えたくなるかもしれない。
リチャードさんはよくこう言っていた。
「私たちの務めで大切なのは、知り、理解することだ」
この言葉は、この二年間ずっと僕の人生に当てはまっていた。
でもそれは、黒い影にも当てはまる言葉だと思った。僕の考えでは、彼は悪くもなく、優しくもない存在だったからだ。
僕は額に手を当てた。
突然、頭に激しい痛みが走った。
「痛い……」
祖父とクリークが僕の方を振り向いた。その瞬間、僕は床に崩れ落ちた。
祖父が近づき、僕の額に手を当てる。
眠りに落ちる直前、僕はこう聞いた。
「熱がすごいぞ」
*
**
どれくらい眠っていたのか分からない。
けれど、やっと目を開けたとき、僕は見知らぬ部屋にいた。
「んん……」
背中に耐えがたい痛みが走った。
「フェイト、起きたの?」
僕は重たいまぶたをどうにか開けた。
まだ霧の中にいるような感覚のまま、周りに何があるのか必死に見ようとした。
ベッドのそば、僕の頭の上に、一人の女性が立っていた。
「母さん?」
半分眠ったまま僕は言った。
「人違いよ。私はあなたの母親じゃないわ」
少し意識がはっきりしてくると、僕が母さんとクリークを見間違えていたことに気づいた。
「クリーク?」
「ルシアって呼んでいいわ。どうせ私たちは結婚する運命なんだから」
僕は彼女を見つめた。
熱のせいで、まだ頬が少し赤かった。
「質問してもいい?」
「ええ、何でも聞いていいわ」
「どうして僕を好きなの?」
彼女は少し目を見開いた。
その質問に驚いたようだった。
「愛するのに理由が必要?
私はあなたを愛している。それだけよ」
「嘘つき」
「……」
「その目が裏切ってる。理由は分からないけど……そう感じるんだ。
君は仮面をかぶってる。その仮面はとても厚くて、今僕の前にいる君は本当じゃない」
彼女は何も言わず、ただ僕を見つめていた。
そして僕は、熱にやられて再び眠りに落ちた。
「まったく……ドラゴンというものは、人の心を見抜くのが得意なのね」
彼女は僕に近づきながら言った。
「いい夢を見るのよ、私の愛しい人」
*
**
遠くで二人の男の声が聞こえた。
どちらの声も、僕の知っている人のものだった。
一つは祖父の声。厳しいけれど、どこか優しい声。
もう一つは、よく家に来る男――アンリさんの声だった。
二人は僕には理解できないことを話していた。
けれど、その声の調子からして、状況が深刻なのは分かった。
「皇帝からの知らせを聞いた。どうやら息子と一緒に死んだらしい。
異常存在に殺されたとか……」
「ちっ……面倒なことになったな。また皇位継承戦争だ」
「いや、そうはならないと思う。どうやら皇帝には隠し子がいたらしい。今年中に即位するそうだ。ただ問題は、父親を殺されたことで、その若者は“異常存在”を憎んでいる」
「つまりミライにとっては好都合だな。皇帝を自分の“虐殺計画”に引き込むチャンスだ」
「そろそろ君もアカデミーに戻るべきかもしれない。君のためにも、フェイトのためにも……特に彼の“進化”のせいでね。もう目立たずに生きるのは無理だ」
祖父はしばらく黙っていた。
しかし彼の答えに、アンリは驚いた。
「もう少し様子を見よう。ミライが俺たちを狙うとは思えない。それに、俺たちの居場所を知っている唯一の人物も、どうやら敵じゃない」
「その“オッドアイの女”のことか?
あいつは世界で一番残酷な軍隊の隊長だぞ」
「分かってる……分かりすぎるほどな。
だがフェイトに、この世界の腐った匂いを嗅がせたくないんだ」
アンリは友人の肩に手を置いた。
「子どもを守りすぎると、どのみち準備ができないままだ。
せめて外に出ることと、変身魔法の使い方くらいは教えてやれ」
僕は目を開けた。
もう寝たふりをするのはうんざりだった。
二人の前で体を起こす。
「フェイト、大丈夫か?」
「心配かけてごめん……」
祖父は微笑み、僕に近づいた。
しゃがみこんで、僕の髪に手を置く。
「気にするな。自然には逆らえないさ。
体の調子はどうだ?」
「大丈夫……でも背中が重い感じがする。ちょっと気持ち悪い」
僕は裸の上半身のまま胸に手を当てながら言った。
「それについて、ちょっと話がある」
その瞬間だった。
巨大な爪が、僕の右肩に置かれた。
驚いて僕は飛び上がり、勢いでベッドサイドのランプを倒してしまった。
その衝撃で祖父の後ろの鏡がずれ、そこに映った自分の姿が見えた。
僕の背中には――
巨大な翼が生えていた。
その翼は、それぞれ暗い鱗に覆われた腕のようなものにつながっていた。
夜そのもののように黒い腕だった。
僕は激しく震え始めた。
ありえない。
さっきまでなかったはずの巨大な翼が、今、目の前にある。
その威圧的な姿も、この二本の追加された腕も――
僕はもう人間には見えなかった。
僕の姿そのものが、人間という存在の否定のようだった。
僕は震える手を自分の顔に当てた。
結局のところ、僕自身も獣なのだろうか?
