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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の猫は訳あり物件の犠牲になった

 大学を卒業し就職したての頃の話。

 そのアパートはとても猫の多いところだなというのが第一印象でした。利便性の割に格安で日当りもよく、しかもペット可。そんな物件に巡り合えた幸運にひたすら感謝したものです。当時私はキャンパスで行き倒れていたところを偶然めぐりあい、動物病院に連れて行った縁でコロという名前の年老いたハチワレ猫を抱えていました。なのでこの物件のおかげで引き離されずに済んだと無邪気にも大喜びで即契約してしまったのです。

 その時は単純に家賃のありえない安さの理由を昭和の香りが漂うボロボロの三畳一間だからだと思っていました。けれどもその格安の訳がそんな生易しいものではなく、このアパートが物の怪の出る物件だからだと気が付いたのは引っ越してしばらく後のことでした。


 部屋に家財を運んでいる時、駅近でペット可、しかも安いのに空き室の多いことにすぐ気が付き私は首をかしげました。もっと部屋が埋まっててもおかしくないのに。昭和風の安アパートはそんなに嫌がられるのかしらと。

 そしてこの部屋に本格的に暮らしはじめてから、今までは日当りのいいところで寝ているだけのコロがずっと顔をもたげ何もないところをじっと見ていることが多くなりました。日が暮れるまでずっと押し入れに張り付いてにゃあにゃあと興奮して騒いでいる日もあり、私は単に古い物件だからネズミでもいるのかな、近所迷惑にならないといいなとただただお気楽に考えていたのです。

 また出勤する時にはきちんと戸締りしたはずの台所の窓がよく半開きになっていて、私が捕まえられる距離まで迫っているというのに近所の野良猫がぴったりと張り付いて目をらんらんと輝かせて部屋の中を伺っていることがたびたびありました。うちのコロが気になるのかなー。たくさん来てくれるしコロも老いらくのモテ気到来かしらと軽めに流しました。

 けれどもどうしても誤魔化しのできない出来事が起こり始めます。流しから押し入れまで大きな何かが這ったような跡がたびたび付くようになったのです。さすがの私も背筋が寒くなりました。これはコロのいたずらだと違和感を押し込め、なんとしてでもこの部屋には何もない信じようとしていました。


 そして本格的に怪異が起きたのは引っ越してから一か月後でした。

 その夜何かが這うような耳障りな音で目を覚ましました。

 ズルッ ズルッ

 細長い巨大な何かが私の布団のまわりを這いずっています。

 ズルッ ズルッ

 畳を爪でひっかくような音を立てて、ただひたすら回っているのです。

 私はとっさに起き上がろうとしましたが金縛りで動けません。それでも体の上にずっしりと重しが乗っているような感覚の中薄目を開けました。金属的な光沢のある肉色がカーテンの隙間から漏れた街灯の光にぼんやりと照らされています。体は柔らかくも固いのか体に沿って波打つひだは浅く、仄暗い部屋の中でぴかぴかと輝いています。その背の上側は鰭を思い起こさせるように薄くて鋭く、表面にはぶつぶつと鱗のような凹凸が蠢いていました。その鰭が生えるでっぷりとした胴体にはぎらぎらと金色の模様が見え、またカーブに沿って禍々しい文字のようなものが窺えたのです。

 眼を凝らしなんとか読もうとした瞬間、金色の無機質な瞳と目が合いました。そこはヤツの胴体で、しかもど真ん中のはずなのに真っ白で巨大な獣の顔が浮かび上がっています。ついヒッと悲鳴が口から漏れました。それで私が覚醒していると気が付いた化物はその焼けた鉄のような色をした先端をもたげると一気に頬をぺろりとなでました。ひんやりとしていて私の体温を奪っていくそれは、まるで刃のないナイフのようでした。それに二度三度頬ずりされ、もう目の前の異常事態に耐えられなくなった私は失神寸前です。そんな私を庇うように布団の上で丸まって寝ていたコロは急にむくりと起きあがり、うみゃおあおあと猛ったのです。たちまち飛びかかってきたハチワレ猫に驚いた細長い何かは大慌てで押し入れの中に転がり込み、ドタン、バタンと大騒ぎした後欠片も残さずいなくなりました。その後恐怖のあまり発狂寸前の私は布団をかぶってがたがたと震えながら夜が明けるのを待つことしかできませんでした。


 この部屋には確実に何かいる…!

 そう思うともう怖くて家に帰るのも嫌でしたし、コロを一匹にしておきたくなかったし、出来ることなら家を出てしまいたかった。それでも引っ越したくても引っ越せません。その頃の私は奨学金の返済に苦しんでおり、ここを引っ越せばコロを手放すかせっかくなれた公務員を辞めざるえなくなり、もうどうしようもなかったのです。歯を食いしばって住み続けるものの事態は好転することもなく、怪異に浸食された部屋に精神を削られ私はどんどんとやつれていきました。コロはそんな私を心配そうに見ながら、ただただ私の指を慰めるようにペロペロと舐めてくれたのです。


 そんな日々は唐突に終わりを迎えます。

 仕事を終え帰ってきた私は部屋に充満する魚臭さに思わず鼻を覆いました。嫌な予感がして急いで部屋の明かりをつけるとその惨状に言葉が出ません。部屋はぐちゃぐちゃに荒らされ壁紙もふすまもビリビリに爪で切り裂かれ、まさに死闘の跡といった相貌でした。家財や敷金のことよりもコロだけがただ心配で。泥棒に荒らされたみたいなガラクタばかりになった部屋に土足で駆け込み半狂乱でコロを捜しました。無事でいて。どうか無事でいてと。祈りも虚しくそれは叶いませんでした。

 コロはかろうじて生きていました。

 ゴミ山の中で、口からよだれを垂らし白目をむいたお腹が異様に膨れた老猫が化物の体液にまみれ異臭を放ち息も絶え絶え横たわっていました。

 そんなコロを抱きかかえ私は涙が枯れるまで泣きました。


 きっとコロは行き場のない私のためにこの部屋の物の怪を退治してくれたんだ……!


 コロの傍には人間サイズの化物ちゅ~るの空殻が転がっていたのです。

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