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5 マリオネット姫の舞台裏

 

 

 

 ――人形劇はチェスクの誇りであり、宝であり、心である。


 これは他国に政権を奪われ、虐げられてきた歴史を持つチェスク人の間に根付いている言葉だ。


 一世紀ほど前にプシェミスル家によって王位が奪還されるまで、チェスクは異国人の支配を受けてきた。言語は統制され、チェスク風の思想を持つことも禁止された。文学や絵画、演劇に至るまで、異国の言葉と文化を使用することが義務付けられたのだ。


 しかし、チェスク独自の文化である人形劇だけは、例外としてチェスク語の使用が黙認された。人形劇は子供騙しの娯楽として認識され、脅威と成り得ないと思われたのだ。

 人形遣いが人形を操るために魂をこめる技術は、他国では「魔術」として扱われ、人々から畏怖を抱かれる。

 だが、チェスクでは人形劇にのみ使用され、異国人が恐れるような力にはならないと思われていた。


 むしろ、日常的に人形劇が浸透しているチェスクで、その術を他の用途に使わせることの方が危険視されていたのだ。人形遣いやその技術を持つ者の数は実に多く、下手に弾圧すると大量虐殺に発展してしまう。そこまでして国民感情を煽り、蜂起の原因を作ることは本意ではなかったようだ。


 けれども、人形劇があったからこそ、チェスク人は異国の支配に屈することはなかった。人形劇によって自国の文化を保ち、情報を共有し、誇りを忘れることがなかった。


 王位を取り戻した獅子王エドゥアルト・プシェミスル。

 彼を支えた英雄騎士カレル・ジェハーク。

 そして、人形劇によって人々を鼓舞したフランチェスク・ランゲルは、今でもチェスク人の心に深く名を刻み続けている。


「本日もルチア・ゼレンカの舞台に足を運んでいただき、ありがとうございました。みなさまの前で舞台を披露出来ましたことを、心より感謝いたします」


 舞台を締めくくるあいさつをし、ルチアは深々と一礼する。

 あまり広いとは言えない劇場を埋め尽くす観客が各々に立ち上がり、ルチアに拍手を浴びせた。それが嬉しくて、ルチアはいつものように笑みをパッと咲かせる。


 だが、隅で仏頂面のまま腕を組んでいる青年を見て、少しだけ機嫌を損ねた。

 せっかく気分がいいのに、あんなのが視界に入ってきたせいで台無しだ。ルチアはつまらなさそうにこちらを見るヴァンツァから顔を逸らし、そのまま舞台裏に引っ込む。


「なによ、あいつ!」


 先日、ルチアは夜盗に襲われた。エドはルチア自身が狙われた可能性を指摘して、こんな提案をしたのだ。


 ――危ないから、しばらくヴァンツァを貸してあげるよ。


 確かに、ルチアが人気を獲得することで困るライバル劇団はいくつもあった。加えて、祭典も迫っている。優勝候補の一人であるルチアを潰しておきたいと考える者は少なからずいるだろう。

 一週間前には、ルチアと祭典で争うと目されていた人形遣いの一人が足を滑らせて怪我をしたと聞いている。祭典に向けてライバルが仕組んだ事故ではないかと囁かれていた。

 そんな物騒な噂も後押しして、エドは護衛をつけることを提案したのだろう。


 けれども、


「あーもう、腹立たしい。嫌いなら、外にいればいいじゃない。なんで客席にいるのよ。有り得ない!」


 はっきり言って、あのヴァンツァとかいう男は気に入らない。

 なにかにつけて文句を言ってくるし、人を馬鹿にするし、妙に高慢だし……とにかく、気に入らないことだらけだった。


『何故客席におるか……そりゃあ決まっておろう。席代を払ってもらったからのう』

「楽しむ気がない客は入れなくていいのよ!」

『一等席を買ってくれる上客、断る理由がなかろう。ヒッヒッヒッ』

「あんた、それ完全に買収されてるじゃない。思いっきり乗せられてるじゃない!」


 クルトはカシュパーレクに喋らせる横で、今日の儲けを数えている。銅貨をジャラジャラと鳴らしてさえいなければ、無邪気な子供に見えるのに……ルチアは重い息をついて項垂れた。


「ルチアちゃん」


 突如、舞台裏に妙に甘ったるい声が響く。聞き慣れた声だ。

 背後に気配を感じた瞬間、覆い被さるように抱きつかれてしまった。視界に派手な薔薇色のドレスが入る。


「ルチアちゃん、今日の舞台もお疲れさま。愛してるわよ」

「ミ、ミラン。ちょ、離れて。だめ、口はダメッ!」

「いいじゃない。興奮しちゃったの」

「それ、理由にならないわよね!?」


 熱烈な抱擁をしながらキスを求める人物――ミラン・ランゲルから逃れようと、ルチアは一応の抵抗を試みる。

 形が良く、艶のある唇を近づけてくるミランの顔を、ルチアは慌てて押し退けた。すると、ミランは蜂蜜色の巻き毛を指でいじりながら、ツーンと表情を尖らせる。


「じゃあ、頬で我慢してあげる」

「ああああ、面倒臭い!」


 苦笑いしながら、身体を引き剥がすと、ミランは寂しそうに眼を潤ませる。頬が薄っすら上気して、醸し出される色気にドキリとした。


「ルチアちゃんは、私のこと嫌いなのね。こぉんなに、大好きなのにぃ。ちっちゃくて可愛い、マイレディ」

「別に嫌いとも言ってないけど……」

「あら、じゃあ、キスしても問題ないわね。だって、好き合っているんだもの」

「いやいやいやいや」


 泣きそうな顔から一変、ミランの表情が薔薇色に染まる。ミランは煌めきの視線でルチアを見ると、うっとりと頬を赤くした。


「今日はルチアちゃんのために、新しいドレスを着たのよ。まだお客様にも見せていない新作。私ね、ルチアちゃんに初めてを捧げに来たのよ。ルチアちゃんのためなら、脱いでもいいわよ?」

