3 人形師の愛
黄昏に燃える都が宵に呑みこまれ、消し炭のように闇へと沈んでいく。
すっかりと店じまいが遅れてしまったと、エドは苦笑しながら依頼人の背を見送った。
年代物のリュントを背負った後ろ姿は少し怒っているようだったが、闘志のようなものも垣間見えて、思わず表情を緩めた。
「珍しいな。あの手の依頼を受けるなんて」
ヴァンツァが腕組みしてエドを見る。エドは店の中に人形を片づけながら振り返る。
「可愛い子だったからね。また顔が見たいなぁ~と思って」
「あんな高飛車で可愛げのない小娘のどこがいいんだ」
「ヴァンツァはわかってないね。大人しいだけが取り柄の女の子なんて面白くない。そんなだから、万年恋愛潔癖症なんだよ」
「潔癖なわけじゃない」
「潔癖じゃないか。好きな女の子がいたって、見ているだけのくせに」
「黙れ! 破廉恥だ。そ……その手のことは夫婦になってからだと躾けられていないのか!」
「いや、話しかけたり、ダンスに誘ったり、別に悪くないよね? なにも破廉恥じゃないよね? 早くお嫁さんを見つけなさいって、家で言われないの? 縁談話だって、選べる程度に舞い込むだろう?」
「……余計なお世話だ」
軽くからかうと、ヴァンツァはばつが悪そうに視線を逸らす。
反応が面白くて、もっといじりたくなるが、今は店じまいもしなければならないので、我慢しておこう。
「人形にするなら、あのくらい面白くて熱い方が楽しいじゃない。あの子のために作る人形なら、僕は愛せる自信があるよ」
「お前の基準は人形なんだな」
「人形師だからね」
平然と切り返すと、ヴァンツァが表情を硬くする。
ヴァンツァが言わんとすることを悟って、エドは人懐っこく笑った。そして、頭に乗せた砂色の髪――よく出来たカツラを取った。
「安心してよ、ヴァーツラフ・ジェハーク卿。エドムントをやめたいとは思ってないから」
現れた短い栗色の髪に、軽く指を通す。
少しばかり汗をかいたせいか、空気に触れると、スゥッと冷たく爽やかに感じた。
エドは一緒に眼鏡も外し、青灰色の瞳に笑みを乗せる。
「当たり前だ。そんなことを言い出したら、俺は今すぐこの店を潰してやる」
「ひどいひどい。ここには、君の人形だって、ちゃーんと置いてあるのに」
人形と聞いてヴァンツァの表情が曇る。
エドは気にしない振りをして店の隅に置かれた黒い衣装の人形を手に取った。人形劇の演目『魔法使いの息子』に登場する、仮面をつけた黒い道化人形だ。
死の導き手と罵られながらも、陰で愛する娘を支え続けた哀れで愚かな道化を抱きしめる。
「……見たくない。俺は人形が嫌いだ」
「嫌いなのは、本当に人形なのかな?」
エドは自分で作った人形の頬を撫でた。
生きた人間の心や雰囲気、生き様を感じ取り、それを人形に移しこむ。
これが人形師の仕事だ。
だから、エドは自分の作った人形を愛するし、それを譲る人形遣いも愛したい。自分の愛せない人間の人形など、愛せるはずもなかった。
エドが作るのは生きた情熱を移しこんだ人形。
この世に一つしか存在しない人形。
「あの小娘がお前の望むような人形遣いには見えないがな。何故、受けた?」
「言ったじゃない。可愛いからって」
「そんな不埒な理由が通るか」
「わかってないぁ~」
「期待しても無駄だ――あいつには、あの人のような舞台は作れない」
ヴァンツァは漆黒の双眸を伏せ、静かにつぶやいた。
そこには失望とも、あきらめとも取れる色が浮かんでいる。まるで、なにかに裏切られたような眼だ。
しかし、エドは唇に笑みを描く。
「知っているかい、ヴァンツァ? 人は変わるものなんだよ。望んでも、望まなくても」
愛しい人形を抱きしめて、エドは続ける。
「それが良い方向に変わるのか、悪い方向に変わるのか、本人次第。彼女がどう変わるかは、僕にもわからない。でも、僕はその変化が楽しみだと思った。それが依頼を受けた理由だよ」
人形は変わらない。変わらないからこそ愛おしい。
けれども、人間は変わる。変わるからこそ、それも愛おしいのだ。
「君だって、昔と変わった。今度はどんな風に変わってくれるか、僕は楽しみだよ」
常に移ろい、変わりゆく人間の一瞬を人形に移しこみたい。そう願うからこそ、エドは人と人形に魅入られ、作り続けるのだ。
ずっと、人形だけを愛していたい。
けれども、どうして自分は、人形師としてだけ生き続けることが赦されないのだろう。
ふと、思ったことを口に出来ないまま、エドは笑みにほんの少し、寂しさに染めた。