23:「6:00」
「みんな、お疲れさま! 異世界への旅は楽しかったかな?」
すずに秘密の鍵を渡してくれた美人の先輩が、にこりと笑う。
校舎の端にある小さな物置部屋。そこには今、異世界から戻ってきた生徒が集まっていた。
もう夜は明けて、時計の針は朝の六時を示している。
異世界から戻り、ひとしきりすずは泣いていた。泣きすぎたせいで、少し頭が痛い。
周りにいる生徒たちも、みんなどこか疲れたような表情をしていた。
みんな異世界でいろんな経験をしてきたのだろう。
「じゃあ、鍵を回収するよ。三年後にまた、後輩たちが使わないといけないからね」
美人の先輩がそう言って、ひとりひとりから鍵を受け取っていく。すずも黄色い石がはめ込まれた鍵を、先輩の手に乗せた。
「あ、そうそう。異世界でどんな体験をしたのか、記録に残しておきたいの。ノートでもルーズリーフでも何でも良いから、どんなことがあったのか書いてきてくれる?」
すずの目の前の机に、ノートの束がどさりと置かれる。
どうやらこのノート、過去に鍵を使って異世界に行った人たちが書き残したものらしい。
「この中のどれでも良いから参考にして、しっかり自分の体験をまとめてきてね。一冊くらいなら貸してあげるから、それをじっくり読んでみると良いよ。そして、できれば夏休み明けには完成させてほしいかな」
部屋に集まった生徒たちの不満そうな声が聞こえる。
すずはぼんやりとしたまま、ある一冊を手に取ってみた。
それは、三年前にすずと同じ『生き残れ』という鍵で、異世界に行った女の子のノートだった。
「じゃあ、解散! みんな、本当にお疲れさまでした!」
すずは先程手に取ったノートを胸に抱き、部屋を出た。ふわっと風が吹いて、すずの髪を揺らしていく。
このノートには、どんなことが書いてあるのだろう。
彼女は、どんな体験をしたのだろう。
遠くの方まで広がる青い空に、すずは思いを馳せた。
セミがジワジワとうるさく鳴いている。日差しが徐々に強くなってきているみたいだ。
どこからか、甘い花の香りが漂ってくる。
すずはその香りを吸い込み、また少し、泣いた。
家に帰ったすずは、とにかく眠った。
徹夜をした体はだるく、ベッドに横になるとすぐに意識が落ちた。
そうして、夕方になって目が覚めた。
すずは自分の部屋で、借りたノートをゆっくりと開く。三年前に『生き残れ』という鍵で異世界に行った女の子の手記。
丸っこくて可愛い字が並んでいた。
「この子が行ったのは、学校じゃなくて村だったんだ……」
怪しげな田舎の村。飾り付けられた祭壇。いけにえの少女。
森の奥で行われる、謎の儀式。
「恐い……」
すずがこんな世界に行ったら、すぐに命を落としているだろう。
なんだか恐くてじっくりと読めそうにないので、ざっと流し読みをしてしまう。ぱらぱらとページをめくっていくと、すぐに最後の記述に辿り着いた。
そこには、こう書いてある。
――異世界に行って良かった。
「こんな恐い思いをしたのに、どうして……?」
すずの手が震えた。
すずは「異世界に行って良かった」なんて、絶対言えない。
どんなに恐い目に遭っても、辛い目に遭っても、自分の力で立ち上がることができる――そんな人間が異世界に行くべきだったのか。
三年前に異世界に行った、このノートの少女のように強い人間が。
すずみたいに弱い人間なんて、行くべきではなかった……?
「……ううん。サク先輩は、逢えて良かったって言ってくれたもの。マイナス思考は、止めよう」
すずはふるふると首を振ると、新しいノートを取り出した。
上手く書く自信なんてない。でも、サクがいたあの世界のことは、すずにしか書けない。
ななみのこと、ゼンのこと、つばきのこと、コウのこと、みかのこと。
あの世界で確かに生きていたみんなのことを。
生きた、証を。
すずはこのノートにしたためないといけない。
使い慣れたシャーペンを握り、真っ白なページにペンを走らせる。
とりあえず、はじめに大まかな流れみたいなものを書き記してみることにした。
誰がどんな順番で消えていったのか……。
一番最初は、ななみだった。
だから、「ななみちゃんが消えました」と書こうとした。
でも、ふとペンが止まる。
ここでそんな風に書いてしまうと、本当にその存在が消えて、死後の世界に旅立ったみたいに思えてしまう。
みんなは、どこか別の世界で元気にしていると信じたい。
だから、すずはこう書くことにした。
――「ななみちゃんがログアウトしました」、と。
こう書いておけば、彼女は今もどこかで生きていると思える。
まるでゲームの世界みたいな表現ではあるけれど、今はこう書くのが精いっぱいだ。
ん? ゲーム……?
「あ!」
すずは制服のスカートを手に取り、ポケットの中を漁る。
「あった……」
出てきたのは、英数字が走り書きされたノートの切れ端。
ゼンがくれた、もふリズというゲームのフレンドIDだ。
すずは急いでスマホを起動させ、もふリズのアイコンをタップする。可愛らしい竜のイラストが描かれた画面が現れた。
ログインボーナスをもらって、ホーム画面へ移動する。聞き慣れたゲームの音楽が鳴った。
画面の右端にあるメニューを押して、フレンドIDの入力画面を出す。
ごくり、と喉が鳴った。
ゼンが書いてくれた通りに、英数字を入力していく。指先が震えて、なかなか上手くいかない。
やり直しを何回か繰り返した後、やっと正しく入力し終えた。
――お願い、届いて。
祈るような気持ちで、すずは申請ボタンを押した。
次の日の朝。
「あ、フレンド増えてる……!」
すずはもふリズのゲーム画面に表示されたフレンドの数字を見て、小さく震えた。
新しいフレンドさんは、メインキャラを桃色双子竜に設定している。
スイカのコスチュームを着た桃色双子竜が水遊びを楽しんでいる、最高レアのカードの絵。
――俺、双子竜は集めてるんだよ。
ゼンの言葉を思い出す。
あの世界は、今すずがいるこの世界とは別物。だから、このフレンドさんはゼンではないと……そう思うけれど。
でも、なんとなく、心が救われた気がした。
まるで、ゼンがこの世界にいるみたいだ。ななみやつばき、コウやみかもいるのかもしれない。
そして。
サクもこの世界のどこかにいて、笑っている――そんな気がした。




