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フェイトの記憶 : 創造主の反響   作者: Makuu0
アーチ1、新たな景観
1/7

プロローグ

氷と霧に覆われた厳しい世界を舞台に、絶望・人間性・宿命が交錯する物語──それが『Fate no Kioku』である。物語は、誰も近づこうとしない禁断の領域 「霧の大地」 の近く、雪に閉ざされた王国ミライで幕を開ける。そこに暮らしているのは、戦争と学院勤務の過去に傷つき、今では忘れ去られた男 ラプラス。彼は孤独と失望の中で静かに余生を送っていた。

いつもの朝と同じように、目を覚ました俺は思った ―― 今日もまた、何の変哲もない一日になるのだろう、と。

年老いた足を冷たい木の床に下ろすと、床近くの窓から入り込む風が肌を刺した。

— 今年も冬は厳しいな……

ミライ王国に住む者なら、誰もがそう感じるだろう。

俺は、この地で残されたわずかな人生をどう過ごすことになるのか、すでに悟っていた。

ため息をつきながら、黒い模様の入った灰色のチュニックを身に着ける。凍えるほど冷たかった。

靴下を履き、ブーツに足を通す。

右へ顔を向け、鏡に映る自分の姿を見つめた。

しわの刻まれた、老いた顔。

「はは……もうすぐ五十か……」

白髪混じりの髪と髭。

翡翠色の瞳は、まだ眠気を帯びていた。

手袋をはめた手を伸ばし、鏡の脇に丁寧に置かれていた赤いマフラーを取る。

木の扉を押し開けると、湿気を帯びた暗い廊下が広がっていた。

「くそ……そろそろ蝋燭を買い足さないとな」

朝の光が、かすかに廊下へ差し込む。

「寒っ……」

肩をすくめながら、居間へと向かった。

ほとんど使われることのない三つの部屋を通り過ぎるたび、床板が俺の体重で軋む音を立てる。

居間に入ると、右手にある暖炉はすっかり冷え切っていた。

手をこすり合わせながら近づくと、かすかに残った熾火が見えた。

それを頼りに薪を足し、ふいごで空気を送り込む。

やがて火が戻り、俺はその前でしばし手を温めた。

ふと振り返ると、ソファの向こう、簡素なテーブルの上に一通の手紙が置かれているのが目に入った。

飾り気のない部屋だった。

引っ越してきて、まだそれほど経っていない。

壁に掛けられた古い杖以外、目立つものは何もない。

そんな場所に、ぽつんと置かれた手紙は妙に存在感を放っていた。

近づいて手に取る。

宛名は、確かに俺だった。

封筒の右下には、こう書かれている。

―「For Laplace」

裏返すと、すでに一度開封されていることに気づいた。

「……あぁ、そういうことか」

昨夜、あの忌々しい酒瓶を空けた理由が、ようやく腑に落ちた。

中には、支援金を受け取ることは不可能だという通知が入っていた。

俺が手続きをろくに済ませないまま、急いで去ったせいだという。

「……二十年も一緒に働いたってのに、薄情な連中だ」

窓の外に目を向ける。

視界いっぱいに広がる湖は、完全に凍りついていた。

――ああ、これはまずい。

本当に、俺は詰んでいた。

乾燥肉を一切れ口に放り込みながら、頭を掻く。

これが、最後の肉になるかもしれない。

左手の扉を開くと、白銀の世界が広がった。

高台に建てられたこの家からは、煙が霧の中へ溶けていくのが見えた。

この家は、“霧の大地”と呼ばれる禁忌の領域の入口に近い。

その先に何があるのか、誰も知らない。

生きて戻った者は、熟練者か、命知らずの狂人だけだった。

地元の人間たちは、それを金儲けの道具にしていた。

俺は、それをひどく不道徳だと思っていたが――

生きるためには、俺も同じことを考えるべきなのかもしれない。

そんなことを考えながら、岩を削って作られた通路へと歩き出した。

周囲を気にすることなく進んでいた、その時。

—- -聞き慣れない音が、響いた。

本来なら珍しくもない音。

だが、この場所では異様だった。

不気味なほどに。

赤子の泣き声。

俺は反射的に、腰に差した剣の柄へ手を伸ばし、走り出した。

角を曲がった先で、俺はそれを見た。

「……ドラウマ・ファンガリだと……くそっ!」

二メートルはあろうかという、人型の魔物。

本来は霧の大地に棲む存在だ。

だが、泣き声に引き寄せられたのだろう。

その足元には、赤子と、その母親らしき女がいた。

助けなければ、死ぬ。

だが――俺に勝ち目はあるのか?

