2 マリオネット姫
「短気な娘だな」
「侮辱されたお返しよ。その減らず口、黙らせて差し上げるわ。このルチア・ゼレンカを怒らせて、ただで済むと思わないでもらいたいわ」
「――ゼレンカ?」
青年がわずかに眉を寄せる。
「とくとご賞味あれ」
だが、ルチアは構わずリュントを両手で握り直す。
そして、――指で弦を弾いた。
途端、石畳の道に転がっていたルチアの人形が立ち上がる。
明るく軽妙だが、繊細な指遣いによって生み出されるリュントの音色が周囲に満ち、道化人形が愉快に踊りだす。
人形を操りだしたルチアの行動に、青年は面食らって、黒々とした双眸を丸めている。
ルチアは腰に下げていたもう二体の人形も道に降ろしてやった。そして、三体の人形は自由を得た子供のように舞いはじめる。
人形を操るのは魂の糸。
人形遣いの訓練を受けた者にしか見えない糸で、人形を繋いで操る。簡単に言えば、魂の一部を人形に植え付けることになる。
人形は術者の手足そのもの。
ルチアが頭の中で人形の動きを細かく思い浮かべることで、初めて人形が動く。
当然、操る人形の数が多ければ多いほど難しくなるが、ルチアにとって一気に三体を操るくらい造作もなかった。
ルチア・ゼレンカはマリオネット姫。父の作ったゼレンカ劇場を支える看板人形遣いなのだから。
リュントで難しい旋律を奏でながら、人形たちの動きを細かく思い描く。
人形と自分を糸で繋いでいる間は、自分が人形に乗り移ったような感覚になる。五感の一部が共有され、複雑に溶け合う気がする。
道化人形は高く跳ね、少女人形は穏やかに舞い、老婆人形は旋律に乗せてお伽噺を歌う。童話『道化と少女』の演目の一部を完璧に演じて、ルチアは笑った。
楽しい。
人形劇を演じるときは、いつもそうだ。楽しくて楽しくてたまらない。心の底から踊って人形を操り、気持ちの高揚を表現する。
「さて、仕上げの魔法をかけましょうか」
ルチアはリュントの弦を強く弾いて軽やかにステップを踏む。そして、程近い位置に立っていた木に向けて糸を飛ばした。
秋色に色づいていた木葉がくるりと舞い上がり、簡素な衣装の少女人形を彩るように飾った。
今は街頭で小道具がないので、これで我慢する。
基本的に人形遣いが自由に操れるのは人形師が作った魂の拠り所、つまりは人形だけだ。しかし、糸を使って物の動きを止めたり、浮かせたりすることは可能だった。
ルチアが演目を終えると、いつのまにか取り囲むように人が集まっていた。
誰もが路上の人形劇を見て黙っていたが、どこからかポツポツと拍手が上がる。やがて、拍手は大きくなり、一礼するルチアに向けて歓声が沸いた。
「あのお姉ちゃん、とってもすごい!」
「どこかの劇団に所属している娘かな? あんなに腕がいいのに路上興行なんて珍しい」
「ありゃあ、最近出てきたルチア・ゼレンカだよ」
「ああ。確かに、あんな年代物のリュントを使いこなす人形遣いは他に聞かない」
『ルチア・ゼレンカの舞台をもっと見たい方は、ゼレンカ劇場へおいでくださいませ~。ヒッヒッヒッ』
口々に賞賛の声をあげる人々の前で、クルトが小銭を集めながら劇団の宣伝をしている。ちゃっかり者の見習い人形遣いを横目に、ルチアは先ほどの青年に視線を移す。
「どうよ、見たでしょう? これでも、くだらない子供騙しだとでも?」
青年はルチアの演技を無言で見ていた。
だが、
「くだらない」
「はあ!?」
ルチアの演技を見なかったのだろうか。青年ははっきりとそう言うと、つまらない表情で視線を逸らした。
「リュントの腕はよかった。技術も悪くないし、演出の気も利いていて細かい。でも、それだけだ」
「それだけって、どういうことよ!」
「プロなら自分で考えろ」
意味がわからず、ルチアは金切り声を上げてしまう。
青年は面倒くさそうに息をつくばかりで、それ以上答えようとしない。その態度が余計に腹立たしくて、ルチアは怒りを剥き出しにした。
なんだかんだケチをつけたいだけではないのか。
ルチアは人形を操りながら彼の様子をうかがい見ていたのだ。彼は間違いなく、ルチアの演技から少しも目を逸らさず、見入っていた。それなのに、「くだらない」なんて、あんまりだ。
けれども、今の青年の表情が気だるくて、退屈そうなのも事実だった。なんとなく失望のようなものも読み取れて、ルチアは手にしたリュントを握りしめる。
いったい、なにがいけないの?
