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4 闇に潜む

 

 

 

『本当に戻るのか? もう暗いから明日にせぬか?』

「明日は店が開いてないじゃない! わたしとしたことが不覚だったわ」


 エドに人形を作れと言ったのはよかったが、頭に血が昇っていたせいで演目を伝え忘れていた。今から戻れば、まだ間に合うはずだ。


 ルチアはすっかり陽が落ちて暗くなった道をずんずん進む。早くしなければ、遅くなってしまう。物騒な話も聞くし、さっさと帰らなければならない。


 ――くだらない。


 ヴァンツァとかいう男の言葉を思い出して、ルチアは一旦おさまっていた怒りが蘇ってきた。

 だいたい、人形劇が嫌いなくせに、何故、人形師のエドと親しいのだろう。矛盾しているではないか。おまけに、知ったような口でルチアにケチをつける。


 けれども、人形師であるエドもルチアを認めてくれなかった。それだけに、ヴァンツァの言葉が余計に頭の中を掻きまわす。


「なんなのよ、あいつ」


 ルチアは背中にリュントの重みを感じながら、唇を曲げた。

 半年前に病気で死んだ父の遺した小さな劇団と、古びたリュント。

 ルチアの肩にのしかかるものは、十六の娘が背負うには重いものだろう。だが、ルチアはそれを苦痛と感じたくはなかった。


 人形劇が大好きだ。


 幼い頃から人形を動かすことがなによりも楽しかった。だから、自分が楽しいと思える人形劇を重圧だと思いたくはない。これはルチアが望んでやっていることなのだから。むしろ、自分が人形劇を続けるために必要なものだ。


「今年の祭典で優勝しなきゃ……」


 独立祭で行われる人形劇の祭典で優勝すれば、国が運営する中央劇場で公演することが出来る。

 父のテュヒョ・ゼレンカも立った舞台に、ルチアも立ちたい。そこに立ってこそ、初めて父が残したものを受け継いだと言える気がするのだ。


 父は王都最大手のランゲル劇団で花型人形遣いを務めていたが、やがて独立して小さな劇団を作った。ルチアはゼレンカ劇団の名を背負って、華やかな中央劇場で公演したかった。


 勿論、エドの人形でなくとも勝ち取る自信はある。

 しかし、出来る限り最高の人形で、最高の舞台を演じたい。それは美学でもある。


『祭典で優勝して国王様からのお墨付きをもらえたら、ワシもあんな馬車が買えるようになるかのう?』


 カシュパーレクに代弁させながら、クルトが通り過ぎる馬車をじぃっと眺めていた。六頭立ての立派な馬車で、銀の獅子と薔薇を描いた紋章が掲げられている。


『獅子紋章ということは王族の馬車かの。薔薇も描かれておるからロジェンヴァリ公辺りか……さぞ、乗り心地が良いんじゃろうなぁ。あんなので移動出来たら、腰も楽になるんじゃろうなぁ……ルチア、期待しておるぞ。ヒッヒッヒッ』