逃げるべきか。

そうすれば、生き延びられる。

だが、それでいいのか。

俺は岩陰から飛び出した。

剣を抜き放ち、叫びながら魔物へ突進する。

「……ちくしょうが!!」

――ここから先は、もう引き返せなかった。

岩陰から一気に飛び出し、同時に剣を鞘から引き抜いた。

その剣は質素な造りだったが、不思議と俺自身をよく表していた。

俺は叫び声を上げながら魔物へ突進し、背後を取る。だが、すでに気づかれていた。

魔物は赤子を手放し、地面へと落とすと、四つん這いになって俺へと襲いかかってきた。

俺は身を翻し、その脚を斬り落とす。

「よし……貫いたぞ」

そう呟きながら、刃を見た。

――だが、それが致命的な油断だった。

次の瞬間、俺は掴まれ、岩壁へと投げ飛ばされた。

空中で体を捻り、何とか壁に受け身を取ったものの、地面に転がり落ちる。

そのとき悟った。

――脚が、折れている。

正直、恐怖を感じた。

逃げ出したい衝動にも駆られた。

だが、それは過去の自分を否定することになる。

俺は立ち上がり、魔物と向き合った。

目に宿ったのは、もはや迷いのない覚悟。

もう逃げない。

――マッカの時のようには、ならない。

「俺はラプラスだ……!

 たとえ命を捧げようとも、赤子一人くらい救ってみせる!」

剣を構え、切っ先を天へ向ける。

眉間は裂け、唇は噛み切れ、脚は完全に限界だった。

それでも構わなかった。

俺は、すべてを賭けるつもりだった。

「うおおおおおおッ!!」

全身の力を振り絞り、突進してくる魔物へ渾身の一撃を叩き込む。

刃は斜めに走り、肩口から腹部まで一気に切り裂いた。

あまりの威力に、空気が震えた。

ドラウマ・ファンガリは、真っ二つになって地面へ崩れ落ちた。

息が、うまく吸えない。

肋骨が悲鳴を上げ、体が限界を超えたことを訴えてくる。

――この歳で、やることじゃないな。

俺は鞘を拾い、剣を納めると、それを杖代わりにして歩き出した。

毛布に包まれ、顔だけを覗かせている赤子のもとへ。

だが、そこで俺は立ち止まった。

迷い――いや、恐怖。

赤子ではない。

問題は、その母親だった。

彼女は明らかに、この大陸の人間ではなかった。

その服装は、ここで見慣れたものとはまるで違う。

どこから来たのか――いや、答えは薄々わかっていた。

俺は空を見上げ、濃い霧を見つめる。

――霧の大地の向こう側。

あそこには、こんな世界があるのかもしれない。

彼女の右目は白い包帯で覆われており、傷が古いものであることを物語っていた。

さらに恐ろしかったのは左腕。

剣で断たれたように切断され、脚もまた、両方とも脛の途中で斬り落とされていた。

血はまだ流れている。

――つい先ほどの傷だ。

だが、彼女の周囲以外には、血の跡は一切なかった。

一体、誰が……?

誰が、この女性にここまでの仕打ちを?