祖父が僕の名前を呼ぶ声は聞こえていた。でも、僕は答えなかった。
そこへ修道女の服を着た女性が祖父を押しのけ、僕のところへ駆け寄ってきた。
「しーっ……落ち着いて」
涙が頬を伝っていた。
彼女は僕の髪を優しく撫でながら、僕は彼女の修道服にしがみついた。
「どうして……どうして僕はみんなとこんなに違うの?」
「あなたは一人じゃないわ、フェイト。私もあなたと同じ。私も“異常存在”なの」
「違うよ……君の背中には腕なんて生えてない」
彼女は微笑み、少し目を開いた。
僕の翼を見ると、そっと手を伸ばし、僕の爪の下に触れた。
「でもね、私はとても美しいと思うわ。
私たちのコミュニティの素晴らしさって何だと思う? ――違いよ。
みんなそれぞれ特別な特徴を持っているの。
私の場合、この世界のマナに依存して生きているの。
私たちの中にある命――マナは、すべての人の血管を流れている。
でも私は、マナがなくなったら……死んでしまう」
「でも、ピには背中から腕なんて生えてなかったよ」
「彼女は同じ“種”だけど、同じ“族”じゃないの。
でもあなたの場合はもっと特別よ」
そう言って彼女は立ち上がった。
「あなたはお母さんの影響を受けているの。
普通、ドラゴンは最初から本来の姿で生まれる。でもあなたのお母さんは人間……しかもただの人間じゃない。優れた魔女なのよ。
だから思春期の間に、あなたは少しずつ自分のドラゴンの姿を発見していくことになる」
「本当?」
「ええ、信じていいわ。
だってあなたの目の前にいるのは、アカデミーで一番の教授なんだから」
暖炉の炭がぱちぱちと音を立てる中、僕は彼女を見つめていた。
僕にとって彼女は、まるで女神のような存在だった。
その瞬間、胸の中で何かが起こった。
弱っていた心が、少し温かくなったのだ。
それはピと一緒にいたときに感じた尊敬の気持ちと同じだった。
僕は思わず視線を逸らした。
(どうして僕、恥ずかしいんだろう……?)
この感情に名前をつけることができなかった。
「フェイト、少し休んだ方がいいわ。いい?
あとで食べ物を持ってくるから」
「うん……ありがとう」
みんな部屋から出ていった。
僕は一人、考え事をしていた。
すると突然、部屋の隅から黒い影が姿を現した。
「気分はどうだい、フェイト?」と黒い影が尋ねた。
「先生……どうして僕はみんなと違うの?」
「うーん……私は説明があまり得意じゃない。だから私なりの言葉で話そう」
「いいよ」
黒い影は暖炉の火に近づき、炎を見つめた。
「この世界では、元素というものは私たちがコントロールできるものではない。
私たちは皆、それらの意志や結果に従う生き物だ。
そしてその結果から、出来事が生まれる。良いことも、悪いことも。
それを人は“自然現象”と呼ぶ。
一番分かりやすいのは水だ。
川は流れを持っている。選択はできない。
ただ運命の流れに従う。
何も起こらないこともある。
流れが変わることもある。
そして時には川が氾濫して自然へと溢れ出す。
しかし、それらは誰にも制御できない。
それでも川は大地を潤し、植物を育てる。
すべては成長し、養われ、そして生命の循環が続いていく」
彼は少し間を置いた。
「だがフェイト、お前と私はその枠の外にいる。
私たちは“欲望”でも“結果”でもない。
私たちは、運命に従って流れ続け、やがて海に辿り着く川だ。
そしてその海は“ヴォイド”と呼ばれるもの――
すべてであり、何もないものだ」
炎が静かに揺れていた。
「人々は、死んだらどこかの場所へ行くと思っている。
だがそれは違う。
死とは論理的な連続であり、ただのコードの流れだ。
そして私たちの違いがあろうと、結局の目的は一つ――死ぬことだ。
だから“お前は違う”と言うのは、この世界への誤解に過ぎない。
誤った情報か、あるいはただの信仰だ。
たとえ肌が違っても、腕が四本あっても……
お前はヴォイドから逃れることはできない」
「……」
「みんなと同じになろうとするな、フェイト。
お前と私は、この世界でも特別な存在だ。
違いがあっても、私たちは同じ願いで繋がっている。
――生きることだ。
だから悩みすぎるな。
他人のことなんて気にせず、自分の人生を生きろ」
僕は自分の手を見つめた。
さっきまで震えていた手は、もう止まっていた。
ぎこちない笑顔で黒い影に礼を言うと、彼はいつもの笑みで答えた。
「昔、お前の母親は私を本気で気にかけてくれた最初の人だった。
これは……まあ、借りを返しているようなものだ」
「先生、母さんを知ってるの?」
「ああ……そうか。まだ知らないんだったな」
「知らない? 何を!?」
彼は一瞬沈黙し、扉の方へ視線を向けた。
僕は知らなかったが、その扉の向こうにはルシア・クリークが背を預け、僕たちの会話を聞いていた。
「いいだろう。どうやら彼女も許したようだ」
「……?」
「フェイト。お前の誕生は、この世界では最大の裏切りと見なされる混血から生まれている。
魔法の世界にとっても、“異常存在”の世界にとってもな」
「どういうこと?」
「お前の命を与えたのは、命を捧げたあの女性ではない」
僕の胸が強く締めつけられた。
「お前は、魔女とドラゴンの混血だ。
だが普通の魔女ではない――
“奇跡の魔女”の血を引いている」




