3:「21:10」☆
電気のついた明るい教室の中には、三人の生徒がいた。男子生徒がひとり、女子生徒がふたり。
教室の扉を開けたサクに、その三人が揃って視線を向けてくる。
「あ、サク先輩! ……誰ですか、その子?」
髪を高い位置でひとつに結ったポニーテールの女子生徒が、すずを指さした。気の強そうな顔つきのその少女は目を細めて、品定めをするかのような仕草をする。
さらりと髪が揺れ、セーラー服のスカートから白い足が覗いた。すらりと伸びた綺麗な足に、思わず目を引かれてしまう。
「この子はすずちゃんだよ。俺が見つけた!」
なぜか胸を張って、自慢げにサクが言った。すずはなんだか恥ずかしくなって、サクの背中に隠れる。
「見たことない可愛い制服を着てるねー?」
ふわふわした髪を二つに結った女子生徒が、間延びした口調で話し掛けてきた。
こっちの子はなんだか雰囲気が柔らかくて優しそう。少し安心する。
すずはサクの後ろからちょっとだけ顔を出してみた。
すると、眼鏡をかけた気難しそうな男子生徒と目が合った。いかにも不機嫌といった顔をしているその少年は、ふんと鼻を鳴らすとそっぽを向く。
その冷たい反応に、すずは小さくショックを受けた。
身を縮こまらせたすずに気付いたサクが、繋いでいる手をぎゅっと握ってくる。
まるで「安心して」とでも言うように。すずが顔を上げると、サクが微笑んで小さく頷いた。
「すずちゃん、紹介するね。まず、ポニーテールの子がつばき、高二。で、ふわふわ髪の子がななみ、高一。すずちゃんと同学年だね。……最後に、眼鏡のやつがゼン、高二。全員この学校に通っている子たちだよ」
ふたりの女の子たち、つばきとななみが軽く会釈する。ゼンという名前の男子生徒だけはそっぽを向いたまま、教室の後ろにある椅子に腰掛け、窓の外に視線をやっていた。
サクがそんな不愛想なゼンにため息をつく。
「ごめんね、すずちゃん。ゼンってちょっと変わってるんだよ」
「俺よりサク先輩の方が変わってます。初対面の女子と手なんか繋いでへらへらしちゃって」
ゼンはこちらを見もせずに、ぼそぼそと呟いた。それから、こちらに興味がなさそうな顔をしてポケットからスマホを取り出し、画面をすいすいと指で操作し始めた。
「ああ、やっぱり繋がらない。ログイン切れたらどうしてくれるんだよ……」
ゼンの手元のスマホから、ゲームの音が流れてくる。すずはその曲を聞いて、目を瞬かせた。
それは、とても聞き慣れたものだったから。
「――もふリズ?」
すずの口から思わず零れた一言に、ゼンがぴくりと反応した。眼鏡をくいっと上げて、すずの方をじろりと見てくる。
もふリズというのは、ゲームアプリの名前。正式には「もふもふ竜のリズムカーニバル」という。
ガチャでもふもふ竜のカードを集めてユニットを組み、音楽に合わせて画面をトントンして遊ぶリズムゲームだ。
ちなみに、最高レアのカードの排出率は一パーセント。すずはまだ最高レアを一枚しか持っていないので、割と苦戦しているところだった。
「すずって言ったっけ。あんたも『もふリズ』やってんの?」
「え……はい。まだ始めたばかり、ですけど……」
「ふーん」
すずの消え入りそうな言葉にゼンは軽く頷いた後、スマホを操作する。
「ああ、良かった。スクショは見られる。……ほら、これ。最高レアの『桃色双子竜のやきいもコス』が出た時のやつ」
得意げにスマホの画面を掲げ、ゼンがふっと笑った。その画面には、ピンク色のちびっこ竜が二匹、やきいものコスチュームを着ているイラストが映っている。
すずはぱあっと顔を輝かせて、スマホの画面に見入った。サクと繋いでいた手を離して、ゼンの傍に駆け寄る。
