4:「21:20」☆
「ねえ、コウくんとみか先輩、ちょっと遅すぎませんかー?」
間延びした口調で、ふわふわ髪のななみが言った。こてりと首を傾げた彼女の髪が、可愛らしく揺れる。なんとなく、男子から人気がありそうな女の子だな、とすずは思った。
「確か、校内を調べようって別れたのは九時前でしたよねー。もう三十分は経ってるのに、変じゃないですかー?」
「そう言われてみると心配になるな。さっと見てくるだけのはずだし……うん、分かった。俺、ちょっと行ってみるよ」
ななみの指摘にサクが頷いた。すずには今ひとつ状況が分からないので、黙っているしかない。
口を引き結んだままスカートをぎゅっと握って俯くと、サクに肩をぽんと優しく叩かれた。
「大丈夫だよ、すずちゃん。すずちゃんはここで待ってて。――ほら、この椅子に座って、ね?」
近くにあった椅子をすずに勧めてくれるサク。すずはこくりと頷いて、大人しくその椅子に座った。
「じゃあ、行ってくるから。すぐに戻るからね」
サクがにこりと笑いかけてくる。すずを不安にさせないように、気を遣ってくれているのだろう。
本当に優しい人だ。
すずは心の中で「ありがとう」「行ってらっしゃい」と呟く。
教室を出て行こうとするサクの背中を引き止めたくなるけれど、それはなんとか抑えて。
「あ、サク先輩! 私も一緒に行きますねー」
ななみがサクの後を追って駆けだした。いかにも女の子という走り方だ。サクはそんなななみに「いや、ひとりで大丈夫だよ」と答えていたけれど、「心配ですからー」と返されて曖昧な笑みを浮かべた。
結局、ななみに根負けして、サクはななみを連れて教室を出て行く。
出て行く間際、ななみはこちらを振り返り――勝ち誇ったような笑みをすずに向けた。
なに、あの顔。ちょっと、嫌な感じがする……。
ふたりの足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
すずはサクとななみが出て行った扉をぼんやりと見つめる。なんだか妙に寂しかった。
でも、とすずは考え直す。ここはすずにとっては異世界で、任務さえ終わればもう来ることもない世界だ。
どんなに優しくされたって、サクとはいつか離れることになる。
だから、適度な距離を保たないと。
すずが扉から目を離して前を向くと、ポニーテール少女のつばきがじっとこちらを見ていた。全く予想をしていなかったので、「ひっ」と声が漏れてしまう。
「……なによ、その反応。失礼じゃない?」
つばきがむくれて顔を背ける。高く結い上げたポニーテールが、勢いよくしなった。
その様子を見て、ゼンが噴き出す。
「お前の顔が恐いからだろ? 目つきが悪いんだから、もっと柔らかい表情をしないと。ビビられて当然じゃん」
「余計なお世話。本当、もう最悪!」
つばきは少し離れたところにある机に腰掛けると、苛々と貧乏ゆすりを始める。
そんなつもりはなかったのだけど、どうやら怒らせてしまったみたいだ。
しょんぼりと俯いたすずの傍に、ゼンが椅子を引きずりながら寄ってくる。
「気にするなよ、すず。つばきは機嫌が良い時の方が稀だから。……それより、もふリズの話をしようぜ。他のスクショも見せてやるからさ」
ゼンがスマホの画面を見せてくれる。可愛らしいゲームのキャラクターが次々と現れた。
ゼンは得意げに「これはイベントで手に入れたやつ」とか「ガチャ三回目で最高レア出た」とか、ひとつひとつ解説してくれる。
すずはこくこく頷きながら、それを聞いた。
ゲームの話は面白い。ゲームをやっていて本当に良かった。
ゲームなんて何の役に立つの? なんて親は言ってくるけれど、こうして異世界で話し掛けてもらえるきっかけにはなった。充分、役に立っている。
「なあ、すず。フレンドID教えてよ。申請するからさ」
「え? あ、でも私、今スマホ持ってないです……」
異世界の扉が現れたその時までは、手元に鞄があったのだけど。あまりに不思議な扉に驚いたせいで、持ってくるのを忘れていた。スマホは鞄の中なので、元の世界に帰るまでは使えそうにない。
「仕方ないな……」
ゼンは教室の後ろの棚に置いてある鞄の中から、ノートと筆箱を取り出した。
ボールペンを手に取り、ノートを一ページ破る。そうしてすずの隣に戻ってくると、自分のスマホの画面を見ながら何かを書き写し始めた。
しんとした教室に、ゼンがペンを走らせる音が響く。その音が止むと、ゼンはすずにその紙をぐいっと押し付けてきた。
「これ、俺のフレンドID。すずの方からフレンド申請して」
紙には英数字が並んでいた。これをゲームの中で入力すれば、フレンド申請というのができる。
すずは自分からフレンド申請なんてやったことがないので、なんだかドキドキしてしまう。いつも誰かから申請してもらえるのを待つだけだったから。
「わ、分かりました。帰ったら、申請、してみますね」
「うん、よろしく」
渡された紙を丁寧に折りたたみ、スカートのポケットにしまう。すると、ポケットの中にある秘密の鍵に手が当たり、その存在を思い出した。『生き残れ』というプレートの文字。
すずはそっと深呼吸し、その存在をまた頭の中から追い出す。
「……帰ったら、ね。帰れるのかな、私たち?」
つばきが唐突に言った。
すずの心臓が嫌な感じに跳ねる。というか、すずは違う世界の人間なので、この世界には帰るところなんてないのだけど。
そもそも夜の学校にいるというこの状況が、ゼンやつばきたちにとって普通なのかどうなのかということすら分からない。様子を見る限り、彼らにとっても何か異常らしいというのは感じるけれど。
すずは勇気を振り絞って、聞いてみることにした。
「あ、あの。私、状況がよく分かっていなくて。……その、教えてもらえると、ありがたいんですけど……」
つばきとゼンが顔を見合わせた。すずはびくびくしながら答えを待つ。
教室を明るく照らしている明かりが、震えるように瞬いた。つばきがふうとひとつため息をつき、それからゆっくりと口を開く。
「はっきり言って、私たちにもよく分からない。でも、どうやらこの夜の校舎に何人かの生徒が閉じ込められたらしいってことだけは分かる」
つばきは語る。
ふと気付いたら、そこは夜の学校だった。校舎内を歩いていると、同じような状況の高校生たちがいた。先生など、大人はどこにもいない。
昇降口の扉は固く閉まっており、押しても引いてもびくともしなかった。
窓を開けてみようとしたけれど、鍵がかかっていないはずなのになぜか開かない。
とりあえず他に同じように閉じ込められた人はいないか、どこか出られる場所はないか、とそれぞれ探索に出かけることになった。
それが午後九時前のことだったという。今から三十分ほど前の話だそうだ。
すずはその探索中のサクによって発見されたらしい。
この教室は、校舎内で唯一電気がつく場所のようだ。廊下や他の教室のスイッチは壊れているのか、全く電気はつかない。
だから、探索後はここを拠点にすることでみんなの意見が一致したのだそう。
「今分かるのは、そんなところかな。探索が終わって全員が揃ったら、もっと詳しいことも分かるかもしれないけど。まあ、あんまり期待しない方が良いかもね」
つばきは投げやりな口調で天井を仰ぎ見た。
と、その時。複数の足音が聞こえてきた。話し声も近付いてきている。
その音を聞いて、つばきがふっと小さく笑った。
「噂をすれば、かな。何か良い情報でも持ち帰ってくれると良いんだけど、ね」
今回のイラストは「桃色双子竜のやきいもコス」♪