ルーム・4
ルーム・4
ピンポーンと、チャイムを未知花が鳴らした。インターホン越しに、伊勢京太郎さんの声がした。「あ、ミチカさん。それにヒナちゃんいらっしゃい。直ぐ開けるよ。」
玄関の鍵が、ガチャリと開き、伊勢京太郎さんが私達を迎えた。
「シイナさんは今、秋刀魚と格闘中でね。こだわりの七輪と炭で焼いているんだと。声をかけたんだけど、全然聞いてなくてさ。集中し過ぎだよ。」
そう言うと、伊勢京太郎さんは困ったように笑った。でも、とても幸せそうな笑顔だ。
伊勢京太郎さんに案内されて、私達は家に入った。秋刀魚の美味しそうな匂いがする。
換気扇の前で、七輪に椎名の彗眼によって選ばれた炭がくべられており、じりじりと秋刀魚の身を焼き焦がしている。
「シイナさん。二人が来たよ。」
伊勢京太郎さんがそう声をかけても、椎名は一向に気づかない。というよりは、集中しすぎて、音声情報を幾分オミットしているようだ。
再度、伊勢京太郎さんが椎名の肩を叩きながら声をかけると、椎名は、目を三角にして
「あー! もー! キョウタロウ! 気が散るので話しかけないでください―ッ!」
と言い、自分の世界に入っていった。
これには私達全員苦笑した。あの椎名が、ここまでフランクな性格になるとは誰も思ってはみなかっただろう。
とりあえず、私達は、リビングに移動し、椎名の作る秋刀魚の七輪焼きを待つことにした。
「それにしてもさー、ホント、シイナさん、変わったよね―。愛のせいかな〜?」
うん? といった感じで未知花がニヤニヤと、伊勢京太郎さんの顔を覗き込んだ。
「や、どうなんだろう。まあ、大分変わったのは事実だけど、僕のせいかはわからんよ。」
「いやいや、やっぱりイセさんの愛のせいだって。あんなに可愛いキャラじゃなかったもん、シイナさん。ちょい昔と今のヒナちゃんくらいな性格だったし。」
「私の性格ですか?」
「うん。物静かで、何事にも動じないという感じ。てか、たまにあたりが強い。マイ・センシティブ・グラス製のハートはたまに耐えられないくらい。」
そう言って、未知花は胸を抑えながらおどけて言った。………強いかな? あたり………あまり考えたことがなかった。
「まあ、機人の初期人格は、基本的に、そうプログラミングされてますからね。それに………」一呼吸置いて私は言った。
「私はうつ病罹患者ですしね。病状や薬の効果で感情がフラットになっているのがそう見える理由なのでしょう。」
と、そこまで言って、私は思った。
ああ、今の人格は、元々私が持っていた人格なのだろうかと。うつ病に罹患し、PTSDを発症し、薬で様々な脳内伝達物質をコントロールされている調教された人格なのではないだろうか? と。
この場合、私は、本当の私は、どこに居るのだろうか? 生体脳に埋め込まれたタグ付きのCPUチップに入る程度のデータが、私を私たらしめているものなのだろうか?