「すごい! こんなの実装されてたんだ! 知らなかった……」
「実装されたばかりの最新コスだからな。これ取るために竜石を二百個はつぎ込んだし。俺、双子竜は集めてるんだよ」
「可愛い! 良いなー」
こんな異世界で、馴染みのあるアプリゲームの話ができるなんて思ってもみなかった。
しかも、その相手は気難しそうな一つ上の先輩。
なんだか少しだけ、嬉しくなってしまう。
「ちょっと、ゼン! またゲームの話ばっかりして……本当、ありえない!」
ポニーテールの気の強い系女子つばきが、呆れたように言い放った。ゼンはそんなつばきを鼻で笑う。
「お前には言ってないだろ。俺はすずに言ってるんだよ」
「うわ、ゼン生意気!」
つばきとゼンが言い争いを始めた。すずはその勢いにおろおろして、サクの元に戻る。
こういう争い事は苦手だ。自分が責められているわけではないのに、なんだか身が縮こまってしまう。
びくびくしているすずを、サクが心配そうに覗き込んできた。
「すずちゃん、あの二人なら気にしなくても良いよ。いつもあんな感じだから、大丈夫」
「そ、そうなんですか……?」
「うん。仲が悪いわけじゃないんだよ。それよりさ、その……もふリズってゲーム? 俺も、やってみようかな」
「え?」
きょとんとしてサクを見上げると、サクは照れ臭そうに頭を掻いていた。
「いや、なんかゼンにすずちゃんを取られそうな気がしてさ。すずちゃんを見つけたのは俺なのに、なんていうか、悔しい気がして……。というか、ゼンのやつ、なんですずちゃんのこと勝手に呼び捨てにしてるんだよ」
サクの背後に暗いオーラが見えたような気がして、すずは少し後ずさる。
「サ、サク先輩……?」
「ん? ああ、ごめん。何でもないよ。――そうそう! その三人の他にあとふたり、いるはずなんだ。そいつらもこの教室に来る予定だから、来たら紹介するね」
暗いオーラがぱっと消えて、爽やかな笑みを浮かべるサク。その笑顔は不意打ちで、すずの顔が一気に熱くなった。異性にこんな爽やかな笑顔を向けてもらえるなんて、生まれて初めてのこと。ドキドキと大袈裟に心臓が鳴ってしまう。
教室の中はゼンとつばきの言い争いの声で賑やかになっていた。明るい教室の中、ぽんぽんと勢いのある言葉が飛び交う。
すずはドキドキのおさまらない心臓を少しでも落ち着けようと、窓の外に目を遣った。外は薄暗く、どんよりとした闇が広がっている。この教室は三階にあるらしく、随分と下の方に校庭が見えた。
空にはまんまるな月がぽっかりと浮かんでいる。薄い雲が風に流され、その月の前をゆるりと横切っていった。
「――恐い?」
サクがすずを気遣うように、後ろからそっと囁いてきた。続けて、少し抑えた声で言う。
「恐いに決まってるか。気が付いたら、こんなところにいたわけだし。それに、ほら……あの旧校舎。不気味すぎるよね」
すっとサクが指さした方向を見て、すずは息を呑む。どす黒い闇がまるで生き物であるかのようにうごめいて、少し離れたところにある建物を覆い尽くしていた。見ているだけで体が汚染されていくような気がして、耐えられずぎゅっと目を瞑る。
やっぱり、ここは楽しいだけの異世界ではないみたいだ。
頭の中をよぎる『生き残れ』の文字。
どうして自分だけが、こんなに理不尽な思いをしなくてはならないんだろう。
異世界への鍵を、安易に受け取ってしまった自分を恨む。
俯いたすずを、サクがそっと引き寄せてくれた。これ以上、窓の外を見なくて済むように。
「ごめん、見せない方が良かったね……」
申し訳なさそうなサクの声。すずはただ黙って首を振るしかできなかった。