「脱がなくていいから。だいたい、ミラン。なんでうちの舞台裏に来てるのよ。関係者以外立ち入り禁止よ!」

「見学料を弾んだのよ」


 ミランは一人でうっとりと恍惚の表情を浮かべている。

 ルチアが視線を巡らせると、売上金の入った革袋を持って、クルトが奥へ逃げていくのが見えた。ご丁寧にカシュパーレクが『毎度ありがとうございますですじゃ。ヒッヒッヒッ』とか言っている。


 ミランは王都最大手のランゲル劇団の跡取りだ。

 王国独立の立役者と謳われるフランチェスク・ランゲルによって創始された劇団で、最も歴史があり、劇団長一家は貴族と同格の扱いを受けている。


 ルチアの父テュヒョも自分の劇団を持つまでの間、ランゲルで花型の人形遣いとして活躍していた。

 その頃に幼馴染として育ったのがミランだ。ミランはルチアを妹のようなものだと思っているようで、いつも過剰に接してくる。ルチアが舞台に立つようになった今でも、それは変わらない。


「ミラン、今日の舞台はないの?」

「今日はないわよ」

「……昨日もなかったじゃない。最近、舞台に立っているの?」

「ルチアちゃんと違って、いつも出演していなくてはいけないわけでもないから。そんなことより、二人で蜜の時間を重ねる方が大事だと思わない?」


 さり気なく、ルチアの劇団が小さいと言われた気がする。

 確かに、ランゲルは大きな劇団で、腕の良い人気人形遣いが数多くいる。後継ぎのミランが常に舞台を行う必要はないのだ。


 当然、ミランもルチアと同じく祭典に出場する。

 しかも、王族から推薦を受けているので、予選を行う必要がない。駆け出しのルチアは、予選で上位五人に残って本戦に臨まなくてはならなかった。

 毎年、祭典の上位はランゲル在籍の人形遣いが独占している。そこへルチアが斬り込むには、並々ならぬ成績をおさめる必要があった。


「ルチアちゃんと熱く交われる夜の舞台を想像すると……もう火照っちゃう。新しい肌着を用意しておかなくちゃ」

「誤解を生みそうな言い方はやめてよ。あと、舞台で肌着見えないからね?」

「ルチアちゃんも新しいの買う?」

「間に合ってます!」


 ルチアは慣れた調子で返しながら、リュントを革帯で留めて後ろに背負う。

 だが、視界の端に闇を吸いこんだような黒を認めて表情を歪めた。


「……なんで、あんたまで入ってきてんのよ。いつから、そこにいたの!」

「ずっといたが、人形頭には見えなかったようだな。目まで節穴なのか……不埒な会話をして、恥ずかしくないのか。女二人がベタベタと……破廉恥だぞ」


 壁にもたれながら、ヴァンツァがつまらなさそうに腕を組んでいる。相変わらず澄ました顔は端正で、動く彫像のようだと錯覚した。けれども、口を開けば高慢で腹立たしいことこの上ない。


「おんなふたり?」


 ヴァンツァの言葉に、ルチアは若干の引っ掛かりを覚えて首を傾げる。


「ミランは男よ?」

「はあ!? 男!? それは、男なのか!?」

「ランゲルみたいな大きい劇団、女が継げるわけないじゃない?」


 平然としたルチアの指摘に、ヴァンツァが目と口を大きく開く。

 なにか変なことを言っただろうか。

 人形劇に詳しければ、ミラン・ランゲルが男だと言うことは周知の事実だ。本気で、この高慢男は人形劇を見ないらしい。


「まあ……ルチアちゃんったら、私というものがありながら、外で男を作っていたなんて……いけない子」


 ミランが両手を合わせて、ぷくっと頬を膨らませた。


「いや、こいつはそんなんじゃないからね。ミランもただの幼馴染だから。別にわたしたち、変な関係じゃないでしょ」

「ええ、そうよ。変な関係じゃないもの。ただ、ルチアちゃんに手を出すなら、私――俺が黙っていないと言うか、殺すからな。割と本気で」

「もう、ミランは大袈裟なんだから……」


 冗談なのか本気なのか、殺意の浮かぶミランの肩を、ルチアはポンポンと叩いた。


「ついていけない……意味がわからない……なんだこの光景は……」


 一方のヴァンツァは眉間にしわを寄せて、頭を抱えてしまった。


『まあ、初めてじゃと、そうじゃろうなぁ。簡単に言えばルチアが極度の鈍感で、ミランが変人なだけじゃ』


 クルトがヴァンツァに対して謎のフォローを入れているが、ルチアには意味のわからないことだった。

 

 

 

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