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24 人形遣いの舞台


 

 

 

 今年の祭典は不作かもしれない。

 人々の間には、そんな不安が流れていた。

 王族用に設けられた(やぐら)の座席で、エドは肘かけにもたれる。そして、じっと松明と満月に照らされた祭典の舞台を見守った。


 結局、グイード・ランゲルに対して明確な処分は下っていない。

 チェスクを代表する名家の不祥事は表沙汰にするべきではないのだ。襲われたエド本人も身分を偽っていたので、詳細を明かすわけにはいかなかった。

 代わりに、ランゲルの団員は「劇団長の体調不良」という名目で、祭典への出場を「自主的に」辞退している。

 ほとぼりが冷めれば、劇団長も「自発的に」交代する予定だ。


 事情を知らない観客たちは、ランゲルの人形遣いが一人も参加していないことに失望している。更に、グイードによって祭典を辞退させられた他劇団の人形遣いも数人、出場を見送っていた。


 本命がいない。そんな印象を抱いているようだった。

 青灰色の瞳が自然に笑みを描いたのを見て、隣に控えていたヴァンツァが眉を寄せた。そんな従者に視線を向けて、エドは長い足を組んだ。


「君、勝手に人形あげちゃったんだろ?」


 別に責める気はないが、わざと抑揚をつけずに言うと、ヴァンツァは気まずそうに視線を逸らした。


「やったわけじゃない。貸したんだ」

「一緒だよ。僕はまだ、あの子に人形をあげるか決めてなかったのにぃ」

「……すまない」

「だいたい、君さぁ。また兄上のこと目の敵にしたんだって? ほどほどにしておいてあげてよ。あの人、いろいろ複雑なんだからさ」

「……すまない」


 エドは得意げに笑って、舞台に視線を戻した。


「まあ、別にいいけど。君が認めたんでしょ。なら、悪くはないと思うよ」

「ああ……悪くはない」

「問題は満足のいく舞台になるか、かな」


 恐らく、今回の祭典は失敗さえしなければルチアが獲る。

 ミランをはじめ、ランゲルの実力者が軒並み欠場し、それに匹敵すると言われていた人形遣いもいないのだ。

 当然、本命は彼女だった。「悪くない演技」をすれば、必ず勝てる。

 実際、午前中に行われた予選では、ルチアは持ち前の華やかな舞台で観客を魅了し、トップの成績で通過した。


 けれども、だからこそ難しい。


 失敗さえしなければ勝てると思われている人間が、普通に勝ったのでは客は納得しない。必ず批判される。

 ルチアは、そのように言われて納得する人形遣いではない。

 敵がいないからこそ難しい、孤独な戦いだ。


「あいつなら、大丈夫だ」


 ヴァンツァが言い聞かせるようにつぶやいた。


「珍しいね。ヴァンツァが根拠もなく、そんなこと言うなんて」

「別に……悪いか」


 問いに、エドはゆっくりと首を振って否定した。

 ヴァンツァの横顔に、以前のような陰りや迷いは消えている。


「勝負は僕の勝ちでいい?」

「別に勝負していたわけじゃないだろ」


 エドは思わずヴァンツァに手を伸ばし、端正な顔に触れようとした。それに気づいたヴァンツァが煩わしそうに手を払ってくる。


「ごめん。人形にしたくなると、つい手が伸びちゃって」

「お前に人形を作ってもらっても、俺は人形遣いになる気はないんだが」

「別にいいんだよ。使ってもらわなくても。ただ、僕が作りたいだけ」


 その人のための人形に、全てを注ぎ込む。変わり続ける人の一瞬を人形に刻む。それがエドの人形だ。

 もう一度、ヴァンツァのために作ったとしても、以前とは全く違う人形が出来上がるだろう。

 これだから人形師をやめられない。心から愉しいと思えるのだ。


「さて。マリオネット姫さんは、どうかな?」


 彼女は、どんな風に変わっているだろうか?

 今度はどんな人形が作れるか、楽しみだった。




 † † † † † † †




 シン――と静まり返る独特の空気と、緊張感が降る。

 次の演目のはじまりを告げる鐘の音から少し遅れて、少女が一人、舞台の袖に立った。


「紳士淑女の皆さま、御機嫌よう。ルチア・ゼレンカの舞台へようこそ」


 堂々と、そして朗々とあいさつを述べながら頭を下げる人形遣いは、いつもと変わりない。自信に満ち溢れた視線で観客を一瞥し、手にしたリュントを奏でる。

 十五本もの弦が織り成す音はゆったりとした、それでいて激しい熱情を帯びた旋律を刻む。人形劇の定石である喜劇ではなく、悲劇作品『魔法使いの息子』の序奏だと観客も気づく。


