あの日、あの時の茶会で、どうやら恋に落ちたようだ
それは18年も前の早春のこと。
由緒正しい侯爵家に待望の男児が誕生した。
その時の産婆曰く、
「突然、奥様のお股から後光が差し、それはそれは美しい赤子が誕生したのでございます」
生まれながらにして人々を魅了する、光の申し子、ルカ。眩いばかりのブルーの瞳。ハゲちゃびんの赤子が多い中、ルカはしっかりとシルクブロンドの髪をなびかせていたという。婚約者の神童フローラですら、赤ちゃんの頃は髪が薄かったというのに。
物心ついた時から、女の子が横にくっついていたので、ルカは女の子はそういうものだと思っていた。
しかし、あまりに婦女の異常行動が目につくため、早々に婚約者を選定して落ち着こうという話になる。
ルカ12歳の初夏のことであった。
侯爵家の次期夫人ともなれば、高貴な家柄でなくてはならない。だがその頃、王都の外れ、郊外寄りの男爵領に、神童がいると国内はおろか、近隣諸国でも噂になっていた。10歳にして数カ国語をペラペラ操り、計算が得意だという。おかげで赤字経営だった男爵家がV字回復したのだと、大騒ぎになっていた。
王家の手が入る前に、ちょっと見てみよう、そんな興味本位で、茶会に呼んだものの・・・
「アンタと婚約なんて御免被りたいわ。アンタのその顔、虫唾が走るったら。何が天使よ。堕天使じゃない。きも」
ふんわりしたハニーブラウンの巻き髪をツインテールにして、くりくりうるうるしたライトブラウンの瞳をした少女が睨みつけつつ言い放つ。
『麗しの天使』と異名を持つルカはポカンとして、少女を見た。睨んでいるのだろうが、小動物のような可愛い顔立ちなので、全く迫力がない。ルカはゾクゾクしてきた。
可愛らしい顔で小憎たらしいことを言ってくる。
女の子はルカをチヤホヤするのが当然で、くっついているのが当たり前なのに、真逆の反応。
その場は凍結したように、冷え冷えした雰囲気が漂い、さらにルカとフローラは、
「「ふん!」」
と互いにそっぽを向いた。
それからその茶会では、同年代の高位貴族の娘たちが、ルカにまとわりつき、チヤホヤしてきていた。
あれから、フローラの姿はどこにも見当たらない。ルカは女の子たちをゾロゾロ引き連れ、庭の端にある池までやって来た。すると池のほとりでしゃがみ込んでいるフローラを見つける。
「君、そんなとこで何してるの?」
ルカは皆がうっとりする極上スマイルを浮かべ尋ねたが、フローラは一瞥しただけで無視した。
「ちょっと!アナタ!ルカ様が聞いているのに、無視するなんて、いい度胸ね!」
取り巻き1が叫ぶと、
「「「そうよ、そうよ、生意気よ!何してるのか答えなさいよ!」」」
取り巻き2、3、4、5〜8くらいが口を揃える。
フローラは面倒くさそうにため息をついて立ち上がると、握り締めた拳を伸ばしてきた。
「なに?」
ルカがもう一度、笑顔で尋ねた。
「「「なによ、何拾ったのよ」」」
取り巻きたちが声を揃えた瞬間、フローラは握った手を開いた。
「ゲロ」
手のひらに、ちょこんと一匹のアマガエルが乗っている。
「ゲロゲロ」
「「「きゃーーーーっ!!!」」」
女の子たちが悲鳴を上げる。アマガエルがびっくりしたのか、ピョーン!とルカめがけてジャンプした。
「「「ぎゃーーー!いやーーー!!!」」」
女の子たちは我先にと、ルカを置き去りにし、すっ飛ぶようにして逃げていく。
ルカは自身のシャツに止まったアマガエルに呆然とし、フローラはその姿を見て、ケラケラ弾けるように笑った。
ドキッ。
可愛い。超可愛い。笑顔は最高に可愛い。
ルカの鼓動が早くなる。
「はーっ。オモロ。それにしてもうるさい連中。
あ、アマガエルは背中にうっすら毒があるから、触らない方がいいわよ」
そう言いながら、フローラはアマガエルをひょいと掴むと、池のほとりに逃した。それから、ルカを睨みつけ、
「ダサ。きも」
そう言い捨てて、ルカを置いて、ラベンダー色のワンピースを翻しながらどこかへ走って行った。
「もう一度、フローラ嬢を茶会に呼んでほしい」
ルカ本人から、女の子の名前が出たので、侯爵夫妻は仰天した。
いつもまとわりつかれるだけで、誰かに興味を持ったことがなかったからである。
「フローラ嬢は一筋縄じゃいかないぞ?」
侯爵が顎を撫でながら言った。
「うん、わかってる。でももう一度、会いたいんだ」
*****
ルカに見初められたフローラは、その後も茶会に呼ばれたものの、嫌悪感を隠そうともせず、顔を合わせては睨みつけてくる。でもやっぱり可愛らしいだけで、全く迫力がない。ルカはその表情に内心ゾクゾクと悶えていた。
そしてフローラを挑発するように、敢えて悪態をつき、女の子たちを侍らせる。
ところが、その女の子たちが暴走した。
ルカのサラサラのシルクブロンドの髪が欲しいと、馬乗りになってむしり取ろうとして来たのである。
「やめて!やめてったら!」
ルカが抵抗するも、取り巻きの2、3人が手伝うようにして、手足を押さえてくる。
ルカはゾッとした。怖い!!
