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22 舞台の幻想師

 

 

 

 高い天井に、足音が反響する。

 宗教画が描かれたステンドグラスから差し込む数多の光が色となり、足元を照らしていた。大聖堂の雰囲気は冷たく静かで、厳かであった。


 派手に飾られたスカートの裾を上品に持ち上げて、影は祭壇へ続く短い階段を一歩一歩上がる。薄暗い大聖堂において、蜂蜜色の巻き毛がキラキラと窓の光を吸いこむ。

 内陣に差す光を見上げると、かすかに舞う埃が光をまとい、輝いて見えた。

 王都の大聖堂は王城の内部に建てられている。

 そのためか、絵画やステンドグラスの題材には、世俗の王や人物が描かれているものも多い。


 神の肖像と並ぶように内陣を飾る彫像は、エドゥアルト・プシェミスル、カレル・ジェハーク。そして、フランチェスク・ランゲルだ。

 チェスクの英雄と謳われる三人の像は、ただ黙って影を見下ろしていた。


「責めを負う覚悟なら出来ています。それでも、――」


 そのとき、後方で大聖堂の扉が重く軋む。

 暗い大聖堂の入り口に一筋の光が切り込んだ。


「ミラン」


 厳格で低く落ち着いた声が、空気を揺るがすように響き渡る。

 祭壇の影――ミラン・ランゲルは名を呼ばれ、唇を噛んだ。だが、すぐに気丈に引き結び、迷いない動作で振り返る。

 そして、大聖堂の奥へと進む人物を睨みつける。


 ドレスを纏った手に、黒い道化師の人形を抱いて。


「その人形を、こちらへ渡しなさい」

「渡せません。これは、ルチアちゃんの人形です! もうやめてください……父さん……」


 ミランは人形を抱いたまま、祭壇の奥へと後すさる。

 それを追って、ミランの父グイード・ランゲルが大股で歩を進めた。

 グイードは威厳に満ちた顔を強張らせると、強引にミランの腕をつかむ。ミランも抵抗して、その腕を振り払った。


「わからないのか、人形を渡すんだ!」

「渡したら、壊すつもりだろ!」


 この人形は壊させるわけにはいかない。

 常に振舞っている女のような所作など捨てて、ミランは人形を両手で掴んだ。


「そんなに劇団の面子が大事ですか。今の父さんのやり方は、人形遣いとして恥じない行いでしょうか……俺が知らないとでも、思っていたの?」


 祭典の上位は常にランゲル劇団所属の人形遣いが独占している。

 それはランゲルにとって当然のことであり、王都に君臨し続ける劇団としての誇りだ。ミランも理解しているし、自慢に思っている。


 だが、その裏で醜い工作が行われていると知ったのは、今年に入ってからのことだった。


 ランゲルの劇団長である父グイードは他劇団から金を積んで優秀な人形遣いを引き抜いてきた。それ自体はある程度仕方がないことだと思うし、人形遣いの方も、ランゲルのような大きな舞台で公演することを夢見ている。

