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7 うるさい小娘

 

 

 

 エドに言われなければ、誰があんな小娘など……。


 ヴァンツァは劇場の表にもたれて、腕を組んだ。

 見上げると、「ゼレンカ劇場」と書かれた看板が少しだけ傾いている。風が強かったので、ズレてしまったのだろう。


 ルチアの護衛をはじめて四日になる。

 基本的に外出先へついて行く程度しかやることはないし、あの日以来、怪しい者に襲われることもなかった。


 ――人形を渡すかどうかはともかく、僕の依頼人だから。しっかりと、守ってあげてね。よろしく頼むよ。


 エドの言葉を思い出すと、胃が痛くなる。

 本当なら、こんな命令など引き受けない。

 しかし、エドは仕事を引き受けると部屋から一歩も出なくなるため、ヴァンツァの「本来の仕事」はほとんどなくなってしまうのも事実だった。それを見越した命令だということもわかっている。


 エドに言われなければ、絶対にこんなことなどするものか。そんな道理など、どこにもない。


 だったら、人でも雇って任せればいい話だ。ヴァンツァ自身が請け負う必要はない。エドだって、それを禁じたわけではない。


 一瞬、自分の中で矛盾が生じる。


 結局、まだ人形にこだわっているのか……?


 エドの命令がなにを期待しているのかわかっている。

 だが、ルチア・ゼレンカという小娘にそれが出来るはずがない。ヴァンツァには、それがわかっている。

 ヴァンツァは変わらない。変わらないのだ。


 人形はなにも与えてくれない。なんの役にも立たない空っぽの存在だ。


「…………」


 わずかな風が吹くたびに、頭上で看板が歪な音を立てて揺れた。ヴァンツァはそれが気になって、夜色の視線をもたげる。

 やがて浅い息をつきながら、壁から身を剥がした。

 隣の商店が店先に並べている空の樽を軽く蹴って、ちょうどいい位置に寄せる。ヴァンツァは漆黒の外套を一度だけ振り払うと、身軽に樽の上に飛び乗った。


「なにしてるの?」


 看板に手をかけたところで、足元から声がする。ルチアが怪訝そうにヴァンツァを見上げていた。


「あ、看板、直してくれるの? あとで直そうと思ってたのよね」


 ルチアがそう言って笑うので、ヴァンツァは決まりが悪くなって、ぶっきらぼうに手を伸ばした。

 看板は簡単に正しい位置に戻り、風にもなびかなくなる。もしかすると、この看板は頻繁に傾くのかもしれない。

 ヴァンツァはそのまま樽から降り、ルチアを見下ろした。いつものように年代物のリュントを背負い、腰から人形をさげている。


「ありがとう!」


 ルチアの声は素直で、明るかった。


 高飛車で意地っ張りな性格ばかりが目立っているせいか、こういう表情を向けられると、少しばかり調子が狂う。

 思えば、ルチアは本当に素直だ。ミスを指摘しても言い訳せずに受け止めるし、今のように嫌いな相手に対しても礼を言う。


 単純とも言うが。


「頭の上でキィキィうるさかったからな。誰かさんみたいに」

「あーら、誰かさんって、誰のことかしら? 全ッ然、思い当たらないわ」

「目の前にいる人形頭の他に誰がいる」


 ヴァンツァは狂わされた調子を隠そうと、さり気なく視線を逸らせる。


「あんたね、人のこと人形頭ってうるさいのよ! だいたい、わたしが気に入らないなら、エドの言うことなんて無視すればいいじゃない」

「そういうわけにもいかない」

「なんでよ。別に断ってもいいじゃない。なんか隠してるの?」

「お前が知らなくてもいい」


 人形のことだけを考えて暮らしているお気楽な小娘にはわからない。ヴァンツァは必要以上のことは言わず、淡々と答えた。


「なによ。いちいち人を馬鹿にして、夕方のカラスみたいね」

「……カラス?」

「そうよ、全身真っ黒でアホーアホーって言ってて、そっくりよ」


 カラスと呼ばれてヴァンツァは眉をひそめた。

 自分の容姿が野暮ったいことは充分承知しているが、この黒髪も黒い瞳も血筋から由来しているものだ。黒をまとうのも、好みというわけではなく、家の伝統に則っているだけにすぎない。

 しかし、こんな小娘に説明してやる義理もないし、言い争う気もなかった。


「好きなように呼べばいい」

「なによその、『ふっ、俺はお前と違って大人なんだぜ』って感じの言い方!」

「なんだ、わかっているじゃないか」

「あんた、はっきり言って感じ悪いわよ。ちょっと身なりがいいからって!」

「それは、どうも。最高の褒め言葉だよ」

「褒めてない!」


 相手をするのも煩わしいから話しかけるな。そういう空気を出して返答しているのに、ルチアはいっこうに黙らなかった。

 だいたい、ヴァンツァのことを身分のある人間だと気づいているなら、もっと謙るべきだ。それなのに、この小娘は一歩も引かない。


 チェスクでは人形遣いや人形師は他の芸術家と違って優遇されており、資金を援助する貴族(パトロン)に対しても平気で意見する傾向がある。

 腕が良ければ貴族の社交界に呼ばれることもあるし、親密な関係を持つ者も多い。名のある人形遣いや人形師なら、貴族と話していても誰も気に留めないくらいだ。人形遣いを娶る貴族も少なくはなかった。


