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どんどん謎が解けていく爽快感が味わえて、恋もがっつり絡んでニヤニヤできる……そんな話をずっと読みたいと思っていました。
それなのに、どこにもない! 見つからない!
仕方がないので、自分で書くことにしました♪
本文の最後にイラストがあります。
楽しんでもらえると嬉しいです!
八月の蒸し暑い夜、満月が空に浮かぶ頃のこと。
高校一年生のすずは、ひとり学校の音楽室にいた。
深夜零時。
窓の外からは、月の淡い光が差し込んでいる。
しんと静まり返った音楽室の真ん中。
すずはただ、じっと佇み、その時を待つ。
そうして息を潜めていると、すずの目の前に不思議な光が生まれ、ぽわんと広がり始めた。
その不思議な光はゆらゆらと揺らめき、ゆっくりと形を成していく。
そこに現れたのは――異世界に繋がるという扉。
「噂は本当だったんだ……。この扉を抜けると、異世界に行けるはず……」
すずはごくりと喉を鳴らして、手のひらの中の鍵を見つめた。はめ込まれた黄色の石が、扉と同じような光をまとっている。
この鍵は、目の前の扉を開けるための鍵。異世界への扉を開く、秘密の鍵だ。
「異世界って、どんなところなのかな……」
震える手で、鍵を鍵穴に差し込む。ぐるりと鍵を回すと、カチャリと金属音がした。
そっとドアノブを握ると、あっさりと扉が開く。
この扉の先は、どういう世界のどういう場所?
ドラゴンがいる森の中かな?
それとも、騎士たちが勇ましく戦う戦場?
貴族令嬢が婚約破棄されている最中の、城の大広間だったりして?
そんなことを考えていると、扉の輝きが増した。眩しさに目を開けていられなくなったすずの体が、ふわりと浮き上がる。
かと思うと、開いた扉の向こう側に吸い込まれそうになった。
「きゃあ!」
急に恐くなって、すずは慌てて抵抗した。けれど、強い力で引っ張られて、ぽんと扉の向こう側に放り出される。そのまま尻餅をついてしまったすずは、あまりの痛さに涙目になった。
しばらくして、恐る恐る目を開けてみる。
どんな世界が目の前に広がっているのかな――?
「……あれ、ここって……」
思わずきょとんとしてしまう。
大きなピアノ。なんとなく見覚えのある音楽家たちの肖像画。黒板には白い五本の線が並んでいる。教室の後ろの方には、どうやって鳴らすのかも分からない楽器が置かれていた。
薄暗い月明かりに照らされたそこは――夜の音楽室。
でも、さっきまですずがいた音楽室とは違う。壁の色はベージュだったはずなのに、この音楽室の壁は白っぽい。机の形や並び方も異なっていた。
現実世界の音楽室から、異世界の音楽室に来たってこと? なに、それ。
「ここ、本当に異世界なのかな……」
不安になって、傍にあったピアノにそっと触れてみた。ひんやりと固い、しっかりとした感触が伝わってくる。
少し気持ちが落ち着いて、小さく息を吐いた。
その時。
「誰かいるのか?」
前方の扉が開き、一人の男子学生が顔を出した。その男子学生はすずを見て、目を丸くする。
「――君は?」
「あ、えっと、私は怪しい者じゃなくて! その……」
声が上擦ってしまう。初対面の人は苦手だ。緊張する。
その男子学生は少し幼さが残っているけれど、随分と整った顔立ちをしていた。背は平均か、それより多少低いくらい。まあ、すずは背が低い方なので、それよりは高い。
白い夏の制服姿がすごくかっこよく見える。なんというか、イケメンさんだ。
電気のついていない、月明かりだけが頼りの音楽室の中。すずとその男子学生は黙ってしばし見つめ合う。
――なんか、居心地が悪い。
すずはもじもじしながら、少し後ずさった。
すると、男子学生はすずに向かってまっすぐに歩いてくる。そして、すずのすぐ近くまで近寄ってきて、立ち止まった。すずを見つめるその視線は、外れることがない。
こんなに近くで、こんなに長い時間、異性に見つめられたことなんてない。
じわりと冷や汗をかいてしまう。
ところが、怯えるすずとは対照的に、その男子学生はふわりと微笑んだ。
「可愛いね」
「……へ?」
「ああ、ごめん。こんな場所に、こんな可愛い子がいるなんて思ってなかったから、つい」
可愛い……?
ぼっと火がついたかのように、すずの顔が熱くなる。
「あ、俺の名前はサク。高校三年生。君は?」
月の光がサクの端整な顔を涼やかに照らしている。すずは思わず見惚れ――それから慌てて目線を下げた。
「……すず、です。高校一年生」
「すずちゃん、か。制服がうちの学校のものじゃないね。転校生かな?」
「あ、えっと、はい。そんな感じ、です」
しどろもどろなすずの返答にサクはほんの少し首を傾げたけれど、すぐにまた、にこりと微笑んだ。
その笑顔に、すずの緊張がほどけていく。
ほっとした様子のすずを見て、サクも一安心したようだ。穏やかな笑みを浮かべたまま、すずの方へ手を差し伸べてきた。
「いつまでも夜の音楽室に籠もっていても仕方ないね。みんながいるところへ一緒に行こうか、すずちゃん」
みんなって誰のこと? と聞きたかったけれど、上手く言葉が出てこなくて口を噤む。
すずは、いつもこうだ。
人見知りで、臆病で、意気地なし。小心者で、弱虫で、恐がり。
そういう人間だから、こんな風にいつも言いたいことを飲み込んでしまう。
こんな性格だから。嫌なことを、きちんと嫌と言えないから。
だからすずは、今、こんなところにいるのだけれど。
唇を噛み、俯いてしまったすずの手にサクが触れる。急なことにびっくりして顔を上げると、「大丈夫だよ」と優しく囁かれた。
「みんな同じ高校生だから、恐くないよ。それに、何かあっても俺がすずちゃんを守ってあげる」
「ど、どうして……?」
「うーん、それは俺がすずちゃんに一目惚れしちゃったから、かな」
サクは軽い調子でそう言うと、すずの手を引いて歩きだした。音楽室を出て、薄暗い廊下をゆっくりと進む。足音がやけに響いている気がした。
繋がれた手が温かい。頬はずっと火照っている。
ここは本当に異世界なのかと疑っていたけれど。やっぱりここは異世界で間違いないんだろうなと思う。
だって、元の世界ではこんな風に「可愛い」とか「守ってあげる」とか言われたことがないから。
教室の隅で目立たないように身を縮こまらせて過ごしているようなすずに、そんな甘い言葉をかけてくれる人なんていないから。
つい、口元が緩みかけ――慌てて表情を引き締め直す。
忘れてはいけない。
すずは異世界から来た人間で、いつかは元の世界に帰るということを。
だから、どんなに優しくされても、適度な距離を置いておかないといけない。
サクに繋がれていない方の手のひらには、あの秘密の鍵がある。その鍵には小さなプレートがつけられていた。
キーホルダーみたいなそのプレートには、こう書いてある。
『生き残れ』、と。
すずはサクの温かい手に導かれながら、これまでのことをぼんやりと思い返す。
そう。全てはあの雨の日から始まった。
すずがある女子生徒に声をかけられた、あの時から――……。