24:「16:40」☆
九月になった。
夏休みは、異世界での体験をノートに書く作業に追われて本当に大変だった。
なんとか休みが終わる直前に書き終えて、胸を撫で下ろしたのを覚えている。
ある日の放課後、すずはスマホを取り出して、ゲームを起動させた。そのゲームというのは、もちろん「もふリズ」。
教室の中には、数人ほどしか残っていない。すずはゲームの音量を少しだけ上げた。
ログインボーナスをもらって、ホーム画面へ。新しいガチャがあるようで、ぴかぴか光るマークがついていた。
新しいガチャでは、新しいカードが手に入る。ゲームを楽しむには、このガチャのチェックは欠かせない。
「どんなキャラが追加されたのかな……って、え?」
すずは目を丸くした。そこには、見たことのあるカードの絵。
「最高レア『桃色双子竜のやきいもコス』……?」
異世界にいたゼンが見せてくれたものと全く同じイラストが、そこにはあった。
どういうことなんだろう?
なんで異世界で見たイラストが、今頃になってこの世界に現れたんだろう?
あの世界は、私がいるこの世界と何か繋がっているとでもいうの?
新しいフレンドさんの設定しているメインキャラが、その「桃色双子竜のやきいもコス」に変わっている。
ゼンの自慢げな顔が、脳裏にちらついた。
「ぐ、偶然、だよね……」
すずはドキドキする胸を押さえながら、アプリを閉じた。
その数日後。夕方――十六時四十分頃。
すずは教室で友達と雑談をしていた。すずに秘密の鍵について教えてくれた、あの情報通の友達だ。今日の彼女は、オススメの漫画を熱く語っている。
楽しそうに語るその姿に、すずもなんだか楽しくなってきて、漫画についてもっと詳しく聞きたくなった――その時。
グラグラ、と地面が揺れた。
机や椅子が床を擦る音が響く。続いて、女子生徒の小さな悲鳴。
すぐ傍の扉が揺れて、大きな音を立てた。
情報通の友達は「ひゃあ!」と叫んで、机の下に潜り込む。すずはというと、椅子に座ったまま周りをきょろきょろ見るだけだった。
机の下の潜っているのは、少数派だ。ほとんどの生徒はきょとんとして、すずと同じように、何も行動を起こそうとはしていない。
自分は大丈夫、ここは安全だろう――みんな、そんな風に考えている。
こういうのを、「正常性バイアス」が働いている状態、というのだと聞いたことがある。
この心理状況に陥ると、避難行動ができないのだ。
情報通の友達のように、さっと机の下に隠れる方が正しいと分かってはいるのだけど……。
「あ、おさまったね」
その情報通の友達はけろっとした顔をして、机の下から出てきた。
ここで、すずはふと考える。
地震。
サクも、今のすずと同じように自分の身を守ろうとしないまま、旧校舎の倒壊に巻き込まれたのだろうか。
「――地震、九月、やきいもコス……?」
「どうしたの、すずちゃん。それ、なんの呪文?」
「ううん、ちょっと、気になることが……」
すずはスマホで先程の地震について調べた。どうやら隣の県の方が大きく揺れたらしい。
なんとなく。本当になんとなく気になって、すずは隣県の高校のホームページを調べ始めた。
――まさか、ね。でも、もしかしたら。
片っ端から調べていき、ある高校のホームページに辿り着く。すずはその高校の校舎の画像と、生徒の着用している制服の画像、ふたつを確認して息を呑んだ。
これ、月明かりの下で見た、あの校舎……?
こっちは、サク先輩たちが着ていた、あの制服に似てる……!
すずは、制服の画像を拡大してみた。男女ともに袖のあたりに凝った模様がある。草の蔓みたいな、特徴的なデザイン。
やっぱり! これは、サク先輩たちの――……!
どくん、と心臓が大きく跳ねた。
「すずちゃん? ちょっと、え?」
困惑する情報通の友達を置いて、すずは駆け出した。
――実在した。サクたちの高校は、実在していた。
九月の地震で旧校舎が倒壊した、とサクたちは言っていた。
今は九月。そして、ついさっき起こった地震。
それに、実装されたばかりの「桃色双子竜のやきいもコス」。
サクたちの世界とすずの世界。何の関係もないなんて、考えられない……!
走る。じっとなんてしていられなかった。
どうしよう、嫌な予感がする!
必死になりすぎて周囲への注意がおろそかになり、すずは廊下の曲がり角でどんっと誰かにぶつかってしまった。
「す、すみませ……」
「あれ、すずちゃん?」
そこにいたのは、異世界へ行く鍵を渡してくれた、あの美人の先輩だった。
すずは思わず先輩にすがりつく。
「せ、先輩! あの、私が異世界で会った人が、この世界にいるかもしれなくて! 今、大変な目に遭ってるかもしれなくて!」
「え? すずちゃん、落ち着いて。もっと分かるように教えて」
すずは泣きだしたくなるのをなんとか堪えて、話し始める。
これは、ただの願望にすぎないのかもしれない。でも、すずの頭に浮かんだひとつの可能性を一笑に付すなんて、できそうになかった。
だって、人の命がかかっている。
もちろん、すずの考えが本当に合っているかなんて分からない。けれど、一パーセントでもその可能性があるのなら、絶対に諦めるわけにはいかなかった。
美人の先輩が、真剣な顔で頷いてくれる。
「分かった。じゃあ、今からその高校に行こうか。誰か、車を出してくれる人を捕まえるね」
「え……」
「すずちゃんの異世界体験ノート、読んだからね。みんなを助けに行きたいって気持ち、よく分かるよ」
ぽんぽんと肩を叩かれて、すずの頬に涙が伝った。
「ありがとう、ございます!」
二十代くらいの男の人が、車を出してくれることになった。
「俺も昔、あの鍵で異世界に行ったんだ。もし、あの異世界にいた人たちともう一度会えるっていうなら、俺だって必死になるよ。だから、協力させて」
その男の人以外にも、数人の男女が集まっていた。みんな、異世界に行ったことがあるという。
つまり、すずたちの大先輩、というわけだ。
「地震の被害、思ったより大きいかも。どこまで行けるか分からないけど、とりあえず行ってみよう」
校門の前にとめてある大きな車に、すずは乗せてもらうことになった。大先輩たちはサクたちの高校の位置を調べ、カーナビに情報を入れる。
低いエンジン音とともに、車が走りだした。
――サク先輩、みんな。今、あなたたちを救いに行くからね。