「やあ、ヴァンツァ。君がナンパなんて珍しいじゃあないか。僕にも紹介してくれよ」
誰かに声をかけられ、青年が振り返る。
今まで気がつかなかったが、そこには店があった。
店頭には所狭しと色とりどりの人形が並べられ、奥には作業場のようなものが見える。その店先に立って、男が人懐っこい笑みを浮かべていた。
店主だろうか。
長い砂色の髪が秋風になびく。目にかかっているのは、異国で流行りの眼鏡というものだろうか。ビンの底みたいなガラスのせいで、顔がよく見えない。
「不埒な誤解はよせ。誰がこんな高飛車でうるさい小娘を口説くか……不潔だ」
「高飛車でうるさいって、なによ。不潔って、なに!? わたしのこと!?」
「他に誰がいる」
ヴァンツァと呼ばれた青年は素っ気なく言ってルチアから目を逸らす。
ルチアはリュントを握りしめた手をわなわなと震わせながら、ヴァンツァの横顔を睨みつける。
けれども、怒りで震える拳を宥めるように、ルチアに触れるものがあった。
「申し訳ありませんね、お嬢さん。僕の友人は恐ろしいほど無愛想で可哀想な性格をしているんだ。おまけに女の子の扱いを全然知らない潔癖症で。どうか、僕の顔を立てて許してくれないかな?」
店から出てきた青年が笑って、ルチアの手を取る。
そして、貴族がするように、ルチアの細い指先にそっと口づけた。ルチアは、そんなことなど初めてされたので、驚いて身体を硬直させてしまう。
「初めまして、僕はエド。お嬢さんの噂は聞いているよ。古風なリュントを使う腕の良い人形遣いだって評判だ。先ほどは、楽しい舞台をありがとう」
「エド……あなたが、エドなの? 人形師の?」
エドの店をもう一度見ると、確かに人形師の店だった。
王都で屈指の腕を誇ると言われる人形師エド。
本名不明。一週間に一回しか店を開けない理由も不明の謎めいた人形師。けれども、腕は確かだと評判の男……。
「僕がエドでは不満かな、お嬢さん?」
「いいえ、そうじゃないわ」
不満ではないが、意外だったのは確かだ。
こんなに歳若い青年がエドだとは思わなかった。もっと歳をとった気難しい壮年の男を想像していた。
「可愛らしいお嬢さんだね……キスしてもいい?」
「さっき、手にしたでしょ?」
唐突に頬を両手で包むように触れられて、ルチアは一歩距離を取る。
しかし、エドは眼鏡越しでもわかるうっとりとした視線を向けてくる。分厚いレンズの向こうで、青灰色の瞳が熱っぽく細められた。
エドはそのまま、ゆっくりとルチアの耳に唇を寄せる。
「くるくるとよく変わる表情、うちにたぎる情熱の炎、うるさいくらい掻き鳴らされて満ち溢れる律動。君自身は、とっても魅力的だよ。この手で、君の一瞬を刻んでみたい。愛してみたいな」
「は、はあ……? あ、わかった」
不意に甘やかな声で囁かれて、ルチアは眉を寄せた。
しかし、彼が口にしたセリフは『エルネスティーネ姫物語』からの引用だ。道化師が美しい姫を讃える歌。人形遣いや、人形劇に携わる人間なら、すぐにピンと来るフレーズだろう。
「ふふ。不可思議な道化よ。だが、妾の甘き果実を摘みたければ――」
ノリで次の台詞を返していると、後ろからヴァンツァがエドの腕をつかんでルチアから引き離す。
「不埒だ……馬鹿が勘違いしているだろうが」
「ごめん。良い題材になりそうな元気な子だったから、つい」
エドは子供のように素直な表情を浮かべながら、肩を竦めた。
二人のやりとりに、ルチアは首を傾げてしまう。どうやら、即興お芝居対決だったわけではないようだ。
なんだぁ、つまらないわね。
ルチアは店先に並んだ人形に視線を移す。
様々な衣装を着た人形はどれも個性的。似たようなモチーフでも、それぞれ表情や雰囲気が異なっていた。精巧な作りもさることながら、見ているだけで楽しくなれる人形は久しぶりだ。
人形遣いは人形に魂を込める。
その器と成り得る人形は、当然、魂を通わせることが出来なければならない。だから、人形師は一体一体の人形に命を込め、人形遣いのために、本物の魂が宿るように作らなければならない。
