ルーム・5
ルーム・5
機人の私が抱えている精神疾患は、うつ病とPTSDなのだけれども、主に治療が進んでいるのは、うつ病の方で、これについては、薬物投与治療が効果を発揮している。
これは主治医の園山邦夫先生のおかげなのだけれども、先生は、やはり、私のなかなか症状が落ち着かないPTSDに関して、特に気にしているようで、それで、真希いろはさんというカウンセラーを紹介しようと言ってくださったのだった。
正直、PTSDに関しては、うつ病の症状が重い間、さほど日常生活に影響する程のものだとは思ってはいなかった。うつ病の症状で日常生活がままならなかったのだから当然だ。そして、今、うつ病が寛解期に向かっている段階で、私の抱えていたPTSDが顔を覗かせてきた。今はそういう段階なのだと思う。
洗い物を終え、私達はリビングに戻り、ソファに座った。テテテテ、という擬音が聞こえてきそうな足取りで、椎名は伊勢京太郎さんに近づき、横に座り、肩に体を預けた。椎名は「えへへ。」と甘えた声で言い、伊勢京太郎さんを見つめた。伊勢京太郎さんも椎名を見つめ返して、微笑んだ。その様子を見て、ドン!と缶ビールを机に叩きつけて未知花が言う。
「んっだよ、なんだよー。二人して魅せつけやがってコノヤロウ! イチャラブか? コノヤロー!」
未知花は既に、大分缶ビールを飲んでいた。この缶ビールは、夕飯をご相伴預かる際のせめてものお土産として、未知花が道中のコンビニで買ってきたものだった。………その殆どを未知花が消費しているのは言うまでもない。ちなみに、ストロング缶である。
「ははは………、大分出来上がってるね、ミチカさん。」
「出来上がってなんかないですぅ―。まだまだ宵の口序の口お茶の子さいさいですよぉ!ねえ? ヒナちゃ~ん?」
そう言って、未知花は、私の肩に手を回して、私を揺さぶりながら缶ビールをぐいと煽った。うわ、めんどくさい。
「いえ、大分飲んで酔っていると思います。それに何ですか、『宵の口序の口お茶の子さいさい』とは。」
私は冷静に未知花の酔い具合について指摘した。本当に何なのだ、そのよくわからない言葉の羅列は。
「いやいやいやいやー。酔ってないっすよ。私、酔わせたら大したものですよぉ。」
そう言って、未知花は、いつも酔っ払っている時によくやる、大昔のプロレスラーの真似をした、呂律の回っていない言い方をして、ケラケラと笑った。バンバンと私の背中を叩く。割と痛い。
ーーー痛み。
ふと思う。痛覚。戦場に居た頃の私から排除されていた感覚。退役し、生身の体を得たことで意識するようになった感覚。
痛覚は戦場においては、必要のないものとして扱われていた。勿論、体にダメージを負っているという危険信号としての痛みの情報は必要なので、データとしては〈痛みを感じている〉という情報を処理していたのだけれども、フィジカルに感じるごくごく当たり前の感覚としての痛みの情報は、オミットされていた。
それは、私達、機人だけではない。紛争地帯で行われている局地戦に於いては、私達機人と行動をともにする人間、つまるところ、それは特殊部隊隊員も、薬物投与と、脳に埋め込まれたサブコントロールシステム、〈アルター・エゴ〉によって、痛覚は本来のフィジカルに感じる痛みと、痛いと感じているという情報にわけられ、後者のみが私達機人や特殊部隊隊員に伝えられ、データ処理されていた。
体が痛みを感じれば、動きがそれに付随して鈍くなる。痛みが行動を阻害するのだ。それは、兵士として、いや、兵器として好ましくはない。自壊しない程度に、痛みに対する自己防衛反応としての動きの緩慢から逃れるためには、そうした痛覚のリアルな痛みと、痛いと感じているという情報を分ける必要があったのだ。
ふと、そんなことを思い出した。
と、未知花が、「もー、なにぼーっとしてんのさー? 」と言い、私の頬をつまんだ。
ーーー痛い。
そう、これが本来の痛み。戦闘機械だった頃の私にはなかった、排除されていた感覚なのだ。しかしこれは、今の私に必要なものなのだろうか?
私が作られて、数ヶ月後、習熟期間として人間の通う学校に、〈人間を偽装して〉通わされたことを思い出す。その頃は、自我というものがなかったように思える。それは、そもそもが、機人であることを隠しつつ、人間社会に投入する実験であったので、個性というものを出すことを、禁じていたからだと思う。
故に、ある程度の手本になる会話パターンや行動パターンを制作し、それに則って行動していたので、あまり、開発グループが意図していた程の、人間らしい個性の獲得といったものは得られなかったというわけだ。
当時の私たちは、既に、体の殆どの組織を生体組織で構成し、機械構成部品は、簡易なソフトアクチュエータと、チタン製の骨格くらいのものだった。
それと、人間を装うために必要な模擬人格 家族構成や生育歴、様々な仮の想い出 がインストールされていた。
ーーー他人の顔。
この場合の顔は人生という意味だ。他人の顔を借りて一年間、人間を偽装して活動してきた私。そして、戦線投入。それも直ぐに終わった。一年にも満たなかった。私の心が悲鳴を上げて、精神疾患を発症したからだ。
ーーー心。
その頃の私には、心という概念はなかったように思える。今こうして、人間とほぼ変わらない生体組織を与えられて、そして日常という銃後の世界で暮らすことで、私に、心という概念が生まれたように思える。私という存在について考えることが、必然性が生まれたのは、心という概念が私に出来てからのことだと思う。とはいえ、心というものと、私という存在が、どういうものなのかというのは未だにわからないのだけれども。
ぼんやりと色々なことを考えていた。
浮かぶワード。
真珠色の雲のようなイメージ。
掴めそうで掴めない意味。
手放した、誰かが離した風船のような。
それを追い求めることに意味が?
少なくとも、自分を知ることは有益であるだろう。きっと多分おそらくは。今の私は、うつ病とPTSDを発症しているわけであるし、これらは心の病気と言われている。
とはいえ、実際のところ、どうなのだろうか? 結局の治療方法は、脳内伝達物質の受容体に働きかける薬品を体に取り入れることで、脳内伝達物質のコントロールを行い、脳を〈正常〉な状態に戻していくということは、果たして〈心〉の問題なのだろうか?
ーーー脳と心。
両者は不可分なのだろうか? それぞれがレイヤーとして重なりあった複合体なのではないかと私は思う。分けられてはいるが、別のものではない。つながりがある。グループとしてのつながりが。
そんなことを思った。そう、痛覚におけるフィジカルに感じる痛みと、痛いという情報という二つのシグナルの関係に似ていると考えて。