ルーム・8
ルーム・8
さて、玄関の前まで来たのはいいのだけれども、何やら様子がおかしい。これでも私は戦闘機人として訓練を受けてきた身である。状況の細やかな変化にも気づく。でないと、ブービートラップによって、いとも簡単に肉片と金属片と体液を撒き散らすことになる。そういう場所で活動できるように訓練してきたのだ。それも精神疾患を患って、無駄になってしまったけれども………。
未知花を背中から下ろして、少し待つように指示をする。未知花は、なにがなんだかわからない顔をしてぽかんとしているけれども、まあ、念には念を入れないとだ。
私達の家というか、部屋は、マンションの三階にある。一応、オートロックがかかっているのだけれども、不審者が絶対に侵入しないという保証はない。
違和感を一つ一つ整理していく。
玄関マットが、外出時よりも少しずれている。風で動くようなものではない。家を出る時は、私が最後だったし、その時に、位置を確認しているから間違いはないはずだけれども、念には念を入れて、一時記憶を探る。
CPUチップから生体脳を励起して、一時記憶を遡る。私の脳内には、外出時の私の目から見た映像が浮かび上がる。そして、現在の玄関の状態と同じ画角で、二つの映像を重ねてみる。
ーーー不一致。たしかに玄関マットは、所定の位置からずれている。
そして、宅配ボックスの蓋が一度開けられた形跡がある。少し蓋が浮いている。中身は入っていない。宅配業者が来た可能性。検索。ヒット。私たちが家を出た二時間後に、宅配完了の旨が通知されている。これも、一時記憶の映像と重ねてみる。
ーーー不一致。何者かが動かした可能性が高い。
「うん? どうしたん? はやく家入ろ? お風呂入りたーい。」
「いえ、ちょっと気になることが有りまして。少し待ってください。」
「ええー………まあいいけどさあ………。なんなのさ? 」
「まあ、子細は後ほど。」
事が事なら未知花を不安にさせてしまう。そして、身の危険も考えられる。そのときには、私が盾にならないと。せめて、戦場で殆ど役に立てなかった私が、唯一できるのは、未知花を守ることだけだ。
体の殆どの組織を生体部品に換装したとはいえ、多少の機械構成部品は人工筋肉の他にもある。その一つに、眼球がある。この眼球は赤外線視を実装している。それによると、どうも、部屋の中に熱源反応がある。人型。身長は一七五センチメートルほどか?
侵入者が居るのはわかったのだが、全く動かない。というか、玄関の土間を上がったすぐそこに立って私達と向かい合っている状態だ。手に何かを持っている。扇状に広がった何かだ。これは温度が低い。
と、ここまで調べて察しがついた。ああ、なんだ、いつものことか、と。
一応、念のために、玄関の横に設置されている配電盤の横に設置されている管理コンピュータの有線ジャックに手持ちのデータ転送兼充電ケーブルを挿し、私の左耳の付け根の後ろにあるジャックとつなぎ、マンションの監視カメラをジャックした。
まあ、実際これは違法なのだけれども(有線のほうがバレにくい。アマテラス知恵袋によるバックドア・ハッキング知識である。)念には念を入れてだ。で、私達が外出してから今までの映像を確認する。………ビンゴ。
心配は杞憂に終わった。まあここからは、私はお払い箱というか、未知花の独壇場と言ったところだ。それにしても久しぶりすぎて、気づくのに時間がかかった。事前に打ち合わせはしていたが、今日だったとは。そのあたりは、予定を適当に決める彼の人が悪い。大仰に警戒してしまったので、水をさしてないといいのだけれども。
色々とチェックしている間、グイグイと、未知花が、私の袖を引いたり、私にもたれかかったり、頭に顎を乗せたりとまあ、もう未知花を待たせるのも限界なので、私は、
「もう大丈夫です、ミチカ。さあ、小さくとも素敵な我が家へ参りましょうか。」
と言うと、
「ちょっ、もー、そんな大げさなー。ってか珍しいねえ。ヒナちゃんがそんな茶目っ気のある事言うなんて。」
「まあ、私にもそういう気分の時はあります。」
「どういう気分の時?」
「これから先、自分の好きなものが見られると確信してるときですかね? 気分がイイですし。」
「もー。意味わかんないし。ま、いいや、入ろ。いざ、小さくとも素敵な我が家へー。」
そう言って、未知花は、鍵をシリンダーに挿し、やはりいつも通り、逆の方向に一旦ひねって、ため息を付き、正方向に回して、ドアを開けた。
未知花が扉が開いた瞬間。パッと部屋中の照明がつき、目の前に、真っ赤なバラの花束が差し出された。そして声が響き渡る。
「イエェェェェェイ! ただいま! マイ・スウイート・ハート! 不肖、ミドウ・ケイイチ。恥ずかしながら帰ってまいりました! イエェェェェェイ!」
満面の笑みを伴って、啓一さんが言った。小さくとも素敵な我が家の主の、唐突な帰還であった。まあ、連絡がある方が珍しいので、特にまあ。
とはいえ、久しぶりの再会には変わらない。私は、少し移動して、未知花と啓一さんの表情が見られる位置に移動する。土間はそんなに大きくはないが、私の体は小柄に作られているので、こういう時は便利だ。さて、準備おば。
未知花の顔を見やる。
真顔。酔いどれの顔から一気に真顔。しばし、真顔。少し頬と口の端が上がる。が、すぐに、その口の端を真横に引き、右の口角を上げ、左の口角を下げ、ハッ、と、呆れの果てから笑いに転化した息を吐く。
啓一さんの顔を見やる。
疑問符を浮かべた笑顔。あ、またわかってない。毎度のことだけども。と、いうわけで、未知花の毎度の行動予測もできるわけで。準備準備。
さて、くるぞくるぞと、私は自分の身を小さくして、耳に指を突っ込んだ。ーーーちょっとしたワクワク感ーーー途端、
「こんんんんんんのぉバカタレ放蕩夫があぁぁぁぁぁぁあっ!」
未知花の咆哮が、耳をつんざく咆哮が、部屋中に響いた。近所の皆様すみません。あとで、両隣上下階になにか言われる気もするが、まあ、多分、いつものことだと思って笑っているかもしれない。
フフッと私は、思わず笑みをこぼした。ああ、この人達は本当に面白い。しばらくは、二人のやりとりを傍観するとしよう。巻き込まれては、事なので。
くわばらくわばら………。
いや、結構な楽しみでもあるのだけれど。