10:「24:00」
ななみとゼン。ふたりも消えてしまった。
すずが一瞬でも嫌いだとか、冷たいとか、そういうマイナスな感情を抱いてしまうと駄目なのだろうか。
後で、その感情は間違いだったと訂正しても、遅いのだろうか。
「サク先輩……ごめんなさい。私のせいで、ななみちゃんもゼン先輩も……」
「すずちゃん?」
廊下を注意深く進んでいたサクが、すずを振り返った。すずは手の中にあるゼンの眼鏡をぎゅっと握り締める。サクの顔をまともに見ることはできそうになかった。
「――私、変な力があって、それで」
すずの「ギフト」。できることなら黙っておきたかった。
サクにだけは、知られたくなかった。
でも、これ以上黙っているのも辛い。何か良い解決策があるなら、教えてもらいたかった。
そうしなければ、きっとみんなを消してしまう。
早く、言わなきゃ。
ガタガタと体が震え始める。すずは唇を噛み、泣きそうになるのを必死に堪えた。
そんなすずに、サクは目を瞬かせる。
「変な力って? ……ああ! ゼンの怪我を治したやつ? あれ、すごかったね。俺、すずちゃんが天使に見えたよ」
「……え?」
「ん?」
やけに明るいサクの声に、すずはきょとんとしてしまう。
サク先輩……一体何を言っているの?
サクは微笑みを浮かべながら、すずを見つめている。
「すずちゃんが手をかざしたら、こう、黄色い優しい光が出てさ。みるみるうちにゼンの怪我が治っていっただろ? なんか、回復魔法みたいだなって思った」
「回復、魔法?」
「うん。すずちゃんはすごいね。さすが、俺の天使」
いや、天使ではないけれども。
でも、言われてみれば、確かにゼンが消える直前にそんなことがあった気がする。夢中だったのでよく覚えていないけれど、あれも考えてみれば不思議な現象だった。
「すずちゃんの力は、変な力なんかじゃないよ。それは、癒しの力だよ」
サクの優しい瞳と目が合った。その途端、すずの心がふわっと軽くなる。
サクの言う通り、すずの「ギフト」が癒しの力なのだとしたら。
嫌いな人を消す力なんかじゃないのなら。
もう、誰かを消してしまうと怯えなくても良い。
もちろん消えてしまったななみとゼンは、どうすることもできないけれど。
少しだけ、心が救われる。
「――ありがとうございます、サク先輩」
すずの「ギフト」が誰かを消す力なのか、癒しの力なのか。どちらなのかは、まだよく分からない。
でも、癒しの力であってほしいと、今はただそう思う。
サクに手を引かれ、ようやく教室に辿り着いた。明るい電気の光が窓から漏れていて、なんだかほっとする。
がらりと扉を開けると、教室の中にいたつばきたちが一斉にこちらに顔を向けた。
「あ、おかえり。……あれ、ゼンは?」
「ゼンは、消された」
端的に、サクが告げる。しんとする教室。
つばきが顔を引き攣らせ、乾いた笑いを漏らした。
「や、やだなあ、サク先輩。冗談なんて止めてくださいよ。だって、ゼンは警戒心強いし、ああ見えて逃げ足は速いし、消されたりするわけ……」
震える声で、ポニーテールを揺らしながら、つばきは笑う。すずはそっとつばきの前に進み出て、ゼンの眼鏡を差し出した。
黒縁の眼鏡が、静かに光を反射する。
「すずちゃん……? これ、まさか、ゼンの眼鏡……?」
つばきの絞り出すような言葉。すずは黙って頷いた。
「嘘、うそ、本当に? なんで? やだ、やだ……!」
すずの手からひったくるようにして、つばきがゼンの眼鏡を奪い取った。両手で大事に包み込み、がくりと膝をつく。ぼたぼたと、その瞳からは涙が零れ落ちていた。
しゃくりあげて子どものように泣き始めたつばきを、すずはただ見ていることしかできない。
突っ立ったまま、ぼんやりとつばきを見つめるすずの肩に、そっとサクの手が置かれた。
「しばらく、そっとしておこう。――その間、持ってきた資料を読もうか」
「そう、ですね」
油断していると、つばきに釣られてすずも泣いてしまいそうだ。ふるふると首を振って、なんとか気持ちを切り換える。
つばき以外の四人が、図書室から持ち帰った本をそれぞれ手に取った。各自、適当な席に座って本を広げる。そして静かに目を通し始めた。
暗かった図書室と比べると、明るい教室は本が読みやすい。
前小口の一部が茶色く変色していて、角もボロボロになっている古い本。小さめの文字がびっしりと並んでいる。
全てをじっくり読むわけにはいかないので、不可思議な現象についての項目のみをざっと読んでいく。
学校、閉じ込められる、透明な人影、消えていく体。そういった単語を探してみるけれど、残念ながら当てはまりそうな内容は見つからなかった。
他のみんなも、静かに首を振り落胆の表情を見せる。この状況を説明してくれるような本は、どこにもないらしい。
「駄目、か」
サクがぽつりと零し、うーんとひとつ伸びをした。それから、まだ泣き続けているつばきに目を遣る。
つばきはうずくまり、顔を伏せている。セーラー服の襟にぐしゃりと皺が寄り、しゃくりあげるたびに小さく揺れていた。床に広がるスカートのプリーツの裾が、土汚れで白っぽくなっている。
「つばき、そろそろ泣き止んで。今は残った俺たちが助かる方法を、なんとかして見つけないと。――いつまでもここに籠もって、消えた人間のことをくよくよ考えている場合じゃないんだ」
サクがつばきの肩に手を置く。続いて、みかも立ち上がり、つばきの傍に寄った。
「消えてしまったゼンのためにも。一緒に頑張って、つばき」
サクとみかは高校三年生。この中ではいちばん年長だ。
ふたりとも年長の人間らしく、後輩たちを優しく導こうとしている。たった二歳しか違わないというのに、ものすごく頼りがいのあるふたりだ。
つばきはそんなふたりを涙に濡れた瞳で見上げる。擦りすぎたのか、目元は真っ赤になってしまっていた。
「――頑張ったら、ゼンは帰ってくるの?」
つばきは吊り目をきっと鋭くして、サクとみかを睨む。乱れたポニーテールの先が、皺になったセーラーの襟をするりと流れ落ちた。
「ゼンが消えたなんて、私、ゼンの家族になんて言えば良いの? ――そうだ、本当は消えてなんかいないんじゃない? この学校のどこかに隠れているだけなんじゃない? ゼンのことだもの、また私をからかって……」
「つばき!」
「サク先輩も、みか先輩も! ゼンのこと、簡単に諦めないでよ!」
ひらりとスカートの裾を翻して、つばきが駆け出した。教室の扉を勢いよく開けると、そのまま飛び出していく。
「待って、つばき! ひとりじゃ危ないから!」
みかが慌ててその後を追う。サクがちらりと目線をすずの方に向けてきた。
「すずちゃん、俺たちも」
すずはこくりと頷くと、サクに従って一緒に走りだした。その後ろから、教室に残っていたもうひとりの生徒も追いかけてくる。
薄暗い廊下に、すずたちの足音が騒がしく響き渡った。




