22:「5:45」☆
サクの傷を、黄色い光が包み込み癒していく。
「サク先輩、負けないで! 私も、諦めませんから!」
肩の傷が塞がった。
「――すずちゃん」
今度は、腹の傷。それとほぼ同時に、背中の傷も治っていく。
サクの表情が少し和らいだ。
ところが。
頭の傷が、治らない。
すずは必死で手のひらをサクの頭にかざす。
泣きたくなるのを堪えて、歯を食いしばって、黄色い光に祈りを込める。
お願い、「ギフト」。
私に力を貸して。
私の大切な人を、この手で守らせて――!
黄色い光が強くなり、眩しくて思わず目を瞑った。ふわりと温かな風が吹く。
ああ、「ギフト」が応えてくれた……。
光が止み、すずはそっと目を開ける。
そこには全ての傷が癒えたサクがいた。サクは薄く微笑み、すずの頬に手を添える。
「やっぱり、すずちゃんは天使だ」
痛みから解放されたサクは、まだ荒い呼吸を続けていた。そのまま、ずるずると床に倒れ込み、力なく手足を放り出す。
すずはその隣にぴったりとくっついた。
透明な手が、まだサクを掴んだままでいる。
透明な人影にサクを奪われないよう、彼の体を抱き起こした。そして、ぎゅっとその体を抱き締める。
すずは透明な人影に干渉できないし、透明な人影もすずには干渉できない。
だから、こうしていれば、サクを連れて行くことなんて無理だろう。
更に、透明な手から少しでも逃れられないかと思って、サクの体を移動させようと試みる。
すずの小さな体では、どこまでできるか分からないけど、でも。
足掻いてやる。絶対に諦めたりするもんか。
「――すずちゃん。もう、良いよ」
サクが、すずの腕の中で小さく呟いた。はっとしてサクを見ると、サクはその優しい瞳を潤ませて、ふわりと笑っていた。
「俺が消えたら、すずちゃんは元の世界に戻れるんだよね。それが分かってるから、俺、消えるの恐くないよ。ありがとう、すずちゃん」
「サク先輩!」
「元の世界に戻っても、俺のこと、覚えていてくれたら嬉しいな」
サクの瞳が虚ろになり、灰色に染まる。
透明な手が、サクを連れて行こうとしている。すずはふるふると首を振って、サクの体を一層強く抱き締めた。
なのに、サクの体から力が抜けていく。
どうしたら良いの? どうしたら、サク先輩を助けられる?
と、その時。灰色の瞳のサクが、目を見開いた。
「――嘘、だろ? こんなことって……」
サクは一体、何を見ているのだろう。
もうこの世界のことは見えていないみたいだ。
意識が、完全にあちら側に行ってしまっている。
「すずちゃん」
サクが幸せそうな笑顔を見せた。
そして。
砂のお城がさらさらと形を失くしていくように。
サクの体が消えていった。
「サク、先輩……」
窓を覆っていた黒い闇が、一気に晴れた。いつの間にか、空が明るくなっている。
音楽室にまっすぐな朝の光が差し込んできた。
すずはよろよろと窓に近寄り、外を眺める。
校庭にいた透明な人影は、ひとり残らず消えていた。旧校舎は見るも無残に崩れ落ち、がれきの山になっている。
朝焼けの空の下――全てが終わった光景。
この世界に残されたのは、すずひとり。
ふと振り返ると、不思議な光を放つ扉が部屋の中央に現れていた。異世界を繋ぐ、あの扉だ。
すずはスカートのポケットから鍵を取り出す。
はめ込まれた黄色の石が、扉と同じように光っていた。
でも、まだ帰りたくない。
もしかしたら、サクやみんながどこかからひょっこり出てきてくれるかもしれないから。
びっくりさせてごめんねって、そう言って、笑いながら顔を出してくれるかもしれないから。
サクの消えた場所を見つめる。
何の変化もない床を、ただ、じっと見つめ続ける。
けれど、徐々に扉と鍵の放つ光が弱まっていくのに気付いてしまった。
このままだと、元の世界に帰れなくなるのかも……。
――すずちゃん、生きて。
サクの言葉が甦る。きっと、サクはこの世界にすずがとどまることを望んだりしない。
だから、帰らないと。サクの望み通り、生きるために。
「サク先輩。私、サク先輩のこと……ううん、この世界のこと全部、絶対に忘れないよ」
すずはサクが消えた場所に、そっと語りかけた。
それから踵を返し、震える手で鍵を鍵穴に差し込む。光り続ける鍵をそのままくるりと回すと、カチャリと金属音がして扉が開いた。
扉の輝きが増す。そして、すずの体は来た時と同じように、扉の向こうへ吸い込まれた。
*
「きゃあ!」
放り出される感覚の次に、尻餅をついた痛み。すずは涙目になりながらも、周囲を見回した。
夜の学校の、音楽室。
さっき朝を迎えたと思ったのに、また夜に戻されていて変な気分になる。空には満月がぽっかりと浮かんでいた。
時計を見ると、午前零時すぎ。
どうやら異世界で過ごした時間は、この世界では一瞬のこととして処理されているらしい。
「……戻って、きたんだ」
ずっと張りっぱなしだった気が緩み、すずの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「サク先輩、サク先輩……」
すずの手から鍵がころんと転がり、床の上で小さく跳ねた。
サクの笑顔が忘れられない。
異世界で、不安に怯えるすずを、ずっと支えてくれた人。
俯きがちなすずを励まして、前を向かせてくれた人。
優しい声で「可愛い」「天使」と言ってくれて。
ことあるごとに、手を繋いでくれて。
すずを、甘い瞳で見つめてくれていた。
「私……」
涙の雫がぽたりと手の甲に落ちて、弾け飛んだ時。
すずは初めて気が付いた。
たった一晩、一緒にいただけなのに。
こんなの、おかしいかもしれないけれど。
「私、サク先輩のこと、好きになっちゃってたんだ……」
もう会えないのに。
サクはもう、どこにもいないのに。
「サク先輩、会いたいよ……。会いたい……」
全てが終わった後でこんなこと言ったって、遅いのに。
本当に、すずは愚図でのろまで、どうしようもない。
八月の満月の日、深夜零時すぎの音楽室。
すずは無事、『生き残れ』という任務を達成し、異世界からの帰還を果たしたのだった。
サク先輩がログアウトしました。