するとひょっこりとフローラが現れて、
「ねえ?アンタたちって変質者?」
などと藪から棒に聞いてきた。
「変質者のわけないでしょ!」
馬乗りになっている女の子が言う。
「変質者ってね、罪を犯すのよ。それ、完全に暴力だし、暴行罪で貴族牢行きだから」
フローラがビシッと指差した。
「何でよ!ただルカ様の髪が欲しいだけよ!2、3本、引っこ抜くだけよ!」
貴族牢行き、と聞いて、手足を押さえていたモブ女子たちが慌ててルカから離れる。
「ふーん。じゃあ、アンタはルカを溺愛するばかりに、髪の毛すら欲しいヘンタイってわけね?」
「へ、ヘンタイ・・・」
馬乗りになっている女の子が唖然として繰り返した。
「ねえ?もう一回聞くけど、アンタは犯罪予備軍の変質者?それとも、ただの欲しがりのヘンタイ?」
フローラがピシャリと問いただす。
「・・・タダノ、ホシガリノ、ヘンタイ、デス」
ルカの腹の上で、がっくりと項垂れる女の子に、フローラは腰に手を当てて、
「ふむ。正直でよろしい。正直者のアンタには、これをあげるわ」
と、ブルーのワンピースの胸元から、折りたたんだハンカチを取り出すと、丁寧に開いた。
開いたハンカチから出てきたのは、1本の金髪。
「さっき、どっかの茶髪の令嬢が、ルカの座った後の椅子の匂いを嗅いでいたから、首根っこ掴んで、床に放り投げてやったのよ。みっともないからやめろ、って。
その時に落ちていたものよ」
その1本の金髪をヘンタイ女子にあげると、女の子はルカの腹の上からようやく退いた。
「あ、ありがとう・・・!」
「清く正しい変態は、推しの髪が自然に抜け落ちるのを待たなきゃダメよ。子どもの髪は一日に、80本くらいは抜けるの。80回もチャンスがあるのよ?
髪が自然に抜けるのを待ちなさい。分かった?」
「は、はいっ」
「ま、私だったら、侍女に賄賂を渡して、櫛についた髪をもらうけどね。
もちろん、ルカの髪なんていらないけど」
そうして、きゃー!やったぁ!大収穫!これを切り分けて人形の腹に詰めましょう!などと黄色い声を上げながら、女の子たちが去って行く。
フローラはぐったりと寝転んだままのルカを見下ろし、
「ダサ。きも」
と、また前と同じことを言った。
「・・・待って。突っ込むところがいっぱいある」
ルカは身体を起こした。
「君、僕の髪、拾ったの?」
「ばーか。拾うわけないでしょ。あの髪は私の執事、セバスの髪よ。アンタが馬乗りされているのを見かけたから、セバスから1本抜いてもらったのよ。
今回の功労者はうちの執事のセバスよ。
恩に着ていいから」
フローラはベエ、と舌を出した。
ルカはゾクッと肩を震わせた。可愛い。小憎たらしい。可愛い。
「・・・僕の座った後の椅子の匂いを嗅いでいた子がいたって・・・」
「アレは生粋の変態痴女ね」
フローラが顔をしかめる。
「髪を切り分けて、人形の腹に詰めるって・・・」
ルカはさらに身震いをする。女の子たちの狂気が恐ろしい。
「嗚呼!セバス憐れ。呪いの人形の犠牲に!」
大げさに叫ぶと、天に祈りを捧げるフローラ。
「それにしても、あんな痴女連中にまとわりつかれるなんてお気の毒様」
最後にそう冷やかに言い残して、フローラは風のように去って行った。
ふとルカが視線を感じて見てみれば、その例のセバスという執事なのだろう。姿勢を正した若い青年の口元が弧を描いている。何だか小馬鹿にされたようで、ルカはカチン、ときた。
*****
「僕の婚約者はフローラ嬢しかあり得ない」
侯爵家からの熱烈ラブコールに、男爵家は、宝石好きの母親が狂喜乱舞の後、恭しく承るのであった。
「ただし!ゆくゆくは侯爵夫人となるフローラには、侯爵家からの使用人をつけさせてもらう。異論は認めない」
そうしてルカが強引にフローラの世話人を決めてしまった。
しかも全員女性で、今までフローラの執事だったセバスは哀れ、その任を解かれてしまう。
あまりに気の毒に思った男爵は、フローラの姉の執事へと異動させ、それまでの姉の執事は執事頭に昇格させた。
これまで貧乏男爵家だったので、そこまで使用人がいなかったのが却って良かったかも知れない。
正直、男爵家の使用人のことなど、ルカには興味がないので、どうだっていい。
とにかく、フローラの周りに男を置くのは我慢ならなかった。
自分は女の子たちを侍らせているのに、随分と横暴だと思われるかも知れないが、女の子たちが勝手に寄って来ているだけだ。ルカには責任がない。
*****
婚約を結んで6年。
遂にルカは貴族学園を卒業した。
今後は父、侯爵の領地経営を手伝うようになる。
フローラももう学園に行くことはない。ルカのいない学園に通わせる理由がないからだ。
「永遠の夏休みに入るんだよ?フローリー?」
ベッドでくうくう可愛らしい寝息を立てるフローラに声を掛けると、フローラが、
「ん、ルー・・・」
と寝言で返事をする。
「ふふ。フローリーは夢の中でも僕と会ってるんだね。可愛い」
そう言って、またまたフローラの唇に吸いついた。
あまりに吸うものだから、ふっくらした桃色の唇が、青紫色にうっ血していた。
「そろそろ目を覚ます頃かな」
ルカは一枚の紙をヒラヒラさせて、楽しそうに目を細めた。
「お楽しみは、フローリーが起きてからだよ」
いつもありがとうございます!
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