そう考えはじめると、何故だか名状しがたい不安感が私を襲ってきた。動悸、目眩、息切れ。どんどんと体調が悪くなる。
私は今日二回目のエチゾラム錠を飲んだ。未知花や伊勢京太郎さんが心配そうに私を見ている。私は、大丈夫、少し時間が経てばなんとかなると言い、少しソファに横になった。
薬効が現れるまで三十分はかかる。それまで、ひたすらに症状に耐えるしか無いのだ。
………
しばらくして、薬効が現れた頃、満足気な表情で、椎名が、秋刀魚を持ってリビングに来た。満面の笑みでこちらを見ている。所謂、ドヤ顔というらしい。
「シイナ。急にミチカと押しかけてすみません。」
「いえいえー。私の自慢の焼き秋刀魚を食べてくださるのなら大歓迎ですよっ♪。」
「つーか、シイナさん、無駄に秋刀魚を大量に買ってきちゃって余っちゃいそうで困ったから呼んだだけな気………」
「キョウタロウ! 余計なこと言わない! 」
言い終わるのを待たず、バッと振り返り、キッと、目線で制しながら椎名が言った。
「うっ………うっす………。」
ーーー椎名と伊勢京太郎。
この二人を見ているのは本当に面白い。特に、機人の間のアーカイブに載っている稼働初期の椎名、つまり、Cー7は、無感動で、さっぱりとした無機質な人型コンピュータそのものだった。でも、いま眼の前にいる椎名からは、そんな過去の性格といったものは観られない。
ーーー(恋)が、彼女を変えたのだ。そして、伊勢京太郎さんと育んできた愛が、彼女を変えたのだ。
差し出された秋刀魚を食べる。ついさっき、自分が焦がして駄目にした秋刀魚とは大違いの出来だ。とても美味しそうだ。でも、私の脳裏には、さっき浮かんだ焼け焦げた少年兵の姿が浮かんでいた。
少し食べるのに躊躇した。食欲が一気に減退したし。でも、結局私は難なくそれを食べた。とても美味しかった。自称、秋刀魚マイスターの椎名の焼いた秋刀魚だけある。
こういう感覚は本当に不思議だ。先程まで嫌悪の対象だったものも、結局、その時々の都合によって受け取り方が変わっていくのだ。美味しい秋刀魚を食べている最中の私は、すっかり少年兵のことなど忘れていた。フラッシュバックもなかった。
何故だろう? この空間の居心地がよいからなのだろうか? 未知花と椎名と伊勢京太郎さんと言った、気心の知れた友人たち。それが私を、罪悪感や慚愧から目をそらさせる効果をもたらしているのだろうか?
そういう日常の平和な暮らしと体験で、自分の悲惨な体験を上書きすることで、私達機人のうつ病やPTSDというのは和らいでいくのかもしれないなと私は思った。勿論、抗不安剤の薬効による部分も大きいのだろうけども。
………
食事が終わり、私は、洗い物を手伝うことにした。伊勢京太郎さんが「僕もやるよ」と言ったけれども、椎名が、「一家の大黒柱はドンと構えていてください! これは妻の私の仕事ですから! 」と、すっくと立ち、胸を叩き、やはりドヤ顔で嬉しそうに言った。
未知花は、ちょっと食べ過ぎたようで苦しそうだ。洗い物をさせるにはちょっと酷だろう。なので、洗い物は私と椎名の二人でやることにした。
◆
食器を洗いながら椎名と話す。発話による会話ではなく、アマテラスのそれより、更にローカルな、プライベートなローカルネットワークである〈アリアドネ〉によっての会話だ。ちょっと、二人だけの会話をしたかったからだ。
いつもより深い深呼吸。心の準備。私は意を決し、聞く。
『ねえ? シイナ? 非常に聞きにくいことなんですけど………聞いてもいいですか?』
『はい? どうぞー。答えられる範囲ですけどー。』
割と軽く応えられた。私の決意は一体………まあいい。私は続ける。
『シイナは………その………戦闘機械だったころの自分と、今の自分というギャップに対して、どう折り合いをつけてるんですか? 』
そう聞くと、椎名は少し考えこんだ。かと言って深刻な感じでもなく、うーんと虚空を見つめて小首をかしげている。と、椎名が話し始める。
『そうですね………私が生産された時は、まだまだ機械構成部品が多かった時期ですからね。Cロットからのオッドナンバーズなので、生体脳が使われているものの、最初から生体組織を体の大部分を構成する要素として作り出されたヒナのようなロット・シリーズとは大分違うかもしれません。』
そういうと、椎名は手を見せてきた。手には、あかぎれの跡がある。