「贅沢な暮しに憧れるのは、わたしだって一緒だけど……あんた、まだ十二でしょ? 足腰まだまだ平気よね?」

『このカシュパーレクの設定は七十歳じゃ』

「カシュパーレクの話は聞いてないんだけど」

『お前さんはいちいち細かいのう』


 ルチアは軽く息をつきながら、肩にかかった髪を払った。亜麻色の髪が冷たい夜風になびき、弦のようにしなる。

 ふと、視界の端でなにかが動くのを感じた。闇に紛れて形ははっきりと見えないが、ルチアは眉を寄せる。


「…………!」


 突如、暗がりの中から影が飛び出す。

 ルチアはとっさにクルトを突き飛ばし、舞いの要領で身体を軽やかにひるがえした。眼の前を銀に光る刃の一閃が横切り、青空色の瞳を細める。


「物騒なもの振り回してくれるじゃない」


 ルチアは背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、ゆっくりと後すさった。

 クルトがカシュパーレクを抱いて走っていく。助けを呼びに行ってくれているのだろう。

 運良く夜警隊に出会えばいいが……こんなところで暴漢だと叫んだところで、面倒ごとを避けて誰も出てきてくれない。


「あいにくね。悪いけど、強盗されるほど良いものは持っていないのよ」


 強気に笑いながら、ルチアは声を発する。語尾が少し震えて上擦りそうになった。

 夜盗は逃げたクルトになど目もくれず、まっすぐにルチアへ迫る。

 今は気を引いて、クルトが帰ってくるまで時間稼ぎすることが先決だ。第一、リュントを背負って、木彫りの人形を三体もさげていては、走ったところで逃げられる気がしない。


「きゃっ」


 夜盗がルチアに向けて短剣を振り上げる。ルチアはとっさに後ろへ下がろうとしたが、壁に背をぶつけてしまう。


「いっ……」


 だが、刃がルチアに振り下ろされる瞬間、夜盗の動きが止まる。


「かかったわね?」


 ルチアはしたたかな笑みを浮かべながら、右手をグッと握った。

 とっさに糸を飛ばして男の動きを縛ったのだ。人形遣いは生きた人間に魂を移すことは出来ないが、糸で縛ることは出来る。


「糸のお味は如何かしら?」


 人形遣い以外の人間には見えないので、糸を切ることは叶わないだろう。もっとも、人形遣いだったとしても、動きを封じていれば本人は糸など切れない。

 ルチアは糸が強引に引き千切られる前に、男から逃げだし、距離を置いた。このまま糸を増やして縛ってしまえば、夜警隊に突き出すのも楽だ。


「相手が悪かったわね。このルチア・ゼレンカを舐めないでほしいわ」


 ルチアはいつもの自信を忘れずに言うと、更に糸を増やそうと意識を集中させる。人形に入り込むのと違って、物を縛るのは無駄に疲れるので苦手だ。


 だが、刹那。

 ルチアの身体を妙な虚脱感と頭痛が襲う。


 糸が、切られた?