 黒い道化師人形が舞台の中央で立ち上がった。


 今まで、ルチア・ゼレンカの舞台を見たことがある人々の中には、首を傾げる者さえいた。

 彼女の売りである複雑な技巧と華やかな演出を捨て、敢えて、大人しい演目を選ぶのは冒険にしか思えない。


「それでは、今宵も最上の舞台をご賞味あれ!」


 リュントの弦が強く掻き鳴らされ、立ち上がった人形が舞いはじめる。


 使用される人形は、たった一体。

 黒い道化師の歌と語りで、ほとんどの場面が進められていた。複数の人形を操り、華のある舞台を行うルチアの趣向と真逆だ。

 しかし、決して静かで地味ではない。


『私はこの身を呪う。この身に課せられた運命を呪う――!』


 弦が切れるのではないかと思われるほど激しくリュントが掻き鳴らされる。

 舞台上で両手を上げる人形が激しく舞い、魔法使いの息子に生まれたという苦悩と葛藤を表現した。

 揺れ動く松明の灯りに照らされた影が大きく、その存在感をいっそう強めているように思える。


 チェスク国外では、人形遣いと同じ技術を有する者は「魔法使い」と呼ばれている。今は様々なことに力を利用されるようになっているが、『魔法使いの息子』が書かれた当時は忌み嫌われる存在であった。

 この作品は、そんな魔法使いの苦悩と不条理を描いた物語として、外国で読み親しまれている。チェスクの人形劇で演じられるようになったのは、ごく最近だ。


 迫害され、苦悩する漆黒の青年。

 密かに想いを寄せるのは、いつも寂しげに歌って窓辺に立つ貴族の令嬢。


 ある日、恋人を失くした令嬢は悲痛を歌に乗せる。

 青年はその歌を聞き、仮面の道化師として弔いの歌を返す。

 令嬢はその歌を死んだ恋人と重ね、次第に惹かれていった。


『彼女が望んでも、私が姿を現すことは赦されない。嗚呼、けれども、……この想いは止まらない』


 令嬢に焦がれていながらも、届かない。

 届かないから、欲しくなる。

 彼女の望むものはなんでも与えてやりたい。

 けれど、彼女の全てが欲しくてたまらない。この手で奪い去ってしまいたいとさえ思う。

 そんな矛盾した想いを抱えなければならないなら、愛など知りたくもない。

 だが、知ってしまった以上は燃やさずにはいられない。焦がさずにはいられない。愛さずにはいられなかった――。


 惹かれ合いながらも顔を見せることが出来ない黒の道化師の苦悩と葛藤。儚くも情熱的なリュントの調べに乗せて紡がれる歌とセリフ。

 観客は祭典に対する不満が薄らぎ、一気に舞台にのめり込んでいった。

 誰もが舞台中央の人形を見据え、リュントの音を聞いている。


 このあと、二人の歌に気づいた令嬢の父が仕掛けた罠によって、道化師の仮面が外されてしまう。その正体が今まで迫害して貶めていた青年だと知った令嬢は絶望し、愛情と憎悪の板挟みになる。

 令嬢は悩んだ末に自らの死を選び、ナイフを胸に突き立てる。

 その死を知った青年も後を追うように毒を煽って死んでいく。――誰もが結末を知る悲恋の物語だ。


『嗚呼、あなたが魔法使いなら、……』


 青年の仮面が剥がれ、一度舞台が暗くなる。そこで、ようやく黒の道化師以外の人形が舞台に登場した。


『あなたが魔法使いなら、この心を全て洗い流してほしい。愛した記憶などなくなれば、こんなに苦しむことなどないのだから』


 少女人形の令嬢は両手を広げ、空の満月を仰ぐ。

 まるで、そこに愛しい人がいるかのように声を震わせ、哀しみの歌を叫ぶ。悲痛な心を歌った旋律が客席の胸を抉り、奪っていく。

 少女人形がナイフをかかげ、空を見上げる。リュントの音色が激しく揺れ、その後に訪れる終幕を予感させた。


『わたしは、――。わたしは、――ただ愛したかっただけ』


 胸に押し込まれる銀色の輝き。

 だが、人形の腕の動きが不自然な形で止まる。

 まるで、なにかに縛られるかのように、動きを硬直させた少女が不思議そうに周囲を見回した。


 客席からざわめきがあがる。このような演出は、『魔法使いの息子』には存在しない。自分たちが知っている物語から外れ、誰もが不審がった。


『例え、この血が穢れていても』


 舞台袖の松明がボッと揺らめき、そこに立った人形の姿を暴く。黒の道化師は右手を上げると、まっすぐに愛する令嬢へと向き直った。


 糸だった。

 人形遣いの糸を使って、令嬢の自害を止めたのだ。

 そう示唆され、観客たちが息を呑む。

 魔法使いの息子として蔑まれた青年が、その力を使って愛する人を救う。

 魔法使いと人形遣いはチェスクでは同義だ。だからこそ、この改変はチェスク人にとって受け入れやすいものとなった。


『貴女を救うためならば、私は忌み嫌われても構わない。そこに貴女がいて歌ってくれるだけで、私は幸福なのだから』


 少女人形が、差し伸ばされた手を取る。

 リュントの音色が明るく華やかに輝き、同時に、いくつもの松明が燃え上がる。光を増した舞台上で、少女と青年、それぞれの人形が手を取り合いながらくるくると舞う。


 流麗で軽快なリュントの音を打ち消すように、無数の拍手が飛び交った。

 

 

 

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