周囲を見回し、失われた手足を探した。

だが、何もない。

まるで――彼女だけが、ここに突然現れたかのようだった。

俺は彼女を見つめた。

大きく見開かれたその瞳が、まっすぐ俺を捉えている。

迷いのない、あまりにも生きた目。

それが、少し怖かった。

一歩下がり、息を吐く。

鼓動が落ち着き、決断する。

――アンリのところへ連れて行こう。

近づいてわかった。

彼女は、驚くほど美しかった。

思わず息を呑むほどに。

俺は彼女を抱き上げた。

アンリの家へ向かおうとした、その時――

彼女は赤子へと手を伸ばした。

俺は歯を食いしばる。

二人とも運べるか……たぶん。

だが、歩き出した直後、彼女の口からかすれた声が漏れた。

「……フェ……フェイト……」

舌打ちする。

もう、見捨てることはできなかった。

俺は引き返し、赤子の前で膝をつく。

脚は激痛を訴え、肋骨のせいで息もままならない。

それでも何とか赤子を抱き上げ、彼女の胸元へと乗せた。

再び歩き出す。

雪原の中へ。

この格好で歩くには、あまりにも過酷だった。

ズボンはすぐに濡れ、道のりは地獄のように感じられる。

やがて、遠くに家々が見えた。

村人たちがこちらに気づき、農夫たちが駆け寄ってくる。

――ここまで来れば、もう少しだ。

「ラプラスさん! 大丈夫ですか!? その女性は一体……?」

「すぐにアンリのところへ連れて行くんだ!」

男は衝撃を受けたようにベレー帽を脱いだ。

俺は必死に息を整え、ようやく声が出せるようになると叫んだ。

「何をしている!?」

「は、はい! すぐに! 荷車を持ってきます!」

男が戻ってくると、彼は女性を抱え上げ、白いドラッコの背に乗せた。

俺には赤子が託され、こうして俺たちは村で唯一の医者のもとへと急いだ。

家の前に着くなり、扉が勢いよく開いた。

「おい! 誰の許可で俺の敷地に――」

「アンリ、助けてくれ!」

俺は馬車の前から降りながら叫んだ。

アンリは後部へ回り、その光景を目にした瞬間、息を呑んだ。

「聖剣の女神に誓って……この女は一体誰だ!?」

「話はあとだ。今はとにかく命を救ってくれ!」

「……チッ、くそ……ベリィ!」

彼の妻が家から飛び出してきた。

引き締まった体躯に、淡い金色の髪――他の女たちが嫉妬するほどの美しさだった。

彼女は馬車の後方を見て、女性の状態を確認する。

「アンリ……」

「ああ、分かってる。すぐに手術台へ運べ」

ベリィは走って家の中へ戻った。

俺は雪に覆われた庭へと視線を向けた。

その瞬間、張り詰めていた緊張と疲労が一気に押し寄せる。

視界が揺らぎ、意識が遠のいていくのを感じた。

そのとき――

「ラプラス!!」

俺は目を閉じ、赤子を抱いたまま地面へと崩れ落ちた。

* *

俺は昔から、自分の体の声を聞くことができなかった。

いつも無茶をする性分だった。

異常学の教授として学院に勤めていた頃も、夜通し研究に没頭し続けた。

結婚してからも、心の余裕を失い、唯一愛した妻を顧みることはなかった。

――ああ……想像してみてほしい。

二十年近く異常学の教授として働きながら、評価されることもなく、何一つ成し遂げられず、

最後には、その学院から完全に切り捨てられる。

結局のところ、俺は大戦の最中に死ぬべきだったのかもしれない。

なぜクリークが俺を救ったのか――今でも分からない。

やがて、俺は目を覚ました。

痛みが一気に戻ってくる。

だがそれ以上に、体を包み込む温もりを感じた。

身を起こそうとし、なんとか成功する。

気づけば、俺は彼らの家のソファに横たえられていた。

上半身は裸で、包帯だらけ。そのいくつかには血の跡が滲んでいる。

折れた脚には、しっかりと添え木が当てられていた。

「目が覚めたか?」

「アンリ!? どれくらい眠っていた?」

「二時間半だ」

頭に触れると、鋭い痛みが走る。

「……赤子と、母親は?」

「それについてだが……お前が俺の家に連れてきた“もの”について、話をしないといけない」

俺は苛立ち混じりに頭を掻き、続けた。

「何を言うにしても、その前に聞いてくれ。

 俺はあいつらについて、何も知らない。

 家へ続く岩の回廊で見つけただけだ」

「……やはりな」

「どういう意味だ?」

「ベリィだ」

俺が扉の方を見ると、彼の妻が赤子を抱き、優しくあやしながら入ってきた。

「どこから来たのか、だいたい見当がついた」

そう言って、彼は赤子をこちらへ寄こすよう合図した。

受け取った瞬間、俺は背中に違和感を覚えた。

驚いて、緑色の布をそっとめくる。

――手が、震えた。

目を細め、そして勢いよく顔を上げる。

「待――」

「止める。誰にも報告していない。

