ルーム・6
ルーム・6
何の気無しに、テレビを見ていた。未知花はすっかり酔いつぶれて寝てしまった。こんなに長居するつもりはなかったのだけど、伊勢京太郎さんが、「まあ、ウチは構わないよ。しばらく寝かしてあげとこう。」というので、ご厚意に甘える事にした。
今、未知花は私の膝枕で寝ている。体温を感じる。そして、息遣いも。肺に空気が満たされるたびに、膝に圧力を感じる。そして、ゆっくりと吐かれた息と共に、脱力感が膝に伝わってくる。
その様子を見て、椎名が言う。
「ミチカさん、本当に面白いですよね。」
「ええまあ。なんというか子供のような面が強いですね。とは言え、しっかりしているところはしっかりしてるんですが。」
「だって〈叫ぶ機人の会〉の中部地区統括マネージャーだもんなあ。ってか、まあ役所勤めって時点で、しっかりしてるようだよなあ。僕なんかダメダメだよ。まともに社会人になれなかったし。」
そう言って、伊勢京太郎さんが頭を振った。と、椎名が、ぐいと伊勢京太郎さんに上体を近づけて、
「そんなことはないですよ! キョウタロウは最高ですよ! たまたま若い内にうつ病になってしまって、社会参画が阻害されたってだけですし! ダメダメなんかじゃないですよ! イケイケですよ! 自虐よくない。ダメ、絶対。」
と、大きな声で否定した。
「イケイケて………。まあ自虐はそのとおりやけど………うーん………。」
伊勢京太郎さんは困ったように苦笑した。片方の手で頭を掻きながら、もう片方の手で、椎名をなだめている。頭をポンポンとされて、むぅと、口を尖らせつつも、椎名は少し嬉しそうにしている。………惚気現場その二。
まあ、椎名の言わんとしていることはわかる。人間の社会では、大半の人間の人生というかライフステージというものがあって、その決まったルートから逸脱、落伍すると、途端に用済み、価値無しと判定されるフシがある。
ある種の自然淘汰とも言えるのかもしれないけれども、人が作ったシステムであるし、それは淘汰ではなく差別だろう。高度に発達した福祉社会では、そういった、逸脱、落伍した人間も、なんとか人として最低限度の文化的な生活を営むことができるようにアシストするのが普通だけれども、なかなか、うまくいくものでもない。
幸いなことに、今のこの国では、福祉制度がある程度充実しているとはいえ、それでもセーフティネットから漏れるものは出てくる。伊勢京太郎さんも、一時期、そのネットの隙間からこぼれ落ちてしまうところだったそうだ。
私達機人においても、機人権が提唱されるまでは、ただの物なのか人間として扱っていいのかわからない状態に置かれていたので、かなり社会というものに溶け込むのが難しかった。介護、メイドロボを発端とした民生機人ともルーツが違うわけで………。それがCロットの時代、つまり椎名の世代の機人が置かれた状況だった。
それを変えていったのがこの、私の膝の上で呑気に酔いつぶれて寝ている御堂未知花と、伊勢京太郎さんと椎名の三人だったのだった。
「僕がイケイケかどうかはおいといて、今、こうして〈クレイドル〉を運営して、機人身元保証業をできているのも、シイナさんと一緒に居られるのもミチカさんのおかげだからね。ほんとに感謝しないとなあ。」
「ですね。私達の結婚の仲人ですしね。」
「あ、その節はお呼ばれしたのに体調不良で式に出席できなくてすみませんでした。」
私が詫びると、二人は、いやいやと同じ動作で手を振って、応えた。伊勢京太郎さんが口を開く。
「まあ、うつ病の辛さは僕もわかるからね。僕もだいぶ寛解したとはいえ、まだまだ薬は飲んでるし。無理に外出しても辛いのはわかるから大丈夫だよ。気にしないで。」
「ありがとうございます。」
「でも、ホント、ヒナちゃんも大分うつ病の病状は良くなってきたと思いますよ。キョウタロウをずっと見てきた私の眼がそういうのですから確かです!」
そう言って、椎名はガシっと私の肩を掴んで、その後親指を立ててグッジョブ! と言った動作をした。(プラス、ウインクに舌ペロリ。)
何なんだろう、このノリは………。
いや、本当に椎名は変わったのだなと私は思った。こんなに喜怒哀楽、感情が豊かな機人ではなかったのだけれども。それこそ未知花が言ったように、今の私のように、物静かで、何事にも動じないという感じだったと思うのだけども。
と、テレビから聞き慣れた単語が聞こえてきた。〈ベラム共和国〉という単語。ニュース番組だった。ベラム共和国の内戦のことを報道していた。
