アザミの花
目を覚ます。
まだ部屋は暗くて、相部屋の生徒の寝息や寝返りの音がする。
じっとりと汗で湿った肌が気持ち悪くて、もぞもぞと起き上がる。綺麗に巻き直してもらった包帯はすっかり解けてしまっていた。
窓の外、星の瞬く夜空を見た。
父さんは、私の為に魔獣を殺したから地獄に行ったに違いない。母さんは、信心深い人だったから天国に行けたかもしれないけど、最期に「女神様に頼んでお父さんのところに行く」と言ったからやっぱり地獄に行ったんだろう。望んで行けるものかは知らないけど。
じゃああたしは?
地獄はとても熱いところだという。二人にまた会うためだけに、またあの痛みを、今度は全身で永遠に耐え続ける覚悟は、あたしにあるんだろうか。
分からない。
分からないから、怖い。
それで何故かアグリースの顔が頭に浮かんで、何だか無性にイライラしてきてまた毛布を被った。今度は夢も見ないでよく眠れた。
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翌朝になって、手紙が届いた。バードック家からだ。
どうやら、あたしの態度があんまりに「御令嬢」らしからぬことをカレッジが不審がって、バードック家に事情説明を求めていたらしい。脚のことも尋ねたのだろう。
手紙は文句の山だった。
高い金を払って入れているんだから相応に勉強しろだの、言葉遣いが直らないなら一生黙っていろだの、まあそれもそうだなという内容が半分。残りは単語が難しくて読めなかった。
「その醜い脚と汚い舌を隠すことすら出来ないのか」という文には流石に腹が立ったけど、まあ手紙で言い返したところで、字も汚いし読んではくれないだろう。
手紙はさっさとゴミ箱に突っ込んだ。
それからまた授業の為に廊下を歩いていると、アグリースが数人の女子に囲まれているのを見た。
そう言えば、王城主催の舞踏会が近かった。カレッジの生徒にも招待状が送られて、ペアを選んで参加する。まだ招待状は来ていないが、きっとアイツと一緒に行きたい女が約束を取り付けようと集っているんだろう。
ふと思い立って、その集団に近づいた。
こちらに気付いたアグリースがまたあの鬱陶しい笑顔を見せる。周りの女はあたしを見て嫌そうな顔をした。
「ディスティ、そうだ、君に──」
「アグリース」
何か言いかけていたのを無理やり遮った。しん、と静まり返った中で、はっきりと尋ねる。
「昨日、あたしの脚を見てどう思った? 正直に言え」
気味が悪かったと言って欲しかった。
醜い、でもいい。お前にお似合いだ、でもいい。
ただ、安心させて欲しかった。アグリースも、あの人たちも、みんな同じなんだと思いたいから。
「痛そうだなって、思った」
「………………そうか」
そのまま横を通り過ぎると、アグリースが手を伸ばしてきた。あたしの肩を掴もうとして、躊躇って少し引いた。
「ディスティ! ボクと……」
あたしは振り返らずに立ち去った。何も聞かなかった。
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アグリースに初めて会ったのは、あたしがカレッジに入学してすぐ、講師に暴言を吐いて学院長に呼び出された後だった。暴言と言っても大したことじゃない。ただいつも通りに振る舞っただけ。
学院長には怒鳴られたりとか殴られたりした訳じゃないけど、何度も色々細かく訊かれたのが面倒で、終わった後にはとても疲れていた。
ああ、そうだ。それで初めて、自分の「普通」はここでは「最低」なのかと気づいたんだった。
話が長引いたから夕食を食いそこねて、小遣いもないからカフェで何か買うことも出来ない。それでお腹を鳴らしてとぼとぼ歩いていたら、たまたまアグリースに出会った。アイツは片眉をあげて首を傾げた。
「君、お腹空いてるの? 飴あげようか」
木苺の飴を三粒貰った。とにかく腹が減って仕方がなかったから、全部口に放り込んで噛み砕いて食った。飴の食い方を知らなかったんだ。
「クッソ硬ぇけど、これ美味ぇな!」
「??」
貧民訛りの早口は、アグリースには聞き取れなかったのかもしれない。ただ、あたしが喜んでいることは伝わったらしく、その時初めて、あたしはアイツの笑顔を見た。
「君、ディステル・バードックだろ? ボクはアグリース・ボルドヴァル。よろしくね」
その次の日からアグリースはやたらあたしに付き纏うようになった。お茶を飲もうだの、一緒に勉強しようだの、あたしは誰かとつるむのが嫌いだったから全部適当に断り続けた。
「あんた毎日毎日よく飽きねえな、学ぶってことを忘れちまったのか?」
いい加減うざったくなってきた頃に、嫌味ったらしくそう訊いた。そしたらアイツ、こう言ったのさ。
「だって、君がとってもかわいいんだもの」