最終話(正式) 『伊丹十蔵、とりあえず続けてた』
スピンオフ最終話(正式)
『伊丹十蔵、とりあえず続けてた』
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⸺舞台は、静かな町の片隅。
そこにある、小さな診療所。
看板にはこう書かれていた。
「いたみ医院──診療科目:乳 全般」
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白衣の裾を引きずるように歩く男が、
今日も診察室の椅子に腰を下ろす。
伊丹十蔵(68)──
国家指定文化財、元・宇宙乳房研究顧問、元・バチェラー、元・囚人。
……でもいまは、ただの町医者。
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⸺患者は1日数人。
「なんとなく落ち込むんです……」
「夫に“変わった”って言われて……」
「鏡見るたび、胸の形が……」
そんな声に、伊丹は何も言わず、そっとメモを取る。
言葉を濁すように笑いながら、こうつぶやく。
「ええんや。揺れとるうちは、大丈夫やで」
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⸺夕暮れ。
診察を終えた伊丹が、外に出る。
空を見上げて、ふぅ……と煙草の煙を吐く。
あの頃のように世界を揺らすことはもうない。
誰も伊丹を取材には来ない。
何かを“完成”させることもない。
──けれど。
彼は、今日も“揺れ”を見ている。
通りすがりの女性の歩き方。
街角の看板のカーブ。
自販機の光が、胸元に落とす陰影。
全部、彼にとっては“芸術”だった。
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⸺陽菜子、久しぶりに訪れる。
「……ねぇ、先生。
あのとき言ってた“完成”って、結局なんだったの?」
伊丹、笑って答える。
「わしもまだ、よう分からん。
でもな──“完成”って言葉を使い始めたら、
そこから先が揺れんなる気がしてな」
陽菜子「……ふふ、やっぱ変態」
伊丹「──褒め言葉やな」
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⸺ラスト
夜。
伊丹の書斎には、分厚いノートが並んでいた。
『揺れログ Vol.128』
『左右非対称・奇跡の11選』
『陽菜子・経過観察ノート(非公式)』
『未完成礼賛』
そのひとつに、そっとペンを走らせる。
『202X年 某日
今日も揺れとった。
わしはそれを見とった。
それで、ええんや。』
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⸺そして、最後の最後のページ。
手書きの一行。
「とりあえず、続けてたら、なんとかなった」
伊丹、目を閉じて──静かに微笑んだ。
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完 ──
“揺れの医師・伊丹十蔵”
ここに、静かに伝説を閉じる。
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もし続きをやるとすれば、それは次世代へ──
“新しい揺れ”の物語が始まる、そのとき。