 夜盗を縛っていた糸の一本が切られたことを感じ、ルチアは周囲を見回した。

 次の瞬間には夜盗が自由を取り戻し、再びルチアに刃を向けていた。


「ああっ――!」


 石畳に倒れる衝撃でリュントが歪な音を立てる。

 有無を言わさぬ動作で男がルチアの前に詰め寄った。ルチアは逃げようとするが、人形を落としてしまう。


 そんなもの、放って逃げればいいのだろう。

 だが、ルチアには出来なかった。宝物を守るように、赤い道化師人形に手を伸ばし、抱きかかえた。

 命に比べれば、些細なものだと、頭ではわかっているのに。

 その間に、男が無慈悲な刃を振り上げる。ルチアは闇夜に鈍く光る一閃を見て、身体が動かなくなってしまう。ただ夢中で、人形を抱えて瞼を閉じた。


「面倒な小娘だな」


 場の空気にそぐわない気だるそうな声が降る。

 次いで、金属と金属がぶつかる甲高い音が鳴り響いた。ルチアはとっさのことで慄き、肩を震わせる。

 闇雲に近くに立った誰かの足にしがみつく。そのすぐ後に、誰かがその場から走り去る音がした。


「なっ……」


 ルチアに足をつかまれ、蹴り飛ばす勢いで暴れられてしまう。それでも、ルチアは無我夢中でその足にしがみついた。


「おい、放せ! 追えないだろうが!」


 軽く頭を殴られて、ルチアはやっとのことで瞼を開ける。

 見上げると、闇色があった。

 夜に溶ける漆黒の髪を乱し、黒をまとった青年――ヴァンツァが煩わしそうに表情を歪めている。手には鞘から抜かれた長剣が握られており、ルチアは思わず唇を震わせた。


「……け、剣……」


 上等な手触りの服にしがみついたまま呟くと、ヴァンツァが夜盗の追跡を諦めて剣を鞘におさめる。そして、もうなにも持っていないと、両手を広げて示してくれた。


「何故、逃げなかった。人形なんて捨てていれば、少しは逃げられただろう?」


 しかし、ルチアは首を横に振って否定した。


「それは無理! 絶対に無理!」


 ヴァンツァは気難しい表情で眉間にしわを寄せる。だが、一拍置いて片膝をつき、今にも泣き出しそうなルチアの顔を覗き込んだ。


「もう平気だ。逃げた」


 一言だけ、力強く。

 そのくらいの状況はルチアにも把握出来ていた。けれども、ヴァンツァがルチアを安心させるために、敢えて言ったのだと気づいてしまう。


「…………」


 沈黙が続くうちに落ち着きが取り戻され、ルチアはゆっくりと、ヴァンツァをつかむ手の力を緩めた。


「ヴァンツァ、お嬢さん。平気かい?」


 後方から声がして振り返る。

 エドとクルトが走ってくるのを見て、ルチアは表情を明るくした。だが、自分がまだヴァンツァの服をつかんでいることに気づいて、慌てて立ち上がる。


「大丈夫? 怪我はしていない?」

「へ、平気よ。大丈夫」


 エドに心配されて、ルチアはブンブン首を横に振る。すると、遅れて到着したクルトがルチアの胸に飛び込むように抱きついてきた。

 少年の唇から嗚咽が漏れ、服越しに熱い涙が滲む。ルチアが柔らかい猫っ毛を撫でると、クルトの手からカシュパーレクが飛び出す。


『心配したんじゃよ。お前さんになにかあると、立派な馬車を買う夢が壊れるからのう!』


 本心なのか、そうではないのか判断に困る。

 泣き真似をしながら周囲を走り回るカシュパーレクを見下ろして、ルチアは苦笑いした。そういえば、この人形は七十歳の設定なのに、よく動き回る。


「ヴァンツァ、賊は?」

「逃げられた。この小娘が怖がって邪魔したせいでな」


 ヴァンツァの返答を聞いて、ルチアは思わず顔を赤くする。


「わたしのせいだって言うの!?」

「他にどんな言い方がある?」


 ヴァンツァは相変わらず冷やかな視線でルチアを見下ろしている。

 確かに、夜盗を取り逃がしたのはルチアが彼の服をつかんだからだ。

 どうして、あんなに怯えてしまったのか自分でもわからない。今考えると、恥ずかしくてたまらなかった。


「う、うるさいわね。だいたい、あんたドサクサにまぎれてわたしの頭殴ったでしょ!」

「ああ、殴った。楽器みたいに良い音がしたな」

「なによ、その言い方。まるで、人の頭が空っぽみたいな……」

「いいじゃないか。大好きな人形とお揃いだろう?」

『やい。うちの人形遣いに向かってなにを言っておる!』


 泣いていたクルトがヴァンツァに向かって反論する。カシュパーレクが跳ねて、ヴァンツァの足を蹴った。


「そうよ、クルト。ビシッと言ってやって!」


 やっぱり、頼れるのは弟分だ。ルチアは得意げに笑って、援護してくれるクルトを見下ろした。


『ルチアの頭は空ではない。人形のことだけは考えておる! 人形以外のことは全く考えておらんのは否定せんが。あと、人形の頭は空洞ではないぞ! 木製じゃから、詰まっておる!』

「あんた、わたしの味方する気あんの!?」

『本当のことを言っただけじゃよ。ヒッヒッヒッ』

「どいつもこいつも……!」


 ルチアは怒りで拳を震わせた。


「まあ、お嬢さんが無事でなによりだったよ。逃がした夜盗のことは、夜警隊に任せよう」


 宥めるようにエドが割って入り、人懐っこく笑う。ルチアは仕方なくクルトを摘まみ上げようとした腕を引っ込めた。お仕置きは後でいいだろう。


「そういえば……逃げたのは二人かもしれないわ」


 夜盗のことを思い出し、ルチアは胸に引っ掛かっていたことを口にする。


「どうして、そう思う? 逃げたのは一人だったが……」


 ヴァンツァが怪訝そうに返す。


「糸が、切られたの……」


 ルチアは夜盗を糸で縛った。けれども、何者かによって糸が切られたのだ。

 近くに誰かが隠れていた。それも、ルチアの糸が見える――人形遣いだ。


「お嬢さん、それって……もしかすると、ただの夜盗じゃないかもしれないね」


 エドの言葉にルチアは呑みこみ悪く首を傾げた。すると、ヴァンツァが面倒くさそうに付け加えた。


「少しは考えろ、人形馬鹿。お前の同業者が絡んでいたんだ。ライバル劇団の逆恨みか、邪魔な芽を摘みたいのか……夜盗目的ではなく、お前自身が狙われた可能性があるということだろう」

 

 

 

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