「料理とは愛情ですの」~転生令嬢、苦みをもって王国を制覇する~
今回は前世が料理人だった令嬢のお話です。婚約破棄されて故郷に帰ったら、領地が苦い作物だらけで大変なことになっていました。でも、どんな食材でも美味しくできる料理の腕があれば、きっと何とかなりますよね。元婚約者の後悔っぷりを優雅に眺めながら、新しい人生を歩んでいく彼女の物語をお楽しみください。
王都の大広間に響く冷たい声が、シャーロット・ローズウェル伯爵令嬢に周囲の視線を集めた。
「シャーロット・ローズウェル。君は僕の妃には相応しくない」
第三王子エドワードの金髪が陽光に輝いている。その美しい容貌に見とれていた日々が、今となっては遠い昔のことのように思えた。
「貴地は領地経営も満足にできず、民を飢えさせているではないか。このような家の女性を妃に迎えるわけにはいかない」
廷臣たちの視線が、まるで刃のようにシャーロットを刺す。ひそひそと交わされる囁き声の中に「以前は良かったけど」「今となっては」という単語が混じっているのが聞こえた。
シャーロットは背筋を伸ばしたまま、静かに口を開く。
「畏れ多くも殿下のお言葉、確かに承りました」
彼女の声は震えていない。むしろ、どこか安堵したような響きがあった。
「領地に帰らせていただきます」
エドワードは眉をひそめた。きっと、涙ながらに許しを請うか、激昂して醜態を晒すかを期待していたのだろう。だが、シャーロットは深く一礼すると、踵を返して大広間を後にした。
「せいぜい領地で励むが良い」
背中越しにエドワードの声が掛かる。
「もう二度と王都に戻らずとも良いぞ」
嘲笑が突き刺さる。しかし、シャーロットの心は不思議なほど軽やかだった。
* * *
領地へ向かう馬車の中で、シャーロットは前世のことを思い出していた。
現代日本で『魔法のシェフ』と呼ばれた彼女は、人気レストランの名物シェフだった。どんなに見栄えの悪い食材でも、魔法のように美味しい料理に変身させる手腕で、テレビにも頻繁に出演していた。
しかし、彼女が本当に情熱を注いでいたのは、休日に通っていた子供食堂での活動だった。限られた予算と乏しい食材で、栄養満点の食事を作る。子供たちの「美味しい!」という笑顔こそが、彼女の最高の報酬だった。
交通事故で命を落とし、気がつくとこの世界の貴族令嬢として生まれ変わっていた。十七年間、前世の記憶を隠しながら貴族として振る舞ってきた。堅実な領地経営が評価され、第三王子の婚約者に引き立てられたのが十四歳の時だ。しかし、この三年間で状況が大きく変わってしまった。
ローズウェル領には、もともと『ニガムギ』という穀物が自生していた。しかし、シャーロットが領地を離れてまもなくニガムギが異常繁殖し、生態系のバランスが崩れてしまった。土壌の栄養が偏り、これまで栽培していた穀物や野菜がまともに育たなくなったのだ。
領民たちは飢えに苦しんでいる。ニガムギはパンとして食べるには余りに苦く、誰も口にしようとしない。解決の糸口は見えていたが、王子との婚約中は王都を離れることができず、抜本的な解決策を見つけられずにいた。
だが、今は違う。
シャーロットの瞳に、久しぶりに闘志の炎が宿った。
* * *
領地に戻ったシャーロットを出迎えたのは、管理人のベンジャミンだった。初老の男性の顔には、心配の色が浮かんでいる。
「お嬢様、婚約破棄の件、お聞きしました。さぞお辛いでしょうが…」
「いえ、ベンジャミン。むしろ清々しい気分よ」
シャーロットは厨房に向かうと、前世の知識を総動員して料理を始めた。
やせ細った領民たちに必要なのは栄養だ。誰も見向きもしないニガムギを使って、滋養たっぷりの雑炊を作る。ニガムギの強烈な苦味を消すため、彼女は前世の技術を駆使した。苦味成分を中和する野菜との組み合わせ、絶妙な火加減、そして隠し味に使った塩麹が、信じられない変化をもたらす。
「これを皆さんで分けて食べてください」
広場に大鍋いっぱいの雑炊を持ち込んで炊き出しを始めたが、領民たちは戸惑っていた。これまで誰もが避けてきた、あのニガムギだ。空腹に耐えきれず口に運んだ子供が、目を見開いた。
「あれ、苦くないよ…!」
「今まで食べた中で一番美味しい…」
「本当にニガナが入っているの?」
他の子どもが、そして大人が続き、雑炊はあっという間に空になった。領民たちの顔に、疑問と喜びが浮かんでいる。
「ニガムギは、組み合わせと調理方法で美味しくすることができます。火入れのタイミングが少し難しいですが、慣れれば必ずできるようになるはず。パンにもできます。お伝えしていきますので一緒にやりましょう」
一月半ほど経ち、多くの家庭がニガムギ雑炊とニガムギパン作りに習熟したころ、シャーロットは次の段階に進んだ。ニガムギを輸出食材にするのだ。
残念ながらニガムギパンは美味しさが持続しない。焼き立てを食べなければ固くなり苦味も戻ってしまう。シャーロットは、ニガムギを塩漬けにして発酵させ、独特の風味を持つ調味料を作り上げた。さらに、干してから粉末にすることで、スパイスにもした。
試作品を口にした領民たちは、その意外な美味しさに再び驚愕した。
* * *
それから一年後、ローズウェル領は劇的な変化を遂げていた。
シャーロットが開発したニガムギ調味料は、王国中の評判となっていた。王都の料理店に、店の階級や特徴に合わせたオリジナルレシピとともに提供したことで、王都ではニガムギ調味料を活用した様々な料理が溢れるようになった。隣国の商人たちも買い付けにやって来る。領地には金貨が流れ込み、領民たちの暮らしは見違えるほど豊かになった。
評判を聞きつけてローズウェル領を訪れたエドワードを、シャーロットは豪華な応接室で出迎えた。以前とは見違えるほど活き活きと自信に満ちた姿に、エドワードは息を呑む。
「シャーロット、君もようやく僕にふさわしい女性に成長したようだ。もう一度…」
「申し訳ございませんが」
シャーロットは優雅に微笑んだ。その笑顔は美しかったが、氷のように冷たかった。
「私は街の食堂でパンを焼いている身ですわ。エドワード殿下の妃にはふさわしくないと存じております」
「王都に戻って来い。王家の命だぞ」
「2年前に王都を出た際に、もう王都に戻らずとも良いとお言葉をいただきました。甘えさせていただきたいと思います」
シャーロットは美しく微笑んだ。窓の外には、彼女の手で豊かになった領民が、笑顔で食事を楽しんでいる光景が広がっている。
彼女はゆっくりと立ち上がると、エドワードに向き直った。その瞳には、前世で子供食堂の子供たちを見つめていた時と同じ、温かな光が宿っている。
「料理とは愛情ですの」
シャーロットの声は穏やかだったが、その奥に揺るぎない意志があった。
「愛のない相手に美味しいものを作る理由はありませんわ」
エドワードが帰った後、シャーロットは領地で一番大きい中央食堂へ向かった。愛する人たちのために、心を込めて料理を作る時間だ。
お読みいただき、ありがとうございました。料理チートの令嬢というテーマで書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。第三王子はめちゃくちゃバカだったり身勝手だったりするわけではないので、「ざまぁ」というよりは、あくまで過去と向き合うための一つの儀式だったという感じです。感想などいただければ嬉しいです。