 それに俺は、赤子を殺すほど狂ってはいない……たとえ、異常体だとしてもな」

俺の腕の中にいる赤子には、

黒と青が混じった鱗に覆われた尾があり、

頭の上には、小さな黒い角が二本生えていた。

――見覚えがある。

教授クリークの記録で見たことがある異常。

この種族は、確か……

「……ドラゴン、か」

俺はアンリを見る。

彼は静かに、こう言った。

「俺も同じ結論だ。

 ――奴らは、霧の大地の向こうから来たんだ」

「――彼らは、霧の大地の向こう側から来たんだと思う」

「無理だ――待て。何がきっかけでそう思った?」

アンリは軽く腕を動かし、横になっているよう合図した。

だが不注意にも、俺は身を起こしてしまっていた。

「彼らの服装は、まったく見覚えがない。それに……母親の治療をしているとき、驚くべきことに気づいた」

「驚くべきこと?」

「口で説明するより、見せたほうが早い。待っていろ、車椅子を持ってくる」

彼は背を向け、診療室から椅子を運んできた。

木製の車椅子――間違いなく、老人の腰を三動作で破壊できそうな代物だ。

「……千の神々よ。これは本気で早く治らないといけないな」

「自業自得だ」

「……」

俺は昔から厄介事を引き寄せる性分だった。

こんな椅子に座る羽目になるのも、これが初めてではない。

アンリは俺を押し、彼女がいる部屋へと向かった。

その途中、彼は淡々と説明した。手術は成功したが、大量出血のせいで状態はかなり危険だったらしい。

*ため息*

部屋の前で止まり、アンリが横を通って扉を開ける。

暖炉の火が静かに揺れ、薪の爆ぜる音が心地よく響いていた。

椅子の軋む音とともに、俺たちはベッドへと近づく。

「で? 何がそんなに異常なんだ? 戦争の生き残りか?」

「戦争の生き残り……それは違うと思う」

そう言って、彼はシーツを外した。

――その瞬間、冗談かと思った。

まるで動く要塞。

彼女はただの生存者ではない。明らかに、歴戦の戦士だった。

それでいて、その体躯にもかかわらず、輪郭はまるで舞台女優のように美しかった。

「……なるほど。お前が警戒する理由が分かった」

「霧の大地の向こうに何があるのか、俺は知りたくもない。

 軍と関わって散々な目に遭ってきた。もう二度と、あんな厄介事に巻き込まれたくないんだ。分かるな?」

彼女の衣服はズタズタだったが、布地の質は明らかに高級品だった。

庶民のものではない。――おそらく、貴族。

窓の外を見ると、雪はまだ降り続いていた。

俺は赤子へと視線を移し、尋ねた。

「赤ん坊の年齢は分かるか?」

「……正直、気に入らない答えになるぞ」

「言え」

「生後、二日も経っていない」

「……は?」

俺は目を見開いた。

「つまり、追われながら出産したということだ」

その精神力と覚悟に、ただただ圧倒された。

あれほどの体格の女性なら、どこかで名が知られていてもおかしくない。

「……本当に、色々なものを背負ってきた人なのね」

そう言いながら、ベリィが部屋へ入ってきた。

その通りだった。

「尊敬」という言葉ですら、彼女を表すには足りない。

この戦いを、ここで終わらせるわけにはいかなかった。

「……お前も感じているんだろ、アンリ」

「……ああ。言いたいことは分かる」

彼は頭をかきむしり、唸った。

「本当は、全部セドリックに報告するつもりだった。

 だが……考えを変えた。軍に知らせないよう、俺も説得に回る」

「それで?」

「それから――」

アンリは女性を見つめ、静かに言った。

「お前が引き取れ。

 お前の家族に何があったか、俺は知っている。

 今が、過去を乗り越える時だ。後悔を棚に上げて、もう一度、光を見ろ」

「……」

俺は黙り込んだ。

たとえ彼女を家に連れて帰ったとしても、

大人二人と赤子一人を養うほどの金はない。

「ラプラス?」

「あ……悪い、考え事をしていた。引き取るのは構わない。

 ただ、生活を支えられるかが不安でな」

「資金援助を頼める相手はいないの?」とアンリの妻が言った。

俺は顎に手を当て、髭を撫でた。

一人、思い浮かぶ人物がいる。

だが――頼むとなれば、説明が必要だ。

議論になって、言い争いになって……ああ、クソ!

頭を乱暴に掻いた。心底、面倒だった。

そのとき、部屋の奥から赤子の小さな声が聞こえた。

「そういえば、この子、名前はあるの?」とベリィが尋ねた。

俺は、彼女が最後に口にした言葉を思い出す。

「……フェイトだ。名前はフェイト」

自分でも驚くほど、迷いのない声だった。

「……そう」

ベリィは少し驚いたように微笑んだ。

「この世界へようこそ、フェイト」




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