〈ベラム共和国〉という単語を耳にして、今まで、眠りこけていた未知花が、ガバリと体を起こし、テレビの画面を食い入るように見つめた。ニュースは、三分もなかっただろうか? ただ、そういうこと、つまり、内戦状態が続いているという事実をサラリと伝えるのみだった。
ニュースが天気予報に切り替わっても、未知花は、しばらくテレビ画面を見つめていた。
しばらくすると、また横になり、むにゃむにゃと言いながら寝てしまった。
「………ベラム共和国か………。」
京太郎さんが呟いた。
「ケイイチさんが今、取材に行っている国ですよね。」
「まだ、内戦と言っても大きな衝突はないにせよ、小競り合いは続いているらしいし、何とも心配だね………。ミチカさんもそりゃ思わず起きちゃうよ。」
啓一さんというのは、未知花の旦那さんだ。フリーのフォトジャーナリストをしている。
基本的に国内に居るよりは、国外に居ることが多い。しかも、危険な紛争地帯の取材を主としているので、妻である未知花からすれば、気が気じゃないのだろう。
とはいえ、未知花は普段、そう言った素振りは見せない。 強い人だから。
………いや、それはまた違うか。弱いところを見せない人なのだ。周りの人を心配させないために。
でもこういった、お酒が入った時は、そういう部分のガードが緩む。心配で、心配で仕方ないのだ。あれだけ深く眠っていたと言うのに、〈ベラム共和国〉という単語だけで、すぐさま飛び起きたのだから。………でも、特に、めぼしい情報があるわけでもない。
啓一さんは、未知花さんを上回るフリーダムな人で、連絡というものもあまりしてこない。結構な自由人なのだ。でなきゃこんな仕事なんてしてないとも本人は言っていたけれども。
でもそんな危険な取材を主な仕事にする理由とは思えない。本人は語らないけど、何か別の理由があるのだろうなあと思う。誰彼それ、人に語らない理由もあるし、自分でもはっきりした理由を言語化できないこともあるし。
ちなみにだけれども、啓一さんは、未知花の婿養子だ。二人は、学生時代からの付き合いなのだけれども、啓一さんのあまりにもフリーダムで、日がな一日、白昼夢でも信じて生きているような生き方をみて、「こりゃ、私がしっかりしなきゃだめだ」と、未知花は思い、自分は堅気の安定した市役所に就職を決め、初登庁した四月。早々に、就職も決まっていなかった、いわゆるプー太郎の啓一さんを呼び出し、腕を捲って開口一番、
「私があなたをしっかり養ってあげるから、婿になりなさい! さもなくば、私もケイイチと一緒に流浪のプー太郎の愉快な仲間としてフラフラしますが如何か!?」
そう言って、婚姻届を突きつけたというのは、刈羽市市役所内で、未だに伝説になっている。
流石に、啓一さんも、これには面をくらいつつ、真剣に考え、未知花をプー太郎にするわけにも行かないと考え、すぐさまOKをだしたそうだ。まあなんとも、愉快な馴れ初めの夫婦である。
余談だけれども、その日、「判子を持ってきて」と未知花に言われたのにもかかわらず、
署名した後、判をつく段階で、「あ、判子、忘れたわ、俺。」と言って、ことの成り行きを見守っていた皆がずっこけたというのも、今ではいい笑い話だそうだ。………啓一さんは、「笑い話にならないくらいに怒られ&殴られたけどね………」とボヤいていたけれども。
そんな啓一さんは、結婚後、本人なりに真面目に考え、フリーのフォトジャーナリストの互助団体に入り、フォトジャーナリストとして活動をし始めた。最初は国内の、それも鬼哭火特区での習俗や、特区内のスラム地域問題といった社会情勢の動向を中心に取材していたのだけれども、その内に、海外の紛争地帯の取材へと、活躍の場を移した。
ちょうどその頃、私は既に、未知花の家にお世話になっていて、啓一さんが、私たちに、海外の紛争地帯を主な取材対象にしたいと思うと宣言された。
未知花は、反対しなかった。でも、表情には、不安が看て取れた。理由は聞かなかった。「理由は………聞かないのか? 」と言う啓一さんに対し、未知花は、「だって、聞いても聞かなくても止めても行くんでしょ? わかってるんだから、私。それが、あなたのやりたいことなら、思いっきりやってきなさい。」
と、言い、笑いながら啓一さんの背中を強く叩いた。
ーーー優しい嘘。その当時の私にはわからなかったけれども、今ならわかる。
未知花に会えて、未知花と暮らせて、本当に幸せだな、私。そう思いながら、私は、眠りにつく未知花の髪を優しくなでた。