 とはいえ、あまりにも無作法だ。

 妙に自信満々の言動と、人形以外はスッカラカンの頭に関連しているのだろうが、世間知らずにも程がある。

 別に権力を笠に着る趣味はないが、流石に文句を言いたくなる。ヴァンツァはいよいよ苛立って、わざとらしく腰の剣についた紋章を見せてみた。


「なにそれ」


 貴族紋章を見ても、ルチアは無邪気に首を傾げるだけだった。銀の剣を背にしたカラスの紋章など、他に使っている貴族はいないはずだが……。


「見覚えないのか?」

「んー。あるような、ないような。そういうのは、クルトの方が詳しいし。お貴族様なんて、どこも一緒でしょ?」

「いや、流石に序列はあるが。というか、一応は俺が貴族だって気づいていたんだな?」

「そんなの、庶民には関係ないわよ。あ、わかった! さっきカラスって言ったから? へえ、紋章までカラスとか笑えるんだけど。どこまで陰気なの?」

「……もういい」


 呆れて物も言えないとは、このことだ。

 この小娘、本当に人形のことしか考えて生きていないらしい。

 その後も、うるさいルチアの声は続いた。


「なんで、人形が嫌いなのに人形師の友達がいるのよ」

「お前には関係ない」

「あんた、貴族なのよね? じゃあ、エドの支援者(パトロン)?」

「答える義理はない」

「ねぇ、なんで人形が嫌いなの? でも、人形嫌いなのに、人形師の支援者とか変よね。あ、わかった。親が人形劇好きで、エドを囲ってるんでしょ」

「そういうことにしておく」

「なによ、その言い方」

「……お前は少し黙れないのか?」

「あんたは無口過ぎよ」


 いくら素っ気なく返しても、話しかけてくるルチアに苛立って、ヴァンツァは唇の端を震わせた。だが、ルチアは不機嫌そうに口を曲げると、自信満々に言い放つ。


「どうやったら、あんたが人形を好きになるかと思って。話を聞かないとわからないわ」


 酷くあっさりと言い放たれて、ヴァンツァは呆気にとられた。祭典を目前に控えているのに、よく人の好みに口出す余裕があるものだ。もしかすると、人形劇に関しても馬鹿なのだろうか?


「……俺はそんなことを頼んだ覚えはない」

「わたしを認めないあんたが悪いのよ。エドにはまだ会えないから、手始めにあんたから認めさせてやるの」


 馬鹿馬鹿しい。

 しかし、ルチアはいたって大真面目だった。


「わたしが、あんたに人形を好きにさせてあげるわ。感謝しなさい」


 まっすぐ、挑むような視線を向けられる。

 感情的で自信に満ち溢れており、包み隠さない闘志が垣間見られる不思議な眼差し。人形劇ではなく、どちらかというと決闘を挑まれたような気分になる。


「その自信はどこからわいてくるんだ」

「もちろん、わたしが天才だからよ!」


 ルチアは当然のように言ってのけ、背中のリュントを指でコツンと叩いてみせた。そして、踵を返して、石橋の下へと駆けていく。


 ルチアはいつもフランチェスク橋の下で練習している。

 王都に古くから存在するフランチェスク橋は人形遣いたちの聖地であり、劇団に所属していない者の多くがここを路上興行の場所と決めていた。王国独立の立役者の一人フランチェスク・ランゲルがここで人形劇を行い、民衆を鼓舞した逸話に由来している。

 橋の上では人形遣いたちの興行が行われ、今日も賑わっている。しかし、橋の下側はほとんど人影が見えず、静かな大河の景色が流れていた。


 ルチアはリュントを手に取って、ヴァンツァを振り返る。


「……なにが天才だ」


 ルチアに聞こえないように呟きながら、ヴァンツァは腕を組んだ。

 天才は努力などしなくとも、その才能が備わっているものだ。

 ルチアの指先に視線を移すと、リュントの弾きすぎで小さな傷がいくつも出来ていた。恐らく、幼い頃から人形に触れ、人一倍の努力を積んできたのだろう。

 あの小娘は負けず嫌いで、すぐ躍起になる。結局は、ただの強がりだ。


「どうよ、見てた? このわたしの練習を見せてあげてるんだから、喜びなさいよ!」


 ルチアが人形を操りながら、ヴァンツァに叫ぶ。

 目を凝らすと、ぼんやりと「糸」が見える。燃えるように赤い魂の糸で結ばれた人形と少女を見て、ヴァンツァは首を横に振った。


「まだまだだ」

「じゃあ、もう一回見てなさい!」


 もう何年も前にやめてしまったはずなのに、――まだ糸は見えるらしい。

 ヴァンツァはいつの間にか自分の唇が綻んでいることに気づいて、自分を嫌悪した。


「馬鹿か、俺は」


 ――そうか。じゃあ、二人とも約束だ。楽しみにしているよ。


 ふと、淡い記憶と共に、身体に沁みつく強烈な寒さが蘇る。腕を抱えたくなる衝動を抑え、拳を握った。それでも震えそうになる唇を、誰にも見えないように噛みしめる。


「俺は変わらない。残念だったな、エド」


 橋の下に流れる軽快なリュントの響きが遠く懐かしい記憶を呼び起こす。

 だが、同時に忌々しかった――。

 

 

 

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