プレイヤー
投げやりな破滅思考、後先帰り見ずな逃避願望、人間関係リセット願望、人生リセット願望、過去の追体験、あの頃に戻りたい思考、
束の間の自由を最大限に謳歌して人生の利子を溜め込もうが、誰にも傷つけられずに、一人のバーチャルな世界を謳歌する。画面越しの世界と、その精緻で多様で綿密な作り込みに飲み込まれるように入り込み、その時間を刻む。頭の中をそのことでいっぱいにして、物忘れの酷くなる脳みそで、空想して体験する。夢でプレイする自分を見て、現実でプレイする。数百時間だろうが、数千時間だろうが、没頭してやがて忘れる。罪悪感と焦燥感と不安と孤独をセットにした時間の中で、望まぬ現実を生きる私の存在の薄れ往く様を取り戻し、逃避の中の時計の恐ろしい秒針の針の音が、生きている実感を刻む。
真実の中で、想い出の蓋を開けて記憶の種の中で生き生きと私の脳みそは、私の人生を歩む。チクタクと鳴り響く秒針、忙しなく階段を駆け降りる足音、玄関のポストに投函されるビラの音、早朝の一番の来訪者、バイクの音、外の世界の音、全てのリズムと規則性に怯えながら、沈黙に安堵して、私は私で私を焦がす。目の前に広がる闇に飲み込まれないように、誰の物でもないわたしは、わたし自身の心音に包まれて、安息のもたらす想像力の唯一の所有者であり所有物であることに魂の火種を見いだすのだ。
外に出れば怯えきった存在となって、幻惑のように世界が映る。しかし、その幻惑のように平衡感覚を失った景色の中で、物語が色を成して、色彩的に日常は目の前に飛び込んできて、其処に真新しく懐かしい痛みや、喜び、発見や、会期がある。其れは、日常を維持してきた時には見えなかったものだ。私は、この世の中の部外者になってやっと心に余裕と心を持てたような気になるのだ。
狂う気持ちも、現実が鋭いナイフでその短刀を背中に突き刺さんと迫り来る気配も、絶望的に生きる術がないことや、目の前が真っ暗で何も望みがないという感覚も、自らの意思の元に帰依した感情であり、現実であるという実感を持った其所では、其れこそが素晴らしいのだ、そして、其れが素晴らしいということは、あらゆる惨めさも、認めたくない現実への直面に対する逃避的で直視しない態度も実のところ、素晴らしく、そして懐かしいと思えるのかもしれない。