人形劇は心が作るものだ。
人形遣いや人形師の業が一つにならなければ、良い舞台は生まれない。
「動かしてみてもいいかしら?」
「どうぞ、愛らしいお嬢さん」
エドは快く笑って人形を差し出す。ルチアはそれに触れず、糸で心を繋いだ。
老人の姿をした人形がむくりと起き上がり、生き物のように動きだす。
楽しい。
少し動かしただけなのに、ルチアは舞台で演じているときのように心が弾んだ。
これが自分のために作られた人形なら、どんなに気持ちが良いだろう。想像すると、夢のような気分に浸れた。
「気に入ってもらえたかな?」
「ええ、とても。噂通りの腕前で安心した。わたし、あなたに人形の依頼に来たのよ。祭典に出たいと思って!」
ルチアはエドに人形を返すと、自信たっぷりの笑みを浮かべた。
エドは先ほどの人形劇を見て楽しいと言った。気に入った人形遣いの人形しか作らないという噂だが、これなら大丈夫だとルチアは確信した。引き受けないはずがない。
エドは優しげに笑うと、ルチアの予想通り快く頷いた。
「いいとも。お嬢さんの人形を作ってあげよう。君には興味がある」
けれども、こう続ける。
「ただし、渡すかどうかは僕が決めさせてもらう」
人形を作るが、渡すためには条件がいるということだろうか? 意味がわからない。
「報酬なら支払えるわ……なんとか」
「そうじゃない。僕は仕事相手を選ぶんだ。人形師には、魂を込めて作る人形の買い手を選ぶ権利があると思わないかい?」
「……わたしが相応しくないと?」
ルチアが眉を寄せると、エドは飄々とした態度で人形を大事に元の位置に戻した。
「さっきの君の舞台、とても楽しかったよ。僕は好きだ。君自身にも興味がある」
「だったら」
「客はわがままなんだよ、お嬢さん。僕はもっと良いものが見たいと思った。君なら、もう少し良い舞台を見せてくれるんじゃないかと期待している。そんな人形劇を見せてくれるなら、人形を渡してあげよう」
ヴァンツァといい、エドといい、ルチアになにが足りないというのだ。さっぱりわからなかった。
現にルチアは小さな劇団を立て直すほどの人気を獲得し、天才と呼ばれている。
先ほどだって、ルチアの演技を見て誰もが素晴らしいと言ってくれた。エド自身だって、褒めてくれたではないか。
ルチアは唇を曲げながらも、射抜くようにエドを睨んだ。
そして、挑むように宣言する。
「いいわ。今度来るときには、もっといい舞台を作ってみせる。だから、あなたもわたしに相応しい人形を用意して待っておくのね」
「随分と強気なお嬢さんだ。よかったら、仕事抜きでお付き合いしてみたいかもね」
「悪いけど、わたし普段も練習で忙しいのよ」
「はは。ますます好みのタイプだよ?」
自分を捕まえようとするエドの手を、ルチアは軽くあしらった。そして、すぐそばで見ていたヴァンツァにも視線を向ける。
「あんたも覚悟しておきなさい。もう『くだらない』とか言わせないんだから」
そう宣言すると、ルチアは答えも聞かずに踵を返して歩き出す。ルチアを追って、クルトがカシュパーレクを抱えて走った。
『王都一の人形師に、随分と大きい口を叩くもんじゃな』
「喧嘩を売られたのよ。買わない義理はないわ」
気がつかないとでも思っているのだろうか……エドはルチアを人形遣いと認めていなかった。
彼はルチアを決して名前で呼ばず、「お嬢さん」と言っている。そこまで馬鹿にされて、喧嘩を買わないわけにもいかない。
「わたしを誰だと思っているのよ。ルチア・ゼレンカよ?」
『その自信はいったい、どこから沸いてくるのやら』
「勿論、わたしが天才だからよ」
『さっきは随分と貶されておったのにのう。ヒッヒッヒッ』
「うるさいわね。帰ったら練習するから、付き合いなさい!」
『なんじゃ、ただの負けず嫌いか』
人形のカシュパーレクと一緒に項垂れながら、クルトがため息をつく。
ルチアは生意気な人形遣い見習いの首根っこをつかむと、ズルズルと引きずるように大股で闊歩した。
夕陽が街の向こう側に追いやられ、夜闇の影が進む道を呑みこんでいく。