 だが、応じない者もいた。ルチアのように、小さな劇団を背負う人形遣いは、そこから離れるわけにはいかない。

 そういった者の中から、祭典で上位を争う人形遣いを影で陥れていた。

 しかも、その件数は近年、急激に増えている。それだけ、他の劇団のレベルも上がっているということだろう。

 事故を偽装したり、夜盗に襲わせたり、嫌がらせをしたり。

 偽装のためにランゲルの劇団員も被害者に含まれていた。


 事実を知ったとき、ミランは愕然とした。そして、失望する。

 でも、そんな事実を公に出来ない。

 劇団の存亡と威信に関わることだ。こんなことで、フランチェスク・ランゲルから受け継がれてきた劇団を終わらせるわけにはいかない。


「俺は、ただ……」


 ミランは、十中八九、父がルチアを狙うと踏んで、舞台の数を減らし、出来る限りルチアを見張るようにした。途中でヴァンツァという護衛が加わったのは嬉しい誤算である。

 けれども、グイードは更に手を尽くした。

 ルチアにヴァンツァがついたことで、工作が難しくなってしまった。人形を壊しても、ルチアはあきらめない。

 だから、本番用の人形を作っていたエドを襲ったのだ。それも、新しいものを作り直さないように人形移りにして。


「すぐに父さんの仕業だと気づいた。だから、俺は人形を盗んで、イグナーツ様に預かっていただくよう、お願いしました。流石に王族の手元なら安全ですから」


 ルチアのあとを尾行()けているうちに、人形師エドが王太子エドムントだったと知って驚いた。

 それは、グイードも同じだっただろう。

 グイードは城でルチアの操るエドを見て、更なる欲を出して行動に移した。


 エドがいなくなれば、王位継承者に穴が空く。

 そうすれば、イグナーツが自動的に継承権を得ることになる――ランゲルに傾倒する王族の地位が上がることは好ましい。劇団の更なる繁栄に繋がるだろう。

 何処までも利己的だ。


 ミランは慌ててイグナーツの部屋から人形を持ち出した。

 ルチアに返して、エドも保護させなければならない。

 けれども、まさか人形移りがこじれて、二人の中身が入れ替わるとは考えもしなかった。


「連れ去られたルチアちゃんの居場所をジェハーク卿と殿下に伝えました。きっと、助けに行っているはずです……じきに、調べがつきます。この人形を処分しても、証拠隠滅にはならない……もう終わりにしましょう、父さん」

「お前はなんと言うことを……自分がしたことがわかっているのか!」


 グイードが声を荒げ、ミランに迫る。

 しかし、ミランは臆することなく声に力をこめて叫んだ。


「わかっていないのは、父さんだ! ランゲルの名を守るなら、正々堂々と勝負すべきです。俺はルチアちゃん……ルチア・ゼレンカになんて負けない自信がある! 何故……信じてくれなかったんです……! 俺は、あなたが育てた人形遣いなのに! 今でも俺は、父さんが最高の人形遣いだと思っているのに!」


 まっすぐに父を見上げる瞳が揺れる。

 妨害工作までなら、ミランが食い止めて秘密を隠し続けられた。

 しかし、王太子を殺めるなど大それた欲にまで手を伸ばした父を放っておくことなど出来ない。ランゲルは貴族と同等の扱いを受けていても、人形遣いの家系だ。それ以上の存在であってはならない。