『これ、今の、私の体なんです。退役してからしばらくは機械構成部品が多くて、内蔵などのごく一部を、保険商品の生体ホルダーとしてあてがってきたのですけど、今はその担保も外して、私の体になってます。キョウタロウには資金的にご迷惑をお掛けしましたけども、私、人間の体を手に入れてすごく嬉しいんです。』
椎名は笑ってそう答えた。そして、『でも、』と続ける。
『自分を構成する組織の殆どを生体組織に換装したら、なんだか、不思議なんですけど、機械構成組織が多かった頃よりも、喜怒哀楽が激しくなったというか………。まあ、戦闘機械時代の私の所業に関しても、自責の念が強くなったように思えます。何故だかはわからないのですけどね………。』
『やはり、生体組織が私達機人を変化足らしめた大きい要因なのでしょうか?』
『おそらく、は。だって、機人の精神疾患が目立つようになったのもヒナちゃん達、生体組織を主とする機人のロット・ナンバーから出てきたわけですし。』
『そうですか………いっそ、イーブンナンバーズのように、機械電脳と、機械義肢を以って作り出されれば、こんな悩みもなかったのかもですね………。』
そう言って、私は、自分の両の手を見つめ、開いたり閉じたりを繰り返す。と、椎名が言う。
『イーブンナンバーズにも、悩みはあると思いますよ。でも、今のところ、精神疾患や、悩みやストレスを抱えているイーブンナンバーズのデータが少ないですね。やはり、生体組織を主とすると、何かナイーブな感情に支配されやすいのかもしれません。………まあ浅い推測ですが。』
と、少し間を置いて、椎名が洗い物の手を止めて言う。
『………でも、私、生体組織に換装していいこともありましたよ?』
『なんです?』
『〈恋〉を覚えました。そして、愛する人の肌のぬくもりを感じることができる、呼吸を感じることができる。そして………心を通わせる事で、自分を許してくれる、認めてくれる存在に、キョウタロウに出会えたことですね。』
そう言って椎名は、にへら〜と、緩んだ顔で笑った。
ああ、なんだ、また惚気か。と私は思ったけれども、そういう自分を認めてくれる人を見つけるというのもこの罪悪感から逃れるために重要なのかもしれない。そのためには、見た目だけでなく、脳や、体も、生体組織であるほうが、人間と同調しやすいのかもしれない。今のところ、詳しいことはわからないけれども、椎名の〈恋〉という感情の増幅度合いや、私の精神疾患を鑑みると、ファクターとしては大きいものなのだと思う。
同時に、こうも思った。椎名は、ああ言ったけれども、イーブンナンバーズ、つまり、機械電脳を主とする機人も、恋はできるのではないか? と。勿論、程度の差はあれ。
確かに、イーブンナンバーズ達は、私達、生体脳をベースとするオッドナンバーズとは、また違う気質というか、未知花が私や、昔の椎名を評した以上に、固いというか、それこそ人間より機械に近いといった印象なのだけれども、それは製造時のコンセプトであって、今では、アマテラスでの経験の共有化とフィードバックや、人との交流によって、大分角が取れたというか、学習とでもいうのだろうか? かなり、今の椎名のようなノリの性格のイーブンナンバース機人も居るし………。
多分に、椎名を筆頭とするオッドナンバーズがアマテラスにアップロードした経験データが、イーブンナンバーズにも影響しているのだろうと思う。
実際、戦闘機械としてではなく、最初から民生の、メイドロボとして世に生み出された機人(昔は機人の括りでは語られなかったのだけれども、今では、同じ機人の括りで、機人権を適用できるように、メイドロボから、人間の日常生活をサポートする機人として扱いが変わってきている)は、感情豊かであるし………。でもそれすら、コンセプトの違いで、最初にプログラミングされた基本人格と、フィードバック傾向の違いなだけかもしれないし………。
まだまだ、私達機人には、わからないことが多い。特にこの数年にかけては。
椎名達が民間に払い下げられてきて三年、私が病気退役してから三年。計、六年の間に、大きく、事態は変わってきているのではないだろうか?
それを調べていくことも、自分自身を知り、これからを考える端緒になるのかもしれない。
と、頭に浮かぶ名前〈真希いろは〉。機人研究に、魔術工学という分野で関わり、今は、カウンセラーをしている人。
やはり、彼女に会って、色々と聞いてみるのもいいのだろう。