 尊敬していた父に、大好きな人形劇を穢してほしくなどなかった。

 それに、イグナーツは継承権など望んでいない。政治の表舞台に立つことなど、考えてもいないのだ。

 だからこそ、ミランは――。


「人形劇は権力の道具なんかじゃない」


 なにもわかっていない。

 グイード・ランゲルほどの人物が、どうして、そんなこともわかってくれないのか、ミランには悔しくてたまらなかった。


「ミラン、渡しなさい」


 ミランの想いも虚しく、グイードは人形に手を伸ばす。

 もう無駄だと知っているはずだ。それでも、人形を奪おうとするのは、自棄になっているからだろうか。


「それが、父さんの答えですか」


 ミランの右腕が意図せず人形から引き離される。

 人形劇の糸に縛りつけられたのだと気づいた。現役を退いているとはいえ、グイードも一流の人形遣いだ。

 左腕も呆気なく縛られ、両手を上げた状態となってしまう。


 人形は奪われて、父の手に渡る。


「もう遅いですよ」

「黙れ!」


 グイードはミランから奪った人形を高々と掲げた。

 そして、振り落とさんと力を込める。


「――御機嫌よう、ランゲルの劇団長様。ルチア・ゼレンカの糸を、とくとご賞味あれ」


 人形は地に落ちなかった。


 代わりに、大聖堂の入口で光を背に立つ少女が、自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。




 † † † † † † †




 大聖堂の中に踏み込み、ルチアは即座に糸を飛ばした。

 糸によって動きを縛られたグイード・ランゲルが憎々しげな表情で、ルチアを振り返る。


「ルチアちゃん……!」


 ミランが声を上げる。


「それ、わたしの人形だからね!」


 ルチアは糸を増やし、抵抗しようとするグイードを押さえつけた。その後ろから、ヴァンツァが颯爽と歩み出る。


「グイード・ランゲル。人形遣いに対する妨害行為と、王太子殺害未遂の件について話をうかがいたい。王族に対する謀叛を行って、逃げられるものと思うな」


 ヴァンツァが高らかに言い放つと、グイードは苦虫を噛みつぶしたように表情を歪める。

 その様を見て、ルチアは青空色の瞳をパチクリと見開いた。


「あれ? ってことは、ミランのお父さんが黒幕だったってこと?」


 ルチアが今更のように首を傾げるので、ヴァンツァは呆れたようにため息をついた。


「お前、わかっていてついてきたんじゃなかったのか。今、思い切り糸で縛ってるだろ」

「だって、連れ去られる前にミランを見た気がしたから……それに、なんか人形壊そうとしてたから、つい……あんた、ロジェンヴァリ公が犯人って言ってたじゃない。騙したわね!?」

「言ったが、外すこともあるだろう」

「開き直らないでよ」

「エドが人形移りになる直前、ランゲルの顔を見ていた。確実性を得るために、自らも足を運んだことが仇になったな。それに加えて、お前の居場所を教えたあの糸が誰の仕業なのかを考えれば、ある程度の推測はつく。人形頭じゃないからな」

「人のこと人形頭って、あんたうるさいのよ!」


 不公平なような気がして、ルチアは甲高い声で文句を並べた。

 その声が音響効果に優れた大聖堂に反響し、余計に際立つ。


「あ。でも、だったら、わたしの推理が当たったってことね。王族の陰謀劇とか、関係なかったじゃない。ふふん、どうよ。天才の力ってやつね」

「……まあ、そういうことになるな」

「さあ、負けを認めなさい。もう二度と、人形頭とか言わせないわよ!」

「そういうところが人形頭だと思うんだが」

「うるさいわね!?」


 ルチアは血が昇って顔を真っ赤にするくらい叫んで唇を尖らせる。

 ここ数日、ヴァンツァの態度が丸まったような気がしていたが、そんなことはないようだ。相変わらず、口が悪くてムカつく!

 ルチアは祭壇に視線を戻す。

 グイードは放心した様子で天井を仰いでおり、もう抵抗する気力がないようだった。ルチアはグイードを縛る糸を解き、祭壇に向かって歩み寄る。


「…………!」


 だが、その瞬間、脱力していたグイードの腕に力がこもる。

 グイードは手にしていた人形を天高く振り上げた。――そして、力任せに祭壇へと叩きつける。

 木彫りの人形が祭壇の十字架を倒す音が、聖堂内を無意味に重なって響いた。

 床に落ちた人形は首が取れ、力なく転がる。

 その上に、火の灯った燭台が倒れ込んだ。


「人形が……!」


 ルチアはとっさに床を蹴って走った。ミランが人形を踏みつけようとするグイードを抑えつけてる。

 燭台の炎が燃え移り、人形のまとっていた黒い衣装が橙に染まった。ルチアは、その火を消そうと、思わず素手で人形に触れようとする。


「熱ッ」

「どけ、人形頭!」


 後ろからヴァンツァに跳ね飛ばされてしまう。

 彼は着ていた上等の上衣を脱ぐと、人形に叩きつけるようにして火を消し止めた。


「火傷したら、どうする! お前の商売道具はリュントだろう!」


 ヴァンツァはルチアの指に触れ、怪我がないか確認する。

 けれども、今のルチアは指の心配をされたことや、人形頭と罵られたことなど、どうでもよく思えた。


 人形が、壊れた――。

 首が取れ、焼け焦げた黒の道化師を見て、ルチアはただ愕然と座り込むしかなかった。

 

 

 

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